2018/01/27 - 2018/02/04
18位(同エリア67件中)
薔薇の咲く庭さん
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ここ数年のJALのマイレージがかなり溜まったので、行きたいと思っていたハワイに行くことにしました。夜の出発なのでビジネスクラスの特典航空券を取りたかったのですが、満席。したかなくプレミアムエコノミーで行くことになりました。
ESTAの取得、ホテルの予約、トロリーの予約等に思わぬ労力を要しましたが、旅はそこから始まっているのだと実感しました。個人旅行の魅力は何といっても自分で予定が組めること。しかし、予定通りにいかなくても自己責任です。滞在を楽しんだ日々でした。
1月27日(土) 成田発 JL780便 ホノルル着8:30 ホテル
1月28日(日) エッグスシンクス アラモアナセンター
1月29日(月) 真珠湾 アリゾナ号 ミズーリ号 太平洋航空博物館
バウフィン号博物館
1月30日(火) ビショップミュジアム ワイキキ海岸
1月31日(水) ダイヤモンドヘッド登山
2月 1日(木) ホノルル美術館 イオラニ宮殿 ハワイ出雲大社
2月 2日(金) フラダンス教室 ワイキキ海岸 ヒルトン花火鑑賞
2月 3日(土) ホノルル発 JL783便
2月 4日(日) 帰国17:15
出発する時には雪が積もっていた日本を離れてしばしの休日を楽しみました。暖かいハワイは楽園です。この旅行記は真珠湾を訪れた日の旅行記です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
真珠湾へ行き、アリゾナ号、ミズーリ号、太平洋航空博物館の3つに行くためには早朝に出発する必要がありました。イリカイホテルの前のバス停(Kalia Rd)を通る42番または20番のバスに乗って約1時間くらいでアリゾナミュージアムに行くことが出来ます。ホノルル発のツアーに参加する方法もありますが、自力で十分に行けるところです。
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バス停には時刻表はなく、来たバスに乗るという感じなのですが、それでは計画が立たないので、グーグルマップでバス停を通るバスを調べました。6:53amこのバスに乗る予定で、暗いうちにホテルを出ました。
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残念ながら、そのバスは予定時刻より早く来て、信号を待っている目の前を通り過ぎていきました。調べた時刻は正確ではないようです。しかたなく次のバスを待ち、次に来た7:23amのバスに乗って、真珠湾へ向かいました。乗車してからのバスの停車の合図はバスの窓側にあるひもを引っ張って運転手さんに伝えます。
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表示は前の電光掲示盤にされます。2018年1月29日月曜日 ちなみに料金はどこまで乗っても$2.5でした。シニアは半額です。
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バスの真ん中の扉は自動ではなく、ドアを押して降車します。見ていると力の弱い人は大変そうです。前のドアから降りていました。
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ワイキキを離れて、郊外へとバスは走ります。
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近づいてきました。20番のバスは空港を経由します。42番は寄らずにアリゾナミュージアムへ行けます。空港には寄らない路線なのでその分早く着くはずです。
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約1時間。8:20頃に着きました。入り口です。とにかく速足でチケットをもらいに行かないと、待ち時間が2時間とかあると時間切れになるので・・・
年間100万人の人が訪れています。 -
入り口に兵士?らしき人が立っていて、右へ行って荷物を預けるように指示を受けました。荷物を預けないと入り口から入れません。軍の施設だからです。
荷物の預かり代金は1つ$5。トイレを済ませて入り口に戻りました。
持って良いものはカメラと財布、水だけでした。透明な袋だと持ち込みができるような感じは受けませんでした。
ラッキー!! 待ち時間ゼロで8:30のチケットがもらえました!
