2018/08/04 - 2018/08/04
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belleduneさん
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小田原・江の浦測候所の基本設計は(株)新素材研究所、実施設計は(株)榊田倫之建築設計事務所、施工は鹿島建設。特別支援はジャパン・ソサエティー(ニューヨーク)。
杉本博司氏は、2008年に『新素材研究所』、2009年に公益財団法人小田原文化財団を設立しました。ここ江の浦測候所には、アートの起源を追求した杉本博司氏の世界が広がっています。まだこれから建築中のものも多く、今年10月頃に完成するものもあります。少し経ったらまた来て見たところです。
『小田原市江の浦地区は、貴重な自然遺産です。ここにある財団施設は、日本の建築様式、及びその工法の各時代の特徴を取り入れて、再現し、日本建築史を痛感するものとして機能する。よって現在では継承が困難になりつつある伝統工法をここに再現し、将来に伝える使命をこの建築群は有する。』と杉本博司氏は小田原文化財団 江の浦測候所の案内書に書かれています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 新幹線
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根府川駅からシャトルバスの送迎があります。この待合棟で注意事項や案内に関する説明があります。4面ガラスで覆われた棟kらは、箱根外輪山が見渡せます。
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この奥に入り口があります。手前でなく、奥にエントランスを設けた理由は、歩きながら、周囲の景色をゆっくりと見渡せるようにではないかと思います。
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ガラスのみで柱がない構成です。
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左手奥の方に見えるのが、古信楽井戸枠(室町時代)です。
昭和7年(1932)頃、北大路魯山人が信楽の旅で、買ったものだそうです。その後、昭和37年(1962)頃に、小林秀雄の所蔵となりました。小林秀雄は鎌倉の自邸庭にこの井戸枠を据えて、その緋色をとても気に入っていたと伝えられています。雨に濡れると、その日色が映えて、一層愛でていたという。 -
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中央のテーブルは、樹齢千年を超える屋久杉です。1枚板なのかと訊ねると、本来1枚板のものを木目の面白さを生かすために、切って作ってあるそうです。こちらに嵌め込んである水鉢は、高野山の末寺・大観寺にあったものだそうです。
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こちら側はステールの台座です。
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地下に下りておくと、トイレ、コインロッカーなどがあります。
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館内、至る所にアートが点在しています。
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道標、右こうや左よしの至 ー 江戸時代
紺屋街道と吉野街道の分岐点、現在の和歌山県橋下志にあった道標です。 -
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大谷石の壁
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さて、暑いのですが、「夏至光遥拝100メートルギャラリー」(Summer Solestice Light-Worship 100-Meter Gallery ) へ向かいます。
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どこを切り取っても、絵になります。計算しつくされた設計です。
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海抜100m地点に、100mのギャラリーが立っています。建築構造的に、野心的な案が採用されたそうです。100mの構造壁は、大谷石の自然剥離肌の壁に杉本氏の海景シリーズの写真が7点並んでいます。
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入り口扉は重い、横のガラスから待合棟方向を見ています。ガラス面下にガラスを使ったアート作品のような車止めが置かれています。これがないと、ガラス面にぶつかる人がいるでしょうね。
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杉本博司さんの写真を初めて見たのは、確かシシリアのホテルに然りげ無く掛かっていました。海辺のホテルで、その周囲との繋がりが自然で、とても印象深い作品だったことをよく覚えています。
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支柱のない37枚のガラス板が並んでいます。野心的な試みが色んな箇所に見られ、面白いです。屋根の軽量化がなされた片持ちの屋根。夏至の朝、海から昇る太陽光は、この空間を数分間に渡って、駆け抜けるという。是非見てみたいものです。
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円形石舞台
後で下りますが、これは大名屋敷の大灯篭を据えていた伽藍石を中央に置いて、周囲を京都市電の敷石を放射状にすり合わせたものだそうです。舞台周りの巨石は、江戸城の石垣のために切り出されたもの。近隣の山中から切り出された江戸湾まで回航されましたが、失敗し、沈んだ巨石が根府川海岸の海底に見つかりました。 -
ギャラリーの外で眺めている人がガラスに映っている光景が不思議です。
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ギャラリーの先端に出ると、相模湾の良い景色が見渡せます。傾斜地のため、敷地の下の方は見えません。
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こちらにもここにガラスがあります、という注意の印が。
