2017/09/25 - 2017/09/25
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frau.himmelさん
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26日間の秋の欧州の旅、旅行記の方はようやく中盤に差し掛かったばかりです。
本当にいつになったら終わるのか・・・。
もういい加減に、今年の旅行スケジュールを決めなければならない時期にきているのに・・。
まあ愚痴を言っても始まりません。
さあ、続き続き・・・。
ドイツのミュンヘンから入ってオーストリア、スイス、フランスと巡ってきて、今日は再びドイツに入ります。
ナンシーからメッス乗換でドイツ・ザールラント州のザールブリュッケンに向かいます。
乗換駅のメッスで時間調整のために入った駅舎は、驚くほど巨大な美しい駅でした。
フランスの地方の一都市なのに何でこんなに豪華なの?
この駅舎が造られた当時、アルザス・ロレーヌ地方はプロイセン(ドイツ帝国)領でした。
時の皇帝ヴィルヘルム2世は威信をかけて、ベルリンの建築家にラインラントの新ロマン主義様式で造らせました。
それにヴィルヘルム2世には首都ベルリンからフランス国境のメッスまで、長大な鉄道を敷設しなければならない理由があったのです。
そして、今回は、路面電車でフランスードイツの国境越えをしました。
長距離列車や飛行機、船ではなく、路面電車でというところがいかにも陸続きのヨーロッパらしいところです。
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ホテルの前のブラッスリー・エクセルシオールで朝食を摂り、チェックアウトしてナンシー駅にやってきました。
ナンシーには1泊しかしなかったので、何か物足りない感じを覚えます。もう少しゆっくりしたい街だったなー。
さて、今日はオーストリア、スイス、フランスと巡ってきて、久しぶりにドイツ入りをする日です。
ナンシーからザールブリュッケンに向かいます。 -
いつもなら国境越えのチケットはネットで早割をとるのですが、今回は途中メッスに寄りたいという希望もあり、そんなに長距離でもないことから窓口で普通チケットを買うことにしました。
受付で、ipadにドイツ鉄道から検索した時刻表を入れて、それを見せながらこのチケットでお願いしますと。
ところが受付の女性、長い時間かけて探していましたが、同じものはないと。
では、バス以外だったら何でもいいからとお願いして出してくれたチケットは、出発はドイツ鉄道で私が調べたものと同じ。でも受付がモタモタしていたので出発時間まであと15分しかない。大きなスーツケースを引っ張って慌てました。
でもいいこともありました。
ドイツ鉄道の検索結果では、その区間の運賃は30.50ユーロだったのに(赤丸)、ナンシーの受付では一人20ユーロで買えました。
この時間、SNCFでシニア割引が適用されるとのことでラッキーでした。 -
メッスまではそこそこの混雑ぶり。
女性の車掌さんが検札に来たが、何も問題なし。 -
列車はロレーヌ工業地帯の煙突を眺めながら走ったり、モーゼル川と並行して走ったり、30分ほど車窓を楽しんでいたら、メッスに到着しました。
-
私たちが乗ってきたTERメトローラー。
ロゴが可愛い。
当初の予定ではメッスで2,3時間観光するつもりでしたが、なにぶんにも面倒くさがりのシニア二人のこと。
街歩きか~疲れるねー、まっすぐザールブリュッケンに行ってしまおうかと、意見が一致。
それでも40分以上の待ち時間があります。 -
ただ私にはメッスでどうしても手に入れたいものがありました。
メッスは幻のフルーツ・ミラベルの産地でとして知られ、収穫時期の8月下旬にはミラベル祭りも開催されるほどだとか。
この旅でずっと追いかけてきたミラベル、本場メッスのミラベルタルトを食べてみたい。
夫に荷物を預けて、駅前にケーキ屋さんでもないか探しに出ました。
広場の向こう側は重厚な建物が・・。 -
こちら側は銀行やホテルの大きな建物が並んでいます。
ミラベルタルトを売っているようなケーキ屋さんなどあるような雰囲気ではありません。
やはり旧市街まで出なければ無理なのね。 -
仕方がない。
諦めて夫の待つ駅構内に戻ろうと踵を返したら、目の前にはもの凄く立派な石造りのメッスの駅舎。
その長さは300mあるそうです。
とっても私のカメラには入り切れません。
そして塔の高さも40mあるそうです。 -
外壁の彫像も大変に立派。
どうしてフランスの地方の1都市にこんな立派な駅舎があるんだろう?