これを手に入れるために早起きをしたのです! -
最初に映画を見ます。20分位。
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内容は戦争の記録映画です。
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真珠湾が攻撃される前の軍や町の様子は平和な南の島であったこと、攻撃を受けた後、様子の変化を記録した動画でした。「真珠湾を忘れるな」この言葉が何回か出てきました。太平洋戦争には重要な合言葉であったことが分かりました。
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その後、船に乗って、アリゾナへ向かいました。
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船の中はアメリカ人がほとんどです。東洋人は2組だけでした。アリゾナはアメリカ人にとって聖地なのです。1962年5月30日に国定の慰霊碑になりました。
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ミズーリ号が見えてきました。アリゾナとミズーリが同じ湾にいることに賛否両論があったそうです。
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乗ること15分余り。白い建物に着きました。星条旗が翻っています。
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そして、これがよく画像に出てくる砲台。この下にアリゾナ号は沈んでいます。
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沈んだ船を横にまたぐようにしてこの白い建物は海に浮かんで建てられています。この建物には200人くらいが乗れるようです。
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そして、アリゾナの涙と言われる油。今でもアリゾナから油が流出しているのです。
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匂いがかなり強烈で、重油の匂いが建物の中を漂っていました。
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この下には1102名の方が船とともに眠っています。生存者は75名でした。
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1941年12月7日に攻撃を受けたことから、横の7つの窓と7つの天井窓が作られています。
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奥へ進むと、亡くなられた方のお名前が大理石に刻まれていました。
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アメリカ合衆国海軍。 とても多くの人が亡くなられています。奇襲攻撃をした日本から来てこれを見ると複雑な気持ちです。過ちは二度と繰り返してはなりません。
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生きていらっしゃれば90歳を超えているかと思います。
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アリゾナ号に乗船していて生き残り、亡くなれた後、遺骨をアリゾナ号の上に散布された方々は下の方の大理石に名前を刻まれていました。2017年が最新でした。この船とともに沈むはずであったけれど幸いに生き残れた方は、残りの人生を大事に生きられたことでしょう。そしてアリゾナに戻ってこられたのですね。
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かってはお花がたくさん手向けられたそうですが、環境汚染の関係で今はできないとのことです。
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アリゾナ号の上をまたいで建物は立っているので橋のような感じです。
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アリゾナ号から見たミズーリ号です。船首をこちらに向けて敬意を表し、アリゾナを見守っているそうです。太平洋はミズーリの向こう側にあるので本来なら船首を太平洋側に向けて停泊させるそうですが、それではアリゾナに船尾を見せることになるので、向きを反対にしているそうです。
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次に迎えに来てくれた船でアリゾナ記念館を後にしました。居ようとすればいられたのですが、まだミズーリ号や太平洋航空博物館へ行く予定があるので引き上げました。
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ボートには最後尾に乗ると最後にアリゾナとミズーリの両方が見えると旅行記に書かれた方がいたので、後ろの方に乗って撮った写真です。
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途中でアリゾナに向かうボートとすれ違いました。100人位乗れるでしょうか?
一日に4000人まで見学できますが、ツアーがほとんどのチケットを持っていて、個人で行くと残りの1300枚分のチケットの中からゲットしなければなりません。それゆえに、待ち時間が3時間と言うことが起きるのです。戻ってみると、受付付近はたくさんの人でごったがえしていました。間一髪という感じです。 -
次はミズーリへ向かいました。バスで向かいます。ミズーリと太平洋航空博物館は有料です。チケット売り場でチケットを買いました。クレジットカードで買う場合はIDの提示を求められます。パスポートのコピーを用意しておいて正解でした。
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ミズーリはフォード島に横付けされているので、フォードアイランド橋を渡っていきます。
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約10分位でバス停に着つと、目の前が入り口です。
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階段を上がり船の甲板に着くと、
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受付がありました。ここで10分程後に日本語ツアーがあるというので待ちました。
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ちゃんと日本語バージョンのパンフレットがありました。ミズーリは真珠湾攻撃の1941年12月7日にはまだ造船中でニューヨークにいたそうです。
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10分後にガイドの「あついさん」と言う方が現れて、もう一組の方たちと一緒に案内してくれました。船首に向かいます。
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ミズーリの幅は32mしかありません。長さは270mありますが。理由はパナマ運河を通るためには32mが限界だったそうです。
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確かに来ました。
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太平洋戦争では室蘭の製鉄所にこの主砲で打ちこんだそうです。その後湾岸戦争、朝鮮戦争に出動しています。射程距離37kmだそうです。
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すぐ下に砲弾が置かれていました。発砲する時に船は大きいので揺れませんが、爆薬の爆風がすごいので近くにはいないようにしていたそうです。
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船の壁に打ち込んだ砲弾の数が記録されていました。289発です。湾岸戦争でイラクに撃った数?
