2016/06/15 - 2016/06/16
5885位(同エリア25660件中)
Matt Yさん
- Matt YさんTOP
- 旅行記265冊
- クチコミ649件
- Q&A回答46件
- 685,476アクセス
- フォロワー139人
はじめにお断りしておきますが、2016年の旅行記です。
アメリカ行きの海外発券無限ループの関係での"義務的"週末ソウル。今回は北朝鮮との軍事境界線エリアの展望台巡りの一環で、
鉄原DMZトレインに乗り、白馬高原を観光して来ました。
帰りに清涼里588と呼ばれた、いわゆる赤線地帯を社会科見学してきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 観光バス タクシー
- 航空会社
- ANA
PR
-
金浦へは元々土曜日の朝便の予約を取っていましたが、早く仕事が終わったので、当日空港で金曜日夜の便へ予約変更し、ソウルへ飛びます。、
羽田空港 第3旅客ターミナル 空港
-
機材は日韓線ではデフォになった感がある787-8
-
今回はゲートピンポンでビジネスにインボラアップグレードしていただきました。素直にうれしいです。シートピッチが広すぎて画面が遠いです。
-
かぼすジュースとスパーリングウォーターが最近の定番
-
ビジネスクラスと言えども日韓線は食事に期待してはいけません…ま、特にメインは大戸屋レベル。
-
オンタイムで金浦到着。
-
ウェルカム表示@GMP
金浦国際空港 (GMP) 空港
-
空港鉄道に乗ってソウル駅に到着。
定刻に到着しても0時近句なってしまいます。
窓口もこの時間となるとさすがに閑散としています。
次の日に乗ろうと思っていた鉄原行きのDMZトレインの切符を買おうとKorailの窓口に向かうも、運転していないとのこと。一旦撤収。国鉄ソウル駅 駅
-
今回は宿も確保していなかったので、ソウル駅前の旅館でも適当に探すこととします。
国鉄ソウル駅 駅
-
というわけで、ウォークインで適当に見つけた韓式旅館に泊まります。
申し訳程度にある小さな窓、ダブルベッドに広いお風呂。連れ込み宿兼用の典型的クラッシックな韓式旅館です。
宿に落ち着いたところで、先ほど運転がないと言われたDMZトレインを念のためKorailのサイトで調べてみると、かつ乗車駅をソウル駅から清涼里駅に変えてみると、、、清涼里駅始発で運行となって出てきました。
端末を叩くしかなくて、そういう知識のない窓口嬢は困りますね。 -
というわけで翌朝、清涼里駅からDMZトレインに乗り込みます。
ディーゼルカーなのですが、大きなエンジン音を響かせる割に加速が良くありません。 -
ガラガラな車内。地下鉄+一般列車でも鉄原には行けますが、そっちだと乗り換えあるし各駅停車でタラタラ行く(その地下鉄を抜かないのでこの列車もタラタラ走るには変わりないのですが)し、(年配の=韓国ではここ大事)登山客が多くて座れないなので、DMZトレインはありがたいです。
-
近くにある先史博物館があるせいか、変なマンモスとかが載っているゲートもありますが、38度線を示す碑を通過し、「越北」。
-
漢灘江をわたります
-
車内には鉄道車両の歴史的な掲示もあります。
-
KTX開業前の韓国国鉄は長らく列車の愛称にセマウル-ムグンファ-トインル-ピドルギを使っていましたが、その前、70年代以前はいろいろな名前の列車があったよう
-
左の赤と青の塗り分けのセマウル号は私的には懐かしいです。
右は京春線のディーゼルカー -
右は東海岸線で使われた国産優等電車。日本の国鉄型電車特急を意識しています。
-
これは今のムグンファとセマウル号ですね。
-
衝撃的だったのは、こんな新幹線パクリ列車!
