2018/05/03 - 2018/05/06
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harihariさん
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2018年、ゴールデンウィーク。
4日間も休みがあるので少し遠出の旅をしよう、と。
いくつかの候補の中から最終的に決めた場所は、会津若松。
ちょうど今年は戊辰戦争150年。
これも何かのご縁でしょうか。
予定を考えてみると、会津若松市内観光だけでも日程が足りないぐらいです。
近代建築、グルメ、鶴ヶ城、戊辰戦争戦跡、酒蔵・・・
3泊4日、会津若松の旅。
楽しくて忙しい旅になりそうだ。。。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 新幹線 JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
5月5日 早朝。
昨晩は早めに寝たこともあって、すっきりとした目覚め。 -
朝の陽光が窓から射し込んでいます。
今日もいい天気になりそうだ。 -
中庭の風景。
春らしい柔らかな青空。 -
明治時代の佇まいをそのまま残している離れ。
こういう魅力を味わうために、歴史のある旅館にわざわざ泊まりたくなる。 -
昨日の昼間にあれほど賑やかだった七日町の通りも、早朝は人の姿が見えず。
誰もいない朝の散歩は気持ちがいい。
この気持ちよさのために、早起きするのです。 -
渋川問屋の隣にある阿弥陀寺。
会津東軍墓地として、戦死した1281名の旧幕府軍兵士たちが弔われています。 -
慰霊碑の隣には、明治10年の西南戦争で薩摩軍と戦って戦死した佐川官兵衛他71名の旧会津藩士の名が刻む碑と、会津戊辰戦争の全責任を一身に受けて切腹した会津藩家老萱野権兵衛の碑がありました。
佐川官兵衛も萱野権兵衛も、命と引き換えに会津の名誉と誇りを守った人たちです。 -
静かな境内。
砂利を踏む足音が余計に大きく聞こえたり。 -
本堂の隣には「御三階」という建物があります。
鶴ヶ城の現存する唯一の建物で、明治3年にこの場所に移築されています。 -
御三階の前には一基の墓石がありました。
「藤田家の墓」と刻まれたこの墓こそが、新撰組副長助勤、三番隊組長を務めた斎藤一(後の藤田五郎)のお墓です。
斎藤一は、土方歳三が仙台から函館に去ったあとも会津藩とともに戦い、1915年(大正4年)に71年の生涯を全うしました。 -
ぐるりと散歩が終わって、宿に戻ってきました。
-
7時40分。
朝食は1階のレストランで。 -
卵焼き、鮭、なます、ほうれん草お浸し、味付け海苔、納豆。
典型的な日本の朝食で、お腹も大満足。 -
フルーツの入ったヨーグルトとコーヒー。
昨日の夕食も今日の朝食も、この宿の食事は器がきれいですねえ。 -
宿の中は、どこかの屋敷のよう。
建物とそれを彩る庭木と。 -
一晩お世話になった部屋。
8時30分 チェックアウト。 -
最後に、とっておきの部屋を見せていただきます。
木造2階建の店舗の離れ。使い古された階段を上って・・・ -
明治38年に渋川家の長男として生まれた渋川善助が、少年時代を過ごした6畳部屋が今も残されています。
渋川善助は、1936年(昭和11年)に陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こしたクーデター、いわゆる二・二六事件に加担したことで、唯一処刑された民間人です。 -
この宿を訪れた三島由紀夫は、この部屋を「憂国の間」と命名しました。
国を憂いてクーデターに加担した渋川善助は、この部屋でどのような少年時代を送ったのでしょうか。 -
この日もレンタサイクルを借りて。
9時30分 鶴ヶ城に到着。 -
大手門から石垣の間を抜けて。
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V字型に造られた「武者走り」の美しい石垣。
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天下の名城、鶴ヶ城の天守閣。
会津戊辰戦争では、西軍の砲撃によって壊滅的な被害を受けながらも、会津藩の1ヶ月に及ぶ篭城戦を支え、ついに最後まで落ちることはなく開城しています。 -
天守閣の上から。
城の内部は、幕末から明治にかけての会津の歴史と、そこに深く関わった会津の人物たちが詳しく展示されていました。 -