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階段を上がります。
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ミズーリ号が有名なのは、なんといっても降伏文書調印式が東京湾で1945年9月2日にこの船上で行われたことです。マッカーサー元帥が座っています。マッカーサーはここでコメントをしたそうです。
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右側に日本の代表、時の外務大臣 「重光 葵」と大本営の11名の代表団です。20番が確かに重光です。燕尾服で臨んだのですね。軍人ではありませんから。
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20)葵 重光 と表示されていました。
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その時の記録写真です。堂々としています。敵陣へ乗りこむのですから大変な覚悟で来たと思います。
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重光さんは足が悪くさっきの階段を上るのに時間がかかり2分遅れて調印式を開始したそうです。
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重光さんはサインを一番最初にしました。
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次々に署名をしています。
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この署名用紙は勿論レプリカです。
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重光 葵、 梅津 美治郎のサインがあります。その下が空いていますが、誤って記入した国があったそうで、一行ずれてしまいました。そのことは文書が無効にならないかと日本の代表団は抗議したそうです。
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本来は8月末を予定していたそうですが、台風が来てしまい9月2日に延ばさざるを得なくなったそうです。その後、ミズーリはアメリカに戻り、重要な式を行ったメモリアルとしてこの銘鈑を甲板に作ったそうです。
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歴史的に価値ある所にきました。
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船尾の方に向かうと
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船の脇が少しへこんだところがあります。
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左の端に飛行機が突っ込んできています。昭和20年4月11日に神風特攻隊の一機がミズーリに突入した記録写真です。その衝突跡です。「永遠の0」の映画はこのような事実を基に書かれているそうです。作者はこのミズーリを訪れているそうです。
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その後に調べて石野さんと言う方が突っ込んだと言われています。写真が飾られていました。
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飛行機は甲板で延焼しましたが、3分ほどで消し止められました。その時の船長は、
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彼を水葬することを提案します。部下たちは敵国の兵士を水葬することに反対しました。船長は自分が国のために戦い、敵国で亡くなった時にどのように葬られるかを考えた時、同じ兵士として国のために尽くし、命を落とした兵士を葬ることは当然であろうと諭して水葬にしました。
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まさか星条旗で遺体を包むわけにはいかないと遺体を包む布が前夜に作られたそうです。日の丸です。船長には内緒で用意したという美談です。
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そんな美談がある一方、ミズーリは軍艦なのでトマホーク巡航ミサイルを32基装備しています。この箱の中に入っているそうです。発砲している写真がネットで公開されています。
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これは副砲を発砲している写真です。デッキ下の展示室にありました。
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船尾の方にある大砲です。見上げるとかなり大きくて迫力があります。
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デッキを階段で下りると水兵さんたちの食堂がありました。
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食堂は一つだけではありません。1500人からの水兵さんがいたのですから。
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食堂はいくつかあり、外の壁にはこんな黒板が。今日のメニューです。照り焼きステーキ・・・どんな料理でしょう?
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ゼロ戦の模型
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進むと神風特攻隊のコーナーがありました。これは出撃前の水杯の場面です。ここでこの写真を見ることができるなんて・・・驚きです。
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出撃する兵士。
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これは知覧の富屋食堂。ミズーリ号で見られるとは思いませんでした。
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内村旅館もありました。
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そして、遺書です。
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日本の人々の思いを紹介しているコーナーに感激しました。
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日本のために亡くなった人々への敬意を表しているのでしょう。
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このほかに船内の様子を紹介しています。理髪の様子です。
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ドーナツ屋さんもあったのですね。
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ベッドです。思ったより狭くて驚きました。こんな狭いところで十分に睡眠をとれたのでしょうか?
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上級士官になると少しベッドが広くなります。
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たくさんの書類やデータを使ってミズーリを動かしていたようです。このような部屋がたくさんありました。
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上級士官たちのリラックスルームのようです。テレビがあります。映っていたのでしょうか?
