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旅行記を作らずにおいたものの、記録のために作ろうかと思い、写真を選びました。記録のためには、プライバシーに関わる部分も必要なのですが、私以外の人のプライバシーは尊重せねばならないので、リアリティの点では不満が残りました。<br /> ベルリンに1968年の最初の訪問以来、出張やプライベートで何度か行きましたが、もう20年ほどご無沙汰しているので、2013 年の旅行の時に友人と見て回ることにしました。彼はドイツの勤務が長かったので、いわば地元のようなもので、私も安心してツアーに乗っかったような気分で見物しました。<br />ベルリンでは、ミュンヘンのドイツ人友人の甥である実業家の人と会って、多忙な彼の時間をちょっと頂いて最近のベルリン事情を聞きました。<br />彼に、お昼は何にしましょうかと聞かれて、友人はベルリン名物というカレーヴルストがいいと言ったところ、あれは労働者の食べ物だと言われたのにはびっくり。確かにそうではあるが、この辺りの感覚は日本人にはあまりないかもしれません。<br />尤も、彼にとっては伯父さんである私の友人から、アテンドを頼まれたことでもあり、きちんとしたレストランで食事を差し上げたいと思っていたのだと推察します。<br />そういえば、昔ウィーンで仕事をしていたときに、私が街角のソーセージスタンドで食べていたのを秘書に見つかり、今後一切ああいうところで食べてはいけないと、きつく言われてしまったことがありました。ウィーンも階層社会であり、人の目がある、食べたくても場所を弁えろと言うことで、反省したことがあります。<br />ポツダムに行ったのは、サンスーシとツェツィーリエンホーフをもう一度見たいと思ったためです。<br />今回はゆっくり見る時間があったので、展示物も園内も心行くまで見学しましたが,写真は余り撮りませんでした。表紙の写真はツェツィーリエンホーフですが、まるで冷たい目でこちらを見つめているようで、ちょっと不気味でした。<br />写真が少なくて、旅行記としては中途半端になってしまいますが、4トラでは目にしないものもあります。

ポツダムの印象とベルリン

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2013/06/05 - 2013/06/08

108位(同エリア2519件中)

10

39

Rolleiguy

Rolleiguyさん

旅行記を作らずにおいたものの、記録のために作ろうかと思い、写真を選びました。記録のためには、プライバシーに関わる部分も必要なのですが、私以外の人のプライバシーは尊重せねばならないので、リアリティの点では不満が残りました。
 ベルリンに1968年の最初の訪問以来、出張やプライベートで何度か行きましたが、もう20年ほどご無沙汰しているので、2013 年の旅行の時に友人と見て回ることにしました。彼はドイツの勤務が長かったので、いわば地元のようなもので、私も安心してツアーに乗っかったような気分で見物しました。
ベルリンでは、ミュンヘンのドイツ人友人の甥である実業家の人と会って、多忙な彼の時間をちょっと頂いて最近のベルリン事情を聞きました。
彼に、お昼は何にしましょうかと聞かれて、友人はベルリン名物というカレーヴルストがいいと言ったところ、あれは労働者の食べ物だと言われたのにはびっくり。確かにそうではあるが、この辺りの感覚は日本人にはあまりないかもしれません。
尤も、彼にとっては伯父さんである私の友人から、アテンドを頼まれたことでもあり、きちんとしたレストランで食事を差し上げたいと思っていたのだと推察します。
そういえば、昔ウィーンで仕事をしていたときに、私が街角のソーセージスタンドで食べていたのを秘書に見つかり、今後一切ああいうところで食べてはいけないと、きつく言われてしまったことがありました。ウィーンも階層社会であり、人の目がある、食べたくても場所を弁えろと言うことで、反省したことがあります。
ポツダムに行ったのは、サンスーシとツェツィーリエンホーフをもう一度見たいと思ったためです。
今回はゆっくり見る時間があったので、展示物も園内も心行くまで見学しましたが,写真は余り撮りませんでした。表紙の写真はツェツィーリエンホーフですが、まるで冷たい目でこちらを見つめているようで、ちょっと不気味でした。
写真が少なくて、旅行記としては中途半端になってしまいますが、4トラでは目にしないものもあります。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
友人
交通手段
鉄道 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • サンスーシ宮殿は見学者が多く、時間指定されて待たされましたが、庭園を散策することが出来ました。人は多くありませんでした。

    サンスーシ宮殿は見学者が多く、時間指定されて待たされましたが、庭園を散策することが出来ました。人は多くありませんでした。

  • ドイツでは、何といっても大王はフリードリッヒです。

    ドイツでは、何といっても大王はフリードリッヒです。

  • 何でジャガイモが置いてあるのかと思い、掃除をしていた人に尋ねたところ、フリードリッヒ大王はジャガイモを積極的に奨励したそうで、それを記憶するために、こうしてお供えしているのだそうです。でも、美食とは縁がなさそうですね。ハプスブルクのオイゲン候は、マリア・テレジアとフリードリッヒを結婚させようとしましたが、うまく行きませんでした。もし、それが実現していたら、プロシャの食文化は少し洗練されていたかもしれませんね。ウィーンの食が多彩で美味しいのは、帝国内の諸国の食文化を取り入れたからですが、プロシャは自国の伝統を固守したのかもしれません。

