2017/09/25 - 2017/09/25
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frau.himmelさん
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ザールブリュッケン。
前に一度だけ立ち寄ったことがあります。
2006年、ドイツでサッカーワールドカップが開催された年のことです。カイザースラウテルンで日本対オーストラリア戦を観戦の際に寄り道して訪れたのでした。
夫の希望でザールブリュッケン近郊の世界遺産、フェルクリンゲン製鉄所が立ち寄りの主目的でしたから、ザールブリュッケンは駅前を少し散策しただけでしたが、いかにもドイツらしい響きの地名はなぜか強く印象に残っていました。
ところがこのザールブリュッケンという地、歴史的にフランスと強いかかわりがあった地なのですね。
アルザス・ロレーヌ地方とは逆の意味で、ドイツ・フランスの間を行き来した波乱万丈の歴史を持っているのです。
第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約によりザールラント地方は国際連盟の管理下に置かれましたが、1935年の住民投票の結果、圧倒的な投票率でドイツ領に復帰しました。
喜んだのは第三帝国総統のアドルフ・ヒトラーでした。
彼はザールブリュッケンに「総統の贈り物」として州立歌劇場をプレゼントしたそうです。
第二次世界大戦後は、ナチスドイツの崩壊、ドイツの敗戦により再びドイツから分離され、フランスの管理下に置かれることになりましたが、再び住民投票の結果、ドイツに復帰することになりました。
アルザス・ロレーヌが、独・仏の間を何度も行き来して、大戦後、念願のフランス領になったのに対し、ザールブリュッケンは同じく独・仏の間で揺れ動いた結果、最終的にはドイツに復帰したことは大変興味深いことだと思います。
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ホテルにチェックインして、早速ザールブリュッケンの観光に出かけます。
まずはホテルの至近距離にあるラートハウスへ向かいました。
ラートハウス内にあるツーリストインフォメーションで、観光名所を教えていただき、地図をいただいて、私たちが向かった先は・・・。 -
ラートハウスの上階です。
ここに見たいものがあるのです。
広々とした廊下スペース、シャンデリアも豪華です。 -
ヴォールトの天井、豪華なステンドグラス。
市庁舎と言うより教会の中に紛れ込んだみたい。 -
鮮やかなステンドグラス。
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ステンドグラスの下の銘板。
1935-1945と年号が記され、その下には名前がすらりと刻まれています。
ナチスの第三帝国時代に犠牲になった方々のお名前でしょうか。 -
その近くには、身体中に文字が書き込まれたライオン像。
ライオンはザールブリュッケンの紋章です。
ザールブリュッケンは第三帝国時代、住民投票で90%以上の圧倒的多数の賛成でドイツ帰属を選択しました。
しかし、中にはヒトラー政治を危ぶむ人も多かったのです。 -
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私が探していたのはこの人?
ヨハンナ・キルヒナー(1989-1944)。違いますね~。
でもこの人物もナチスの反対運動に大変関係のある人でした。
ドイツ生まれの抵抗運動活動家。
フランクフルトでSPDの党員として政治活動をしていたが、1933年、ゲシュタポ(秘密警察)に目をつけられザールブリュッケンに逃亡し、そこで抵抗運動を続けていた。そのころはまだザールブリュッケンはフランス領でした。
しかし1935年、住民投票でザールラントがドイツに属することになり、身の危険を感じた彼女はパリに逃亡します。
ここでも抵抗運動を続けていましたが、時のビシー政権によって1942年に逮捕された。
そして1944年ベルリンのプレッツンゼー刑務所で処刑されました。
プレッツンゼーには2012年に訪れ、旅行記を残しております。
参考にしていただければ幸いです。
https://4travel.jp/travelogue/10741150 -
この胸像が私が探していた人物です。
ザールブリュッケンの市庁舎にナチスの抵抗運動で知られる「白バラ事件」の仲間、ヴィリー・グラーフの胸像があると調べておりました。
「白バラ事件」のことは2011年にミュンヘン大学を訪れレポートしましたので、大変興味がありました。
https://4travel.jp/travelogue/10572164 -
市庁舎で、ザールブリュッケンの現代史をちょっとだけお勉強して、街歩き再開です。
ここはラーツケラー。 -
市庁舎の裏通り。
二人のおばさまがおしゃべりに夢中になっています。
何度もフランス領になったザールブリュッケン、なんとなくフランスの優雅さも見え隠れします。 -
その先にはザンクト・ヨハン教会。
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サンクト・ヨハン教会のファサード。
こちらはカトリックの教会だそうです。
ホテルの近くの教会はヨハネス教会、同じような名前でなんだか紛らわしいですね。 -
ザンクト・ヨハン教会と立派な街灯。
