2018/03/25 - 2018/03/26
539位(同エリア1175件中)
けんじさん
日本100名城の甲府城を訪れ、その後武田氏館跡に行きました。
ここでは、甲府城について書いていきます。
<甲府城事前メモ>
- 武田氏滅亡後、豊臣政権の重臣「浅野長政・幸長親子ら」によって一条小山と呼ばれる丘陵地に築かれた平山城
- 武田氏館に代わる城として築城された
- 別名は舞鶴城
- 豊臣政権下では徳川氏を押さえる城として重視された城
- 江戸時代には、外敵の江戸侵攻を阻止する城として代々将軍家の子が城主となり引き続き重視された
- その後、柳沢吉保が徳川親藩以外で初めて城主となって入城した際に、城の拡張と修築が行われ城下も整備された
- 本丸や稲荷曲輪・数寄屋曲輪は野面積の石垣が残る
- 天守台は江戸城・名古屋城・会津若山城につぐ巨大なもの
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
11時30分頃、甲府駅に到着して徒歩7分ほどで、
甲府城(舞鶴城公園)の入口の遊亀橋(ゆうきばし)に到着。
想像以上に甲府城が大きくビックリ!
天守閣は残っていないものの、天守台は残っているということで天守台を目指して進んでいきます。 -
中に入ると、すぐに鍛冶曲輪と呼ばれる広々とした場所があり、子どもたちが遊んでいたり、花見を楽しんでいる人がいました。
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坂道、階段を登っていくと、稲荷曲輪門(いなりくるわもん)と呼ばれる
鍛冶曲輪と稲荷曲輪をつなぐ門があります。
この門は、享保の火災でも焼けず、明治初年までは残っていたものを平成11年に復元したそうです。 -
稲荷曲輪門に近づくと、立派な石垣が表れます。
門の奥にもぎっしりと石垣が見ることが出来ます。 -
稲荷曲輪と呼ばれる所に出ます。
上の方の天守台の方に目をやると、まだまだ上があり、立派な石垣の迫力があります。 -
東の方に進むと、数奇屋曲輪があり建物の方に目を向けると、狭間がキレイに配置されています。
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稲荷曲輪に戻り、北に進むと「二重の石垣」があります。
石垣の解体調査を行った結果、石垣の背後から先に作られた石垣が表れたそうです。 -
城内には桜が綺麗に咲いてましたが、特に枝垂れ桜が見頃を迎えていました。
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城の北東に位置する所に、稲荷櫓があります。
これは武具蔵として利用され、明治初期までの残っていたとのこと。
今の建物は、絵図や史料をもとに平成16年に復元されました。 -
この櫓は中に入ることが出来、史料が展示してありました。
また、日本100名城スタンプはここにありましたので押しました。 -
史料を見終わったあとは、坂道を登って天守台の方に進んでいきます。
石垣がスゴイ! -
石垣の角部分には重みが集まるため、「算木積み」と呼ばれる石才の長短を交互に積む手法で積んでいます。
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天守台の石垣をぐるっと回ると、甲府城入口の遊亀橋の時から目に入り気になっていたオレンジ色した建物、鉄門(くろがねもん)があります。
こちらも明治初期まで残っていたが取り壊され、復元されたそうです。
門も立派、それだけでなく階段も立派でした! -
鉄門を登って、鉄門の裏を見ると、こんな感じ。
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鉄門の先は、天守曲輪と呼ばれる所に出ます。
写真の奥に見えるのが天守台です。 -
天守台に行くには階段を登っていきます。
この階段が結構急斜があって、登るのがちょっと大変。 -
天守台からの眺望はとても良く、お城全体はもちろんのこと、富士山を始めとした山々がキレイに見えます。
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内松陰門(うちまつかげもん)です。屋形曲輪と二の丸をつなぐ門で、こちらも平成11年に復元されたものです。
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最後は甲府駅方面から出ました。
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甲府駅方面から見た甲府城の外側です。
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