    何でジャガイモが置いてあるのかと思い、掃除をしていた人に尋ねたところ、フリードリッヒ大王はジャガイモを積極的に奨励したそうで、それを記憶するために、こうしてお供えしているのだそうです。でも、美食とは縁がなさそうですね。ハプスブルクのオイゲン候は、マリア・テレジアとフリードリッヒを結婚させようとしましたが、うまく行きませんでした。もし、それが実現していたら、プロシャの食文化は少し洗練されていたかもしれませんね。ウィーンの食が多彩で美味しいのは、帝国内の諸国の食文化を取り入れたからですが、プロシャは自国の伝統を固守したのかもしれません。

  • 庭園からサンスーシ宮殿に続く階段。

    庭園からサンスーシ宮殿に続く階段。

  • 男性の像を見ても、美に疎い私は感銘を受けませんが、女性の美しさを愛でるのは万国共通なのでしょうね。(厳格なイスラム教信奉者の人たちは違うかもしれませんが)。

    男性の像を見ても、美に疎い私は感銘を受けませんが、女性の美しさを愛でるのは万国共通なのでしょうね。(厳格なイスラム教信奉者の人たちは違うかもしれませんが)。

  • これらの絵画は全部がオリジナルではないという説明がありましたが、その背景は忘れました。

    これらの絵画は全部がオリジナルではないという説明がありましたが、その背景は忘れました。

  • 絵画は、描かれている主題以外のものも、そこに描かれた意味があり、その解説を聞くのも楽しいものですが、大抵忘れてしまいます。

    絵画は、描かれている主題以外のものも、そこに描かれた意味があり、その解説を聞くのも楽しいものですが、大抵忘れてしまいます。

  • サンスーシを出て近くを散歩すると、ロシア教会アレクサンドル・ネフスキー記念教会がありました。見物人はいませんでしたが、変わった色合いなのでちょっと覗いてみました。内部は正教会の普通の造りでしたが、情報をもっていなかったので、何か見過ごしたかもしれません。アレクサンドル・ネフスキーは13世紀の大公で、中世ロシアの英雄とされ、ロシア正教では聖人に列せられています。

    サンスーシを出て近くを散歩すると、ロシア教会アレクサンドル・ネフスキー記念教会がありました。見物人はいませんでしたが、変わった色合いなのでちょっと覗いてみました。内部は正教会の普通の造りでしたが、情報をもっていなかったので、何か見過ごしたかもしれません。アレクサンドル・ネフスキーは13世紀の大公で、中世ロシアの英雄とされ、ロシア正教では聖人に列せられています。

  • 更に歩くと、ベルヴェデール城に着きました。1847年から63年にかけて、フリードリッヒ・ヴィルヘルムIV世のスケッチを基にして建てられた、イタリア・ルネサンス風のお城です。ここからの眺めが抜群なので、お城を建てることにしたのだそうです。

    更に歩くと、ベルヴェデール城に着きました。1847年から63年にかけて、フリードリッヒ・ヴィルヘルムIV世のスケッチを基にして建てられた、イタリア・ルネサンス風のお城です。ここからの眺めが抜群なので、お城を建てることにしたのだそうです。

  • 訪れる人は殆どおらず、ゆっくり見学と眺望を楽しみました。

    訪れる人は殆どおらず、ゆっくり見学と眺望を楽しみました。

  • お城の展望台から眺めたハーフェル川とそれに続くヴァンゼー。 ヴァンゼーの辺りは緑豊かな美しい場所ですが、この名前を聞くと、ナチスがユダヤ人の最終的解決(殲滅〉への、組織的対応を決めたと言われる、1942年1月のヴァンゼー会議のことを思い出します。丁度30年前の1988年にウィーンに赴任した年は、「水晶の夜Kristalnacht」の50周年の年で、現地の新聞にも、ユダヤ人の商店のショーウィンドウのガラスが壊されて、地面に水晶のように散らばっていた様子の写真が掲載されました。自然の美しさと人間の残虐さが、同居することに違和感を抱くことはなかったのでしょう。

    お城の展望台から眺めたハーフェル川とそれに続くヴァンゼー。 ヴァンゼーの辺りは緑豊かな美しい場所ですが、この名前を聞くと、ナチスがユダヤ人の最終的解決(殲滅〉への、組織的対応を決めたと言われる、1942年1月のヴァンゼー会議のことを思い出します。丁度30年前の1988年にウィーンに赴任した年は、「水晶の夜Kristalnacht」の50周年の年で、現地の新聞にも、ユダヤ人の商店のショーウィンドウのガラスが壊されて、地面に水晶のように散らばっていた様子の写真が掲載されました。自然の美しさと人間の残虐さが、同居することに違和感を抱くことはなかったのでしょう。

  • ベルヴェデールを後にして暫く歩くと、ドイツ帝国末期に、ヴィルヘルムII世皇帝が、皇太子ヴィルヘルムと皇太子妃ツェツィ-リエのために建てたという、ツェツィーリエンホーフに着きました。正面から見たところです。左側に表紙写真にした顔のような部分が見えます。

