2018/02/27 - 2018/03/02
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hidemi.yさん
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3泊4日の行程で、日本列島南西端に位置する琉球列島の沖縄本島を旅行し、冬の青い海と白砂ビーチを満喫しながら世界遺産に登録された計9か所の城址(グスク)を制覇してきました。
沖縄という地名の由来は定かでないが、「沖あいの漁場」を意味する説と、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する説とがあるらしいです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 2.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- Agoda
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-
沖縄本島の空の玄関口の那覇空港へは、中部国際空港から日本航空グループの日本トランスオーシャン航空 JTA045便(8:45発11:15那覇空港着)を利用しました。
そもそもこの旅行は、消滅するマイルを費消する目的で企画し、格安のホテルと格安レンタカーを予約して出発、まず沖縄旅行では外せない首里城公園へと向かいました。
首里城は、15世紀前半、沖縄本島にあった3つの王国を統一した尚巴志(しょうはし)の居城に始まり、統一後は、尚巴志を王とする琉球王国が誕生し、首里城は琉球王国の王城となったもので、太平洋戦争と琉球大学建設により破壊され、僅かに城壁や建物の基礎等の一部が残っていたようです。
近年になって遺構が復元され、NHK大河ドラマの舞台になる等して復興が進み、復元部分の正殿や門、御嶽、城壁等を除いて「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたそうです。 -
レンタカーを首里城公園の地下駐車場に止め、階上の首里杜館から少し歩くと守礼門が見えてきます。
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門をくぐるとその先の通路の脇に、世界遺産の一つの園比屋武御嶽石門があります。
御嶽(うたき)とは、琉球信仰における祭祀などを行う聖域の総称とのことで、ここの琉球石灰岩で作られた門は、王の外出の際に安全祈願をしたという神への礼拝の門だそうです。
尚、石門の裏には何もありません。 -
そして奥へ進むと曲線に積まれた圧巻の城壁が迫って来ます。
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スロープを上り詰めたところに城郭内へ入る第一の正門、勧会門(かんかいもん)があります。
歓会とは、歓迎するという意味で、招いた中国皇帝の使者を歓迎するという意味で、この名が付けられたそうです。
両脇に一対の石獅子(いしじし)が並び置かれ、これは魔除けの意味だそうです。
そして勧会門から城内に入ると東シナ海が一望でき、この先、次々と歴史ある門をくぐりながら、有料エリアの正殿へと向かいます。 -
次にくぐったのは第二の門の瑞泉門(ずいせんもん)。
瑞泉とは、「立派な、めでたい泉」という意味らしく、ここも門の両脇に魔除けの意味で一対の石獅子が並び置かれています。
事前計画では、この門をくぐる前に、王宮の飲料水として使われていた中国からもたらされた約500年前の龍の彫刻の口から湧水が湧き出している龍樋(りゅうひ)と周辺の「冊封七碑」という七つの石碑を見学するところ、高台の瑞泉門に気が引かれて、つい飛ばしてしまい残念。 -
次は、更に高台にある第三の門の漏刻門(ろうこくもん)。
漏刻とは中国語で「水時計」を意味し、門の上の櫓に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったといわれるらしい。 -
続いて朱塗りの廣福門(こうふくもん)。
廣福とは、「福を行き渡らせる」という意味で第四の門にあたり、建物自体が門の機能をもっているとのこと。 -
城内下之御庭(しちゃぬうなー)内で、まず目を引いたのは首里森御嶽(すいむいうたき)。
下之御庭とは、「下の庭」という意味の正殿の「御庭」へ入る前の広場で、様々な儀式の控え場だったそうで、首里森御嶽は、神話によれば神が造られた聖地であるとされる礼拝所のこと。 -
次に向かったのは城郭の西側に築かれた物見台の西(いり)のアザナ。
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この物見台に旗を立て、漏刻門から報じられた時刻を更に鐘で報じたとのこと。
ここから那覇港や慶良間諸島方向の眺望抜群です。 -
続いて下之御庭に南側の石垣の先の京の内(きょうのうち)。
ここは城内最大の信仰儀式の場で、首里城発祥の地といわれ城を国家の聖地とさせている重要な場所であったとのこと。 -
