2018/04/01 - 2018/04/04
101位(同エリア380件中)
愛吉さん
4月2日、指宿8時45分のバスで知覧に向います。
知覧特攻平和会館と武家屋敷群訪問の為です。
9時55分知覧特攻観音入口で下車、参道を特攻観音に向います、参道には多くの灯篭が並び人目を引きます。
灯篭には飛行服を着けた特攻隊員の姿が浮彫されています。
聞く処によると、初めは亡くなられた特攻隊員の数を揃えるべく、全国から浄財を募りましたが、現在すでにその数を上回る募金が集まったそうです。
終戦時私は国民学校5年生、父は北支で軍隊勤務の音信不通、兄弟姉妹は7人で末子は2才、疎開は母の実家を経て岐阜の山奥に行きました。
連日松根掘り、農家の手伝い等勤労奉仕に駆り出され、田植え稲刈り、田起こし等はベテランとなります。
戦争に勝つまではと小さいなりに頑張りました。
当時の大多数の人達も大なり小なりそうだったと思います。
特攻平和会館に入って各種の資料に接すると、当時の気持ちが蘇り目頭が熱くなります、最敬礼をして出て来ました。
武家屋敷群には30分掛けて歩きます、気持ちを落着ける為です。
では知覧編をご覧下さい。
表紙は武家屋敷通り
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- JALグループ
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バスを特攻観音前で下車、両脇に灯篭が並ぶ広い参道を進みます。
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左側に乙女の祈り像と庭があります。
乙女は鳩を捧げて平和を祈り、置かれた場所は日本庭園です。 -
特攻観音の境内に入ると、先ず目に飛び込むのは陸軍戦闘機隼。
これは2007年映画「俺は、君の為にこそ死にに行く」撮影の時に制作されたレプリカ。
戦闘機隼
正式名称 一式戦闘機 通称隼
陸軍の主力戦闘機、設計中島飛行機 生産機数 5700機以上。
知覧から出撃した特攻機中二番目に多い120機が隼でした。
戦時中加藤隼戦闘隊の歌が流行しました。 -
傍には特攻勇士の像が建ち、台座にはとこしえにと記されています。
御霊のとこしえに安らかならん事を祈りつつ、凛々しい姿を永久に伝えたいと心を込めたと記されています。 -
アップで写して見ましょう。
凛々しいですね。 -
傍に勇士の像を眺めるように、息子を思う母の像「やすらかに」があります。
親思う心に勝る親心です、一つの歌を思い出しました。
”弔問客(きゃく)去れば、位牌を炬燵に抱き入れ、さぞ寒かったろうと、母泣きたまう”
これは以前読んだ昭和史に掲載されていた短歌で、確か兄の戦死公報を受取った夜との表題だったと思います、少し間違っているかも知れません、詠み人は忘れました。 -
像の前を左に回ると、護国神社への参道。
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護国神社。
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隣は観音堂。
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観音様の由来。
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観音様の体内に納められた特攻隊員1036人の芳名。
この人数は陸軍関係だけの様です、全体では3500人以上といわれます。 -
隊員達が起居した三角兵舎。
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観音堂の裏にはビッシリ灯篭が並びます。
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知覧教育隊記念碑があります。
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門柱が移転復元されています。
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説明板
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灯篭群の中に鳥浜トメさんの寄進灯篭を見付けました。
観音堂完成と共に寄進した寄進灯篭第1号です。 -
ホタルの碑を見付けました。
出撃前の一隊員がトメさんに伝えた言葉、僕はキット蛍になってこの知覧に帰って来る。
その夜一匹の蛍が庭を舞ってたそうです。
映画にもなりました。 -
忠魂蛍の碑
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トメさんを称える碑。
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特攻平和会館。
第二次大戦末期の沖縄戦で、飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等を展示し、当時の真情を後世に正しく伝える為の施設です。
館内は撮影禁止でした。 -
別室に展示されるゼロ戦の残骸。
これだけは撮影可です。 -
説明板です。
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方向を変えて写します。
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後方から。
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横から。
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平和会館を出て来ました。
展示品を見ていると、当時の状況を思い出し、共感して胸が熱くなります。
平和の鐘が吊るされています。
恒久平和を祈らずには居られません。 -
館の外には平和の母像が建っています。
特攻隊員の母にしては若すぎる感がします。 -
武家屋敷に向かう途中、街の中で富屋食堂を見付けました。
鳥浜トメさんと隊員達の交流のあった食堂です。
以前あった場所は道路拡張になり、ここに移築されました。 -
正面から。
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今度は反対側から。
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トメさん年譜
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傍に立つ石碑。
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最後にトメさんと隊員の交流を描いた映画”俺は、君のためにこそ死ににいく”のスチール写真を。(隼展示説明板より借用)
この君とは天皇陛下や国では無く、愛する人、恋人か奥さんか、或いは母親か、それとも子供達か、その人を守る為に死にに行くのだ、平和ヘの魁であると書かれています。
尚この写真に写るのが、境内に展示される隼なのです。 -
薩摩の小京都といわれる武家屋敷群に到着。
この門から先が武家屋敷通り、日本の道百選に選ばれた通りです。
薩摩藩は江戸時代、領内を113の地区に分割、それぞれ領主や地頭を置いて分散統治しました、その一つが知覧なのです。
他藩のように城下に武士を集中しませんでした。 -
両側に石垣と生垣が続きます。
武家屋敷群の内7ッの庭園が、国の名勝に指定されています。 -
案内図があります。
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最初の庭園、西郷氏の枯山水の庭園です。
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2ッ目は平山克己氏の庭園、同じく枯山水です。
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3ッ目、平山亮一氏の庭園 前面の刈込はサツキです。
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通りの三差路に置かれる石敢石、部落に悪魔が入らないようにするおまじない。
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知覧型二ッ屋、知覧独特の建物で住居と台所を別棟としています。
この場所に移築保存したものです。 -
住居部分の内部
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4ッ目、佐多美舟氏庭園、7ッの庭園中最も広く豪華で、同じく枯山水です
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5ッ目、佐多民子氏庭園、深山幽谷を写したといわれます。
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豪壮な手水鉢があります。
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6ッ目、佐多直忠氏庭園、向かいの山を借景とする枯山水。
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7ッ目、森重堅氏庭園、唯一の池を配した庭園で、近景の山を配し水の流れを表現しています。
これで国指定の名勝庭園7ッを回りました。
どの庭も個人の住居に設えられた庭ですが、充分鑑賞に堪える庭です。 -
屋敷を出て来ました。
この通りもいいですね、美しい日本の歴史的風土百選、日本の道百選に選ばれています。
それで知覧は終り指宿に戻るとしましょう。
只今の時間は13時40分、バスは14時50分しかありません。
バス停の椅子に座って時間待ちです。
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