    ベルヴェデールを後にして暫く歩くと、ドイツ帝国末期に、ヴィルヘルムII世皇帝が、皇太子ヴィルヘルムと皇太子妃ツェツィ-リエのために建てたという、ツェツィーリエンホーフに着きました。正面から見たところです。左側に表紙写真にした顔のような部分が見えます。

  • 皇太子の希望で、イギリス・テューダー風の建物になりました。見かけの豪華さよりも実質を重んじたようです。1913年に着工しましたが、第一次大戦による工事の中断を経て、1917年に完成しました。帝国が終焉した後も、皇太子夫妻は1945年のドイツ敗戦間近までここに住み続けました。ソ連が接収し、ポツダム会議の場になったことで有名になりました。

    皇太子の希望で、イギリス・テューダー風の建物になりました。見かけの豪華さよりも実質を重んじたようです。1913年に着工しましたが、第一次大戦による工事の中断を経て、1917年に完成しました。帝国が終焉した後も、皇太子夫妻は1945年のドイツ敗戦間近までここに住み続けました。ソ連が接収し、ポツダム会議の場になったことで有名になりました。

  • 表紙と同じ写真です。意図したのかどうか、窓がまるで目のようで、三角の鼻まであって、顔のようなリアリティがあります。屋根につけたこのような窓をときどき見かけました。もし、顔のつもりで設計したのなら、余り趣味が良いとは言えませんね。毎日この目を見ていたら憂鬱になりそうです。

    表紙と同じ写真です。意図したのかどうか、窓がまるで目のようで、三角の鼻まであって、顔のようなリアリティがあります。屋根につけたこのような窓をときどき見かけました。もし、顔のつもりで設計したのなら、余り趣味が良いとは言えませんね。毎日この目を見ていたら憂鬱になりそうです。

  • ここがポツダム会議の開かれた部屋だそうです。どこに誰が座ったなどと説明されています。

    ここがポツダム会議の開かれた部屋だそうです。どこに誰が座ったなどと説明されています。

  • 戦争終結後の文書が展示されていました。ドイツの敗戦により、東部に居住していたドイツ人は、何百万人もが街から立ち去るように命令されました。 これはバートザルツブルンという、ポーランドが管理するようになった町のドイツ人に対し、退去命令を通知する文書です。概略以下のような内容です。<br />1.7月14日午前6時から9時の間に退去を行う<br />2.ドアの鍵はそのままに<br />3.荷物は一人20kgまで<br />4.移動手段(車、馬など)は禁止<br />5.命令に従わない場合は厳罰に処す<br />6.サボタージュや略奪には武器で対応する<br />などと記されています。<br /> 歴史的には、何世代もそこに住み着いていたドイツ人もいましたが、追放は徹底的でした。 ズデーテンラントやカルパチアからの追放が知られていますが、東部地域全体に見られたことです。戦後しばらく、ドイツは行き過ぎた追放もあったとして、それを受け入れませんでしたが、欧州の一員としてドイツ自身が受け入れられることを優先し、全て終わりにしました。

    戦争終結後の文書が展示されていました。ドイツの敗戦により、東部に居住していたドイツ人は、何百万人もが街から立ち去るように命令されました。 これはバートザルツブルンという、ポーランドが管理するようになった町のドイツ人に対し、退去命令を通知する文書です。概略以下のような内容です。
    1.7月14日午前6時から9時の間に退去を行う
    2.ドアの鍵はそのままに
    3.荷物は一人20kgまで
    4.移動手段(車、馬など)は禁止
    5.命令に従わない場合は厳罰に処す
    6.サボタージュや略奪には武器で対応する
    などと記されています。
     歴史的には、何世代もそこに住み着いていたドイツ人もいましたが、追放は徹底的でした。 ズデーテンラントやカルパチアからの追放が知られていますが、東部地域全体に見られたことです。戦後しばらく、ドイツは行き過ぎた追放もあったとして、それを受け入れませんでしたが、欧州の一員としてドイツ自身が受け入れられることを優先し、全て終わりにしました。

  • ベルリンに戻って少し見学。

    ベルリンに戻って少し見学。

  • 大聖堂は堂々とした押出がある。

    大聖堂は堂々とした押出がある。

  • 博物館の柱に残る銃弾の痕が補修されて白く見えます。1968年にはまだこの柱が修復されておらず、戦争の生々しさが残っていました。

    博物館の柱に残る銃弾の痕が補修されて白く見えます。1968年にはまだこの柱が修復されておらず、戦争の生々しさが残っていました。

  • シュプレー川と大聖堂

    シュプレー川と大聖堂

  • シュプレー川に面した建物に佇む人。ちょっと映画チック。

    シュプレー川に面した建物に佇む人。ちょっと映画チック。

  • ペルガモン宮殿の石段にはまだ誰もいませんでした。西欧が略奪的に持ち帰ったこうした遺産ですが、文化遺産をきちんと継承することが出来たという見方もあります。しかし、仮に、日本の歴史的寺院などが、外国の博物館でこのように展示されていたとすると、日本人としては残念な気がするだろうと思いました。ギリシャ、エジプト、イランなどは自国の文化遺産の返還を求めています。