京の内周辺の立て札
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続いて奉神門(ほうしんもん)。ここから有料エリアで大人は820円です。
「神をうやまう門」という意味で、正殿の御庭へ入る最後の門で、正面の3つの門のうち、中央は国王や清国からの冊封使等限られた身分の高い人だけが通れる門で、それ以外の役人は両側の門から入城したそうだ。 -
そして正殿の前の広場、御庭(うなー)。
ここは家臣らが謁見したり、中国からの冊封使を迎え入れたりするための城の中心部の広場。
広場内は、磚(せん)というタイル状の敷き瓦が敷かれ、色違いの列は儀式の際に諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていたとか。 -
続いての順路は、登城してきた人々の取次を行ったといわれ、飾られた「御涼傘」(うりゃんさん)という日傘が印象的な番所(ばんどころ)や棟続きの日本風の儀式が行われたという南殿(なんでん)。
更に渡り廊下でつながり国王が執務を行ったり、中国皇帝の使者や薩摩役人を接待したという御書院(ごしょいん)と王子等の控え所の鎖之間(さすのま)や庭園を見学。 -
最後に琉球王国最大の木造建造物で王が居住する中心部の正殿。
日本、中国、朝鮮等と交易を盛んに行って繁栄したことを物語る二層三階建てで、龍柱や、それに金色の龍の彫刻があしらわれた絢爛豪華な玉座(うさすか)等は見応えがありました。 -
そして右掖門(うえきもん)の脇を抜け、
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国王や家族が暮らす御内原(おうちばら)への淑順門(しゅくじゅんもん)の前を通り、
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かつて主に女性が使用した通用門の久慶門(きゅうけいもん)を経て首里杜館へと戻り、歴史的建造物を1時間半位でざっと見て回りました。
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その後、徒歩にて公園の西側にある世界遺産の一つ、琉球王国の歴代国王が葬られている玉陵(たまうどぅん)に行きました。
陵墓内の中室、東室、西室の3つの建築物を始め、珊瑚の破片が敷き詰められているという中庭に歴史を感じました。 -
続いて首里金城町石畳へと足を運びました。
ここは15世紀前半、第3代尚真王時代から造られ、16世紀には首里城の入口を起点に那覇港へ通じる主要道路となり、現存している石畳は、僅か約240mとのこと。 -
更に首里金城町の大アカギを見学して首里城公園に戻り、レンタカーを出庫して琉球王家最大の別邸だった識名園(しきなえん)に行きました。
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ここは中国様式と沖縄様式の折衷様式の建築物が美しい庭園で、中国皇帝からの使者の「冊封使(さつぽうし)」をもてなしたとも言われています。
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本日の歴史観光はこれまでとし、壺屋やちむん通り近くのコインパーキングに駐車させて個性豊かな工房が点在する通りを散策しました。
やちむんとは、沖縄の言葉で焼きもののことで、昔々琉球王府が各地に散らばっていた陶工を那覇市内の壺屋地域に集めたのがはじまりとか。 -
そしてそのまま徒歩で国際通りに出て、那覇最大の繁華街を散策し、通りで見つけた観光案内所で夕食場所探しをしたところ、通りの南側にある第一牧志公設市場の2階の食堂が安くて美味しいとの情報をゲット。
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さっそくのぞいてみたところ、1階は風情を感じる庶民の市場で、2階は数店舗の食堂がひしめき合うフードコート。
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元気の良いお婆ちゃんの客引きで沖縄なのに何故か「道頓堀」という屋号の食堂でソーキそば等を頂きました。
腹ごしらえをしたところで、車を出庫させて予約ホテルにチェックインしました。 -
チェックイン後、ホテル近くにあり日中に参拝を予定でした波上宮(なみのうえぐう)がライトアップされていることを聞き出掛けたところ、境内は夜間でも出入り自由でした。
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本殿の両側には狛犬ではなくシーサーが見守り、沖縄らしいです。
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参拝後にぐるりと回って波之上臨港道路から眺めてみるとその名の通り、海を見渡す崖の上に立っていました。
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