天守閣のやや北東。
正面が初日に登った飯盛山。
白虎隊があの山から最期に見たものが、この鶴ヶ城だったか。 -
蘆名義広、伊達政宗、蒲生氏郷、加藤嘉明、上杉景勝、保科正之、松平容保・・・
歴代会津藩主には、錚々たる顔ぶれが揃う。 -
天守閣のすぐ足元が表御座跡。
藩主の居間跡。 -
朝の散歩で訪れた阿弥陀寺の御三階が、明治初期まで建っていた場所。
今は発掘調査が行われています。 -
鶴ヶ城内に、千家ゆかりの茶室があります。
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表門から入って中門、腰掛待合を横目に歩いて。
木漏れ日が小路に落ちているのが綺麗です。 -
県指定重要文化財、茶室「麟閣」。
千利休の死後、子の少庵は利休七哲の一人であった会津藩主・蒲生氏郷のもとに身を寄せて、この麟閣を造らせたともいわれています。 -
戊辰戦争後に、城内の建物は全て取り壊されることになっていましたが、会津の茶人・森川善兵衛がこの貴重な建物を自宅に移築・保存し、平成2年にようやく元の場所に復元されています。
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由緒ある茶室を眺めながら、お庭で抹茶を一服。
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お城の中にあったマンホール。
会津若松の木「アカマツ」と「猪苗代湖」、そして「磐梯山」。 -
鶴ヶ城からレンタサイクルで東へ10分。
昼ごはんにやってきたのは「お秀茶屋」。
創業約340年、延宝年間(1673年~1681年)創業の田楽屋さんです。 -
店内には田楽を焼く囲炉裏の煙が充満しています。
煙いけど、これがいい。 -
こんにゃく、身欠きにしん、豆腐、生揚。
甘辛いお味噌と、香ばしい焦げ目。
素朴で、懐かしくて。 -
無造作に画鋲で貼られたメニュー。
白河街道に面したこのお店は、江戸時代から現代まで数百年間も、旅行く人のひと時の安らぎの場所であり続けたのだろうな、と。 -
たとえば手塚治虫先生も。
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たとえば山下清画伯も。
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お腹も満たされて、次に訪れたのが「会津武家屋敷」。
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「会津藩家老屋敷 西郷頼母邸」
幕末の動乱期に会津藩の筆頭家老であった、西郷頼母の屋敷を移築しています。 -
屋敷の主や上級武士のみが通された「表玄関」。
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藩主や上級武士が訪れたときのみ使用された書院造りの「お成りの間」。
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建築面積280坪、全38室という江戸時代中期建築の大邸宅。
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「自刃の間」
1868年(慶応4年)8月23日、新政府軍が総攻撃により城下にまで押し寄せた日。
西郷頼母一族21人の女性や子供が、足手まといにならないようにと、この部屋で自刃しています。 -
「旧中畑陣屋」
福島県重要文化財。
1837年(天保年)に建てられた東北地方に残った最後の代官所。 -
代官と身分の高い人の出入り口ですが、時にはお白州(裁判の場)としても使われた場所。
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江戸時代に、徳川幕府直参の旗本・松平軍次郎が当時の中畑村など7つの村を管理するために使っていました。
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茶室「嶺南庵麟閣」
午前中に訪れた、鶴ヶ城内の「麟閣」を江戸時代に模して建てられたもの。 -
「会津家老屋敷」からレンタサイクルで10分。
途中の登り坂からは自転車を押して歩いて。 -
上りきると、天寧寺の本堂。