    ペルガモン宮殿の石段にはまだ誰もいませんでした。西欧が略奪的に持ち帰ったこうした遺産ですが、文化遺産をきちんと継承することが出来たという見方もあります。しかし、仮に、日本の歴史的寺院などが、外国の博物館でこのように展示されていたとすると、日本人としては残念な気がするだろうと思いました。ギリシャ、エジプト、イランなどは自国の文化遺産の返還を求めています。

  • ブランデンブルク門はベルリンの象徴のようなものですが、欧州の主な国にはこのような戦勝を記念する門や石柱がいくつもありますね。お互いに勝った戦だけ記念しているのです。ポツダムにもブランデンブルク門がありましたが、時間の都合で見学は省きました。こんな堂々としたものではないようですが。

    ブランデンブルク門はベルリンの象徴のようなものですが、欧州の主な国にはこのような戦勝を記念する門や石柱がいくつもありますね。お互いに勝った戦だけ記念しているのです。ポツダムにもブランデンブルク門がありましたが、時間の都合で見学は省きました。こんな堂々としたものではないようですが。

  • 諸国旅行中のライダーとオートバイに興味津々のようです。

    諸国旅行中のライダーとオートバイに興味津々のようです。

  • こうしてドイツの政治の中心にある建物にEUの旗が翻っているのを見ると、EUを実現する上でドイツが果たした大きな役割を思い浮かべます。<br />当時の首相ヘルムート・コールは歴史に名を残しましたが、晩年は子飼いのメルケルにも背を向けられてしまい、寂しかっただろうと思います。コールは毎年オーストリアで夏の休暇を過ごしていました。

    こうしてドイツの政治の中心にある建物にEUの旗が翻っているのを見ると、EUを実現する上でドイツが果たした大きな役割を思い浮かべます。
    当時の首相ヘルムート・コールは歴史に名を残しましたが、晩年は子飼いのメルケルにも背を向けられてしまい、寂しかっただろうと思います。コールは毎年オーストリアで夏の休暇を過ごしていました。

  • フィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」という言葉が記されている国会議事堂。<br />こちらにはドイツ国旗。

    フィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」という言葉が記されている国会議事堂。
    こちらにはドイツ国旗。

  • 国会議事堂。まるで初秋のような佇まいです。欧州の大都会はロンドンやパリを始めとしていくつかありますが、欧州の伝統的な大都会としての雰囲気を残しているのは、ベルリンとマドリッドだと言われたことがあります。ローマは古すぎて欧州の伝統とは言えない、パリは欧州の伝統というよりもフランスらしさが勝る。ロンドンは欧州ではない(イギリス人も、欧州とは大陸欧州のことだと考える人は多い)。適度な古さと力の集積としての欧州の雰囲気を、維持しているのがベルリンとマドリッドなのだ、そうです。分かるような気もしますが、マドリッドは兎も角、ドイツは歴史的にも文化的にもベルリン一極集中ではなかったので、余り賛同できない気がします。尤も、東独時代のウンター・デン・リンデン大通りの両側に立つ重々しい建物は、そうした古い欧州を表わしていたと言えるかもしれません。残念ながら、今のウンター・デン・リンデンにはそうした雰囲気を感じられません。

    国会議事堂。まるで初秋のような佇まいです。欧州の大都会はロンドンやパリを始めとしていくつかありますが、欧州の伝統的な大都会としての雰囲気を残しているのは、ベルリンとマドリッドだと言われたことがあります。ローマは古すぎて欧州の伝統とは言えない、パリは欧州の伝統というよりもフランスらしさが勝る。ロンドンは欧州ではない(イギリス人も、欧州とは大陸欧州のことだと考える人は多い)。適度な古さと力の集積としての欧州の雰囲気を、維持しているのがベルリンとマドリッドなのだ、そうです。分かるような気もしますが、マドリッドは兎も角、ドイツは歴史的にも文化的にもベルリン一極集中ではなかったので、余り賛同できない気がします。尤も、東独時代のウンター・デン・リンデン大通りの両側に立つ重々しい建物は、そうした古い欧州を表わしていたと言えるかもしれません。残念ながら、今のウンター・デン・リンデンにはそうした雰囲気を感じられません。

  • DDR(ドイツ民主共和国、東ドイツ)博物館とあったので、展示物の想像は出来たが、ちょっと見学してみました。当時の東ヨーロッパはどの国でも、民生品は殆どが最低限の機能を持つだけで、購買意欲を感じさせるものは少なかったのですが、ベルリンの壁が崩れた時の東ドイツの国家評議会議長(元首)であったエゴン・クレンツが、西欧並みの生活を求める国民に対して、今出来ることと、時間がかかることがある、全部の要求を一気に満たすことは出来ない、なぜそれを理解してくれないのだ、と言っていたことを思い出しました。展示品を見ると、これがドイツ国民の作ったものかという印象でしたが、クレンツが言ったように、資金も材料も人もない中で作ったものでしょうから、外野からあれこれ言うのは控えます。

