2018/05/18 - 2018/05/27
125位(同エリア2024件中)
薔薇の咲く庭さん
- 薔薇の咲く庭さんTOP
- 旅行記225冊
- クチコミ1091件
- Q&A回答0件
- 415,256アクセス
- フォロワー53人
船旅で前から訪ねてみたいと思っていたアロベロベッロ、ドブロブニクに行くツアーがあったので行くことにしました。理由はバーリは交通の便が悪いので船で行く方法が良いと考えたからです。ドブロブニクはまさに「アドリア海の真珠」と謳われた街で一度は訪ねたいと思っていました。アドリア海エーゲ海のクルーズは景色がよくて最高です。
また、眠っている間に次の目的地に着く旅の「らくちん」を2年前のナイル川のクルーズでしっかりと味を占めてしまい今回の旅の動機になりました。
5月18日(金)成田発 QR0807便 ドーハ経由
5月19日(土)QR0125 ベネチア着 MSCポエジア乗船
5月20日(月)バーリ アルベロベッロ
5月21日(火)カタコロン オリンピア遺跡
5月22日(水)ミコノス島
5月23日(木)ピレウス アクロポリスの丘 パルテノン神殿
5月24日(金)サランダ ブトリント遺跡
5月25日(土)ドブロブニク
5月26日(日)ベネチア ベネチア発 QR0126便 ドーハ経由
5月26日(日)QR0806便 成田着
毎日晴天に恵まれてアテネでは30℃を越えました。まだ5月なのに暑すぎます。
波が高くて寄港することが出来ないこともクルーズではあるそうなので贅沢は言えません。それにしても楽しい旅でした。
この旅行記は5月26日(土)に訪ねたドブロブニクのものです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
-
朝目が覚めると、わーぅ!ドブロブニクの新港らしき所に船は向かっているではありませんか! 海の色がきれい!
-
やがて、すぐ横に大きな橋のある岸壁に船は着岸。思わず記念撮影をパチリ。
-
午前9時過ぎに下船が始まりました。
-
バスで20分位の所にあるドブロブニク旧市街へ向かいます。
-
見えてきました。ピレ門。1537年建設。ここから旧市街へ入ります。1806年にはナポレオンもこの橋を通りました。この橋の下は堀になっていました。
-
守護聖人の聖ブラホ像が上に見えます。この橋はかっては可動式で上げ下げ出来たためか巻き上げられる鎖が両サイドに見えます。
-
この街を守った聖人です。972年にヴェネツア軍が食料と飲料水の調達の名目で寄港しました。しかし、目的は奇襲し侵略することでした。ブラホはいち早く見抜いて、街の人々に告げ、城壁の門を閉じて街を守ったので、ヴェネツア軍は去っていったそうです。それからはブラホはこの街の守護聖人になりました。
-
ピレ門は外門と内門とで構成されています。外門をくぐると内門です。ここにも聖ブラホの像が右下にあります。
-
全部で27体の像が街の中にあるそうです。司教帽と杖をもったブラホ像は重要な建物には立てているそうです。簡単には見つけられませんでした。
-
左手に見えたミンチェッタ要塞です。要塞最高地点。後ろにはスルジ山。かっては「スルジ」と言う名前の聖人がドブロブニクの守護聖人だったそうですが、ブラホが街を救ってからはブラホが守護聖人になったそうです。
-
ロープウェイで上りたい! しかし、時間が…。長蛇の列で船の出航の時刻までに戻ってくることはできません。もっと時間があれば・・・。
-
ピレ門を潜り抜けると、出ました。オノフリオの噴水。きれいな水を今でも汲むことが出来ます。12km離れたドブロヴァチェカ川から送水路を通してよくここまで水を運んできたものです。水道技術が素晴らしい!
16面体です。1667年の地震で飾りは失われてしまいましたが、注ぎ口には顔のレリーフが残っていました。 -
そしてここがメインストリート。ストラドゥン通り。かっては海までつなぐ水路でした。右側が島、左側が陸地であった小さな水路を埋め立てて繋いで道にしたそうです。十字路がないのは計画的に道路を作っていない証明ですね。
-
先には時計塔が見えます。とても300mあるようには見えません。小さな町です。この塔は31mあります。地震で傾いて、再建されています。
-
ストラドゥン通りのすぐ左にあるフランシスコ修道院。入り口はこんなに狭い。
-
入ってすぐの所にあるマラ・ブラーチャ薬局。ここは1317年から営業しています。世界で3番目に古い薬局だそうで、今でも営業しています。そして、14世紀の時のままの製法のクリームを販売しています。中に入ってラベンダーの香りのするクリームを買って来ました。84kn。ローズは香りがよくなかったのでラベンダーにしました。
-
お店の中は混んでいました。パンフレットをもった観光客がいっぱい順番を待っていました。列に並んで買いました。
-
面白い広告。大きなアスピリンの錠剤が付いた広告です。
-
この修道院は14世紀に建てられたロマネスク様式の回廊をもつ修道院です。
-
かっては城壁の外にあったそうですが、戦争で破壊されてしまうので城壁の中に移しました。もとあった場所にはヒルトンが立っています。
-
この修道院も1667年の地震で壊れ、再建されています。中庭だけは地震の影響が少なかったそうです。 中庭? 庭は壊れないのでは?