1422年(応永28年)に芦名氏の命により創立した寺で、かつては末寺33カ寺、12の寺院を有する大寺院でした。
後に伊達氏の侵攻にあって焼けたため、往時の面影は本堂の礎石にわずかに残るぐらいです。 -
そこからさらに山道を歩いて。
案内看板にしたがって奥まで進んでいくこと約10分。 -
「新撰組組長 近藤勇の墓」
近藤自身は千葉の流山で捕縛されて板橋で処刑されていますが、この墓は会津藩士により建てられたとも、土方歳三が遺髪などを仮埋葬したとも伝わっています。 -
京都守護職 松平容保のもとで挺身して働いた新撰組。
近藤の墓のとなりには、後に土方歳三の慰霊碑が建てられています。 -
国指定名勝「御薬園」。
1670年に会津二代藩主 保科正経は領民を疫病から救うために、園内で各種の薬草の栽培を始めました。 -
広くて穏やかな日本庭園。
空と緑がとてもきれい。 -
木道にしたがって広い庭園内を歩きます。
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園内に建つ「御茶屋御殿」。
1696年(元禄9年)建築。
会津戦争では、御薬園は新政府軍の療養所として使われていたため、焼失を免れています。 -
かつては、主に藩主の休憩場所として利用されていました。
明治以降になると、容保公がここを住まいとしたときもあったようです。 -
庭や建物を眺めながら、お抹茶を一服。
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3面から格子戸越しに景色を眺められる部屋なので、とても開放的です。
水面が真っ赤に映る紅葉の季節も素晴らしいでしょうね。 -
池の中に造られた島に、小さな庵が建っています。
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庵へと掛けられた橋を渡って。。。
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茶室「楽寿亭」
江戸時代に建てられた茶室ですが、ここも会津戊辰戦争で焼失を免れた建物です。 -
かつては藩主や家老たちが、納涼・茶席・密議などをするために用いたとされています。
池に浮かぶ茶室で納涼しながらお酒を一杯。。。なんて、してみたいですね。 -
濡縁には、戊辰戦争の際の刀傷が今も残っています。
会津は日本で一番、明治維新の傷痕が残る町なのかもしてない。 -
藤棚と青空。
淡い藤の色は可憐で優しくて気高くて。 -
1928年(昭和3年)建築の「重陽閣」。
秩父宮雍仁殿下と勢津子妃殿下(松平容保公の孫)が、会津若松に来られた際に宿泊された建物を移築してきたものです。 -
戊辰戦争から60年。
「朝敵」といわれた容保公の孫が皇族に嫁ぐことで、会津の復権が果たされた劇的な御成婚でした。 -
御薬園を出て、再びレンタサイクルを走らせて。
「宮泉銘醸」
1955年(昭和30年)創業。
代表銘柄は全国的な人気銘柄「寫樂」。 -
奥さんがショップで「特別本醸造辛口 會津宮泉」を購入。
この旅で5本目の日本酒。
帰ったら頑張って飲まなきゃ。 -
これで今日の予定はほぼ終了なので、あとは自転車で帰りがてら、気になる場所に寄っていきます。
「旧連隊兵舎」
1908年(明治41年)建築。
鶴ヶ城の北側、細い路地の人目に触れない場所にひっそりと残っています。 -
鶴ヶ城北出丸入口のすぐ傍にある「会津藩筆頭家老 西郷頼母邸跡」。
会津戦争で、21人の女性や子供たちが自害するという悲劇が起こったのはこの場所です。 -
西郷邸と道を挟んで向かいにある「旧会津藩家老 内藤邸跡」。
今も内藤屋敷の日本庭園が「白露庭」として残されています。 -
そして同時にこの場所は、会津戊辰戦争終結の場所でもあります。
ちょうど150年前の9月22日、1ヶ月におよぶ籠城戦の末に、ついに開城を決めた松平容保が降伏式を行ったのがこの場所です。 -
会津戊辰戦争終結の地から西へ400メートル。
鶴ヶ城の北西角には、上杉家筆頭家老の「直江兼継屋敷跡」があります。
蘆名氏に始まる会津藩の歴史で、1598年(慶長3年)~1601年(慶長6年)のわずか4年間は上杉氏の領地でした。 -
直江兼継の屋敷があったこの場所は、また別の歴史的人物の生誕地でもあります。
「山鹿素行生誕地」
9歳で林羅山の門下で朱子学を学び、赤穂藩家老・大石内蔵助を門下とし、幕末には吉田松陰に影響を与えた学者として今も有名です。 -
天気も良くて、自転車移動も楽で心地いい。