セマウル号の前身、観光号のようです。ディーゼル機関車の前方に新幹線の
前頭部のような形状のボンネットを作ってしまう周到ぶり。JR四国の新幹線もどきディーゼルカーの発想はこれのパクリだったのかも。 -
DMZトレインはソウル(この日は通らなかったけど)ー清涼里ー議政府ー東豆川ー
漣川ー新炭里ー白馬高地に停まります。 -
終着の白馬高原に到着。
-
駅を出ると安保観光のツアーのカウンターがあるので手続きをします。
ほとんどの客がそのままツアーへ流れる感じでした。13:30発の別のところに行くツアーもあるようですが、11:40に着いたDMZトレインからは12:00発のツアーに必然的に流れます。 -
案内ののぼり。12時発で食事代込み20000ウォンは破格の安さでしょう。
-
お世話になったバス
-
ツアーは民統線を越えた大馬里の村に入り、、、
-
白魔高原駅を出てどこを見るのかと思ったらいきなり昼食。農協の建物に寄ります。確かに白馬高原駅周辺は飲食店もないのでこのスケジュールはありがたいです。
-
ビュフェ形式でおかずを取り
-
いただきました。
-
続いて旧労働党(北側の政権指導政党)の支部だった建物を見学。
労働党舎 史跡・遺跡
-
ここは前も来たことがあるのですが
-
この建物をめぐっても熾烈な戦闘があり犠牲者もいたと思うと
今戦闘が起きていない幸せをかみしめてしまいます。 -
鉄原は海岸沿いの板門店側を除くと北からソウルに向かう場合、唯一のルートと言ってよい道路が通じていることから、昔から激戦地であり、攻防の要所です。従って韓国陸軍の中でも精鋭と言われる白骨部隊と呼ばれる師団が守っています。
-
続いてやってきたのは滅共OP。
滅共と、共産主義を滅亡させるという意味のなかなか素敵な名前がついています。
ちなみにOPとはobservatory platform 、つまり見張り台のこと。
ここからは撮影禁止なので写真はありませんが、、、
キタと軍事境界線を挟んで対峙している緊張感は他の展望台とひけを取りませんでした。
本来は軍事境界線を挟んで2kmを非武装地帯として緩衝地帯とするはずが双方とも隙あらば前進することもあって、ここは北との距離がかなり近くなっています。といっても柵があって向こう側にも監視塔があってな景色です。 -
続いて金剛山電気鉄道の鉄橋を見学します。
-
日本統治時代に金剛山への観光路線として敷かれた路線。勾配がきつい路線なので戦前の時点で電化されていました。
金剛山そのものは現在では北の領域なので、当然鉄道で南からは行けず、路線も破壊されたままなのですが、ここの橋梁は残っていて歩くことができます。 -
日本統治時代の朝鮮ってどんなだったのかしばし思いを馳せます。
-
橋の上からの景色。流れる川は鉄原に来るときにも渡った漢灘江。
-
架線の支柱も残っていました。
-
「間諜(スパイ)とテロ犯申告(通報)は全国どこででも1337番へ(国軍機務司令部)」との看板
-
続いて南方限界線を体験できる鉄柵体験へ。
-
実際の南方限界線には鉄の柵が東西に渡って築かれているのですが、
ここはその雰囲気を味わうための模擬鉄柵。
展望台やOPで実際の鉄柵が目の前に見えるだけに模擬を見ても、なんだかね・・・的。 -
最後は白馬高原の激戦地だった戦跡を歩きます。
-
白馬高原を象徴するモニュメント
-
地形的に守りやすい線で戦線が膠着すると、一つの高地を巡って戦闘が起きても失うばかりで得るものがなく、実質的に
-
戦闘に関する資料も展示されていました。ここは地形が変わるほどの砲撃が行われたそうです。
-
白馬高原、その向こうにキタの山を仰ぎ見ます。
-
川が流れている関係で、ここを突破されるとソウルに続く道があるためここを取られるか守るかは大きな戦略的意味を持ちます。実際朝鮮戦争開戦時は、西側の平地には精鋭部隊が配置されていたこともあり持ちこたえたが、このラインからソウルへ攻め込まれ陥落したという戦史もあります。
-
丘一つを巡って激戦が繰り広げられていたとは今は思えないくらい静かな景色ですが、北側へ誤ってヘリや航空機が飛ばないよう、上空へ向けて休戦ラインまで距離を示す看板が、両軍が対峙していることを物語っています。
-
帰りもDMZトレインで戻ります。清涼里←→白馬高地のサボ
-
列車は各駅に停まっていきますが、漣川(ヨンチョン)駅で少し長めの停車をします。
-
蒸気機関車のための給水塔は戦前からのものだったそうで、ここは北緯38度線の北側なので、一旦は北領になった後、南になった数奇な運命です。
漣川(ヨンチョン)駅は朝鮮戦争開戦前夜は戦車や武器の集結ポイントだったようです。 -
駅前を少し散策
-
駅前の商店にはミリタリーグッズも売っていました。
-
再び出発。ビュッフェコーナーのお姉さんも国軍仕様
-
車内にはコスプレ用の軍服も
-
韓国独特の岩山を見て
-
清涼里駅に到着。
-
清涼里と言えば、昔から良い子は足を踏み入れてはいけない地域、いわゆる赤線地帯でした。立地的には上野駅の北側に相当するでしょうか。
