2017/11/03 - 2017/11/11
74位(同エリア278件中)
クリスさん
4回目のスペイン。今回タラゴナ県には立ち寄らなかったが、仏領カタルーニャを含めたカタルーニャ地方のロマネスクの教会を訪ね歩く。
【旅程】--------------------------------------------------
11/3(金)~11/11(土) 7泊9日
1日目 羽田→バルセロナ(カルドナ泊)
2日目 アルティエス
3日目 フォア
4日目 アルジュレス=シュール=ラメール
5日目 アルジュレス=シュール=ラメール
6日目 ベサルー
7日目 ペラタリャーダ
8日目 ペラタリャーダ→バルセロナ→フランクフルト→羽田
9日目 帰国
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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サン=ミッシェル=ド=キュクサからは約60km。ホテルへの戻り道になる。カニグー山からの冷たい風が吹き下ろしてくる。
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海岸線は見えないが、遠くに見える林の先はもう海になる。
エルヌは先史時代からの歴史があるルーション一の古都。中世期にペルピニャンに首都が移るまではこの地方の首都であった。 -
ハンニバルの遠征時には、最初に陥落されたローマの都市として記録されている。またアラブ人がピレネーを越えて最初に攻撃されたのもこのエルヌだという。
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エルヌのカテドラル。聖エウラリアと聖ジュリア(Sainte-Eulalie-et-Sainte-Julie)を守護聖人として1069年に献堂された。
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1285年。町はアラゴン王国の支配下であったが、アラゴン十字軍(シチリア晩鐘戦争とも)によるフランス軍の襲撃により陥落。教会は放火略奪の対象となった。
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ゴシック以降の再建の手が加えられているが、ロマネスクの回廊部が良く保存されているという。
博物館形式になっているので、見学は有料で一人4.5エウロだった。 -
入口は後陣側の奥にある。通り道で見たロマネスク時代の古いアプト。
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先に見える階段を登った先が入口になる。
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これらはみな12世紀から14世紀に彫られた柱頭彫刻である。
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回廊では南に面した部分が一番古い12世紀
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それぞれプレート表示がされているが、東部分は14世紀になる。
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回廊をぐるぐる回って写真を撮っていたので、今思い返すとどの写真が南だったか分からなくなってしまった。
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この面はたしか14世紀だったかと?
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2通りのセイレーンがある。
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この柱頭は三博士礼拝の一場面。
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受胎告知と聖エリザベト訪問。
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十字架降下。
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石棺。
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司教と思われる像。
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大聖堂の内部。
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アーチ構造はロマネスクのまま。
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聖ミカエルの祭壇画。
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ロマネスクの洗礼盤
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エルヌの歴史を示す表示。
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青い表示のカタルーニャの時代が長い事がわかるかな。町の名前のエルヌはコンスタンティヌス帝の母親。聖エレナからとっている。
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エルヌの町もピレネー条約でフランス領に併合されている。
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表示盤の反対にあった授乳の生母。ガラスケースの中だったので表示の文字写り込んでいるのが残念。
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こちらはエルヌから約12km北。ペルピニャン郊外のカベスタニーの町。
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カベスタニー(Cabestany)の教区教会(Paroisse De Cabestany)。改装されているのでこの教会にはロマネスクの面影はないが、この教会にカベスタニーの職人の彫刻が残されている。出身地でもあり是非にと思ったが、何処にも見当たらない。ちょうど出会った隣の家の人に聞いたらイタリアの展示会に出張中とのこと。
↓がその展示会で当分戻らないそうだ。
http://www.mostralongobardi.it/site/home.html -
やっちまったな!
ところが、前日サン・ヒレール修道院でここにある彫刻の複製があり、それを写真に撮っていた。
これの原物を見れたはずなんだが、残念だけれど職人の出身地を見た事で満足しなければいけないか。
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