2018/05/04 - 2018/05/07
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2018.5 津軽海峡ーⅠ 青函連絡船
ついこの間?まで本州から津軽海峡を越えて北海道へ渡るには、「青函連絡船」しかなかったのですが、廃止になってはや、30年。
新幹線もいいですが、ゆっくり時間のある方は、現在の連絡船「津軽海峡フェリー」がお薦めです。
【YANAI'S HOME 津軽海峡】
http://yanai.la.coocan.jp/index1805kaikyou.htm
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・ 1964年(昭和39年)7月31日に竣工した八甲田丸は、1988年(昭和63年)3月13日の青函航路終航まで、歴代の青函連絡船では最長となる23年7ヵ月間運航されました。 現在は青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸として、青森第2岸壁に繋留した状態で博物館として展示されています。
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・ 青函連絡船が廃止されて、30年、今や、昔の「青函連絡船」に乗船した経験を有する方たちは、ほとんど60歳代以上かと!
昔は、♪上野からの夜行列車 着いたときから・・♪ 桟橋を競るように走って連絡船に乗る乗客たちであふれていました。
貨物列車も青森駅構内から直接連絡船に載せられていました。 -
・ GW真っ盛りの青森、子供連れの若い親子さんたちで、意外と混んでいます。
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・ 昔の鉄道運賃表
青森から東京まで、三等車の運賃は「1,010円」? -
・ 1988年(昭和63年)の連絡船廃止時まで、乗船運賃は2等で「2,000円」
現在の「津軽海峡フェリー」は A期間「2,220円」。
30年後でもあまり変わりません!! -
・ 当時の「グリーン席」?
グリーン料金は+1,600円。 -
・ 八甲田丸の「操舵室」
船長さんは「人形」 -
・ 繫留されている「八甲田丸」の前には、「海上保安庁」の巡視船。
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・ 船内には、昔の列車が展示されています。
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・ 当然、当時の乗船客は「立ち入り禁止」でした。
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・ 船尾方から 留置された車両の状態。
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・ 当時の船尾、船内にも、レールが設置されていました。
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・相当の「鉄道オタク」でも知らない、「控え車 ヒ600」
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・ 連絡船内への車両入れ替えの際、可動橋への輪重軽減のため、機関車と車両の間に連結された車両
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・ 八甲田丸 第一主機室
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・ 八甲田丸のエンジン
1台が1,600馬力のディーゼルエンジンを4台1組にして、左右に配置、左右のプロペラをまわすため、8台で八甲田丸の出力は、1,600×8=1,2800馬力!。
「鉄腕アトム」は・・・・・・・??? -
・ 青森駅乗換通路内に掲示されている 昔の青森駅周辺の写真。
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・ 1944年(昭和44年)11月
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・ 1944年(昭和44年)
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・ 1079年(昭和54年)の「八甲田丸」
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・ 1988年(昭和63年)3月13日
最後の「八甲田丸」青森出航 -
★【青函連絡船空襲】
1945年(昭和20年)7月14日と15日 青函連絡船は、米軍艦載機による集中的な攻撃により、大半が沈没、残った船も大きな損傷を受けた。
メモリアルシップ八甲田丸の付近に「青函連絡船 戦災の碑」があります。 -
・ 1945年(昭和20年)
7月14日 -アメリカ海軍艦載機の空襲により連絡船12隻中11隻が攻撃を受けた。
6時18分 - 第四青函丸が葛登支岬南東3.9海里で沈没
7時20分 - 松前丸が七重浜に擱坐炎上
7時30分 - 第十青函丸が函館港防波堤灯台北北西600mで沈没
7時30分頃 - 第三青函丸が矢越岬東南3.8海里で沈没
14時頃 - 第六青函丸が野内海岸に坐洲炎上
14時50分 - 第七青函丸が函館港内で工事中被弾航行不能
15時10分 - 函館港内で休航中の第八青函丸被弾し航行不能
15時10分 - 津軽丸が狐越岬東4海里で沈没
15時30分 - 青森港2号浮標北北東1海里付近で第二青函丸が沈没
15時40分 - 飛鸞丸が青森港2号浮標北北東2海里付近沈没
15時55分 - 翔鳳丸もほぼ同所で沈没
この日だけで352名死亡。
7月15日 - 14時40分、唯1隻残っていた「第一青函丸」がアメリカ海軍艦載機の空襲により三厩湾で沈没
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・ 飛鸞丸 15:40 沈没
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・ 翔鳳丸 15:55分 沈没
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・昭和20年7月14日だけで、352人が死亡した。
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★【洞爺丸事故】
1954年(昭和29年) 9月26日 - 台風15号(洞爺丸台風)が迫る中、晴れ間をついて函館港を出港した「洞爺丸」は、その後急速に強まった風浪のため、七重浜沖で座礁、転覆、乗員乗客1,314人のうち、1,155人が犠牲となった。 -
・ 就航時の洞爺丸
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・ 少ない生存者の一人で。調理人であった方の記事
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・ 同 二等機関士であった方の記事
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【1954年(昭和29年) 9月26日】
20時頃 - 「第十一青函丸」が錨泊中、函館港西防波堤灯台付近で沈没
22時20分頃 -「北見丸」が蜘躊中、葛登支灯台2.75kmで沈没
22時43分頃 -「洞爺丸」が錨泊中、函館港西防波堤灯台2.5km付近の七重浜沖で座礁転覆沈没
23時43分頃 -「十勝丸」が錨泊中、函館港西防波堤灯台1.8km付近で沈没
23時43分頃 -「日高丸」が錨泊後蜘躊を試みた直後、函館港西防波堤灯台1.53km付近に沈没
洞爺丸以外も含め、死亡者1,430人、生存者202人となる大惨事であった。
・ これを契機に寝台車航送は中止、また「青函トンネル計画」が具体化されることになった。 -
・ 「八甲田丸」の煙突は、今でも「JNR(日本国有鉄道)」のまま。
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・ 「八甲田丸」のスクリュー。
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・ 「青函連絡船」は幕を閉じましたが・・・・・・・
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・ 現在では「津軽海峡フェリー」が、青森・函館に就航しています。
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