駅の南側のエリアの入り口に「青少年通行禁止区域」の看板が有り、その下に明るいうちから酒浸りになっているオッサン。つまりここは今でも地域を指定した当局公認のエリアなのです。 -
さらに行くと通りに面して大きなガラスの店が現れます。
韓国語で言うところのユリバン(漢字で書くと瑠璃房、ガラスの部屋という意味)が並んでいます。 -
道に面している所がガラス張りになっていて、外向きに椅子が並んでいて、そこに並ぶ、否.そこで売られているのは女性な訳なんですが...オランダとかの「飾り窓」に造りは似ています。
-
このご時世に、正直人間が「モノ」としてまんま売る施設には、なかなか怪しい「気」が流れてます。写真を撮っていることがバレないよう気をつけて撮影。
-
女性を商品として売る行為自体は世界中に存在していますし、オランダの「飾り窓」も同じ類のものですので、それ自体の是非をここでは論じませんが、ここまであからさまに、モノというか商品として女性が売られているのは、見ていて気持ちが良いものではありません。今の日本ではないことになっているというか、モロに見えないようには隠して見えないことになっているというか。
ただ自国で現在進行形でそういうことをしておいて、70年前の戦時下のことをいうダブルスタンダードなこの国には正直怒りと言うか、虚しさと言うか、軽蔑感を覚えます。 -
また明るいので、あまり怪しげな雰囲気は出ていませんが、暗くなり電灯が灯ると室内がよりよく見える構造。
-
社会科見学を終えると、用もないので退散します。
ちなみにこの韓国最大級の赤線地帯、今はエリアごとなぎ倒され、再開発されて跡形もなくなっています。
このときはここがそういうところだった時の最末期。実際すでに立ち退きが進められつつありました。 -
いったんソウル駅裏に予約しておいた今夜の宿にチェックイン。翌朝は朝早くソウル発の空港行きの列車に乗りたいので、確実にソウル駅近くに泊まれるよう前から予約しておきました。。
-
しばらくのつもりが夜10時過ぎまでだいぶ休んでしまった後、東大門へ行き、
-
タッカンマリ横丁でタッカンマリをいただきます。
-
お一人様タッカンマリはボリューム満点でしたが、
-
完食。
-
初めて訪韓した1992年、東大門市場を見ようとこの辺りに迷い込み、小汚い料理屋に入りました。メニューはオバチャンが唯一話せる英単語の「チキン」しかなく、それを頼むと鶏鍋で醤油と酢と辛子を混ぜただけの料理を頂いたのですが、それがものすごく美味しかったのです。料理名を書き写してきたのですがそれが「タッカンマリ」。当時はガイドブックにも記載はありませんでした。
当時この辺りは汚いバラック上がりの建物しかなく(とにかく路地にもゴミが散乱していて汚かった記憶しかない)、1970年代?いやそれ以前から取り残された雰囲気しかなかったのですが、今やタッカンマリは地球の歩き方にも掲載され、お店もこんな近代的なビルになってしまい隔世の感。 -
この後、日付も変わりかけの時間でしたが、夜景でも見ようとソウル東の外れの鷹峰山へ。
-
漢江に架かる橋のカーブが綺麗ではありますが、
-
ソウルの夜景スポットは見尽くした人向けかな?
終電も終わった時間まで見ていたのでタクシーで宿まで帰りました。賃金の安さで成り立つ韓国のタクシーの安さは、利用する側にとってはありがたいです。 -
翌朝は朝6時に宿を出て
-
航空券代節約のため朝イチ7時半の便で帰ります。6時半過ぎに空港着となると早起きしなくてはならなくて体にはキツいんです。とは言え無事余裕を持って金浦空港に到着し、いざ搭乗。シップはスペシャル塗装の787。
私この塗装好きなんです。この後通常塗装にされてしまって残念。 -
機内食のエビカレーは私史上最マズ賞を献呈したいくらい、記憶に残るまずさの機内食でした。
-
ソウル発の機内食で美味しいものに当たった記憶がないのですがね。
ソウルに渡った目的はアメリカに飛ぶための海外発券のためだったので、韓国に多くを求めていなかったのですが、予定より早く金曜中にソウル入りできたこともあって、鉄原などにも足を伸ばせ、充実した滞在になりました。 -
羽田到着後、
-
高校時代の友人と東京ドームでマリーンズvsジャイアンツの試合を観戦。
友達との野球観戦自体は楽しかったものの、 -
試合は応援しているマリーンズは散発5安打1得点に抑えられたのに対し、ジャイアンツに初回に先制、8回にダメ押しされる試合としては大変お寒い内容でした。
太平洋を渡るための航空券をスタートするための「義務的」ソウルといいつつも、行くからには楽しみたいものです。今回は週末だけで過ごすにはなかなか充実させたのではないでしょうか。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
ソウル(韓国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 義務的ソウル
0
81