2018/07/20 - 2018/07/20
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tadさん
情けないことに痛風に苦しんでいた。ここ数日少しづつ動き出してはいたが、今朝、五時半ごろ、涼しいので、電動自転車で関門海峡沿いを走って壇ノ浦まで行ってみた。早朝は爽やかでいい景色だ。(今日は、昼間は34度まであがった。日本の各地が38度になっても、下関は三方を海に囲まれていて、私のいる場所などは夏と冬の温度差が少ないところだ。)
今、グーグルマップで調べると、片道2.7kmとのこと。帰りは少し回り道をして、唐戸のほうにも行ってみた。そういえば、この辺りもロンドンに行く前に来て以来だった。
一枚目は壇ノ浦古戦場の碑。
- 旅行の満足度
- 5.0
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壇ノ浦古戦場
みもすそ川公園内に、源義経と平知盛の像がある。手前が義経。みもすそ川公園 公園・植物園
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壇ノ浦古戦場
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壇ノ浦古戦場
壇ノ浦古戦場跡 自然・景勝地
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長州藩が無謀にも欧米四か国の艦隊を砲撃して、あっというまに降伏させられた苦い経験を思い出させるところ。これでやっと欧米勢の力を認識し、その後は、まともな行動になっていく。
ただ、この戦いも、ロンドン大学への留学から急遽帰国した井上薫と伊藤博文が、必死でここでの砲撃を止めようとするが、長州藩にはその話を理解できる人間は一人もいなかった!それどころか、井上薫は暗殺されかかったのだ!瀕死の重傷だった。藩主の近辺にはまともな国際情報をもつ人間は当時は一人もいなかったのだろう。酷い話だ。。。イギリスとの交渉を経験した高杉晋作は、この数か月後、功山寺の決起につながっていく。長州の内乱の開始となるのだ。
砲台はレプリカ。手前の一台のみは本物の長州砲の忠実なレプリカだが、砲台に乗っている部分は、外形のみ。 -
これが長州砲の忠実なレプリカ。本物はパリのアンバリッドにあり、一度借り出して、複製をつくった。
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幕末の砲台のレプリカ
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関門海峡
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関門大橋
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関門大橋
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後ろは火の山。ロープウェーで上がれる。
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壇ノ浦古戦場跡。
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関門大橋
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唐戸の方向に向かう。
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関門海峡のもっとも狭いところ。700mしかない。
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唐戸市場
唐戸市場【活きいき馬関街】 市場・商店街
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唐戸市場。関門大橋が結構遠くに見える。ここから1.3km
の距離だ。
昼間は暑いが早朝の散歩というか、自転車乗りは爽やかだった。これで、痛風との闘いも今回はやっと終了。今までで、最長の痛みが続いた。。。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 横浜臨海公園さん 2018/07/20 13:49:16
- 下関事変
- tadさま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
下関事変発生時に、仮に久坂玄瑞が下関に居たらなら、人物が人物だけに、収拾はおろか、事はもっと厄介な事態に発展していたのではと考えます。
兎に角、久坂が蛤御門の変で死んだ事は、長州藩にとって幸いであり、明治期以降も生存していたら萩の乱で刑死した前原一誠以前に、反政府反乱事件を起こし、同じく獄門刑に処せられたものと思います。
横浜臨海公園
- tadさん からの返信 2018/07/20 16:35:43
- Re: 下関事変
- いきなり、面白すぎるコメント有難うございます。
ただ、久坂が生きていたらというのは、考えたくないですね!私などは、蛤御門の変は早とちりだと思っていますし。。確かに、「長州藩にとって幸い」という見方は可能ですね。高杉や伊藤の決起で正解でしたから。。。結果論ですが。。
この地方がらみの、生々しい話は限りなくあります。。。歴史が好きな人には無視できないところでしょう。ただ、日本国内の幕末維新の議論は内戦の(しばしば一方的な)分析中心なので、私はどちらかといえば、当時在日のイギリスの外交官達を絡めた観察のほうが、中心点がぶれない気がしています。退職後は、そのあたりの本も読んでいますが、面白いですね。Earnest Satowと伊藤博文のやりとりなど相当面白いですね。この二人が下関事変の後、一緒に飲んだ場所の跡(大坂屋)は、私の朝の散歩コースの近くです。
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