    DDR(ドイツ民主共和国、東ドイツ)博物館とあったので、展示物の想像は出来たが、ちょっと見学してみました。当時の東ヨーロッパはどの国でも、民生品は殆どが最低限の機能を持つだけで、購買意欲を感じさせるものは少なかったのですが、ベルリンの壁が崩れた時の東ドイツの国家評議会議長(元首)であったエゴン・クレンツが、西欧並みの生活を求める国民に対して、今出来ることと、時間がかかることがある、全部の要求を一気に満たすことは出来ない、なぜそれを理解してくれないのだ、と言っていたことを思い出しました。展示品を見ると、これがドイツ国民の作ったものかという印象でしたが、クレンツが言ったように、資金も材料も人もない中で作ったものでしょうから、外野からあれこれ言うのは控えます。

  • 人力タクシー。ちょっと乗ってみたいな、ついでに1台欲しいなと思いました。<br />これなら雨の日のサイクリングが楽しいかも。

    人力タクシー。ちょっと乗ってみたいな、ついでに1台欲しいなと思いました。
    これなら雨の日のサイクリングが楽しいかも。

  • ここは、戦没兵士を慰霊する建物ですが、東西分裂時代にはナチズムと戦った兵士を対象としていました。東ドイツの衛兵が直立不動で警備し、交代時には足を真っ直ぐに伸ばして歩く様が結構似合っていました。

    ここは、戦没兵士を慰霊する建物ですが、東西分裂時代にはナチズムと戦った兵士を対象としていました。東ドイツの衛兵が直立不動で警備し、交代時には足を真っ直ぐに伸ばして歩く様が結構似合っていました。

  • ここはドイツ歴史博物館で、大変興味深い展示内容でした。

    ここはドイツ歴史博物館で、大変興味深い展示内容でした。

  • ナチス時代のポスターが何枚も展示されていました。今目にすると、洗練されていないなと思いますが、日本の戦時中も同様だったようで、それに違和感を持つ人がいても、口にすることが憚られたのでしょう。内容は、「マルクス主義は資本主義の守護神だ。ナチスに投票しよう」というものです。

    ナチス時代のポスターが何枚も展示されていました。今目にすると、洗練されていないなと思いますが、日本の戦時中も同様だったようで、それに違和感を持つ人がいても、口にすることが憚られたのでしょう。内容は、「マルクス主義は資本主義の守護神だ。ナチスに投票しよう」というものです。

  • 「労働者は目覚めた。我々はナチスを選ぶ」。ハーケンクロイツがなければ、ソ連のポスターではないかと思うほどです。

    「労働者は目覚めた。我々はナチスを選ぶ」。ハーケンクロイツがなければ、ソ連のポスターではないかと思うほどです。

  • 1933年の議員選挙ポスター。「ヒンデンブルクとヒトラーと共に、ドイツの自由と一体を求めて。ドイツはヒトラーリスト(候補者)に票を投じる」。ヒンデンブルク大統領はヒトラーを嫌い、伍長だったヒトラーは元帥であったヒンデンブルクの前では当初萎縮していたそうですが、議員選挙でナチスの躍進により、最後はヒトラーを首相にすることで同意を得ました。

    1933年の議員選挙ポスター。「ヒンデンブルクとヒトラーと共に、ドイツの自由と一体を求めて。ドイツはヒトラーリスト(候補者)に票を投じる」。ヒンデンブルク大統領はヒトラーを嫌い、伍長だったヒトラーは元帥であったヒンデンブルクの前では当初萎縮していたそうですが、議員選挙でナチスの躍進により、最後はヒトラーを首相にすることで同意を得ました。

  • Liste 1とありますが、上の労働者のにはListe 2とあります。1と2の違いは何なのか、ちょっと調べましたが分かりませんでした。

    Liste 1とありますが、上の労働者のにはListe 2とあります。1と2の違いは何なのか、ちょっと調べましたが分かりませんでした。

  • 国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAPナチス)の組織図。政治、軍事の組織が明確に記されていますが、一政党にそうした軍事組織まであったのですね。ナチスが政府そのものになって行ったと言えるでしょう。ナチズムはNSと略されることがあります。ホンダのスポーツカーにNSXというのがあり、Xは無限を示すこともあるので、ナチス賛美を連想して、この名前は欧州では反発を受けるのではないかと、ホンダのために私は真剣に心配しましたが、誰もそんな風に思わなかったようです。

    国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAPナチス)の組織図。政治、軍事の組織が明確に記されていますが、一政党にそうした軍事組織まであったのですね。ナチスが政府そのものになって行ったと言えるでしょう。ナチズムはNSと略されることがあります。ホンダのスポーツカーにNSXというのがあり、Xは無限を示すこともあるので、ナチス賛美を連想して、この名前は欧州では反発を受けるのではないかと、ホンダのために私は真剣に心配しましたが、誰もそんな風に思わなかったようです。

  • この絵は、一家の主である父親、家庭を守り、国のために立派な子を育てる母親、それを見守る祖母という設定で、当時のドイツの理想的な家庭とされていた、という説明でした。余り豊かではなさそうで、笑顔もないのに、どうして理想なのかと思いました。<br />神聖ローマ帝国、統一ドイツ帝国(ビスマルクが有名)に次ぐものとして、ヒトラーは第三帝国と称しました。ナチス時代の帝国の正当性を主張するための呼称でしたが、正式にはドイツ帝国です。