-
壁画がありました。
-
フランシスコを撮ったつもりですが(左側)
-
写本が展示されていました。鮮やかな写本でした。このお仕事をされていたそうです。
-
ホールには薬の瓶がずらっと展示されていました。処方箋も展示されていました。
-
この方がフランシスコだそうです。
-
フランシスコ修道院を出て、ストラドゥン通りを進むとルジャ広場に面して聖ブラホ教会がありました。
-
上には聖ブラホの像が。ブラホは実在しています。もともとは医者だそうです。アルメニアの司教でドブロブニクの人ではありません。喉に骨を詰まらせて窒息しそうになった子供を助けて喉の守護神でもあるそうです。
-
ルジャ広場です。思っていたよりも狭い。
-
ルジャ広場にあるオルランドの柱。15世紀に作られています。8世紀にドブロブニクが包囲された時に一役買った独立の象徴だそうです。騎士エオルランド。
-
ドブロブニクではこの像の肘から指先までの長さを単位にしていたそうです。51cm。
-
台座の所にその長さを表した目盛りがありました。
-
時計塔のすぐ脇にあるオノフリオの小噴水。設計者はオノフリジョルダーノと言うイタリア人だそうです。ここにも水が出ていました。
-
これがスポンザ宮殿。宮殿と言っても王様がいるわけではありません。1520年頃に税関施設として建設されています。この宮殿の右わきにある通路をくぐると海に出られます。なるほど合理的に作ってあります。メインアーチの上に「私が商品の重さを測る時神も私とともに測っている」と書いてあるそうですが、その文字は見つけられませんでした。地中海貿易で栄えたラグーサ共和国のモットーです。
-
建物としては2階が後期ゴシック様式の窓、3階がルネッサンス様式の窓で面白いと思いました。1667年の地震でも壊れずに、震災以前の様式を伝える貴重な建物で、入りたかったのですが時間がありませんでした。入場は人がいっぱいで諦めました。現在はクロアチア独立記念館になっています。
-
そして、総督府。オノフリオの設計。歴史文化博物館でここにピレ門の鍵があるそうなので、入りたかったのですが、閉館中。残念! 隣の市庁舎にあるのでは?と聞いてみましたが、「鍵」については全く意味が通じず、「ピレ門はあっちです」の返答でがっかり。
-
それにしても総督は名ばかりで、一か月交代で無給。一か月間外出禁止で名目だけのポジションでした。共和国が独立国家としての地位を守るため、外交手段としての苦肉の策をよく考えたものです。
-
市庁舎の前はカフェになっていました。観光業で栄えているドブロブニクらしいです。
-
すぐ近くにある青空市場です。生活に必要な食料品がたくさん売られていました。
-
旅行者も買い物を楽しんでいます。
-
市場をぐるっと回って、大聖堂に出ました。
-
この教会にはブラホの聖遺物が保管されているそうです。大理石で作られている祭壇とティツィアーノが16世紀に描いた「聖母被昇天」が有名です。
-
下から見たドームです。
-
パイプオルガン。
-
中の様子
-
正面から写しました。一説にイギリスのリチャード王が寄進したお金で作られているとの話もあるそうです。いずれにせよ1667年の大地震で壊滅的な被害を受けて再建しています。
-
スボンザ宮殿の脇の門を通って、
-
港へ出ると、待っていたのは、「ロクルム島へ行きませんか?」のツアーを呼びかけるお姉さんでした。10?だそうです。
-
海洋博物館が入り江に面してあります。
-
水がきれい!透き通っている。
-
船がぽかっと浮いている感じです。
-
うーん。なかなか良い港です。
-
港の正面にあるのはかっての造船所。今はカフェになっています。
-
ドブロブニクは船を造る技術に優れていたそうです。敵が攻めてきたらここは門を閉じたのでしょう。
-
港を通り過ぎてドミニコ修道院へと向かうと、
-
階段でお土産屋さんを広げているのはKATEさんです。手にはやりかけの刺繍をもっています。この方が作っているのは正真正銘のドブロブニク製。最近はドブロブニクのハンドメイドと言って中国製を売るお店があるそうです。
-
KATEさんであるかどうかをを確認しました。「あなたのことを日本でインターネットで紹介されていたので知りました」と言うとにっこり笑い、一緒に写真を撮ってくれました。お土産に玄関の置物用に敷物を買って来ました。とてもきれいで丁寧な刺繍です。
-
こんな感じで家で使っています。
-
ここで旧港まで戻って一休み。ドブロブニクの旧港を見ながら飲むコーヒーの味は格別です。
-
さて、またドミニコ会修道院に戻って、階段の目隠しを見てから、
-
特徴的な階段を撮影し、
-
修道院前の入り口から城壁ウォークの始まりです。
-
レヴェリン要塞が右手に見えます。
-
ビューポイント。旧港が美しい!