実は今でこそフランスの駅ですが、この駅舎が造られた当時はヴィルヘルム二世のプロイセン領(ドイツ帝国)でした。 -
蒸気機関車に水を供給していた給水塔もその当時造られたものです。
容量300㎥。
◆
1870年〜71年に起こった普仏戦争でフランスに勝利したプロイセン軍は、アルザス・ロレーヌ(ドイツ語では、エルザス・ロートリンゲン)地域を統治下にしました。
アルザス・ロートリンゲンでは鉄鉱石を多く産出し、鉄鉱業が重要な産業でした。
それらをプロイセンの首都ベルリンに運ぶための鉄道路線が必要になりました。 -
駅前には近代的なピンク色のバスが停まっています。
◆
またドイツとの国境地帯であるこの地域に、有事の際に兵器や兵士を戦地に運ぶための軍事利用のために、ベルリンとメッス駅を結ぶ路線が造られました。
この鉄道のことをカノーネン・バーン、大砲鉄道と呼ばれました。 -
そういえば、この大砲鉄道のことは、2009年の旅行記で取り上げていたことを思い出しました。
https://4travel.jp/travelogue/10463738
カメラを持った地元の方らしいおじ様が来て、いろいろ私達に説明してくれました。
昔、この線は、ベルリンからフランスのメッスまで続く軍事目的輸送で使われた路線であったこと。
だからKanonennbahn、大砲鉄道って言われていること、などなど。
いろいろ親切に説明してくれましたがあまり理解できませんでした(泣)。
でも、パネルの説明文の写真を撮ってきたので辞書片手に調べてみました。
(2009年の写真) -
1870年〜71年に起こった普仏戦争でフランスに勝利したプロイセン軍は、アルザス・ロレーヌ(ドイツ語では、エルザス・ロートリンゲン)地域を統治下にした。
それまでモーゼル地域では鉄道はコブレンツからトリアーまでしか敷設されていなかったが、軍事的戦略目的で、ベルリンから、ロートリンゲンの首都であるメッツまで拡張する必要があり、莫大な工事費をかけて、1875年〜79年にかけて完成した。 -
2009年の旅行記のことはすっかり忘れていました。
今回メッスに立ち寄りたいと思ったきっかけは1にも2にも「ミラベル」だったのです(笑)。
図らずもこういう形で10年近く前に調べたことが生きてくるなんて、「俄か歴女」としては嬉しいことです。
◆
駅舎入り口のアーチ状の装飾彫りもみごと。 -
アーチ状の高い天井を持つ駅構内も豪華です。
入り口の5つの大きなガラス窓は、アールヌヴォーのドイツ版、ユーゲントシュティール様式で有名なダルムシュタットのマチルダの丘を思い出します。
あれは結婚の宣誓の5本指でしたが・・・。 -
木製の扉の鉄細工はアールヌーヴォー調。
-
柱の彫像も重厚感があります。
-
そうそう、私はミラベルのタルトを探していたのでした。
あのスーパーには置いてないかしら?
中に入って見ましたけど、ありませんでした。
それにしても立派な駅舎ですね。 -
サラリーマン風の4人の彫像が並んでいる天井は、黒光りのする1枚板の木彫、天井のステンドグラスも歴史を感じさせるもの。
透かし彫りの壁模様。
やはりベルリンの建築家が造ったもの、フランスの優雅さよりもドイツの重厚さが目立ちます。
プロイセンのヴィルヘルム2世は、普仏戦争のフランスからの賠償金で、この駅を金に糸目をつけずに造ったのでしょうね。
奥には待合スペースがあり、その横にはピアノが置かれ、腕に自信のあるにわかピアニストが次々と挑戦しています。
ところで4人の像の下では何をやっているのかしら? -
自転車のペダルのようなものを漕ぎながら、ぼーっとスマホを見ている男女。
一体何をやっているんだろう? -
彼らがいなくなってから確かめに行きました。物好きですね~(笑)。
このペダルを漕ぐと発電する装置みたいです。
これでipadやスマートフォンに充電することができるようです。
ペダル漕ぎ式充電装置とでも言いましょうか。 -
ところで、さっきから気になっているあの4人の彫像は何者?