    この絵は、一家の主である父親、家庭を守り、国のために立派な子を育てる母親、それを見守る祖母という設定で、当時のドイツの理想的な家庭とされていた、という説明でした。余り豊かではなさそうで、笑顔もないのに、どうして理想なのかと思いました。
    神聖ローマ帝国、統一ドイツ帝国(ビスマルクが有名)に次ぐものとして、ヒトラーは第三帝国と称しました。ナチス時代の帝国の正当性を主張するための呼称でしたが、正式にはドイツ帝国です。

  • 一日歩きづくめで消耗し、友人と近くのレストランへ夕食に行きました。

    一日歩きづくめで消耗し、友人と近くのレストランへ夕食に行きました。

  • ホテルへ戻る途中、マットレスのお店のショーウィンドウには「FUTON」と書かれていました。ドイツ語になっていたんだ。「フートン」と発音するようです。<br />ドイツ語にも英語の辞書にも載っていたので定着しているのですね。<br />ベルリン滞在を終えて、明日はドレスデンに行きます。

    ホテルへ戻る途中、マットレスのお店のショーウィンドウには「FUTON」と書かれていました。ドイツ語になっていたんだ。「フートン」と発音するようです。
    ドイツ語にも英語の辞書にも載っていたので定着しているのですね。
    ベルリン滞在を終えて、明日はドレスデンに行きます。

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この旅行記へのコメント (10)

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  • jijidarumaさん 2018/08/29 01:05:37
    ベルリン街歩きと様々な思い
    Rolleiguyさん、
    こんばんは。遅ればせながら、書き込みさせて頂きます。

    ①表紙の写真、面白いですね。
    ドイツを巡ると、この種の「目がある屋根」を持つ建物をよく見ますが、鼻まであるのは珍しいかもしれません。

    ②街角のソーセージスタンドで食べていたのを秘書に見つかり、今後一切ああいうところで食べてはいけないと云われたエピソード:
    私もこの点はよく分かりますよ。当時のウィーン社会、素晴らしい秘書の忠告であったと思います。ドイツ駐在当初よく言われたのは「身銭を切って、きちんとした(白いテーブルクロスが敷かれた)レストランで食事をしなさい」でした。
    これは格式あるレストランでも物おじせずようになりましたから、とても為になりました。
    しかし、旅に出ればテューリンガー風焼きソーセージの魅力に勝てません。

    ③第二次大戦後のドイツ人追放は苛酷でした。デュッセルドルフの同僚や友人・知人にもこうした方もいて、とくにズデーテンラントから追放された方が多かったようです。
    デュッセルドルフはそれらの人々を雇う経済力もあったので、恵まれていましたけど、Landshutランツフートで出会った小父さんは「1997年のドイツ=チェコ和解宣言について、ズデーテン・ドイツ人団体として納得していない」と言われていた事を思い出しました。

    ④文中、気になった点に付き検索してみました。結果は不十分ながら、ご参考までに:

    Die Liste der NSDAPナチ党のメンバーの番号リストがあり、そこにはNationalsozialistischen Deutschen Arbeiterpartei国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)のメンバーであった事が知られている人たちの一覧表になっている(完璧なものではない)。
    (1925–1945)のリストでは番号1にAdolf Hitlerアドルフ・ヒトラーとあります。最後は10.174.581の番号で終わっています。

    写真集を検索してみるとHitler Listeヒトラーリスト(候補者)はListe1となっており、
    また、当時のSozialdemokratische Partei Deutschlandsドイツ社会民主党(SPD)の候補者はListe2になっているようです。

    あるListe2のデザインはgegen Papenパーペン 、Hitlerテールマン 、Thaelmannテールマンの名前の表記と共に其々のイメージである王冠、ハーケンクロイツ、ドイツ共産党の旗に槍を突き刺す図柄があり、下部にSozialdemokraten Liste2とあります。SPDはこれら諸勢力に対抗した候補者を出したのでしょう。

    *Franz von Papenフランツ・フォン・パーペン(第13代首相)
    ヴァイマル共和政末期の1932年にヒンデンブルク大統領の大統領内閣の首相を務めたが、半年ほどで瓦解した。その後、国家社会主義ドイツ労働者党のアドルフ・ヒトラーと接近し、彼が首相になれるよう尽力するなどナチ党の権力掌握に大きな役割を果たした。1933年のヒトラー内閣成立でヒトラーに次ぐ副首相の座に就いた。
    *スターリンの支援があったErnst Thaelmannエルンスト・テールマン(ドイツ共産党KPD議長)

    それではまた。
    jijidaruma

    Rolleiguy

    Rolleiguyさん からの返信 2018/08/29 10:39:14
    RE: ベルリン街歩きと様々な思い
    jijidarumaさん、お早うございます。

    ソーセージのエピソードは私としては恥ずかしい思い出なのですが、敢えて記しました。
    白いテーブルクロスのレストランで食事するようにという忠告は、私もスイス勤務の時代に
    上司から受けたことがあります。在勤手当はそうしたことも考慮してあるのだから、外食は完全なプライバシーではないということでした。とは言え、お客さんと一緒でないときに、高いレストランに行くのでは、楽しんで食事も出来ないとも思ったものです。

