2018/03/25 - 2018/03/26
714位(同エリア1173件中)
けんじさん
日本100名城の甲府城を訪れた後、武田氏館跡に行きました。
ここでは、武田氏館跡について書いていきます。
<武田氏館跡事前メモ>
- 武田氏館跡は躑躅ヶ崎館跡(つつじがさきやかた)と呼ばれていた。
- 武田氏三代(信虎、信玄、勝頼)の城
- 武田信虎が永正16年(1519)に築き、天正9年(1581)まで信虎、信玄、勝頼がその本拠としたもの
- 平城(居館跡)、城というより居館
- 武田信虎は、永正17年(1520)には背後の山上に籠城するための詰城、要害山城を築いている
- 四方を水掘と土塁で固め、周囲に曲輪を配置し、それを水掘や空掘でつなぎ防備を固めている
- 方形をなす主郭は中曲輪と東曲輪で構成されているが、現在は、武田神社となっている
- ※ 見どころ
- 堀(水堀、空堀)、土塁
- 中曲輪、東曲輪、西曲輪、北曲輪、梅翁曲輪(南)
- 武田神社(本丸付近)
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
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武田氏館跡(武田神社)へは、甲府駅から武田神社行きのバスに乗って行きました。
料金は190円。 -
武田神社につくと立派な石碑がお出迎え。
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武田神社の入口付近はたくさんの方で賑わっていました。
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武田神社の入口の鳥居の手前に、綺麗に咲いた桜とともに武田氏館跡の石碑がありました。
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すぐ横には、武田氏館跡の説明の板書がありました。
甲府城が出来るまでの約70年、政治・経済や文化の中心地として発展していたようです。 -
武田神社の入口の鳥居です。
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鳥居をくぐり真っ直ぐに進んでいくと拝殿が見えてきます。
この横にある「神符授与所」というところで、日本100名城スタンプを押しました。 -
武田氏館の配置図がありました。
見てみると、各曲輪の配置や回りが堀で囲まれていることなどが分かります。 -
空堀です。木々が倒れているところがあったり、その周りでは整備をしているところがあったりしていました。
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武田氏館跡の周りには水堀が残っていました。
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武田氏館跡の後方の方に回ってみると、ひらけた所に出ました。
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立入禁止になっており、内容を見てみると発掘調査を実施しているようでした。
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そこから西曲輪の方に進んでみると、土塁で四角く囲まれた場所に出ました。ここには門があり、枡形虎口があったようです。
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最後に武田氏館跡の東側に行きました。
ここは現在は建物がない広場になっていましたが、当時は武田氏館の正門にあたる大手門があったようです。また、大手門を守る大手石垣、三日月の形をした堀が発掘調査で発見されたようです。 -
これが復元された大手石垣です。
自然石を加工することなく、そのまま積見み上げた野面積みという手法が用いられています。
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