最初、リアルな現代アートかなと思いました。 -
4人の像の下に埋め込まれていた碑。
フランス語は全くわからないので、これを参考に調べてみました。
単なる現代アートではなく、ここにも歴史が隠されていました。
シュテファン・バルケンホールの「ジャン・ムーランへの賛辞」。
Stephan-Balkenhol:シュテファン・バルケンホール(1957~ )は現代ドイツを代表する彫刻家。
彼の作品は普通の服を着た普通の人が、普通のポーズと表情で立っているのが特徴なのだそう。 -
ところがここに立っている人物は普通の人ではなかった。
ジャン・ムーラン(Jean Moulin, 1899年6月20日~1943年7月8日)は、フランスの政治家、レジスタンス運動の指導者。
ジャン・ ムーランは、人生をナチス・ドイツへの抵抗運動に捧げました。
「フランスにおける抵抗運動の英雄」なのです。 -
ところが、1943年5月に仲間の裏切りにあい、ゲシュタポに捕えられ、拷問されます。
そしてドイツの収容所に連行される途中、国境駅近くのこのメッス駅で亡くなりなりました。
ネットからコピーしたジャン・ムーランの写真。
彫像の顔とそっくりですね。 -
この像はジャン・ムーラン没後70年を記念して2013年14年7月10日に慰霊碑が計画され、翌2014年7月10日に完成式が行われました。
駅構内の通行者に邪魔にならないよう、高く見下ろす場所に設置されました。 -
ドイツとフランスとの国境メッス。
様々な歴史がありますね。
やはりメッスの街の観光はすべきだったかな~、と今頃後悔しています。
さて、そろそろ私たちが乗る列車が入線します。 -
車内はガラガラ。
実は、この列車も不安材料の一つでした。
ナンシー駅で指定された列車はMETZからFORBACH行き。
そこでザールブリュッケン行に乗り換えるというものでした。 -
ところがメッス駅に降り立ってみたらそんな列車はありません。
駅の受付で尋ねてみると終点Beningで乗り換えなさいと。
車内でもう一度車掌さんに尋ねると、SARREGUEMINESでREに乗りなさいとのこと。
FORBACH乗換と記されているこのチケットでOKか?と訊いたら大丈夫ですよって。
乗り慣れないフランス鉄道のチケットは小心者の私たちは本当にドキドキです。
罰金を取られたらいやですものね。 -
終点Bening駅、ここで乗り換えます。
ところがエレベーターもエスカレーターもない田舎の駅、荷物の上げ下ろしに難儀しました。 -
SARREGUEMINES駅でも問題発生!
駅員にザールブリュッケン行は何番ホームからかと訊いたらA番ホームだと。
ところがそれは市電(路面電車)なのです。
REはC番ホームからだけどエレベーターがないのでまた荷物の上げ下ろしが大変。
出来たら階段の乗降をさけて市電(路面電車)に乗りたいけど、問題は私たちのチケットでそれに乗れるか?というもの。
またまた駅案内所に訊きに行く。それはみんな夫の役目(笑)。 -
これが路線図。
いよいよあと30分ほどでザールブリュッケンに到着!
と、この路線図を見ていて気が付いた。
この電車、明日徒歩で国境を越えるときに乗ろうと思って調べていた電車じゃない?
フランスとドイツの国を跨いで走る「国際トラム」正式にはトラム・トレインと言うらしい。 -
このトラムはフランスのものではなく、ザールブリュッケンから乗り入れた電車です。
思いがけず、1日早くこの国際トラムに乗ることができてちょっと残念と共に、ワクワクします。 -
車内はガラガラ。
私たちの貸し切り状態です。 -
そして川に差し掛かりました。
このザール川の真ん中がドイツとフランスの国境なのです。 -
国境を示すマークが何かないかしら?
あの白い線が国境!?(写真手前の線)
鉄橋の上に白い線を発見。文字はありませんが・・・。
確かめようとしたら、電車はさっと通り過ぎてしまいました。
きっとそうに違いない、確信を持てるわけではありませんが、一人で納得している私です。 -
Kleinblittersdorf Bahnhof。
明日この駅で降りて、ドイツ側からフランスへ徒歩で国境越えを計画しています。 -
国際路面電車はザールブリュッケンの市内に入ってきました。
ここはヨハネスキルヒェ(ヨハネ教会)の停留所。 -
その先に見えるのはザールブリュッケンのラートハウス(市庁舎)。
駅まであと2駅です。 -
ザールブリュッケン駅前で路面電車を降りて、タクシーでホテルに向かいます。
-
ホテルの名前を言ったらタクシーが連れてきてくれたところはここ。
え~~~っ!ここはさっきトラムで通ったヨハネスキルヒェじゃない!?