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味のある大谷石の壁
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外に出て、100メートルギャラリーのの外観です。
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京都五条大橋礎石 ー 桃山時代
村野藤吾設計で昭和16年(1941)、京都東山に建てられた「比燕荘」の玄関庭石として据えられたものだそうです。平成22年(2010)に比燕荘の解体の際に、当財団に寄贈されたという。礎石は、天正18年(1590)方広寺大仏殿の造営時に、豊臣秀吉の名により五条大橋が石柱の橋に改修されました。その大橋の礎石。石柱部は、小川治兵衛設計の平安神宮中神苑の臥龍橋渡り石として使われているとのことです。 -
明月門の側面
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近くで撮った写真がありませんが、奥の方に、川原寺礎石(白鳳時代)があります。
川原寺は、天智天皇期に建立されたとされつ古寺で、飛鳥寺、薬師寺、大官大寺と共に飛鳥の四大寺に数えられていました。川原寺は、平安初期に焼失し、その後、衰退し、室町期には廃寺となりました。礎石は特徴的な十文字基壇が見られます。この礎石は、火災時に半分割れたそうです。 -
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この写真の中央にあるのが、渡月橋礎石(室町時代)です。
嵐山の渡月橋は、古くから御幸橋とも呼ばれていて、亀山上皇が「隈なき月の渡るに似る」と詠まれたことから、この名前が付いたそうです。現在より100メートル程上流にあり、慶長11年(1606)、角倉了以が現在の場所に架け替えたという。この礎石は、それ以前のもので、昭和37年(1962)の渡月橋補強工事の際に、川床から発見されました。水穴が斜めに穿たれているのは、橋脚の傾斜を支えていたためで、石を切り出した矢跡は、五百年の年月で水流によって摩滅し、溶けてしまっているそうです。 -
根府川石 浮橋
近隣の根府川石丁場から採取される根府川石は、自然肌の平滑面が特徴で、この平滑面を利用して、踏石としてレベルを揃えて、自然石の地表から僅かに浮かせて設置したとのこと。石を伏せるという工法の顕著な例なのだそうです。 -
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奥に見えるのが、明月門です。
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こちらは石舞台です。この石舞台は、能舞台の寸法を基本として計画され、素材は、当地の開発し、地盤を整備した際に出土した夥しい数の転石を主に使用したそうです。この土地は、数メートルの地下が強固な岩盤で、付近には根府川石丁場、小松石丁場があります。舞台四隅の隅石には早川石丁場跡から発掘された江戸城石垣のための巨石を配しているという。その鑿跡(のみあと)から江戸初期に切り出され、江戸城初期計画が完成したため、放置された石材と思われているそうです。舞台の橋掛りには、23トンの巨石が使われています。この石は、福島県川内村の滝根石で、岩盤から剥がされた状態で見つかっています。
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石橋の軸線は、春分秋分の朝日が相模湾から昇る軸線に合わせて設定されているそうです。演能は、夜明け前の薄闇に曙の差す頃に始まり、後ジテが冥界に帰る頃にはその背に朝日を受ける、という構想で、この舞台は設計されているとのことです。この演能は鑑賞できるのでしょうか...
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三角塚が見えます。
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海に向かった三角塚の舞台の頂点は、春分秋分の時の正午の太陽の方向をさしているそうです。この時太陽は、子午線を通過します。南極と北極を結ぶ大円である子午線の子の方角から牛の方角へ伸びる線を指します。根府川石を組む過程で古墳のような石室空間が現れたため、実際に古墳室に使われた石と石棺の一部を内部に収めてあるそうです。
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正面下に光学硝子舞台があります。遊び心一杯のこの敷石...
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光学硝子舞台
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古代ローマ円形劇場写し観客席
隧道と平行に、冬至の軸線に沿って、檜の懸造りの上に光学ガラスが敷き詰められた舞台が設置されています。懸造りとしては、京都清水寺の舞台、鳥取の三徳山文殊堂などが知られています。冬至の朝、ガラスの小口には、陽光が差し込み輝いているのが見えます。観客席はイタリア、ラツィオ州のフェレンと古代円形劇場遺跡を実測して、再現してあるそうです。急斜面に建つこの客席からは、ガラスの舞台が水面に浮いているように見えます。 -
円形劇場の階段を降りていくと、左側にこの鋼鉄製の隧道があります。この上を止め石のところまで歩いて行けますが、少し怖いです。
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ちょっと怖いとお思いながら、辺りの景色を満喫しました。
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下に見える光学ガラス舞台をチラッと見て、すぐに後退りしました。高度恐怖症ではない筈ですが、最近苦手になりました。
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この隧道を右手に見える階段を下りて、中に入ります。
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冬至光遥拝隧道
一年で最も日照時間の短い冬至は、一年の終点であり、また、起点となる日。この特別な1日は、巡り来る死と再生の節目として、世界各地の古代文明で祀られてきたそうです。日が昇り、季節が巡り来る事を意識化し得たことが、人類が意識を持ち帰った切欠なったという。この「人の最も古い記憶」を現在人の脳裏に蘇らせる為に、当施設は構想されているとのこと。当時の朝、相模湾から昇る陽光は、70メートルの隧道を貫き、対面して置かれた巨石を照らし出すそうです。是非、冬至の朝の光景を体験したいものです。