    ズデーテンラントから追放されたドイツ人の思いは理解できます。民族と土地の結びつきは理屈を超えた側面があると思います。オーストリアの旅行記4に、そうしたドイツ人の望郷の思いを刻んだ石碑を載せましたが、今は外国になってしまった故郷ともいうべき町や村が、ひとつひとつ刻まれていました。政治に翻弄される個人は洋の東西を問わず沢山いたのですね。

    戦前の選挙のこと、学ぶことが出来ました。Liste 1がナチス、Liste 2がSPDだったのですね。ヒンデンブルク、パーペンなどとヒトラーが接した当時の政治情勢は非常に興味深いです。エルンスト・テールマンの名前を見て、1968年に初めてベルリンを訪問した時に、
    偶々日本・DDR友好協会だったか、何かの組織の建物があったのが、エルンスト・テールマン・プラッツという場所でした。ローザ・ルクセンブルクの名前もどこかについていたように思います。ドイツの統合後は地名が変更されたところもあるので、
    今はどうなったのか分かりませんが。
    当時の学生は、フランスでもドイツでも日本でも、政治思想としては左寄りというか、非保守が結構多かったと思いますが、ノンポリに近かった私は単なる興味本位でドイツを見たのは今思うともったいなかったです。そうした私のような意識レベルに留まっている多数の人が、世論を形成していったのでしょうね。ドイツも日本もおなじだったと言えます。

    ひとつの旅行でもいろいろ経験し、勉強できるものだと思います。
    Rolleiguy

  • ふわっくまさん 2018/08/23 12:33:06
    ドイツの風景・・☆
    Rolleiguyさん、こんにちは。
    人生で一度は行きたい!と思っている国の一つがドイツなのですが、やっぱりどの景色も絵になってステキですね!
    ベルヴェデール城からの眺めや、おとぎの国のようなアレクサンドル・ネフスキー記念協会 等々・・
    表紙イギリス・テューダー風のツェツィ―リエンホーフも、初めて拝見した建物です。

    以前ドイツ料理はジャガイモが結構な頻度で食事についていて、健康にもイイと話に聞いていましたが・・フリードリッヒ大王が、奨励されていたのも初耳でした。

    そしてRolleiguyさんがウィーンでお仕事をされていた時、秘書さんがおられたそうで・・さすが!だなぁーと再認識したのでした。
                     ふわっくま

    Rolleiguy

    Rolleiguyさん からの返信 2018/08/24 21:38:53
    Re: ドイツの風景・・☆
    ふわっくまさん、今晩は。
    ドイツは、我々の世代だと、まだ第2次大戦時の同盟関係もあって、格別の思いを抱きますし、大学で第2外国語にドイツ語を選ぶ学生が多かったので、いつかは行ってみたいと思う人は沢山いたと思います。しかし、現在ではドイツ人は
    戦争時代のことなど全く考慮に入れませんので、まだ少し残っている日本の片思いなのかもしれませんね。そうしたことは別にしても、ドイツは魅力的です。
    特に、ドイツは歴史的に諸侯が力を持っていたこともあり、地方でも文化が高い水準で継承されて来たので、旅の目的地としての魅力がとても高いと思います。
    ウィーンでの私の秘書は、私より20歳くらい年上の上品な女性で、中世には貴族だった家柄で、アジア、アフリカへの偏見はおろか、どこの国であっても公平に、文化への敬意を常に忘れない人でした。仕事上の接触のある政府高官の秘書とも親しく、アポを簡単にとることが出来て助けられました。そうした秘書でしたので、ソーセージで叱られたことは、私としてはとても恥ずかしい思いをしたものです。
    しかし、ソーセージのような庶民的な食べ物は、本当は街中での立ち食いが一番うまいな、と密かに思っています。ドイツに行かれたら是非お試しください。
    Rolleiguy
  • akikoさん 2018/08/23 00:21:56
    ポツダム会談が行われた宮殿
    Rolleiguyさん、こんばんは~

    ベルリンとポツダムの旅行記を拝見しました。ベルリンは20年ぶりだったそうで、とても懐かしかったのでしょうね。

    今回、前半でご紹介いただいたのは、ポツダムにあるサンスーシとツェツィーリエンホーフだそうで、どちらも初めて聞く名前でした。

    ツェツィーリエンホーフは、日本に無条件降伏を迫った「ポツダム宣言」を出すための会談が行われた場所だったそうですね。会議の開かれた部屋の写真を見て、ここで日本に関わることが決められたと思うと、ちょっとした感慨を覚えました。それにしてもその宮殿の建物が重厚な石造りの建物ではなく、私の好きなチューダー様式の、どちらかというとカジュアルな建物だったのは少し意外でした。表紙の写真は、本当に窓が目のようで、切妻屋根の鼻まであって、顔のように見えますね~(笑)