さっきここで降りればわざわざ駅まで行くことはなかったのに!
タクシー代10ユーロと駅までの往復の時間を無駄にした私たち。
ナンシーからザールブリュッケンまで、ヒヤヒヤ・ドキドキ・バタバタのなんとも落ち着かない列車の旅でした。 -
ヨハネ教会の真向かいにあるホテルに到着。
いつものように私たちに分相応の質素な部屋。 -
洗面所が狭い。
旅に出たら自分のものは洗濯してくれる夫から、これじゃ洗濯できないよーって文句が出そう。 -
でも部屋の窓からはヨハネ教会が目の前に見える。
さあ、それではザールブリュッケンの観光に出かけましょう。
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この旅行記へのコメント (8)
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- salsaladyさん 2018/04/26 09:28:09
- レジスタンス~許そう!しかし忘れまい~
- ☆実はこの次にアップされている“ベルリン探訪記”にコメントしようと思いつつ、とても勇気が出なかった。。。himmelさんの旅行記は生真面目!だから。。。
☆ナチスの記憶を決して忘れること無くいつも反面教師としてアウシュビッツを残しているドイツ国民に見習わなくてはいけませんね。日本人として過去を風化させる事ばかりで生き急ぐ姿勢が嫌だ!
☆しかし、これ程の施設?に訪れる人が少ないことも事実で~果たしてドイツの国民感情はどんなものでしょう?観光地ばかりでドイツ人の現実は判りません~see you~
- frau.himmelさん からの返信 2018/04/28 21:09:00
- RE: レジスタンス?許そう!しかし忘れまい?
- salsaさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
> himmelさんの旅行記は生真面目!だから。。。
え、そうですか?自分では生真面目なんて思っていないのですけど・・・。
ただ、旅行記はちょっとカムフラージュしているところがありまして。
私の写真があまりにもひどいので、それをカバーするために生真面目なコメントで隠してしまおうかと・・・(笑)。
それに下手の横好き、歴史に興味があるものですから。
アウシュヴィッツやナチスの愚行など、実際にそれが行われた歴史の場所に立つと、改めて、この記憶は決して忘れてはならないのだ、と思いますね。
なんて、salsaさんと、こんな真面目な話をしていたら、salsaさんも生真面目な方に思えます。
それから、salsaさんもご出身は九州ですか?
himmel
-
- jijidarumaさん 2018/03/22 01:04:25
- メス/メッスとはメッツの事かと聞く!
- himmelさん、
こんばんは。まだまだ旅も中盤ですか?
次の旅も気になる事でしょうね。
さて、外国語は面倒なもので、メス/メッス、そしてメッツもあるわけで、
若い頃にパリからここを通過し!アルザス(エルザス)からドイツに
走ったことが記憶に残ります。当時、メッツと理解していた町です。
私の中の世界史では、1870年普仏戦争の際にプロイセン軍がナポレオン3世
旗下の仏軍に連戦連勝したという歴史であり、その中でも大きな戦いであった
メッツ会戦(攻囲戦)、セダン(Sedanスダン)会戦の名で覚えています。
ザールブリュッケン観光はどんな形になるのでしょう。
第一次大戦及び第二次大戦後も、其々長い期間の後、1935年、1957年の
住民投票でドイツ領に復帰しているのが特筆されますね。
jijidaruma
- frau.himmelさん からの返信 2018/03/23 20:21:01
- RE: ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い(笑)
- jijidarumaさん、こんばんは。
そうなんです。私も抵抗ありました。
どうしてもドイツ語読みでメッツと言いたくなりますよね。
私がメッツと書いたら、あるところでメスですよ、って直されたのです。
でも私はメスと言う言い方がどうしてもいやで(笑)、メッスと言う表記もあったので、この旅行記ではメッスで通しています。
旅行記の中のどこかに、メッツのままで修正を見逃している箇所があるかもしれません(笑)。
ザールブリュッケン、ここも複雑な歴史に彩られた町なのですね。
どういう風に旅行記にまとめればいいのか、今悩んでいる最中です。
ザールブリュッケンは10年以上前にフェルクリンゲンの遺構を訪ねた折にちょっとだけ立ち寄りました。
あのころはよかったー。
旅行記など念頭になかったころでしたから、気楽に観光できましたから(笑)。
jijidarumaさんのご旅行記、ザールラントとプファルツのワイン街道の旅、今回私が回った地域と重なりそうで、なかなか重なりませんね。
さて、私もザールブリュッケン頑張らなければ・・・。
himmel
-
- ハッピーねこさん 2018/03/21 18:15:01
- 素通りしただけのメッス・・・
- himmelさん、こんにちは。
2012年にルクセンブルクからアルザスへ移動した際
メッスを通りましたが、列車で通過したのみでした。
あんなに素晴らしく、歴史に彩られた駅舎だったのですね。
見てみたかったです。
そして、駅構内のオブジェをあそこまでお調べになれるなんて、
さすがhimmelさん!