止め石が置かれています。 -
反対側の隧道です。
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隧道の中ほどに、「光井戸」(室町時代)があります。
これは、採光のために設置されているとのこと。井戸枠は、その鑿痕(のみあと)から中世のものと判断されています。井戸枠の中には、光学硝子破片が敷き詰められていました。雨天時に、雨粒が井戸に降り注ぐのを見ることができるそうです。 -
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反対側の巨石があるところに出ます。
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円形石舞台
大名屋敷の大灯篭が据えられていた伽藍石を中央に置き、周囲に京都市電の敷石を放射状に擦り合わせてあります。舞台に周りの巨石は、江戸城石垣のために綺麗出された巨石です。これ以上退がれないので、全体をうまく撮れませんが、先ほど100メートルギャラリーから撮ったものが見易いと思います。 -
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100メートルギャラリーの下を歩いています。
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右端に写っているのは、「内山永久寺十三重塔」(鎌倉時代)です。
内山永久寺は、やmとの古社、石上神宮の神宮寺で平安末期に、鳥羽天皇の勅願によって建立された大寺でしたが、明治初年の廃仏毀釈により、破壊されて廃寺となりました。永久寺からは藤田美術館所蔵の国宝「両部大経感得図」、出光美術館所蔵の重要文化財「真言八祖行状図」など多くの名宝が散逸してしまいました。この塔は、近隣の豪族家に移存されていたもので、四方仏に梵字で鑿切り(のみきり)されているとのことです。 -
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旧奈良屋門
箱根宮ノ下にあった旅館「奈良屋」の別邸に至る門。平成13年(2001)の廃業に伴い、箱根町よりこの財団に寄贈されたそうです。関東大震災後の大正~昭和初期の建築と思われています。戦後、日本国憲法草案の一部が近衛文麿、佐々木惣一によって、当時の奈良屋で書かれたという。その後、この奈良屋別邸は、岸信介元総理の夏の別荘として使われていました。また、門の巨大な踏込み石は、大阪府箕面にあった旧笹川良一邸から移築されてもの。近衛、岸、笹川は、共に産後の極東軍事裁判により、A級戦犯に指名されました。
門の塀は、古代工法で(土を固めて作る版築)造られています。平城京の塀もこの工法で造られており、法隆寺の塀は現在も健在だということだそうです。 -
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「雨聴天」への道標
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奈良屋門を側面から見たところ。
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鉄宝塔 ー 鎌倉時代
木造の宝塔を模し、鉄で鋳造した宝塔で、類例としては、弘安7年(1284)の銘がある国宝「西大寺鉄宝塔」、室町期の文明2年(1470)の銘がある重要文化財「日光山鉄宝塔」の2例のみ。その形状から西大寺の系統に属する工人の手によるものと推定されているという。 -
奥の水鉢は、「明日香石水鉢」です。時代不詳だそうですが、明日香石に南北の刻印があり、発見時には、二つに割れていたものを継いで、茶室「雨聴天」の蹲として置かれました。その刻印の通り、南北の軸線に沿って設置されましたが、その意味と目的、何故割れているのかは、不明ということです。
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鉄灯篭 ー 桃山時代
この灯篭は、内山永久寺十三重塔と共に発見されたものだそうです。鉄灯篭の遺例は稀であり、天正19年(1591)の銘があるとのこと。豊国神社鉄灯篭、慶長11年(1606)の銘を持つ妙蓮寺鉄灯篭、寛永9年(1632)銘の石清水八幡鉄灯篭の3灯が知られています。この鉄灯篭も作例から桃山期の灯篭と推定されているということです。 -
茶室「雨聴天」は、利休作と伝えられている「待庵」の本歌取りとして構想されたそうです。待庵は、利休の目指した侘茶の一つの完成形と言われています。それは、2畳床という極小空間の内に、壁面の小舞の窓から差し込む陰影が見事な空間を構成していると言われています。当時使われていた素材は、銘木ではなく、あり合わせの材で、壁も質素な土壁だったそうです。そこでは意図的に山居に籠る聖のような「貧」を表しているという。杉本博司氏は、この待庵の寸法を全く同じに写したそうです。
小田原文化財団がある江の浦には、同じく利休作といわれている茶室「天正庵」跡があります。秀吉北条攻めの際に、諸侯慰撫のために、秀吉が利休に命じて作らせたと伝えれらているという。利休切腹1年前の天正18年(1590)のことでした。杉本氏はこの記憶を茶室にも取り込むことにしたそうです。この地にあった錆果てた蜜柑小屋のトタン屋根を慎重に外して、この茶室の屋根として使いました。利休が現在に生存していたら、使用したと思われる素材が錆びたトタン屋根だと考え、杉本氏はそれを見倣ったという。 -
「天から降る雨がトタン屋根に響く音を聴く」ということから「雨聴天」と命名されたのです。雨の日に来て、その音を聴きたいと思いました。茶室の躙口から床には、春分秋分の陽光が日の出と共に差し込む時、躙口前に置かれた光学硝子の沓脱ぎ石はその光を浴びて、眩しく輝くという。こんな風に聞くと、是非見たいですよね。
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床のお軸は、杉本博司氏の筆に寄るものだそうでうs。
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石造り鳥居 ー 古墳時代、古代、中世
鳥居の古様を残すとして、山形県小立部落にある重要文化財しての石鳥居があります。この鳥居の形式に準じて、組み立てられたのが、この鳥居です。柱は、中世以前だと考えられる矢跡があるそうです。踏込み石には、古墳石 -
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光学硝子の沓脱ぎ石
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石造鳥居を正面から見ていますが、朝日が昇る時間には、この鳥居の向こうに太陽が昇り始めるという計算された構想が素晴らしい!
