2018/04/02 - 2018/04/02
278位(同エリア442件中)
ミケルさん
諏訪原城は、武田勝頼によって天正元年(1573年)に造られた山城です。天正3年(1575年)に徳川家康に攻め落とされてからは牧野城と改名されて今川氏、松平氏らが城番になりました。天正9年(1581年)に高天神城が落城してからは城の必要性はなくなり、天正18年(1590年)、家康が関東に移って廃城となりました。
ここは8年前に一度来ていますが、当時は山城に全く興味がなかったので、「なんか大きな穴が開いてるなぁ」くらいにしか思わず、すべてを見ることなく帰ってしまったのです。今思えばなんと勿体ないことをしたのかと。見る者の意識が変わると、穴もただの穴ではなくなる!
ここは国指定史跡にもなっており、武田流の壮大な山城は一見の価値ありです。近くの「旧東海道石畳」とセットで観ることをお勧めします。
交通案内
JR東海道線金谷駅から徒歩30分
東名相良・牧之原ICから20分、国1バイパス大代ICから15分
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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諏訪原城跡は茶畑の広がる牧ノ原台地にあります。10数台停められる駐車場(無料)があり、バスの便もあるようです。
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駐車場脇の視界の良い砂利道が入口です。
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すぐに城跡案内板があり…
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パンフレットも置いてありました。大変親切です。
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案内図に従って歩きはじめると、すぐに大手南外堀が出てきてテンション上がります。
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あちこちに堀が残っていて、視線が定まらない(笑)
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諏訪神社の鳥居。
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城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城の名が付いたと言われます。
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順路案内板があって迷わない。
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堀。
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看板が綺麗になっていてわかりやすい。
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広い平坦地に出てきました。
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二の曲輪中馬出。見事な堀です。落ちないように柵が設置されています。
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とても大きな外堀の縁を見学路が続いています。
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二の曲輪北馬出に続く。
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二の曲輪北馬出の薬医門(復元)。
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説明文です。
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眺望良し。大井川が見えます。
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外堀。左側は二の曲輪の土塁。
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二の曲輪に続く土橋を渡る。
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二の曲輪に来ました。土塁を歩く。
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ネズミの死骸と遭遇。踏むところだった。
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今は雑草しかない二の曲輪全景。
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いよいよ本曲輪へ。
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本曲輪に行くにはこの細い土橋を渡るしかない(通路はもう1ヵ所あり)。敵はまず侵入できないと思います。
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深い内堀。落ちたら上がって来れないでしょう。
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本曲輪に到着。特に何もありませんが…。
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大きな桜の木がありました。
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盛り上がった土塁で囲まれている。
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本曲輪の北側に細い抜け道あり。特に看板はなかったと思います。
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下って行くと…
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道路に出ました。これが搦手門か?
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再び戻る。看板がありました。
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本曲輪の左手は東側で断崖絶壁。「後ろ堅固の城」と言われました。
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カンカン井戸へ。急な坂を降ります。
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ずっと下って行くと…
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内堀の中にカンカン井戸がありました。カンカンとはどういう意味かな?
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中を覗くとそれほど深さはなく、水はありませんでした。
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二の曲輪を再び抜けると、左手にさらに馬出がありました。
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二の曲輪東内馬出。
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二の曲輪南馬出へ続く土橋。
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二の曲輪南馬出。その先は旧東海道が通っています。
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東内馬出から東馬出に続く土橋は幅が20cmほどしかない。
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案の定、通行禁止になっていました。落ちたら危険ですし…
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東馬出は南馬出からのみ行けます。東馬出から見たさっきの狭い土橋。渡りたい~。
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1周した所で最初の神社に戻りました。
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垣根のある砂利道を行けば、旧東海道に出ます。
諏訪原城跡は予想以上に広く、堀や曲輪を存分に楽しめました。以前と比べてとても良く整備されていて歩きやすかったです。山城は雑草の少ない秋から春にかけて行くのがいいと思います。
このあと「旧東海道の金谷坂石畳」に続きます。
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