私ならふーんと写真を撮って終わってしまいます、きっと。
あのペダルを漕いでスマホのバッテリーを充電する自転車は、
私も確かストラスブールの駅で見ました。
あの地方ではポピュラーなのでしょうかね。
ハッピーねこ
- frau.himmelさん からの返信 2018/03/21 21:33:14
- RE: 素通りしただけのメッス・・・
- ハッピーねこさん、こんばんは。
いつもコメント、ありがとうございます。
なるほど、ルクセンブルクからだったらメッスを通りますものね。
メッス駅はほんの45分ほどしか滞在しませんでしたが、強烈な印象を残してくれました。
いずれ、リベンジしたいと思いますが、そんなチャンスが訪れるでしょうか。
あの4人並んだフツーーのどこにでもいそうなサラリーマン風のオブジェ、あんな歴史が秘められていたなんて、私もびっくりしました。
旅ってそんな思いがけない出会いがあるから面白いのですね。
あのペダル漕ぎ充電自転車、ストラスブールでもご覧になったのですか?
私は初めてだったので、あのペダルを漕ぐと何が始まるんだろう?音が出るわけではなし、座席が高くなるのでもないし・・・、と不思議に思っていました(笑)。
ハッピーねこさん、GWにまたお出かけになるんでしょう?
楽しい計画を立てていらっしゃる頃だと思います。
では、また。
himmel
-
- ベームさん 2018/03/20 11:49:24
- メッス駅の由来。
- himmelさん、
メス/メッスにも足を延ばされたのですか。でも駅だけで終わったのは残念でした。2時間も時間をとれれば市内を廻れたのに。シャガールのステンドグラスのある大聖堂、ジャン・コクトーのステンドグラスのある教会、ドイツ人の門など結構見どころがあります。
駅の由来は勉強になりました。私が訪れたのは2014年6月頃でしたので、ジャン・ムーラン像は無かったのですね。駅構内のステンドグラスでダルムシュタットのマチルダの丘を思うなんて連想力がすごいです。
今花粉の舞う最盛期です。4月中旬まで家で膝を抱えています。海外は今年はきっぱり諦めました。
ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2018/03/21 09:49:46
- RE: メッス駅の由来。
- ベームさん、おはようございます。
> でも駅だけで終わったのは残念でした。・・・
本当に残念でした。
出発前は途中下車して観光しようとしっかり計画していたのですが、コインロッカーがあるとかないとか、あやふやな情報しか見つけられず、止めてしまいました。
あの時は駅で積極的に探してみようという意欲がなかったのですが、旅行記を書いているうちに、メッス・・・、行くべきだったなーと猛反省しています。
これからあちら方面に行く機会があったら・・・とは思いますが、難しいでしょうね。
ジャン・ムーラン像、あれが駅にお目見えしたのは2014年7月ですから、ベームさんがいらっしゃってひと月もたっていませんね。
でもあの何事もなさそうな普通の像に、ナチス時代の黒い歴史が隠されていようとはちょっとビックリしました。
それにしても、マチルダの丘の5本の指に反応してくださるとは、さすがにベームさんだと思いました。
酷い花粉症だと仰っていましたね。お大事にしてください。
ベームさん、やはり今年は海外なしですか?
お互いに体力的に確かにきつくなってきましたからね。
とは言いつつ、私の方は今年は2回、ドイツ行が入ってしまいました。
無理をしないで行ってまいります。
himmel
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