2018/03/13 - 2018/03/13
67位(同エリア908件中)
玄白さん
ようやく春の足音が高くなり、花々が咲き誇る季節が始まった。昼間は所用で忙しかったが、ふと思いついて梅の花の撮影でもしようと思い立ち、午後3時過ぎに水戸の偕楽園に出かけ、梅林のライトアップを撮影してきた。桜や紅葉のライトアップは何度か撮影したが、梅のライトアップは初体験である。たそがれ時から宵の暗闇まで、昼間よりずっと観光客が減り静寂を取り戻した偕楽園で、梅の香りに包まれながら偕楽園の夜桜ならぬ夜梅の撮影を楽しんできた。
もう花の時期を過ぎているかと危惧していたが、今年は例年より開花が遅かったようで、ちょうど満開の絶好の時期だった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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水戸市内が渋滞していたため、偕楽園西側の桜山駐車場に到着したのが、5時15分前。梅桜橋という県道30号、常磐線を跨ぐ跨線橋を渡って園内へ。
この駐車場はHPでは有料駐車場となっていたが、平日の5時ということで無料だった。
(写真は、帰り際に撮影したもの) -
イチオシ
好文亭見学時間は5時まで。急いで好文亭に向かうが、途中の常磐線を見下ろす坂の上からのショット。ちょうど、特急電車が通過したので、撮り鉄の真似事!
まもなく日没だ。 -
夕日をバックに梅の花
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常磐線をはさんで偕楽園の反対側にある田鶴鳴梅林を見下ろす。
偕楽園が造営されたときはここは水田だった。田んぼにタンチョウ、マナヅル、ナベヅルの3種の鶴が1つがいずつ住みついていて、偕楽園の下に架けられていた橋を田鶴鳴橋と呼ぶようになり、この橋の名にちなんで名付けたものだという。 -
坂を上り切ると、好文亭が見えてきた。
好文亭の名前の由来は、晋の武帝の名言「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」ということにちなんで名づけられた。偕楽園の代表的花木が梅であることも、当然この故事に関連している。 -
いたるところに、風格ある梅の古木がある。じっくり眺めていたい気分を抑えて、とりあえず好文亭へ。
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偕楽園および、好文亭は1841年(天保12年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭の命で造営された広大な大名庭園と別荘である。斉昭は、自分一人が楽しむ所ではなく、民と 偕(とも)に楽しむ所にするという意図をもって、自ら偕楽園と名付けたという。
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園内には100種約3000本の梅が植えられていて、すべての梅の木に名前が付けられている。HPでは梅の木マップが用意されている。
(http://www.kairakuen.u-888.com/map/map_umehaichi.htm)
梅マップによると、好文亭料金所の隣りのこの梅は「月影」である。 -
イチオシ
ぎりぎり、間に合って好文亭の中へ。
好文亭は、太平洋戦争末期の1945年に水戸空襲で焼失してしまったが、1958年に再建された。だが、災難は続き、1969年には落雷により再び焼失したが1972年に再興された。
この枝垂れた梅は「高砂枝垂」。入り口脇の菊の間の灯篭の明かりが漏れている。 -
梅の木の間から夕陽が見えている。
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順路に従って建物内を見学。閉館間際だったので、人が少なくてよかった。
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入り口から入ると、菊の間、桃の間、つつじの間、桜の間、萩の間と、それぞれの花の襖絵で飾られた部屋が続く。これはつつじの間。
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桜の間
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萩の間。
これら3つの部屋は、藩主夫人のお付きの女官たちの控えの間だったそうだ。 -
紅葉の間。藩主夫人の座所「松の間」の次の間として使われた。
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花の襖絵の間がある建屋は奥御殿であり、太鼓廊下を渡って好文亭本体へ移動する。
外は日が落ちて黄昏時になっている。 -
好文亭から梅林を眺める。
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華燈口から東塗縁を望む。
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イチオシ
西濡縁。東西3間、南北6間の板敷の大広間で、藩主斉昭は、長生きした城下の老人たちを招き、ここで敬老会の宴会を催したりしていたという。
夕日が、板の間をも朱色に染めて、フォトジェニックな情景だ。 -
ちょうど夕陽が沈むところだった。西塗縁で、梅の間から日が沈むところを撮影していると、警備のオジサンがそばに来て、「良い写真になりそうですね」と話しかけてきた。だが、その目は「もう閉館の時間だから早く出て行ってくれ」と言いたげだった。
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淡く朱に染まった空をバックに梅の木を一枚パチリ。
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西濡縁に続いて茶室「何陋庵」が設えられている。その待合である。