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鳥居の先には相模湾が広がっています。傾斜面は崖の様に急傾斜しているため、この時点では先がどうなっているのか全く分かりません。石の上だけを歩く様に最初に注意されていますので、白い小石部分は歩かないように。
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ここに石留めがあるため、これより先には進めません。
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左下から階段を上ると、100メートルギャラリーに出ます。
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明月門へ
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明月門 ー 室町時代
明月門は、鎌倉にある臨済宗建長寺派の明月院の正門として、室町時代に建てられました。しかし、大正12年(1923)の関東大震災で半壊し、数寄屋建築家で茶人でもあった仰木魯堂に引き取られ、解体保存されていました。その後、大日本麦酒(サッポロ、アサヒビールの前身)の創業者で、茶人でもあった馬越恭平の茶友であった根津嘉一郎の青山邸宅が馬越邸と共に、米軍の爆撃で被災し、唯一この明月門だけが焼け残ったそうです。馬越は、自邸の移転の際に、この明月門を根津家に寄贈しました。門は再び解体移築されて、根津美術館正門として使われていました。その後、根津美術館建て替えの際に、当財団に寄贈され、小田原文化財団正門として、解体修理され、ここに再建されました。 -
建築様式としては、室町期の禅宗様式をよく残していて、躯体の大半の部材が創建材として残されているとのこと。仰木魯堂は、明治期に建築設計事務所を開いて、建築家であり、目利きの古美術の蒐集家としても、また茶人としても独自の世界観を持っていたという。杉本博司氏が最も敬愛する日本人建築家だそうです。
明月門の塀には、木賊張り(とくさばり)が施されています。木賊張りは、半割りの竹を木賊のように縦に並べて、壁面を構成する方法だそうです。施工例としては、桂離宮表門、伊勢神宮茶室、野村碧雲荘など。 -
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大官大寺 瓦 ー 白鳳時代
文武天皇(在位697~707)建立の官寺で、藤原京の東南、香具山の麓に建てられました。大官とは、「おほつかさ」とも読み、天皇を意味する官寺の中でも、最高位の寺院だったそうです。昭和40年代から発掘調査が行われ、金堂、講堂、九重塔などのあとが確認されています。九重塔は初層一辺が15mで、法隆寺五重塔の初層一辺が6,3mに比べても、倍以上の大塔だったことが分かります。この瓦は、伽藍の一部を荘厳していたもので、今はない大寺の面影が偲ばれるものとして保存されています。 -
門を入ると正面に見えるのが、「藤原京 石橋」です。
藤原京は、日本初の唐風都城として、大化改新以降の首都として作られました。1990年代に、発掘調査が行われ、東西の京極大路が発見され、規模が10里四方(約5,3km)で、平城京や平安京より広い古代最大の都であったそうです。この石橋は、域内にあった旧家の庭にあったものだとのこと。 -
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野点席
蜜柑畑の石組みを再利用したものです。当時の朝には、暖を取るための焚き場となっているそうです。 -
そこからの相模湾の眺めです。
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テーブルもスツールも材木で作ってあります。
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その横にあるベンチは、ユニークなキノコ型に作ってあります。
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右手にあるテーブルの台座下部分に薪が置かれていました。
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まだ青い蜜柑がなっています。
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横から見た光学硝子舞台と古代ローマ円形劇場宇津井観客席が、その奥に冬至光遥拝隧道が見えます。
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下へ下りていきます。
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良い眺めですが、今日は湿度が高くて、夕日の綺麗な写りは望めないようです。昨夕は綺麗な景色が見れたそうです。
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ここから奥はまだ建設中で、「化石窟」だと思います。
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5時前ですが、少しずつ夕暮れが迫ってくる空模様です。
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隧道の上に人が立っているのが見えます。景色になる光景です。
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100メートルギャラリー下を通ります。
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根府川駅から見た相模湾です。また来ます!
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