2018/03/06 - 2018/03/06
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スピアヘッドさん
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本命の高取城だけで300枚オーバーもの写真を撮っているので、おまけとして立ち上げることに。
主要部は様々な所で紹介されていると思うので、あまり紹介されていなさそうな部分をメインに載せます。
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高取町観光ガイドより、高取城までのハイキングマップと城絵図を入手できるので、行く前に印刷しておくことをお勧めします。また、高取町公式サイト(http://www.town.takatori.nara.jp/contents_detail.php?co=cat&frmId=473&frmCd=4-6-0-0-0)では縄張り図もダウンロードできます。
2万5千分の1地形図であれば、「畝傍山」になります。 -
07:28壷阪寺に着。
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駅からまっすぐと延びる道を行くと、土佐街道にたどり着く。
高取城の城下町は今なお雰囲気が残っていた。 -
現在、石川医院となっているこの門は、藩主の下屋敷表門が移築されたもの。
払い下げられたのだろう。 -
田塩邸は往時の武家屋敷が残っている。
左側の格子が横向きの窓を与力窓という。
長屋門。 -
田塩邸から土佐街道を少し離れたところに総門跡がある。
藩の家老・林家の屋敷跡に建てられたという。 -
土塀のみが現存しているようだ。
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植村家長屋門。
城代家老の屋敷で、現在は旧藩主の植村さんがお住いの様子。 -
なまこ壁というらしい。
なまこって海産物のこと? -
正面に見える尾根とその根元の山頂あたりが城域だろうか。
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まっすぐ進むと左手には砂防公園が見える。
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黒門跡。
ここから郭内。 -
石積みも残っているが‥。
黒門に関係するものかは不明。 -
黒門跡を過ぎてすこし歩くと左手側に削平地がある。
番所とかあったのかも。 -
宗泉寺との分岐から大手道を撮る。
とりあえず宗泉寺へ向かう。 -
宗泉寺。植村家の菩提寺。
別所郭の中心で、初代藩主である植村家政の屋敷があったという。 -
大手道に戻るとすぐのところで土砂崩れが起きている。
2017年の台風21号でいろいろ崩れてしまったらしい。 -
土砂崩れを乗り越える。
左手側に土留めらしき目地の小さい石垣が残る。 -
石碑を目印に本郭的に登りになる。
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七曲り。きれいに残る。
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七曲りの屈曲地には石積みがわずかに残る。
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七曲りを越えてすぐ左にはしゃもじ型の郭があった。
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さらに進むと沢沿いに石垣で固められていた。
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かつては石畳だったのかも、と考えてしまう。
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谷側には転落をしないようにだろう、石垣を基礎として固めている。
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城に近づいてきたなとワクワクする。
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薬研堀のようにV字だ。
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地点A
猿石。
築城するときに、飛鳥で発掘されてここまで引き上げられたのではないかと言われている。土台の石も古墳の葺石と考えられている。
タマのようなものもついているしオスなのだろう。 -
まずは先に猿石を左折し尾根続きの横垣郭に行く。
下の段もあるしかなり規模が大きそうだ。 -
地点B
二の門跡。
黒門が一の門ということか。
城絵図は内枡形状になっているが、現況ではそうは見えない。 -
地点C
結構登ったが、こんなところに水堀があった。
昨日の春の嵐で濁っているが。 -
地点C
門の裏の番所に当たるところの石垣だ。
3~4mほどの高さがある。 -
地点D
二の門跡の看板から少し入ったところから見る。
いい荒廃っぷりだ。 -
地点E
二の門のすぐ裏。
一段低いところが番所で、その上が侍屋敷。 -
地点F
侍屋敷は絵図では奥行き8間2尺、15mくらい。 -
通路には瓦片がたくさん落ちている。
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地点G
石垣の上には長屋が並び、内側は侍屋敷だった。 -
地点H
三の門跡だ。 -
地点I
侍屋敷の間を横堀が分断する。 -
地点J
斜面が崩れるのを防ぐ一段目に、上にスペースを作り出すための二段目ということか。
上まで15~20mくらいありそうだ。 -
地点K
井戸?
