鎌倉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 今回は、北鎌倉を散策しました。午後から来たのであまり見れませんでしたが、堪能しました。その上、非常にラッキーなことが起こりました。最高の至福の時を過ごすことができました。

紅葉を見に来た鎌倉へ行ってきました。

9いいね!

2017/12/09 - 2017/12/09

2960位(同エリア7323件中)

0

96

しゅいぐー

しゅいぐーさん

 今回は、北鎌倉を散策しました。午後から来たのであまり見れませんでしたが、堪能しました。その上、非常にラッキーなことが起こりました。最高の至福の時を過ごすことができました。

  • 昼から北鎌倉へ行ってきました。北鎌倉駅下車すぐの円覚寺へ行きました。

    昼から北鎌倉へ行ってきました。北鎌倉駅下車すぐの円覚寺へ行きました。

  • ぎりぎり紅葉が見れます。

    ぎりぎり紅葉が見れます。

  • たくさんの人で賑わっていました。

    たくさんの人で賑わっていました。

  • 紅葉も綺麗でした。

    紅葉も綺麗でした。

  • 円覚寺は創建以来、北条氏をはじめ朝廷や幕府からの篤い帰依を受け、寺領の寄進などにより経済的基盤を整え、鎌倉時代末期には伽藍が整備されました。

    円覚寺は創建以来、北条氏をはじめ朝廷や幕府からの篤い帰依を受け、寺領の寄進などにより経済的基盤を整え、鎌倉時代末期には伽藍が整備されました。

  • 室町時代から江戸時代にかけて、いくたびかの火災に遭い、衰微したこともありましたが、江戸時代後期(天明年間)に大用国師だいゆうこくしが僧堂・山門等の伽藍を復興され、宗風の刷新を図り今日の円覚寺の基礎を築かれました。

    室町時代から江戸時代にかけて、いくたびかの火災に遭い、衰微したこともありましたが、江戸時代後期(天明年間)に大用国師だいゆうこくしが僧堂・山門等の伽藍を復興され、宗風の刷新を図り今日の円覚寺の基礎を築かれました。

  • 明治時代以降、今北洪川いまきたこうせん老師・釈宗演しゃくそうえん老師の師弟のもとに雲水や居士が参集し、多くの人材を輩出しました。

    明治時代以降、今北洪川いまきたこうせん老師・釈宗演しゃくそうえん老師の師弟のもとに雲水や居士が参集し、多くの人材を輩出しました。

  • 今日の静寂な伽藍は、創建以来の七堂伽藍の形式を伝えており、現在もさまざまな坐禅会が行われています。

    今日の静寂な伽藍は、創建以来の七堂伽藍の形式を伝えており、現在もさまざまな坐禅会が行われています。

  • 三門は三解脱さんげだつ(空くう・無相むそう・無願むがん)を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払って涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされています。

    三門は三解脱さんげだつ(空くう・無相むそう・無願むがん)を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払って涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされています。

  • 仏殿は、円覚寺のご本尊が祀られている建物です。大正12年(1923)の関東大震災で倒壊しましたが、昭和39年(1964)に再建されました。禅宗様式の七堂伽藍の中心に位置する建物です。開山毎歳忌かいさんまいさいき、達磨忌だるまき、臨済忌りんざいき、祝聖しゅくしんなどの行事や毎朝の暁天坐禅ぎょうてんざぜんが、ここで行われています。

    仏殿は、円覚寺のご本尊が祀られている建物です。大正12年(1923)の関東大震災で倒壊しましたが、昭和39年(1964)に再建されました。禅宗様式の七堂伽藍の中心に位置する建物です。開山毎歳忌かいさんまいさいき、達磨忌だるまき、臨済忌りんざいき、祝聖しゅくしんなどの行事や毎朝の暁天坐禅ぎょうてんざぜんが、ここで行われています。

  • 選仏場とは、仏を選び出す場所という意味で、修行僧の坐禅道場のことです。元禄12年(1699)に伊勢長島城主松平忠充が、江戸の月桂寺・徳雲寺住職一睡碩秀の薦めにより、大蔵経を寄進するとともに、それを所蔵する場所と禅堂を兼ねた建物として建立されました。

    選仏場とは、仏を選び出す場所という意味で、修行僧の坐禅道場のことです。元禄12年(1699)に伊勢長島城主松平忠充が、江戸の月桂寺・徳雲寺住職一睡碩秀の薦めにより、大蔵経を寄進するとともに、それを所蔵する場所と禅堂を兼ねた建物として建立されました。

