1998/08/22 - 1998/08/24
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itaruさん
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幼いころ、「アステカの星」という秘宝を額に装着したマスクをかぶった覆面レスラーを主人公にした永井豪原作の子供向けの「プロレスの星 アステカイザー」という番組がありました。新日本プロレス全面協力の下、若かりし日のアントニオ猪木や初代タイガーマスクの佐山聡などが出演。当時はプロレスの人気が高かったこともあり、よく見たものです。
前置きが長くなりましたが、アステカ文明って何? という子供のころに抱いた興味は世界史を知るにつれ深くなり、いつかアステカ文明の地「メキシコ」に行ってみたいと思ったものです。その旅が実現したのは1998年。実は前年にも計画してユナイテッドのマイルで特典航空券を用意したのだけれど、仕事の異動で海外に旅に出かけるのは難しくなり断念。仕切り直しでの旅でした。せっかくメキシコに行くのだからマヤ文明の有名な遺跡やカンクンも巡ってみようと考え、決定した旅程は以下の通り
8月22日 UA852便 成田16時発→サンフランシスコ
UA1005便 サンフランシスコ15時10分発→ロサンゼルス
UA1005便 ロサンゼルス17時45分発→メキシコシティ
23日 メキシコシティ観光
24日 ティオティワカン観光
25日 AM519便 メキシコシティ6時45分発→ヴィジャエルモサ
ヴィジェエルモサ観光
バス ヴィジャエルモサ→パレンケ
パレンケ観光
26日 AM7304便 パレンケ16時45分発→カンクン
27日 バス カンクン→チェチェンイッツァ日帰り観光
28日 イスラムヘーレス観光
MX972便 カンクン15時25分発→メキシコシティ
29日 UA1010便 メキシコシティ8時発→サンフランシスコ
UA853便 サンフランシスコ11時25分発→成田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- アエロメヒコ航空 ユナイテッド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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メキシコシティへはサンフランシスコ経由。成田からのUA便は午前中に到着するのでトランジット時間は十分にある。ということで、街に出てしばし散策
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まあ時間があまりないのでダウンタウン周辺を歩くだけ
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メキシコシティ到着は深夜の午後11時過ぎ。さっさと宿に向かい、翌日から観光開始です。メキシコ国旗をあしらった革命記念塔にメキシコに来たって実感
革命記念塔/国立革命博物館 建造物
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ソカロからソナ・ロサへとレフォルマ通りを歩いていくと、ランナーたちとともに何やらパフォーマンスに興じる人たちが
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1998年8月23日は日曜日。どうやらマラソン大会が開かれているらしい。通りの奥にはコロンブス記念塔が見える。メキシコシティーはかつてのアステカ帝国の首都ティノチティトランの上に建設された街。コロンブスの新大陸「発見」がスペイン人を呼び込んだわけだけど、「発見」がなかったらどんな歴史が展開されたのか
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しかし8月の暑いさなか、標高2200mのメキシコシティーでご苦労様です(セピア仕様の「写ルンです」で撮影)
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かなり本格的なマラソン大会のようです
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けっこう盛り上がっています
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思いもしなかったマラソン大会を横目に見つつ、チャプルテペック公園へ。で、公園内のメキシコ国立人類学博物館でアステカをはじめとしたメキシコの古代文明の展示などを堪能したら
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グアダルーペの聖母が祀られているグアダルーペ寺院へ。黒い髪と褐色の肌を持った聖母が先住民の前に現れ、教会堂を建てるように告げたという故事にちなんだこの寺院。メキシコの国家的シンボルともいわれ、日曜のミサには多くの人が集まるという。実際、日曜日というこもとあってミサの時間には外れていたけれど信仰深いメキシコ人で境内はすごい人だかり
グアダルーペ寺院 寺院・教会
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教会堂の裏手にある聖母が出現したというテペヤックの丘からの眺め
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こちらは聖母が出現した場所に建てられた礼拝堂
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1976年に完成した収容人員2万人の新教会堂はモダンな建築
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地盤沈下の影響で傾いている旧教会堂との記念写真を「写ルンです」セピアで撮って、この日の観光は終了です
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さて翌日はメキシコシティーの北50キロに位置するテオティワカンの大ピラミッドへ。中南米を旅する日本人御用達の宿「ペンションアミーゴ」で簡単な朝食をいただいて向かいます。学生時代以来、久々の「沈没」している人たちなど、様々な旅行者で賑やかな宿は面白かった。プロレス修行しているような人もいたりして
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テオティワカンまではローカルバスで1時間ほど。で、ここで大失敗。陽射しが強いので、バスを降りる前に眼鏡をサングラスに切り替えたのだけれど、この時にサングラスだけ持ってバスを降りてしまった。気が付いたのはバスは出発した後。スペアの眼鏡は持っていない。おかげで残りの日々はサングラスをかけるか、眼鏡なしで過ごすしかなくなって。昼はいいとして、夜はかなり厳しかった
テオティワカン遺跡 史跡・遺跡
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まず目にしたのがケツァルコアトル(羽毛の蛇、水と農耕の神)とトラロック(雨の女神)のレリーフで覆われているケツァルコアトルのピラミッド
ケツァルコアトルの神殿 建造物
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ピラミッドってシンプルなつくりというイメージが強いので装飾豊かな作りが新鮮
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紀元350年~650年にかけて最盛期を迎えたテオティワカンは人口20万人を擁した推定される大都市。なので敷地も広大。正面に見えるのが月のピラミッド、右に見えるのが太陽のピラミッド
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「太陽のピラミッド」は高さ65m、底辺222m×225mの遺跡内最大の建造物
太陽のピラミッド 建造物
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エジプトのピラミッドは登頂できないけれど太陽のピラミッドは登頂可です
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ただ、写真で見ると分からないけれど、ピラミッドの階段はかなり急角度
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もちろんテオティワカンまで足を運んだのだから登らないという選択肢はない
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2000mを超える高地で急角度の階段を登るのはしんどいけれど、登頂すれば素晴らしい光景が目の前に。テオティワカンから人々が去り、放置されていた遺跡を見て後にやってきたアステカの人々は荘厳なピラミッドを見て、神々の建てた都市だと信じたのだという
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月のピラミッドを背景に記念の1枚を撮ったら
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月のピラミッドへ。太陽のピラミッドに比べて高さ47m、底辺が140m×150mと規模は小さいけれど、こちらの方が高台にあるので頂上はほぼ同じ位置にある
月のピラミッド 建造物
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月のピラミッドの起源は100年頃とされ、400年くらいに現在の形になったらしい。ピラミッド正面は「月の広場」があり、それを取り囲むように多くの基壇が建ち並ぶ。ここで神官たちによる宗教儀式が執り行われていたと考えられている
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月のピラミッドからケツァルコアトルの神殿へと「死者の大通り」が真っすぐ伸びている。その大通りから外れた場所に太陽のピラミッドがあるのが面白い
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今は頂上まで登れない月のピラミッドも当時はOK。しかし、遺跡保護ということを考えれば、多くの観光客がピラミッドに登るのは問題が多い。近いうちに太陽のピラミッドも登頂不可になるのかも
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最後は月のピラミッドの西側にある中庭の美しい列柱のレリーフが見所のケツァルパパロトルの宮殿へ。古代の遺跡を十分堪能。翌日はマヤの遺跡を求めパレンケへ
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旅行記グループ アステカとマヤを巡るメキシコの旅=1998年
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