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中国中部の広島と岡山の日本百名城巡りです。中国と四国の22箇所の百名城の内、最後に残った3城を1泊2日で巡りました。広島の郡山城と福山城、岡山の備中松山城です。最初は、毛利氏の山城だった、郡山城の紹介です。

2018春、岡山と広島の日本百名城(1/20):5月10日(1):郡山城(1):名古屋から広島へ

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2018/05/10 - 2018/05/11

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旅人のくまさん

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中国中部の広島と岡山の日本百名城巡りです。中国と四国の22箇所の百名城の内、最後に残った3城を1泊2日で巡りました。広島の郡山城と福山城、岡山の備中松山城です。最初は、毛利氏の山城だった、郡山城の紹介です。

交通手段
新幹線 JRローカル

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  • 名古屋から広島までは新幹線を利用し、広島駅前から、郡山城がある安芸高田市までは、広島電鉄バスを利用しました。手元の百名城巡りのスタンプ帳兼ガイドブックには、『安芸高田市役所前下車、所要時間1時間30分』と記載されていました。

    名古屋から広島までは新幹線を利用し、広島駅前から、郡山城がある安芸高田市までは、広島電鉄バスを利用しました。手元の百名城巡りのスタンプ帳兼ガイドブックには、『安芸高田市役所前下車、所要時間1時間30分』と記載されていました。

  • 広島市から広島電鉄バスに乗り、郡山城がある安芸高田市にやってきました。郡山城は、14世紀半ば、毛利氏が郡山南東に小規模な山城を築いたのが始めといわれます。16世紀中頃、毛利元就は標高390mの郡山全体を要塞化し、山頂の本丸を中心に多くの尾根に270もの曲輪を配した西日本最大級の中世山城に拡張改造しました。

    広島市から広島電鉄バスに乗り、郡山城がある安芸高田市にやってきました。郡山城は、14世紀半ば、毛利氏が郡山南東に小規模な山城を築いたのが始めといわれます。16世紀中頃、毛利元就は標高390mの郡山全体を要塞化し、山頂の本丸を中心に多くの尾根に270もの曲輪を配した西日本最大級の中世山城に拡張改造しました。

  • 安芸高田市に到着した後、最初に向かったのは、『安芸高田市歴史民俗博物館』です。山城巡りの現地情報の入手と、百名城巡りのスタンプ押印のためです。同好の百名城巡りの事前の情報でも、個人で見学するには、なかなか大変な山城とのアドバイスをお聞きしていました。バス停から歩いて、博物館の前までやって来ました。

    安芸高田市に到着した後、最初に向かったのは、『安芸高田市歴史民俗博物館』です。山城巡りの現地情報の入手と、百名城巡りのスタンプ押印のためです。同好の百名城巡りの事前の情報でも、個人で見学するには、なかなか大変な山城とのアドバイスをお聞きしていました。バス停から歩いて、博物館の前までやって来ました。

  • まずは、博物館内の見学です。レプリカですが、早速目にした『毛利元就公の甲冑』の『色々縅腹巻』です。ドラマで、中村橋之助が着用した品との説明書きがありました。

    まずは、博物館内の見学です。レプリカですが、早速目にした『毛利元就公の甲冑』の『色々縅腹巻』です。ドラマで、中村橋之助が着用した品との説明書きがありました。

  • こちらの甲冑は、年代を経た品のようでした。説明書きはありませんでしたが、毛利元就公か、その子孫が着用した甲冑かも知れません。鹿の角を使った大将クラスと思われる兜飾りでした。

    こちらの甲冑は、年代を経た品のようでした。説明書きはありませんでしたが、毛利元就公か、その子孫が着用した甲冑かも知れません。鹿の角を使った大将クラスと思われる兜飾りでした。

  • 三つ並んだ甲冑の光景です。右端は子供用の渦中かも知れません。その前に床几が並べられていましたので、記念撮影用のセットのようでした。ただし、手には触れないようにとの注意書きもありました。

    イチオシ

    三つ並んだ甲冑の光景です。右端は子供用の渦中かも知れません。その前に床几が並べられていましたので、記念撮影用のセットのようでした。ただし、手には触れないようにとの注意書きもありました。

  • 『安芸高田市歴史民俗博物館』の建物正面光景です。公式HPの沿革を見ますと、昭和46年(1971年)5月に開館された『吉田郷土資料館開館』がスタートの博物館でした。平成16年(2004年)3月に安芸高田市が誕生したことで、『安芸高田市吉田歴史民俗資料館』に変更となり、更に平成22年(2010年)4月に現在の『安芸高田市歴史民俗博物館』に名称変更となりました。

    『安芸高田市歴史民俗博物館』の建物正面光景です。公式HPの沿革を見ますと、昭和46年(1971年)5月に開館された『吉田郷土資料館開館』がスタートの博物館でした。平成16年(2004年)3月に安芸高田市が誕生したことで、『安芸高田市吉田歴史民俗資料館』に変更となり、更に平成22年(2010年)4月に現在の『安芸高田市歴史民俗博物館』に名称変更となりました。

  • 内部見学を終えて、振り返って眺めた『安芸高田市歴史民俗博物館』の建物光景です。平成9年度(1997年)のNHK大河ドラマが『毛利元就』に決定したことで、更に活気が生まれたようです。大河ドラマ『毛利元就』展(研修室会場)や、オープニングセレモニーが、この博物館で開催されています。

    イチオシ

    内部見学を終えて、振り返って眺めた『安芸高田市歴史民俗博物館』の建物光景です。平成9年度(1997年)のNHK大河ドラマが『毛利元就』に決定したことで、更に活気が生まれたようです。大河ドラマ『毛利元就』展(研修室会場)や、オープニングセレモニーが、この博物館で開催されています。

  • 左斜め下が北側になる案内図です。

    左斜め下が北側になる案内図です。

  • 街路に表示してあった、『郡山城跡案内図』のタイトルがあった道案内パネルです。イラスト入りでの道案内でした。

    街路に表示してあった、『郡山城跡案内図』のタイトルがあった道案内パネルです。イラスト入りでの道案内でした。

  • 『郡山城跡』の散策は、一寸した登山になりました。その『郡山城跡』がある『郡山』が前方に見えていました。持参した若干の資料と、現地の案内標識が頼りの山城散策です。見学中に、行き交う人の姿はありませんでした。<br />

    イチオシ

    『郡山城跡』の散策は、一寸した登山になりました。その『郡山城跡』がある『郡山』が前方に見えていました。持参した若干の資料と、現地の案内標識が頼りの山城散策です。見学中に、行き交う人の姿はありませんでした。

  • 『郡山城跡』への登山口近くに置かれていた杖です。山道歩きには重宝していますので、今回も手頃な長さの借用しました。使用後には、同じ場所にお返しするシステムです。

    『郡山城跡』への登山口近くに置かれていた杖です。山道歩きには重宝していますので、今回も手頃な長さの借用しました。使用後には、同じ場所にお返しするシステムです。

  • 旗印には『毛利元就の里』の文字と肖像画のイラストがあり、道案内標識には、『清神社300m』と『三矢の訓碑100m』の表示がありました。時間が許せば、帰りに立寄ることにしました。

    旗印には『毛利元就の里』の文字と肖像画のイラストがあり、道案内標識には、『清神社300m』と『三矢の訓碑100m』の表示がありました。時間が許せば、帰りに立寄ることにしました。

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