  • 本来は住職が居住する建物を方丈とよびますが、現在は各種法要の他、坐禅会や説教会、夏期講座等の講演会や秋の宝物風入など、多目的に使われています。

    本来は住職が居住する建物を方丈とよびますが、現在は各種法要の他、坐禅会や説教会、夏期講座等の講演会や秋の宝物風入など、多目的に使われています。

  • ここは、如意です。

    ここは、如意です。

  • 月に一度 昼食が食べることができます。予約は3カ月先までいっぱいでしたが、たまたまキャンセルがあり食べることができました。

    月に一度 昼食が食べることができます。予約は3カ月先までいっぱいでしたが、たまたまキャンセルがあり食べることができました。

  • これで、2500円の精進料理です。

    これで、2500円の精進料理です。

  • 紅葉を見ながら食事を楽しめます。

    紅葉を見ながら食事を楽しめます。

  • 非常においしかったです、

    非常においしかったです、

  • 京野菜の天麩羅

    京野菜の天麩羅

  • キノコのマリネ

    キノコのマリネ

  • 胡麻豆腐

    胡麻豆腐

  • 大根と湯葉

    大根と湯葉

  • デザートです。

    デザートです。

  • 食べすぎました。

    食べすぎました。

  • 円覚寺 ご朱印

    円覚寺 ご朱印

  • 食事処の名刺

    食事処の名刺

  • 続いて徒歩で建長寺へ行きました

    続いて徒歩で建長寺へ行きました

  • 開山大覚禅師は中国西蜀淅江省に生まれた。名は道隆、蘭渓と号した。

    開山大覚禅師は中国西蜀淅江省に生まれた。名は道隆、蘭渓と号した。

  • 十三歳のとき中国中央部にある成都大慈寺に入って出家、修行のため 諸々を遊学した。のちに陽山にいたり、臨済宗松源派の無明惠性禅師について嗣法した。

    十三歳のとき中国中央部にある成都大慈寺に入って出家、修行のため 諸々を遊学した。のちに陽山にいたり、臨済宗松源派の無明惠性禅師について嗣法した。

  • そのころ中国に修行に来ていた月翁智鏡と出会い、日本の事情を聞いて からは日本に渡る志を強くしたという。

    そのころ中国に修行に来ていた月翁智鏡と出会い、日本の事情を聞いて からは日本に渡る志を強くしたという。

  • 禅師は淳祐六年(1246)筑前博多に着き、一旦同地の円覚寺にとどまり、翌宝治元年に知友智鏡をたよって泉涌寺来 迎院に入った。

    禅師は淳祐六年(1246)筑前博多に着き、一旦同地の円覚寺にとどまり、翌宝治元年に知友智鏡をたよって泉涌寺来 迎院に入った。

  • 智鏡は旧仏教で固められている京都では禅師の活躍の場が少ないと考えたのであろう、鎌倉へ下向するよう勧めた。

    智鏡は旧仏教で固められている京都では禅師の活躍の場が少ないと考えたのであろう、鎌倉へ下向するよう勧めた。

  • こうして禅師は鎌倉の地を踏 むことになった。日本に来てから三年後のことと思われる。時に三十六歳。

    こうして禅師は鎌倉の地を踏 むことになった。日本に来てから三年後のことと思われる。時に三十六歳。

  • 鎌倉に来た禅師はまず、寿福寺におもむき大歇禅師に参じた。これを知った執権北条時頼は禅師の居を大船常楽寺にうつし、軍務の暇を見ては禅師の元を訪れ道を問うのだった。そして、「常楽寺有一百来僧」というように多くの僧侶が禅師のもとに参じるようになる。

    鎌倉に来た禅師はまず、寿福寺におもむき大歇禅師に参じた。これを知った執権北条時頼は禅師の居を大船常楽寺にうつし、軍務の暇を見ては禅師の元を訪れ道を問うのだった。そして、「常楽寺有一百来僧」というように多くの僧侶が禅師のもとに参じるようになる。

  • そして時頼は建長五年 (1253)禅師を請して開山説法を乞うた。開堂説法には関東の学徒が多く集まり佇聴したという。こうして、純粋な禅宗をもとに大禅院がかまえられたが、 その功績は主として大覚禅師に負っているといえる。入寺した禅師は、禅林としてのきびしい規式をもうけ、作法を厳重にして門弟をいましめた。

    そして時頼は建長五年 (1253)禅師を請して開山説法を乞うた。開堂説法には関東の学徒が多く集まり佇聴したという。こうして、純粋な禅宗をもとに大禅院がかまえられたが、 その功績は主として大覚禅師に負っているといえる。入寺した禅師は、禅林としてのきびしい規式をもうけ、作法を厳重にして門弟をいましめた。

  • 開山みずから 書いた規則(法語規則)はいまも国宝としてのこっている。 禅師は鎌倉に十三年いて、弘長二年(1262)京都建仁寺にうつり、その後また鎌倉に戻ったが 叡山僧徒の反抗にあって二回にわたり甲斐に配流されたりした。

    開山みずから 書いた規則(法語規則)はいまも国宝としてのこっている。 禅師は鎌倉に十三年いて、弘長二年(1262)京都建仁寺にうつり、その後また鎌倉に戻ったが 叡山僧徒の反抗にあって二回にわたり甲斐に配流されたりした。

  • 禅師はのち弘安元年(1278)四月、建長寺に再住、そして七月二十四日、衆に偈を示して示寂した。ときに六十六歳。

    禅師はのち弘安元年(1278)四月、建長寺に再住、そして七月二十四日、衆に偈を示して示寂した。ときに六十六歳。

  • 天井絵も素晴らしい

    天井絵も素晴らしい

  • 唐門

    唐門

  • 庭園も綺麗でした。

    庭園も綺麗でした。

  • 建長寺 ご朱印

    建長寺 ご朱印

  • 鎌倉に戻って、鶴岡八幡宮参道

    鎌倉に戻って、鶴岡八幡宮参道

  • 鳩サブレー

    鳩サブレー

  • 江ノ電に乗り、七里ヶ浜へ行ってきました。

    江ノ電に乗り、七里ヶ浜へ行ってきました。

  • 右奥が富士山です。

    右奥が富士山です。

  • 夕日が非常に綺麗でした。

    夕日が非常に綺麗でした。

  • 波も穏やかで気持ちよかったです。

    波も穏やかで気持ちよかったです。

  • 帰りは、藤沢へ行きました。駅前、ライトアップしていました。

    帰りは、藤沢へ行きました。駅前、ライトアップしていました。

9いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP