2018/06/08 - 2018/06/08
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ドクターキムルさん
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相模原市緑区下九沢の九沢橋近くにある庚申塚は元々は下九沢1301の塚場交差点付近にあったものを昭和初期に道路拡張工事に伴い現在地に移された。塚場の集落名は庚申塚があったことに由来すると伝わる。しかし、判読できた建立年は18世紀後半であり、見掛けほどは古くはない。では塚場の地名の起こりは18世紀末か19世紀初頭まで下がるのであろうか?
移設された場所は稲荷社の裏で、この稲荷社の前には大山街道が通っており、江戸時代には多くの大山詣での人が往来した場所である。こうした庚申塚の移設先が下九沢御嶽神社や金泉寺などの八王子街道から引っ込んだ場所ではなくて、旧街道沿いの稲荷社裏で道路の交差点の脇であるのは、やはり庚申信仰と旅人の安全を願ってのことであろうか?
九沢橋の庚申塚には六地蔵も祀られているが、亀ヶ池八幡宮脇の六地蔵のように赤い前掛が掛けられている訳でもない。また、Webではこうした地元を紹介した記事も本当に少ないのだが、2つほど目をと通したが、六地蔵があることの記載は一切なかった。他に梅宗寺(上九沢)の境内で3基のこの形式の六地蔵を見たが、1日のうちに5基は多いと思われようが、実は珍しい六地蔵なのだ。あるいは、石碑が建立された昭和46年(1971年)以降は次第に地域住民の信仰が薄れてしまって来ているのだろうか?
(表紙写真は九沢橋の庚申塚)
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九沢橋の庚申塚。かつては塚場の交差点にあった。塚場の地名の由来かも知れない。
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この石碑(昭和46年(1971年)銘)によると、この庚申塚は、元はここより350m北方の下九沢1301番地にあった。場所は武州甲州方面よりの大山街道と川尻八幡宮から上溝八幡宮(明治以降は亀が池八幡宮)へ至る参道の交叉地点であった。昭和初期に道路拡張のため僅か北側へ移した際に古刀を発掘したという。
碑文(写真の写りが悪いため、判読できる範囲)
「この庚申塚はもとここより三五〇米北方の下九沢一三〇一番地にあった。ばしょは武州甲州方面か北側の大山街道と、川尻八幡宮から上溝八幡宮へ至る参道の交叉地点であった。昭和初期道路拡張のため 北側に僅か移した際に古刀を発掘したという。昭和四年九月であるが、塚はこれ あったものと言われる。塚上には榎
塚場と称す る。昭和三年 県道が
上溝城山迄改修 塚場部落の
信仰の対象となり、また行旅の目標となったことを永く留めて浄土の遺風を偲び
激変しつつある現在を憂い、意義を
相模原市 委員
相模原市市議会
塚場
昭和四六年三月」。 -
六地蔵。
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六地蔵。
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庚申塔(表面)。割れかけておりベルトで締められている。
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庚申塔(側面)。
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庚申塔(側面)。「安永4年(1775年)銘)。
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庚申供養塔(表面)。
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庚申塔(側面)。
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庚申塔(側面)。「宝暦元年(1751年)銘?)。
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庚申塔。
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庚申塔(側面)。
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