2017/09/16 - 2017/09/16
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RAINDANCEさん
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福島県南西部、南会津郡の町である南会津を訪れました。古来より交通の要所であり、鴫山城の城下町として発展しました。また、重要な歴史的な出来事、農民一揆「南山御蔵入騒動」はこの町で起こりました。そして今や、高原&スキーリゾートとして自然を満喫できる”会津高原”を擁する町でもあります。
★南会津の歴史を語る、前沢&水引集落・久川城跡・農民歌舞伎舞台・旧南会津郡役所...といった歴史地区・建造物を巡る。
★会津高原のリゾートホテルに泊まり、高原ゴルフ。
※この旅行記は、2014年6月と2017年9月の訪問の合体版旅行記です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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東北自動車道の西那須野塩原ICを降り、国道400号をひたすら北西方面へ。
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南会津町に入りました。
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国道352号に乗り継ぎ西進し、「前沢曲家(まがりや)集落」にたどり着きました。広い駐車場あり。
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集落の名前「前沢」の由来とされる舘岩川。きれいな川です。
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この前沢曲家集落は、16世紀に会津の武士が開いた集落とのこと。
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”曲屋”の名の通り、家がL字型に曲がっているのが特徴です。集落は明治40年の大火のあと復興の際、このような曲家で統一感のある集落になったそうな。
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自然の真っただ中の集落ですので水がきれい。
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曲家資料館では、曲家の内部を見ることができ、豪雪地帯の農家の暮らしぶりをうかがうことができます。
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薬師堂。
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「ふるさと公園」に復元された水車小屋。
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続いては、南会津町の西の端にある「大桃の舞台」へ。
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江戸時代に盛んだった、農民歌舞伎の舞台です。南会津地方では、地区ごとに歌舞伎一座があり、技や衣装を競い合ったそうです。
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そして、隣の桧枝岐村との境界付近の伊南川にそびえる岩が「屏風岩」。
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川に削られた白い岩肌。紅葉の季節はきれいでしょうね。
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岩と渓流が清々しい景勝地です。
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農民歌舞伎の舞台がもう一つ。
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「湯ノ花舞台」。湯ノ花温泉の近くです。
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1889年の建物で、県内で最も古い遺構であり、保存状態も良く町の指定重要民俗文化財となっています。
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次に、「水引集落」にやってきました。
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集落の傍を流れる、湯ノ岐川の支流。
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その川の横に、「山神社」が佇んでいます。(左の鳥居)
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鳥居の先の階段を登ったところにある山神社。
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そして、この山神社の鳥居の脇にあるのが「水引の清水」です。
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上水整備記念碑と、水引集落の解説版。解説によると、15世紀半ばに上述の清水に魅せられて猟師3人が住み着いたのがこの集落の始まりなのだとか。
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昔ながらの藁葺きの古民家が7軒残っています。
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集落は明治の大火で焼けてしまったのですが、その後に越後大工によって建てられたのが現在の民家とのこと。
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そのほとんどは、前沢集落と同様に”曲屋”です。
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白川郷ほど有名ではありませんが、ここにもさりげなく日本の原風景が遺されています。
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そして、南会津町のど真ん中付近にある「会津高原ホテル」へ。この日はここに泊まります。
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アルペン風のリゾートホテル。エントランスの吹き抜け。
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客室は和洋室タイプをチョイス。
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ホテル内にも大浴場はありますが、ホテルの前に露天風呂のある外湯「白樺の湯」がありますのでそちらへ。
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温泉のあと、夕食は和食膳。
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冷酒とともに。
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馬刺し。
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天ぷらとイワナの塩焼き。
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ご飯。
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そばとデザート。
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このホテル、温泉や食事で特筆する点はありませんが、宿泊料金が手ごろであり手軽な高原リゾートステイにはちょうど良い感じだと思いました。
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朝食はビュッフェです。
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普通に品数もあり、満足です。