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FCザールブリュッケンは、ドイツ・ザールブリュッケンに本拠地を置くサッカーチーム。
こんなところにファンクラブがあります。 -
案内板
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ドイツでよく見かけるジャガイモ料理のお店「KARTOFFEL」の愛嬌ある案内板。
その傍にはいくつもの石のモニュメントが置かれています。
椅子にしては座り心地悪そうだし・・・。
後で調べたらこの広場周辺には、彫刻家のプロジェクトチームにより、いろいろと石の彫刻が飾られているそうです。 -
街の中心の広場、ザンクト・ヨハンナー・マルクト。
またヨハンという名前、本当に紛らわしです。
この広場はザールブリュッケンの中心的広場です。
大勢の人が集まっています。 -
広場の中心はヨアヒム・シュティンゲルの設計した噴水。
バロック様式の優美な噴水です。
このフリードリヒ・ヨアヒム・シュテンゲル(1694-1787)はザールラントを代表するバロック建築家として有名です。
彼の作品はこれから街のあちこちで目にすることになります。 -
この広場のランドマークであるシュティンゲルの噴水は、第二次大戦のさなかには、コンクリートの覆いが被せられ空襲の被害から守られました。
また噴水の周りにも真っ白いバロック様式の建造物が並んでいます。 -
多くの買い物客や観光客が集まる中に、ストリート・パフォーマーが何やら準備をしています。
リュックの中から石ころをいくつも出して、これから何が始まるのでしょう。
気になるけど、すぐには始まりそうにないので、先を急ぎます。 -
ここはアルテ・ブリュッケ。
「古い橋」と言う意味ですが、文字通りザール川に架かる古い橋です。 -
鉄製の欄干など新しい橋のように見えますが、ザールブリュッケンで最も古い建造物だそうです。
1546年に神聖ローマ皇帝カール5世のために建造されたと言われています。 -
橋の欄干は美しいボール状のお花で飾られています。
この橋は歩行者専用。散歩している人も気持ちよさそうです。
向こうに見えるのはシュロス・キルヒェ、お城付属の教会です。
また橋の向こう側はアルト・ザールブリュッケン(旧ザールブリュッケン地区)と呼ばれる地域です。 -
そして小高い丘の上にはザールブリュッケン宮殿が見えます。
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橋の手前にあるこの建物は州立歌劇場。
第三帝国時代アドルフ・ヒトラーからプレゼントされたものだそうです。
1935年、国際連盟の管理下にあったザールラントの帰属を廻って、フランスかドイツかの住民投票が行われ、90%以上の人がドイツ帰属を望みました。
それに大変感動したアドルフ・ヒトラーが「総統からのプレゼント」として個人的に劇場を建ててあげたのだそうです。
1938年のこけら落としは、当然と言えば当然、ヒトラーお気に入りの作曲家ヴァーグナーの「さまよえるオランダ人」が演奏されました。 -
橋の上からプロムナードを眺めます。
黄葉がきれいですね。プロムナーデを散策する人も気持ちよさそ~~。 -
反対側方向。
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そしてザール川の上には船舶が停泊しています。
向こう岸には荷物を積み下ろししたザールクレーンの小屋。今はクレーンの姿は見えません。
そしてあの橋はヴィルヘルム・ハインリッヒ橋。 -
ザールクレーンもまたシュテンゲルの設計により建設されましたが、その後破壊され撤去されました。
しかし1991年、市民の寄付によってもとの姿に再建されました。 -
ここにも世界共通の悪しき風習。
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城壁と宮廷教会が見えてきました。
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この大通りはフランツ・ヨーゼフ・レーダー通り。
下に人物の説明があります。
フランツ・ヨーゼフ・レーダー(1909-1979)。
1959-1979年の20年間ザールラント州の首相を務めました。
彼が着任したのは、終戦後の住民投票でフランスからドイツに帰属することに決まって2年後のこと。まだ混沌としていたザールラント州と、ドイツ連邦(西ドイツ)との間で重要な活躍をしました。 -
城壁から顔を出した怖い顔の像、ガーゴイル(排水口)です。
これには面白い言い伝えがあります。
彼はパン屋でしたが、飢饉の時、店に押し掛けた貧しい人々を無情にも追い払ったため、彼は罰として、口から水を吐き出すガーゴイルにされてしまった、ということです。 -
ザールブリュッケン城付属教会。
15世紀に後期ゴシック様式で建設され、1743年、タマネギ型のドーム屋根が取り付けられました。
現在はザールラント博物館の一部分として利用されています。 -
階段を登るとそこには苔むした石の碑が。
ファシズムを決して許してはならないという警告の碑です。 -
住民投票で90何パーセントという絶対的多数でナチス政権を受け入れたザールブリュッケン、忸怩たる思いを抱えていたんでしょうね。
それにしても90何パーセントは凄い。
オーストリア併合の投票の際にも、ナチスへ有利な投票の誘導や、反対派の弾圧などがありましたから、ここでも同じようなことがあったと思います。 -
お城のテラスに出ました。
目に飛び込んできたのはザール川と目にも鮮やかな黄金色。
うわー、きれい!