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水兵さんの洋服も展示されていました。スカートをはくと日本の中学生になりそうです。
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ミズーリの上を飛ぶ飛行機?
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面白い場所がありました。船内の郵便局です。郵便局があっても?
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投函した手紙が着くのは、いつ?
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郵便の種分けの棚もあります。
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デッキに再び戻ってきました。ここで海軍の催しが行われるそうです。船尾の方です。ここからはアリゾナは見えません。見えないところでするそうです。第二次世界大戦の時にはここに偵察機が置かれていました。
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再び船首に戻りました。船首から見えるアリゾナです。真珠湾に入港する商船は入港する際に甲板に正装で一列に並びアリゾナに向かって敬礼をするそうです。ミズーリの日本語ガイドさんが並んでいるのを見たと言っていました。
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ミズーリはここまでにして下船します。
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次の太平洋航空博物館へは再びバス停からバスに乗って、約10分位で着きました。バスは次々に来るので来たバスに乗れば着きます。
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かっての飛行機の格納庫であったそうで大きな建物です。大きくても冷房はしっかりと効いています。
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入館して少し進んで広い場所に出ました。すぐ正面にあったのは本物の日の丸。
アメリカに渡ったのですね。 -
山本五十六の画像があり驚きました。この方は真珠湾攻撃には重要な役割をしているので登場するのでしょう。
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最初に掲示してある飛行機は、
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ゼロ戦。ここで見られるとは思いませんでした。
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この機体は真珠湾攻撃に参加したゼロ戦ではないそうです。1942年に作られています。中島飛行機製作所で作られた500機目だそうです。ソロモン諸島で放置されていたものだそうです。
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これはゼロ戦が積んでいた爆弾。
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ゼロ戦は攻撃機なのでたくさんの爆弾は積めません。確実に爆撃をするためには高度な技術が必要だったことがわかります。目標物に急降下してぎりぎりまで近づき、爆弾を投下して急上昇するという説明図がありました。
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5機で隊列を作り、相手に与えるダメージを大きくする方法が取られていたようです。ゼロ戦が攻撃する方法をよく分析していました。勿論、こればかりではないと思います。
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アメリカ合衆国の飛行機も展示されています。大きさがまるで違います。カブト虫みたいに見えます。ゼロ戦をトンボに例えると。
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たくさん展示されていましたが、目的はゼロ戦を見ることでしたので後は付け足しです。外国でゼロ戦を展示しているのは珍しいことだと思います。
太平洋航空博物館で遅い昼食を取って、外に出ました。 -
建物の前にあった塔です。敷地内はアメリカ合衆国の軍の敷地なので、民家は見えませんでした。空がきれい!
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再びフォードアイランド橋を渡って、オアフ島に戻りました。きれいな真珠湾です。12月7日もこんな良い天気だったのでしょうか。
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さて、橋を渡って戻りましたがまだ時間があるので、バウフィン号博物館に行くことにしました。料金は別料金でした。また朝チケットを買った売り場に戻りました。バウフィン号(潜水艦)の先には星条旗が翻っていました。
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潜水艦なので本当に幅がありません。3mくらいでしょうか?
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中の計器は極めて複雑。よくこんなにたくさんの計器を誤りなく動かせるものかと感心します。
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中を通って外に出ました。やっぱり狭い。
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最後に展示されている人間魚雷「回天」を見ました。
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こんな非人間的なものをよく考えたものです。
さすがに水分補給したくなり、自販機で飲み物を買おうとしましたが、水は売り切れ。自販機もクレジットカードで購入できる機種でした。仕方がなく、好みではない飲み物を買いました。飲み物確保は大事です。 -
午後4時近くになっていたので、入り口はガラガラです。もう見学できる時間は終了しているので。
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帰りのバス停は、降りた場所とは違うところにあります。旅行案内書「地球の歩き○」に地図が載っています。地図の通りでした。たくさんの人がそちらの方に向かい、またバス停で待っているのでわかりやすいです。
20番のバスが来て、今度は空港を経由してイリカイホテルの前のバス停(Hobron Ln)で降りました。
ハワイを訪れたら一度は真珠湾へ行く必要があると思います。
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