-
1798年(寛政10年)、会津藩家老・田中玄宰の進言により計画された藩校・日新館の創設は、1803年(享和3年)に完成を迎えます。
会津戦争で校舎等は全て焼失してしまいましたが、唯一この天文台だけが現存しています。 -
「旧日新館跡」
このあたりの広い敷地が、かつて日新館があった場所です。 -
「カトリック会津若松教会」
1912年(明治45年)建築。 -
見学していると、信者の男性が声をかけてくれて、聖堂内部も見せていただけました。
男性の説明によると、この部分が明治時代に最初に建てられた建物だそうです。 -
レンタサイクルの返却を、ぎりぎり閉店の時間に間に合わせて。
今日泊まる「ホテルニューパレス」には、17時にチェックイン。 -
部屋の窓からは、磐梯山がきれいに見えます。
夕食に出かけるまで、少し休憩。 -
晩ご飯は、あらかじめ18時に予約を入れていた郷土料理・居酒屋「籠太」へ。
暖簾の下のメニュー台には、「籠太は本日は満席となっております。」のメモがありました。
予約してて良かった。。。 -
太田和彦氏の著書でも紹介されていたお店です。
旅先の居酒屋としては、これ以上ない選択。 -
お通しのぬた和えと熱燗の「会津娘」。
もちろん「会津娘」は会津若松のお酒。
1868年頃(明治初め)創業の高橋庄作酒造場のお酒です。 -
地鶏のほう葉焼き。
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本日のおすすめから、桜鱒のカルパッッチョ。
-
ほう葉味噌が香ばしく焼けて、とても美味い。
お酒が進んで仕方ない。 -
山菜のてんぷら。
春には欠かせないメニューですねえ。 -
なので、お酒をお替わり。
「萬代芳」を熱燗で。
「萬代芳」は会津美里町にある白井酒造店のお酒です。 -
手作りの鶏しゅうまい。
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塩とうふ。
旧高郷村(現喜多方市)で作られる美味しい豆腐です。 -
カウンターが満席だったので、テーブル席でいただきました。
次に来ることがあれば、カウンターに座れればいいな。 -
19時30分、程よく酔って、少しお腹に余裕を持たせてお店を出ました。
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お腹に余裕を持たせたのは、このお店が気になっていたから。
蕎麦「桐屋・権現亭」
会津は美味しい蕎麦処なので、晩ご飯の〆に蕎麦を食べなきゃ。 -
絞り大根とつゆでいただく「高遠そば」。
お蕎麦が美味しくて、おろしの辛味と相性がよくて、あっという間に完食しました。 -
21時、ぶらぶら夜の散歩をしながらホテルまで戻ってきました。
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会津での最後の夜。
もったいなくて、夜中まで町の明かりを眺め続けて。
この町と、人と、歴史を考えていると、いろんな感情がわいてきます。
結論が出るようなことではないけど、やっぱり旅はいろんなことを教えてくれる。 -
5月6日、4日目の早朝。
遠くに磐梯山、人っ気のない通り道。 -
山頂に雪が残るのは、標高2000Mを超える飯豊連峰。
西日本には2000Mを超える山がないので、こういう景色は見るだけで嬉しくなります。 -
朝食まで、朝の散歩。
ホテルのすぐ前にある「旧黒河内胃腸病院」。
1936年(昭和11年)建築。 -
「日本基督教団 若松栄町教会」
1911年(明治44年)建築。
1896年(明治28年)に野口英世がこの教会で洗礼を受けたという信徒名簿が残っています。 -
一直線の道の正面には、鶴ヶ城の天守閣が見えます。
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史跡「若松城跡 甲賀町口門跡」。
ここからお城側が武士のエリア、外側が町人のエリアでした。
1868年(明治元年)8月23日の会津若松城下の市街戦では、最大の激戦地となった場所です。
現存する数少ない若松城の遺構。 -
「会津若松市役所」
1937年(昭和12年)建築。
戦前の公共建築に見られる、重厚な造りの洋風建築。
ポーティコ上部には、柱頭にアカンサスの意匠を施したコリント式のオーダーが3本建てられています。 -
正面入り口の扉は今も木製。
格子状の天井も一つ一つ