テラスからはザールブリュッケンの街が一望できます。 -
眼下に見えるのはアルテ・ブリュッケ。
さっき市庁舎方面からこの橋を渡ってきたのね。
正面に見える塔は聖ヨハン教会。 -
黄葉した樹木だけではありません。こちらには紅葉も見えます。
下に見える道路はフランツ・ヨーゼフ・レーダー通り。
カールシュタット・デパートも見えるし、その後ろに見える塔は私たちのホテルの前のヨハネス教会。
ドイツの代表的自動車メーカー、ベンツの看板も見えます。 -
秋、真っ盛り。
ほんとにいい時期に訪れました。
春もいいけど、秋のドイツもいいですね~~。 -
すみません、同じような写真ばかりで・・・。
お城の見晴台からの眺めはもう最高! -
3人連れの観光客の方でしょうか、さっきから動こうともせずにただぼーっとザールの秋を眺めています。
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私たちももっとテラスからこの黄金色の風景を眺めていたいけど、まだ行きたいところはいっぱいあります。
お城の庭園の方から正面に向かいます。 -
ザールブリュッケン宮殿。
大変近代的な宮殿のように見えます。
周りの白亜のバロック様式の部分はともかく、正面の鉄骨とガラス張りの組み合わせの建築物など最近建てられたもののように思えます。
この宮殿は10世紀に築かれた砦が基になっているそうです。
バロック様式の基礎はバロック建築家フリードリヒ・ヨアヒム・シュテンゲル(1694-1787)が造りました。
シュティンゲルの名前はさきほどザンクト・ヨハンナー・マルクの噴水や、ザールクレーンで耳にしました。 -
第二次大戦の空襲で被害を受け、現在の形に修復されたのは1988年。
鉄筋ガラス張りのモダンな正面玄関は、ドイツ人の建築家ゴットフリート・ベームによって造られたものです。 -
その他の宮殿部分はシュティンゲルのバロック建築を踏襲したものです。
屋根を支える頭像。 -
それに窓ごとに飾られてるライオンの頭や紋章。
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ナチスの第三帝国時代、この宮殿にはゲシュタポ(秘密警察)の本部が置かれていました。
宮殿の横には歴史博物館があります。
この歴史館にその頃のことも展示してあるでしょうか?
