2018/07/06 - 2018/07/09
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xiaomaiさん
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昨年9月に初めて香港に行き、すぐに魅せられ、同年12月に再訪。そして、今年7月にまた行ってしまった。3泊4日の香港の旅の記録。
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旅の2日目は6時半に目が覚めたものの、ずっとNHKで大雨水害の特集を見ていたり、この日の予定を考えていたりした。
画像は女人街で見かけた偽ピカチュー。ポケモン好きな友人に欲しい?と聞いたら、速攻で要らないと言われた。 -
ホテルの近くにはミニバスのターミナルがある。
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そして、そのミニバスターミナル近くにあるレストランでブランチ。
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相席指示の掲示。11時ごろでもけっこう混んでいた。
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海老ワンタン麺とアイスミルクティー。合計で32香港ドル。ミルクティーは飲んだ後、お腹の調子がちょっと悪くなった。
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旺角東駅まで10分程歩き......
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地下鉄で紅磡で下車。
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歩いて向かったのは香港歴史博物館。ここを観光ルートに入れない人が多そうだけれど、なかなか見応えのあるところ。全てを見学するのに3時間を要した。
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特別展は有料だけれど、香港の歴史を学ぶエリアは無料。
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見学エリアは1階と3階にある。まずは1階の自然生態環境を学ぶエリアから。
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香港の地質や地形などを学べる。
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「香港の自然の命」と題した8分間の映像を観ることもできる。広東語、普通話(いわゆる中国語)、英語の順番で放映されている。
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次のコーナーは有史以前の香港の様子。香港には6000年前にはすでに人が住んでいたようだ。石器や陶器、青銅器なども展示されている。
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続いて、「王朝の発展」と題し、漢代から清代までの歴史を学ぶコーナー。
画像は1810年に建造された九龍寨城の模型。アヘン戦争期間には重要な場所となっていた。 -
歩みを進めると、次は香港の民族慣習を学ぶエリア。
当時の香港は、「本地」「客家」「水上人」「福佬」の4つの族群で構成されていた。「本地」は北宋年間に到来した人々で肥沃な平原に住み農業を営むか商業をしていた。客家も農業に従事したが、移住してきたのが遅かったため、僻地か山間部などの条件が悪い所に住んだ。水上人は漁業をし、中国東南部海岸からやってきた福佬も多くが漁業に従事した。
画像は花嫁御寮の行列を再現したもの。先頭部には仲人のおばさんや燈を持った人がいて...... -
チャルメラなどの楽器を演奏する人が続き......
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最後に花嫁の乗った籠。
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1963年当時の行列の写真が展示されていた。おそらくこれが一般的なもので、マネキンで再現されているものは裕福な家庭の場合だろう。
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客家の家も再現されている。
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客家人は中国本土や台湾、マレーシアにも多くいる。質素倹約を旨とした生活をすることで有名。
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多くの農具が展示されていた。
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これは「包山」と呼ばれるもので、長州島で行われる「太平清醮」という祭の際、竹を編んで作られたもの。高さは10メートルにも及ぶ。饅頭の入った包みが6000個ほどつけられ、神様に捧げられた。その饅頭を食べると、神の加護が得られたらしい。儀式終了後、その饅頭が入った包みを取り合ったようだ。1978年に包山が倒れるという事件が発生し、それ以降は取り合いは禁止された。
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えつ劇(広東語の戯曲)の芝居小屋。舞台裏も再現されいてる。
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獅子舞
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後ろ足役
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「アヘン戦争と香港の割譲」エリアには、英国に香港を割譲する証書(複製)が展示されていた。
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「香港開港と初期の発展」のエリアには、当時の街の様子が再現されている。
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商店の様子。
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7、8歳の子供が学校に入学するにあたって行われた儀式の様子。子供は孔子の肖像画と教師に対し跪いた。日本も昭和の頃までは教師は尊敬される存在だった。
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日本占領期の展示コーナーもある。
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展示の内容は、概して日本占領期(3年8ヶ月)の庶民生活の悲惨さを強調するもの。食料に事欠き、価格が暴騰し、電気やガスの供給や交通にも大きな影響があったようだ。さらに、軍は香港経済を統制すべく、組合を組織し、濫発した軍票を発行し、元々あった通貨を廃止した。
アジアのどこへ行っても、歴史の話になると、日本は悪者になる(これは台湾でも同様)。 -
ケーブルカーを見る日本人女性。
今回はケーブルカーには乗らなかったけれど、初めて乗った時、勾配が本当にきついことに驚いた。 -
戦後、囚われた日本兵士。
「三年零八個月」と言う映像が流され、香港人始め、多くの外国人が観ていた。 -
最後のエリアは「現代都市と香港返還」がテーマ。
画像は戦後の2階建ての路面電車。 -
中にも入れる。
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雑貨店
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香港の玩具製造業務は1940年代末期に起こり、その後20年間プラスチック製玩具を大量生産方式で製造した。そして、輸出量は西ドイツと日本を抜き、世界トップとなっていた。
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1950年代には腕時計の製造も始まり、20年も経たずして、輸出量が世界最多となり、現在でもトップクラスらしい。
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ランプの製造は1920年代に始まり、1950~60年代には多くの工場が現れた。
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プラスチック製品製造業は戦後まもなく始まり、1964年には香港第2の輸出品となった。
また、1958年に香港旅行推進活動をして展開し、旅行業は今でも外貨獲得における重要産業となっている。 -
展示の最後は、中国復帰に関するもの。中国に戻れてどれだけ素晴らしいかを説明している。
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中国人見学者が多くいて、満足そうな表情をしていた。
歴史博物館は日本人が行くと、いろいろ考えさせられる。でも、香港への知識を深めるには良いところだと感じた。
日本語の音声ガイドサービスもあり、1階メインロビーで10香港ドルで借りられる。館内の文字説明には日本語がないから、これを利用するのも良いだろう。 -
イチオシ
紅磡駅に戻る途中、九龍と香港島を結ぶトンネルがある。
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その後、太子にあるお気に入りのレストランへ。
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店主が変わったような気がしたけれど、味は同じだった。ここの牛腩麵は実に美味。できれば、台湾にある牛肉麺に入っているような麺にしてくれるともっといい。コーラもつけて、34香港ドル。価格も良心的。
この後は友人と会った。初めて会った香港人に「香港人かと思った」と言われた。台湾に21年もいると、日本人ぽく見えなくなるのかなぁ。若い時は典型的な日本人顔と言われていたんだけど。
2日目は2時に就寝。
(続)
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