ガラス戸から内部も見えましたが、階段の手すりやエントランスの天井部など、素敵な意匠が現存していました。 -
「東北電力会津若松支社」
旧東北電力若松営業所、旧会津電力。
1929年(昭和4年)建築。 -
市街地の中にある興徳寺。
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興徳寺の境内には、会津藩主 蒲生氏郷の墓があります。
その隣には、氏郷の辞世の句碑が建てられています。
「限りあれば 吹かねど花は散るものを 心みじかき 春の山風」 -
1時間ばかりの散歩を終えて、ホテルで朝食です。
-
朝食はバイキングでしたが、こづゆや田楽など会津の郷土料理も並んでいました。
-
小さなカップケーキとフルーツ、コーヒーで軽めに食事を終えて。
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9時、ホテルニューパレスをチェックアウト。
-
まずは電車移動。
会津若松駅から電車で一駅。
広田駅に到着です。 -
「会津藩校 日新館」
1803年(享和3年)に建設された会津藩校を、1987年(昭和62年)に復元した施設です。 -
江戸時代も200年が過ぎて太平の世になってくると、武士の気もゆるみ始めて道徳の退廃も顕著になってきました。
会津藩内でも様々な問題が出てきだしたため、5代藩主 松平容頌の時に家老の田中玄宰は藩政の改革をするよう進言し、その中心に「教育の振興」をあげました。
これが、藩校「日新館」創設のきっかけでした。 -
戟門。
重要な建物を守るために、戟(げき)という武器を持った衛兵を置いて監視させていたので、「戟門」と言われています。 -
入口を通って、まずは映写室で会津藩についての解説を映像で勉強します。
-
山本覚馬、山川健次郎、秋月悌次郎、柴五郎、山川大蔵など、明治以降の近代日本の隆盛に貢献した人物も多く輩出しています。
-
かつての日新館の全容。
-
講義の様子。
「日新館の教育目標は、人材の育成」という会津藩の方針のもとに、藩士の子弟は全て入学が義務付けられていたようです。 -
書や算術などの基礎的な教養から、天文学などの最新の学問、そして食事や切腹の仕方など、会津の若者は武士としての全てをここで学んだようです。
ここで優秀な若者は江戸への留学の道が開けたという、全国に数ある藩校の中でも屈指の教育機関でした。 -
会津松平家略系図と歴代藩主。
8代容敬公までは肖像画、9代容保公からは写真になっています。 -
水練場。
日本で初めて作られたプールといわれています。
ここで、甲冑をつけたまま泳ぐ訓練などもしていたそうです。 -
戊辰戦争で砲撃を受けた鶴ヶ城のジオラマ。
ドラマのシーンにも使用されたようです。 -
天文台の復元。
昨日見に行った本物を、そのまま復元しています。 -
天文台の上へ。
うろこ雲まで手が届きそう。 -
天文台の上から見た日新館の全容。
空が広い。
会津は広いなあ。 -
再び七日町まで戻って。
今回の旅で最後の昼ごはんは、もう一度「若松食堂」へ。 -
今日も懐かしい。
もしかしたら、毎日来ても懐かしいのかもしれない。 -
ソースカツどんとラーメン小のセット。
やっぱり美味しい。 -
食堂を出ると、すぐ近くに「東明寺」というお寺があります。
今回の旅の一番最後に訪れるのは、東明寺にある「会津戦争西軍戦死者の墓」にしました。 -
会津戊辰戦争では、会津藩だけでなく、会津に来攻した薩摩、長州、大垣、肥州、備州など西軍にも多くの犠牲者がでています。
東明寺では、この付近で戦死した150人の将兵たちが、故郷から遠く離れたこの地で静かに眠っています。
阿弥陀寺には東軍墓地、東明寺には西軍墓地。
今となっては敵でも味方でもなく、正しくも間違いでもなく、ただ先人たちの命を掛けた戦いの延長線上に今の僕たちの暮らしがあるのだ、と。 -
全ての行程を終えて、帰りの電車のホームで。
売店で買った「べこの乳」のアイスクリームを食べながら電車を待ちます。
会津若松だけに絞ったこの旅で、会津若松という町の魅力をたっぷりと堪能した4日間。
もっと時間があれば、もっといろんな場所に行けたし、もっといろんなものが見れたのですが、今回はここまで。
14時14分発 郡山行きの磐越西線が到着します。
今度来るときは、猪苗代湖にも行きたいし、磐梯山にも行きたいし、東山温泉にも泊まれればいいな。。。
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