谷に四角い窪地がある。 -
地点L
正面は矢場門。
とりあえず国見櫓方面へ。 -
地点M
なるほど、大和国を一望だ。 -
左側の大きい山が畝傍山、
真ん中右寄りのおにぎり型が耳成山、
その右側の隠れ気味な低い山が天香具山。
大和三山だ。 -
左の二上山と右の信貴山の稜線の間に大阪平野が見える。
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地点N
忘れ去られた感じがたまらない。 -
地点O
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地点P
崩れている。 -
地点Q
松の門もまた枡形虎口だ。 -
地点R
宇陀門は枡形門であったらしい。 -
地点S
そろそろ石垣も高さを持ち始めた。 -
地点T
千早門。
松の門から千早門にかけての細尾根は、
これから行く石垣で要塞化された南側と、
土での普請も多い北側を唯一結ぶ。
そこに枡形門を3重に備えるあたり、堅固すぎるといわざるを得ない。 -
北側の郭で一度受け止め、細尾根上に3つの門を設けた、
北側からの侵攻を想定した縄張りであることが分かる。
となると南北朝時代の南朝(吉野)の前衛としての役割が見えてくる。
無論、当時はこんなでかい城ではなく、おそらく本丸周辺のみだったろうが。 -
地点U
右手には城代屋敷、左手の谷は三の丸、そして正面に大手門が。 -
すごいっすねー。
城下町から400mくらい高い位置にこれだけの石垣があるなんて。 -
大手門はきれーな枡形門です。
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地点V
二の丸虎口を入らないで、左(東)に石垣に沿って進む。
ここに門があった模様。名前はわからない。
白骨化した謎の頭蓋骨があった。 -
地点W
やはり天守台は規模も美しさも素晴らしい。 -
谷底を見ると、谷をせき止めるように石垣が並んでいる。
往時は水をためていたのだろうか。
絵図には井戸も見える。 -
地点X
右上は本丸の腰郭の北虎口があるはず。
今立っているところはその馬出しのはずなのだが‥
もしかしたらさらに1段下、すなわち石垣の上が馬出しかもしれないが今となっては不明。
本丸の北東側に広がる広大な曲輪への入り口は見つからなかった。 -
地点Y
本丸と二の丸を結ぶ巨大な土橋の上には巨大な外枡形が存在する。
左側に見切れているのは枡形門を形成するうちの一つ、新櫓の櫓台跡。
右に下っていくと七つ井戸。 -
上記の巨大外枡形に侵入するためには、
さらにその外側の枡形を突破しないといけない。
連続外枡形というやつだ。
ここの石垣は絵図にない。
右の石垣が太鼓櫓の櫓台だ。 -
超デカい枡形空間。
土橋というより、尾根を完全に削って二段にしただけのようだ。
手前側には巨大外枡形の中に小さい枡形があったことが見て取れる。
やばい。 -
振り返るとこんな感じ。
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何枚か前に載せた本丸腰曲輪の北虎口。
3×3くらいで道幅は1.5mくらいだがどのような虎口を形成していたのだろう。想像できん。
それに下からどうやって上がるのだろう。
かなりの傾斜があるぞ。 -
振り返る。
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地点Z
最初は低い石垣で、改修の際に高石垣を形成した、
あるいは、高石垣が崩れるのを防ぐために低い石垣を巻いた、
ともとれる。 -
高いほうが加工もしっかりされた美しい算木積みなため、新しく感じられる。
しかしそうなると石垣の高さが変わることになる。
つまり高石垣の奥から1折れ、2折れは地盤まで達しているが、
一番手前は低い石垣の上に立てたことになる。
低い石垣の内側を削って地盤から石垣を積みなおすわけにもいかない。
低い石垣は高石垣を強化するために積まれたとみていい。 -
天守台の穴倉(地下室)入り口。
地下室に直接入れる構造って意味が分からない。
地下一階から階段でも続いていたのだろうか。
2m四方くらいしかないが。 -
やはり後からのようだ。
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模様つきの瓦発見!
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三の丸から東側の谷に降りていく。
正面には3段の石垣がある。
一番上の石垣は大手門に続く。 -
白濁とした井戸が。
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盛岡城の榊山曲輪に似たV字型の曲輪。
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崩れてはいるが、喰い違い虎口だ。
細かいところまで見るものを楽しませてくれる。 -
吉野口郭という城内最大の曲輪。
とはいっても、曲輪内に2mほどの高低差を持つ。 -
曲輪の先端の石垣。
先端から少し右後ろに進んだところに石垣の切れ目があり、そこから石垣に沿って進む。
ピンクテープはついているが侵入は自己責任で。 -
振り返ると大きな堀切がある。
その向こうにも曲輪がありそうだ。 -
堀底に立つとこんな感じ。
こういうのを山城好きは探し求めて歩くのだ。
しかし、一人で行くと規模がわかりやすいように写真を撮るのが難しい。 -
ピンクテープの木の根元が堀底なので、6m近く掘り下げているのでは。
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堀の向こうの曲輪にも結構平らかつ大きい曲輪がある。
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堀の斜面には瓦の破片に家紋風のものが残っているものを発見。
三つ巴だろうか。
古くから源氏に信仰される八幡宮などがよく三つ巴紋をもつ。
高取藩の植村氏は、清和源氏土岐氏の末裔が遠江国植村に移り住んで名乗ったというので、信仰している神の紋をつけても不思議ではないし、あるいは神社自体あったのかもしれない。 -
陶器の破片だァー!
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吉野口門跡。
斜面に沿って石垣が組まれている。 -
5~6m近く下まで積まれている。
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そのまま先に進むと、開けた場所に出る。
まったく関係ないところに吉野口門跡という看板が。
ここではないですよ。 -
看板の後ろには大きな堀切がある。
地理院地図ではここから車道に出る道があるということなので少し行ってみたが、一つ目の沢状地形から先にはどうあがいても行けそうにない。 -
戻ってさらに進むと、石垣で城側を固めた堀切に遭遇した。
ここから先には遺構はなさそうなので、ここが南端だろう。 -
二の丸の西下の腰曲輪。
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おお。
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壺阪口門跡。ここから南西に伸びる尾根を進むことになる。
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車で行くとこんな景色を最初に見ることになる。
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左下のここだ。
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堀切跡を利用するようにして車道が走るが、遺構のありそうな尾根沿いの道に戻る。これは後世のもので間違いない。
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ムムッ。
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八幡社らしい。
ここに祀られていたのか。 -
こんな感じで堀切を利用した道路が通る。
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大淀古道というらしい道を通って壷阪寺へ。
高取町の南側に大淀町があるそう。
しかし、大淀川は宮崎だしなぜ大淀?と思って調べてみた。
ウィキでは『「大北」(村長名)の「大」と下渕の座頭渕の「淀」を合わせて「大淀」とした』とある。
下渕は下市口駅あたりの地名らしい。 -
ようやく壷阪寺に到着。
お疲れ様。
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