    サンスーシ宮殿はロココ様式の宮殿のようですが、内部のギャラリーは、真っ赤な壁に多くの絵画が展示されていて、とても印象的でした!じっくり見てみたいですね。

    最後に、お食事をされているお写真がありますが、ビールのグラスの大きさは、通常のものの2倍以上はありそうですね!さすが本場ですね~ みなさんで、ビール片手に懐かしのドイツ料理を食べられ、さぞかし美味しかったことでしょう。

    akiko

    Rolleiguy

    Rolleiguyさん からの返信 2018/08/23 06:50:17
    Re: ポツダム会談が行われた宮殿
    akikoさん、お早うございます。
    また猛烈な暑さに戻ってしまい、外出が苦痛ですね。
    今日は、娘と孫と一緒に、新潟にいる次女交えて越後湯沢に1泊旅行に行くところです。今年の夏は忙しくてどこにも行けませんでした。
    ドイツの旅行記は古くなってしまいましたが、ポツダムはとても印象的だったので、記録しておこうと思った次第です。日本とも関わりのあった場所でしたので、格別の感慨で見学しました。akikoさんはチューダー様式がお好きなのですね。豪華絢爛な建物よりも、飽きの来ない、居心地の良さそうな建物だと思いました。皇太子夫妻が表に出る生活の中で、こうした環境に暮らすことを喜んだのではないかと想像しています。いつか実際にご覧になる機会があるといいですね。暑さにめげずに今日も一日過ごしましょう。
    Rolleiguy
  • ドロミティさん 2018/08/20 09:58:54
    ポツダムとベルリンの今昔
    Rolleiguyさん、おはようございます^^

    ポツダムとベルリンから思い浮かべるのはやはり先の戦争のことです。

    表紙の屋根のお写真にドキッとさせられました。
    いったいどのような意図があったのか知りたいものです。
    ツェツィーリエンホーフがポツダム宣言の舞台になった場所ということは知っていましたが、これほど美しい宮殿だったとは意外でした。
    宮殿と言っても田舎家風の素朴な佇まいに皇太子のお人柄が窺えると思いました。

    サンスーシー宮殿とその庭園をつなぐ大層な階段がとてもインパクトがありました。
    ベルヴェデール城の展望台からの眺められた緑濃い森と青いハーフェル川、本当に絶景ですね。拡大して魅入ってしまいました^^

    ベルリンと聞いて連想するのは光と影、西と東、栄光と挫折、今と昔など何故か相反する言葉が浮かびます。まだ行ったことはありませんが。

    たくさん歩かれた後のビール、さぞかし美味しかったことでしょうね(^_-)-☆
    素敵な思い出のお裾分けをどうもありがとうございました♪
                                ドロミティ



    Rolleiguy

    Rolleiguyさん からの返信 2018/08/20 17:05:50
    RE: ポツダムとベルリンの今昔
    ドロミティさん、今日は。
    やはり戦争を思い浮かべますね。ドイツが戦争を始めてからもう80年くらい経ち、その時代に戦争の悲惨さを体験した人たちも随分少なくなっています。あと20年くらいで100年になる訳ですが、今でも戦争といえば第2次大戦のことを思い浮かべる世代が多いと思います。
    日本も戦後73年になりますが、終戦時の73年前というと1872年ですので、明治5年のことであり、当時であっても大昔だったのではないかと思います。そう考えると、終戦はもう大昔のことになりますが、やはり被害が甚大であったことから、そんな昔のこととは思えないということでしょう。
    ベルリンは矢張り歴史のある大都会だと思わされました。是非一度お出でになるといいです。 パリのようなおしゃれな街ではありませんが、ドイツとフランスはこんなに違うんだと感じられると思います。
    歴史博物館は大変興味深いのでお勧めします。
    Rolleiguy



  • cheriko330さん 2018/08/19 23:35:59
    ポツダム ♪
    Rolleiguyさん、こんばんは☆

    昨日は投稿前のお忙しい時にコメントまでいただきまして
    ありがとうございました。

    表紙のお写真は、何か動物の顔にも見えますね。どういう意図が
    あったのでしょうね。

    サンスーシー宮殿は名前はよく聞きますが、あまり詳しくは知り
    ません。あの長い階段は見たことがあります。
    ベルヴェデール城の展望台からの緑多い風景は素敵ですね。

    ポツダム宣言で色んなことが決められて、追放された方々は
    国に振り回されて大変な思いをされましたね。
    今でも戦禍に巻き込まれている方も多くいますが、今の日本は
    平和で良いですね。

    ナチスのポスターや絵もご紹介くださり、当時の一般の方々に
    思いを馳せました。
    カレーヴルストとはドイツのカレーですか?
    ドレスデンも楽しみにしています。

    cheriko330

    Rolleiguy

    Rolleiguyさん からの返信 2018/08/20 16:51:31
    RE: ポツダム ♪
    cheriko330さん、今日は。
    早速の書き込み有難うございます。
    カレーヴルストとは普通のソーセージにカレー粉とケチャップをかけただけの
    もので、ベルリンが発祥の地なのだそうです。話の種になる程度のものだと
    思います。
    ポツダムはサンスーシ宮殿だけでなく、事前に準備していけば、面白く
    見物出来る先が結構あります。時間があれば、少し離れているヴァンゼー会議記念館を
    見たかったのですが、パスしてしまいました。
    ベルリンはいくらでも時間をかけるだけの価値があると思います。
    博物館で現物を自分の目で見るのは興味深いですが、見ただけに終わらせないように、
    対象を絞ってじっくり見て、謂れも学ぶと更に楽しいだろうなと思いました。
    来年はドイツにまた行きたいと思い、少しは事前学習をせねばと思っています。
    台風が近づいているようですので、お気をつけくださいますよう。
    Rolleiguy


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