2017/11/03 - 2017/11/11
93位(同エリア287件中)
クリスさん
4回目のスペイン。今回タラゴナ県には立ち寄らなかったが、仏領カタルーニャを含めたカタルーニャ地方のロマネスクの教会を訪ね歩く。
【旅程】--------------------------------------------------
11/3(金)~11/11(土) 7泊9日
1日目 羽田→バルセロナ(カルドナ泊)
2日目 アルティエス
3日目 フォア
4日目 アルジュレス=シュール=ラメール
5日目 アルジュレス=シュール=ラメール
6日目 ベサルー
7日目 ペラタリャーダ
8日目 ペラタリャーダ→バルセロナ→フランクフルト→羽田
9日目 帰国
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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コルネイユ=ド=コンフラン(Corneilla-de-Conflent)からは3.5km。来るときは町の外を通り過ぎたが、今度は見学のため城壁の近くに車を停める。
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ヴィルフランシュ=ド=コンフラン(Villefranche-de-Conflent)。
人口は238人(2010年調べ)。
まずこの町は、フランスの最も美しい村の一つに登録されている。 -
更に「ヴォーバンの防衛施設群」として2008年に世界遺産登録されてる。ヴォーバン領主セバスティアン・ル・プレストル(1633年~1707年)はフランス軍人で築城の名手と謳われた。
彼の手掛けた要塞12箇所が施設群として登録されたが、その中でも最も南に位置するのがこのヴィルフランシュ=ド=コンフランになる。 -
これは西の城門。
ヴィルフランシュ=ド=コンフランの町は、1090年にサルダーニャ伯グリエルモ=レーモン1世(GuillermoRamónI)により創建されたとある。 -
コンフランはこの地域の郡名。町はテ川(Tet)の作る渓谷に沿って延びている。
写真に見える塔は、聖マルティン礼拝堂(Chapelle St MARTIN)の鐘楼である。 -
この町の支配権はカタロニアからアラゴン、スペインへと変遷していったが、1654年フランス軍による包囲戦の後1659年のピレネー条約によりフランスに併合された。
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お目当ての教会前に来た。
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聖ジャック教会(Église St-Jacques)。11世紀から12世紀にかけての建設であり当初は修道院であった。町に城壁が出来たのは15世紀に入ってからの事なので、建設当初とは現在とは異なった様相であったろうと推察される。
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扉口は5層に見えるが柱頭の数は2対になっている。
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この町は大理石の産地でもありカニグー修道院でもこの町の石材が使われたようである。
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ここでは扉口の柱頭彫刻が見ものである。
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これらの柱頭はカニグーの柱頭を復元する際に参考とされた。
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似通った彫刻があるのはその影響である。
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お昼休みで開かないのか、オフシーズンで閉鎖中なのかはわからないが、ここもまた振られてしまった。
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お昼時間なので昼食にする。お目当てのレストランは改装工事中で閉まっていた。開いていたこの店に入る。
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壁に飾られている旗は、カタロニア州旗と同じピレネーオリエンタル県の旗。
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元々はアラゴン王家の旗が元祖であるが、カタロニアとアラゴンはかって連合王国を形成していた。本来は血の絆を表しているのだが、現在ではオリジナルを巡る論争も起きている。
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今回の旅行ではお昼をまともな店で食べたのは、初日とこの日の2回だけだった。
写真は、前菜の盛り合わせ。 -
メインはピザで終了。
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城壁にそって散歩すると良いかもしれないが、私たちは次の予定があるので、割愛して引き上げた。
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町から見上げる山上に見えるのはリベリア要塞(Fort Libéria)。
1793年にスペイン軍が街を占領したが、同じ年フランス軍が奪還し防御のために築いたのがこの要塞といわれる。
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