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好文亭本館は2層3階建てになっている。2階は狭い武者控しかなく、3階に上がってみる。楽寿楼という眺めの良い部屋である。
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東側の梅林を望む。
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梅林の右隣りのポコポコと丸く刈り込まれているのはツツジである。偕楽園というと梅が有名だが、桜やツツジなど、春から夏にかけて他の花も楽しめる庭園である。
園内のライトが灯り、ライトアップの時間が始まろうとしている。 -
千波湖を望む。湖の中に噴水があって、さながらミニ・レマン湖のようでもある。
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好文亭を後にして、梅林の方へ。
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品種によって多少違いはあるが、おおむねちょうど満開の見頃を迎えている。
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ライトアップが始まった梅林の中を、絵になりそうなところを求めてぶらぶらさまよいながらパチリパチリと撮影。
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ときどきアップで。
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いちいち品種の記録は撮らなかったが、近くで見ると、花の色合い、形がさまざまであることがわかる。
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どちらかというと白梅の方が多いようだ。
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雰囲気を壊さないように、人工物のライトが丸見えにならないように、ヨシズのようなもので囲われている。こういう配慮はなかなか宜しい。
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園内にはあちこち、いろいろな石碑が建っている。これは遺徳の碑というもの。
明治維新の混乱期に第6台茨城県知事を務めた関新平(天保14年(1842)~ 明治20年(1887)の遺徳をたたえる石碑だという。
元佐賀藩士だった関新平は、当時失職の士族たちに官林を払い下げるなどして、士族の窮乏を救ったり、明治5年の水戸城焼失の嫌疑をかけられた士族の無罪に尽力したりした功績があるそうだ。 -
中門を通って、竹林の方に行ってみる。
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孟宗竹の竹林もライトアップされている。
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現在の観光客は交通の便がよい東門か南門から入るのが一般的だが、本来は北側の表門から入るのが正統だという。表門をくぐると、すぐにこの竹林に入り、その隣りは杉林になっている。その道を進むと好文亭、梅林へと続いている。これは陰(竹林、杉林)から陽(梅林)への変化を感じ取る庭園の設計思想なのだそうだ。
偕楽園の創始者、徳川斉昭は「偕楽園記」のなかで、「陰と陽の相反するものの調和によって、万物は健全育成するという原理に基づき、人間もまた屈伸して身体や心の調和を図り、修養につとめよ」という趣旨のことが書かれているそうな。 -
正統なルートとは逆を進み、表門に来た。
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もう一度、梅林の中を通って、南門駐車場の方に戻ろう。
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まだ青みが残る宵闇の空にライトアップされた梅の花はとても美しい。昼間とは違った妖艶ささえ感じられる。
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イチオシ
白梅に囲まれて、宵闇の空に浮かぶ紅梅の一枝。今回の「夜梅」では、この構図が一番のお気に入りかな。
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縦構図でも一枚パチリ。
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これから満開になる蕾をつけた梅もある。
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同じような構図だが、もう一枚。
昼間だと、人が入らないこういう構図では撮れない。 -
ちょっと変わった色合いの照明で青っぽくなった白梅。
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イチオシ
紅白ツインで。
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梅林中央付近にて
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枝ぶりの良い大きな紅梅の木。
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最後に、ライトアップされた好文亭をカメラに納めて、帰宅の途に着いた。
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