-
ドミニコ会修道院の前の道が下に見えます。
-
レヴェリン要塞へと続く道も下に見えます。空中散歩の感じがしてきました。
-
15世紀に建設されたドミニコ会修道院が左手に見えます。かっては城塞の外にあったそうですが戦略的な要所であっため壁を外側に作って中に入れました。それはそうです。もし敵に城壁のすぐ横の建物を略奪されたら、いつでも攻撃されることになります。
-
なるほど、こんな感じで城壁を楯にしていたのですね。
-
中庭は見えませんがここには井戸があるはずです。1991年のセルビア・モンテネグロによる七か月のドブロブニク包囲の時にはこの井戸で命を繋いだそうです。
-
この包囲によって街は砲撃され大きな損害を被ります。1970年代に恒久的に戦争から守るために非武装化をしましたが、効果はありませんでした。
-
黒い●、▲が付いているいる所は1991年のユーゴスラビ崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロに包囲され砲撃されて被害を受けているところです。ほとんどの場所は被害を受けています。
-
しかし、元にあった石を拾い集め、積み直して再現したそうです。元々は1667年の大地震によって壊滅的な被害を受けて、同じ屋根の色、同じような建物にそろえて街を作り直したためこのような美しい景色が見られることになりました。
-
「アドリア海の真珠」・・・英国の作家、バーナードショーも1929年にドブロブニクを訪れ、「この世の天国を見たければドブロブニクに行かれよ」と言ったそうです。ロクルム島もきれいに見えます。天気が良くて最高です!
-
途中に休憩するところがありました。
-
ミンチェッタ要塞と城壁の外の様子です。
-
わーぅ! 聖イグナシオ教会が高い所に見えます。城壁の中では聖イグナシオ教会が一番高いように思います。
-
城壁の最高地点、ミンチェッタ要塞の全景。
-
海もきれい!
-
さらに城壁を進んで、階段を上がると、
-
下に見える家はさらに下に見え、
-
海岸からは遠くなってきました。
-
西にあるボーカル要塞?らしき要塞が見えてきました。
-
城壁ウォークはミンチェッタ要塞に近づいています。要塞が高く思えないので上がってきているのです。
-
うーん。もう少しです。
-
最後の階段を上って、ミンチェッタ要塞の最高地点に。
-
見えるのは、絶景。
-
なかなか良い眺め!
-
絶景をバックに一枚。
-
クロアチアの国旗が掲揚されていました。
-
城壁の裏側はこんな感じです。遥か下に車や家が見えます。この高さでは乗り越えて攻められません。
-
城壁で街を守り続けてきたのです。
-
ミンチェッタ要塞を下りてさらに先へと進みます。
-
ピレ門の出口に近づいてくると見える景色が変わります。
-
え?これは? バスケットコートでは?洗濯物が干してあるのでひょっとしてプライベートコートでは?城壁の内側の屋上に作ることが出来るなんてすごい!
-
下り坂になりました。
-
振り返るとミンチェッタ要塞が。坂になるはず。
-
やがて出口と海へと続く道しるべがありました。
-
時間がなくて先へはいけません。ここで下ります。
-
下りの階段です。4階くらいの高さから下りています。
-
そして、残り時間に城壁の上から見えた聖イグナシオ教会を訪ねました。
-
スペイン階段に似ているという旅行案内書の説明もありましたが確かに似ているかも?
-
上り切った所には聖イグナシオ教会がありました。
-
1699~1725年にローマの聖イグナシオ教会をモデルにしてバロック様式で建立。
-
祭壇の天井にシチリアの画家ガエタナ・ガルシアのフレスコ画があります。
-
石造りの祭壇は見事です。
-
うーん。フェレスコ画ですね。
-
船に戻ってしばらくすると午後3時の出航時間が過ぎていました。13階のビュフェで軽食を取り、振り返ると今朝見えた橋が遠ざかっていくのが分かりました。
-
アドリア海の海は本当にきれい。イタリア船のポエジアのピザはおいしいです。海を眺めながら食べるとさらにおいしい。
-
ドブロブニクはクロアチアの飛び地です。1699年にヴェネチアとオスマントルコとが戦いを始めた時、国土をトルコ軍が通過すると戦争に巻き込まれると考え、2つの小区画をオスマン帝国に売って戦火を逃れています。 ドブロブニクは自由国として生き残るために自国の領土の一部を売る選択までして、繁栄してきた商人の街。人々の知恵と逞しさを感じさせる街でした。日本の堺に似ていると思いました。楽しい一日でした。明日は、ヴェネチアです。旅は続きます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
薔薇の咲く庭さんの関連旅行記
ドブロブニク(クロアチア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ドブロブニク(クロアチア) の人気ホテル
クロアチアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
クロアチア最安
567円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
109