2018/03/01 - 2018/03/13
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Mr_Futchanさん
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このツァーは「西遊旅行」により企画・催行されたツァーで、
ベトナム最北山岳部ディエンビエンフーからハジャンの小民族の町村を巡り
ここに住む人達の生活や民族衣装をはじめとする文化に触れるツァーです。
好天と素晴らしいメンバーに恵まれ楽しい旅行になりました。
行程・マップは1枚目の写真としてアップしています。
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< 朝 食 >
3月6日は朝霧につつまれた風景を眺めながら
久しぶりのビッフェスタイルの朝食をとる。
ホテルを8時出発。
世界有数の棚田を縫うようにじゃり道をハジャンに向けて車は進む。
まだ田植えは行われていないがもうすぐです。 -
<ライステラス1>
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<ライステラス2>
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<集落の変化>
上:2018年3月 下:2015年5月 白っぽい屋根の建物が新しい家屋
途中3年前にも訪れた展望台に立つ。
懐かしく思いながら前と同じポイントを撮る。
3年前の写真と見比べてみると
この3年で辺境の地に住む人々の生活環境も変化してきている。
この日の午前は黒モン族バイダコウ村、赤ザオ族レッキム村、サフォー族ニソン村を訪れる。 -
<黒モン族バイダコウ村>
一軒の家に伺うと子守のおばあちゃん以外姿は見えず。
黒モン族は藍で染められた上着を着るが
藍の染料、染め上がった布が干してあった。
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<バイダコウ村のミュージアム>
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<赤ザオ族レッキム村>
坂の上のお宅で五穀豊穣を祈る神事が行われていました。
年に一度家庭で行う儀式で、簡単なお供えとお酒が供えてありました。
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<漢字を使える人達>
ここの赤ザオ族は遠い昔中国から移り住んだそうで漢字が読め
一軒のお家では家の中に漢字で書いた年間行事が貼ってあった。
もう漢字が読めるのはこの人達の代で絶えるだろうな
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ニソン村に着いたら村の奥の方からにぎやかな音楽が流れてくる。
村の人に聞くと結婚披露宴だそうです。
「行ってみましょうか」とガイドのLさん
<ニソン村の奥へ> -
<新婚ご夫婦>
姉さん女房さんだそうです
旦那さんシャツ一枚で接待に飛び回っていました
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添乗さんがお祝いに集まった女性達に
以前来たときの旅行記を見せると
食い入るように他村の衣装から見入っていました。
<女性はファッション情報にご執着> -
<お二人を囲んで>
お幸せに!
少しお祝いをつつんで会場をおいとましました。
(青いテントの色がかぶるのでモノクロにしています) -
ルートは東北東の奥へ奥へバックハーへと詰めていく。
<進路は東北東> -
フーラ族はベトナム全土で1,000人。
ここナムモン村の人口30人ほどだそうで、
ベトナム戦争が終結した後1979年にこの地に移ってきたそうです。
あまりフレンドリーな人達ではないようでした。
<牛達のお帰り> -
<子供は昼食中>
お母さんは出てきませんでした。 -
<フォー村>
次に寄ったのは花モン族のフォー村でした。
ここも人影はなく皆さん出払っていました。
トオモロコシから焼酎を作る作業場は綺麗に整理整頓されており、
多分焼酎の搾り粕だと思われる残渣団子が干されていた。 -
<フォー村寸景1>
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<フォー村寸景2>
バックハー近くの小学校でY婦人が文房具を渡すということで
嫌がるLさんを説得して先生と交渉してもらいある学級へ。
お礼の歌を歌ってもらって学校を後にしました。
この旅行2校目の小学校でしたが、
どちらの小学校も綺麗に整理整頓されていました。
教科書もカラー刷りで絵本のようでした。
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<バックハー近くの小学校で>
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<ホテルSao Mai>
バックハーには午後4時過ぎに到着。 -
<お味はアッサリ味>
夕食には添乗Hさんのサプライズ、おうどんまで添えてありました。
この日も満腹でおやすみなさい。
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