中に入りたかったけど、今日は時間もないので明日ゆっくり訪れることにしました。 -
旧市庁舎。
1909年に近隣の地域と合併するまでアルトザールブリュッケンの市庁舎でした。
ここもシュティンゲルが手掛けたもの。
MDCCL(1750)という建設年の文字とアルト・ザールブリュッケンの紋章が見えます。 -
歴史的な案内プレート。
1)は1870年普仏戦争時のシュピシュランの戦い。
戦場後がこの近くにあるそうです。
2)ゲシュタポにより管理されていた収容所がザールブリュッケン近郊のノイエ・ブレムにあります。
その存在を旅行前の下調べの段階で知りましたが、ちょっとハードルが高そうなので今回はやめました。
3)この先はバロック通りと。
私たちはそちらに向かいます。 -
早速バロックの建築が見えてきました。
ザールブリュッケンは、ザール・プファルツ・バロック街道の中心都市です。
市内には宮殿や旧市庁舎、ザンクト・ヨハンナ・マルクトの周辺の家々など多くのバロック様式の建築物が点在しています。 -
バロック建築のFrieden krche(平和教会)
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ルートヴィッヒ教会。
これもシュティングルが設計したドイツを代表するバロック式教会のひとつだそうです。 -
教会ファサードの碑文。
1775年に、プロテスタント教会および宮廷教会として完成しました。 -
ここにその由来が記された碑文があります。
この教会はヴィルヘルム・ハインリッヒとその息子ルートヴィッヒ・ナッサウ=ザールブリュッケン侯爵の命でフリードリヒ・ヨアヒム・シュティンゲル(1694-1787)が造ったと。
大空襲により1944年10月5日に破壊されたが1946年に再建が始められた。 -
ルートヴィッヒ教会を取り囲む広場に建てられた優雅なバロック様式の建築物も、シュティンゲルが手掛けたものです。
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ルートヴィッヒ教会の前には、青く塗られたマルティン・ルターの像が。
1517年10月31日に、ドイツの修道士マルティン・ルターが宗教改革を起こしてから2017年の今年はちょうど500年の節目を迎える年です。
胸像の下にはルターのバラ。 -
台の横には、右側の人(①)は ルターと共に宗教改革を推し進めたフィリップ・メランヒトン(1497-1560)。
そして左側(②)は、ルターの偽名「ユンカー・イエルク」ですね。
宗教改革を宣言したルターはカトリック教会から破門され、皇帝からは異端者の宣告を受け、法の保護が受けられなくなりました。
そこで偽名のユンカー・イエルクの名前でヴァルトブルク城に匿われたのでした。
数年前、ルターを巡って旅をしたことを懐かしく思いだしました。 -
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そろそろお腹もすきました。
ヴィルヘルム・ハインリッヒ橋を渡ってザンクト・ヨハンナー・マルクト広場の方に向かいます。
ヴィルヘルム・ハインリヒ橋の名前は、侯爵ヴィルヘルム・ハインリヒ・フォン・ナッサウ=ザールブリュッケン(1718-1768)に由来しています。 -
下を通る道路はフランツ・ヨーゼフ・レーダー通。
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橋の上から。
結構しつっこいですね。 -
向こうに見えるのは先ほど渡ったアルテ・ブリュッケ(古い橋)。
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ここから見ると、土台の石造りの部分はさすがに1546年に建てられた古いものであると納得できます。
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橋を渡り切った先にはドイツを代表する二つの産業。
自動車産業のベンツと、ドイツ最大のビール醸造所「カールスベルク」。 -
カールスベルクに誘われたわけではありませんが、私たちが訪れたのはシュティーフェル・ブロイと呼ばれるビアハウス。
1702年に設立されたザールラント州で最も古い地ビール醸造所です。 -
ちょっと早かったせいか、お客さんはまだいない。
どうぞ好きなところに座ってねと言われて、陣取ったところは、ピカピカに磨かれた醸造タンクの前。 -
夫は目を輝かせてタンクに近づき、興味深そうにバルブの部分、計器の部分、醸造装置の設計図など写真に収めています。
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もちろん出来立ての自家製地ビールをいただきます。
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夫は0.5リットルの大、私は0.3リットルのヴァイツェンビアを。
大4.5ユーロ、小2.8ユーロ。 -
お料理は、私はザール地方名物だという肉入りクネーデルを。
ザワークラウトたっぷりの付け合わせです。
見栄えはあまり・・・ですが、美味しかったです。 -
夫は、ドイツへ来たら必ず食するアイスバインです。
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ナイフを入れるとホロリとお肉がほどけます。
夫はこのお店が気に入ったようで上機嫌。
どこでこのお店のことを調べたの?って私に尋ねます(笑)。 -
美味しいビールと美味しいお食事をいただいて、ほろ酔い気分でホテルに帰ってきました。
窓から見えるヨハネス教会の鐘楼から15分おきに鐘の音が鳴り響きます。
ちょっと煩いなーと思ったけど、窓を閉めると、そのうちそれが心地良い子守歌に聞こえて、ぐっすり眠ることができました。
窓からはさっき通ったベンツのマークも見えました(右下赤丸)。
結構近かったのですね。
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