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さて、会津高原に来た目的のひとつであるゴルフへ。「会津高原たかつえカントリークラブ」。会津高原ホテルの宿泊は、このゴルフ場プレーとセットで予約しました。
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標高約1000m、白樺や檜などの自然林に囲まれた、洋芝が美しいコースです。
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戦略性があり、スタッフの対応も良く、コスパの良いコースだと思いました。
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さて観光へ戻って、南会津の中心地とも言える旧田島町にやって来ました。ここにあるのが「旧南会津郡役所」。
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明治初期の洋風木造建築です。
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明治18年(1885年)建築の県重要文化財で、地元住民らの運動により移築保存されているそうです。
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現在は歴史資料館となっています。
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創建当初の姿。
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2階は大きな講堂になってます。
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2階の正面真ん中の窓から。右側に見えるのが南会津合同庁舎。
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南会津にゆかりのある人物紹介。
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「鴫山城跡」がある愛宕山の模型。この庁舎の近く、田島地域を見下ろす山に約500年前(南北朝時代)に長沼氏によって築かれたと推定される城の跡。
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赤い絨毯の明治の雰囲気を残した郡長室。
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南会津の歴史を語る上で外せない、「南山御蔵入騒動」と呼ばれる農民一揆の資料室。
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南山御蔵入騒動とは、江戸時代の享保5年(1720年)、南山御蔵入領(会津藩のお家騒動で幕府に召し上げられた領地)にて、年々厳しくなる年貢等に対し農民が起こした一揆です。
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農民の代表が、取り合わない田島代官所を飛び越えて江戸の幕府勘定書へ直訴したものの...
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...一揆を扇動したとして、投獄死したり打ち首&さらし首になったりと、農民の代表たちは悲惨な末路を辿りました。それでも、一部の要求は彼らの命に代えて認められたのです。
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彼らを悼んで建てられた「南山義民の碑」および、処刑された6人を偲ぶ「南山六義民」の地蔵。旧役所の裏手にあります。
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首謀者の一人、小栗山喜四郎が唯一この田島で捕まり打ち首となり、ひときわ地元民の印象が強い義民とされています。
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そこに、小さな神社もありました。
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「西宮神社」。
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少し田島の市街も。お、趣のある旅館がありますね。
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元禄年間に創業の会津酒造。
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残念ながら、この日はお休みでした。
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山車の格納庫を発見。
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田島市街から南へ6kmほどのところにある「奥会津博物館」。残念ながら16時をほんの少し過ぎていたため閉まってました。
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しかし、博物館は見れなくとも、南会津の各地から移築・保存されている数軒の古民家を見ることが出来ました。こちらは「旧山王茶屋」、レストランになってます。
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馬宿(旧大竹家住宅)。明治初期までに、会津西街道を馬で商品を運んだ業者の宿だそうです。国指定重要有形民俗文化財。
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こちらは「染屋(旧杉原家)」。江戸時代中期頃より昭和 40 年代まで続いてきた染屋。
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続いて向かったのは、旧伊南中学校。
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その校庭にそびえたつのが「古町の大イチョウ」。12世紀に久川城主が植えたとの言い伝えがある、樹齢800年余の銀杏の木。
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そして、最後に向かうのが、その大銀杏を植えたという城主が住んでいたはずの「久川城跡」。
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城跡はこの丘の上です。
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ここから城跡へ登れます。
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こんな山道を軽いハイキングがてらに。
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久川城は、伊南の領主だった河原田盛次が、天正17年(1589年)に伊達政宗軍の来襲に備えて築城したのだそうです。
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のちに蒲生氏の支城となり、慶長16年(1601年)に廃城とのこと。
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稲荷神社があるこの付近が本丸だったらしい。
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堀切の跡。
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久川城跡を降りると、目の前にあるのが「奥会津博物館 伊南館」。
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特に伊南地域の歴史と、久川城のことも学べます。
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そろそろ、南会津を後にします。
江戸幕府直轄の御蔵入領地と言う稀有な歴史を持ち、現代は豊かな自然と会津高原というリゾート要素を持つエリアに、いいゴルフ場にスキー場があり...なのに人は多くない。アクセスがいいとは言えず、それほど有名でもない...これが南会津の魅力だと感じました。また訪れたい場所のひとつです。
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