2015/01/21 - 2015/01/21
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junemayさん
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2015年10月の成田⇔奄美大島便が国内LCC利用の第1弾となりましたが、実はその前に予約してたLCCフライトがありました。はっきりとした記憶はないのですが、多分2015年の8月頃、中国資本の春秋航空が成田→佐賀便を開設するに当たり、特別キャンペーンを開催していたのです。
成田⇔佐賀便 就航記念キャンペーンでワンコイン!
えっ! 九州まで500円で飛べちゃうの? それは行くっきゃないでしょう。ところがです。キャンペーンページに飛んで、フライトを検索してみても、500円なんていう破格値はどこにも見当たりません。一体どこにあるんだろう??? と検索すること数分。
ありましたよ。ありました。5か月も先の行き2016年1月20日、帰り2016年1月27日。たった1便ずつの500円の設定が見つかりました。他のフライトは全て6000円以上なのに、この日のフライトだけ1ケタ確かに少なかった。キラキラッ☆!
考えることなくクリック。スケジュールも翌年の事なのですぐには入れられず。そのまま殆ど忘れかけていたのですが、新しい年のスケジュール帳を用意する頃になって、そう言えば、ポチッとやったわ と思い出し、寒い季節の九州横断の旅の計画を立て始めました。今回の旅は福岡と大分がメイン。予想外の雪で、楽しみにしていた国東半島には行けませんでしたが、のんびり緩い旅程で1週間、例によって知らない街をうろついて参りました。
1/20 東京→成田空港→佐賀空港→吉野ケ里遺跡→久留米
1/21★ 久留米→柳川→久留米
1/22 久留米→大分
1/23 大分→臼杵→大分
1/24 大分→別府→大分
1/25 大分→別府→大分
1/26 大分→日田→久留米
1/27 久留米→佐賀空港→成田空港→東京
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2日目の朝です。
昨夜到着時は暗くて見えなかったのですが、ホテルはLCCにマッチした?! お手頃価格の駅近ホテル エンナンホテル。部屋にあった内線電話機がなんと回転ダイヤル式だったので目が点になりましたが、考えてみれば最近内線電話なんて殆ど使わないもんね。使える間は古いものでも大事に使う精神は大いに結構。設備は古かったけれど、寝心地は良いし、サービスも悪くありませんでしたよ。 -
毎度おなじみのマンホールです。久留米市のマンホールは国の重要無形文化財、伝統的工芸品に指定されている久留米絣と市の花久留米ツツジのコラボです。
駅前のため、綺麗なカラー版に出会うことが出来てラッキー! -
今日は西鉄久留米から特急であればわずか20分の距離にある柳川に向かいます。特急は1時間に2本しかありませんが、各駅に乗ってのんびり旅と思っても無駄。どのみち途中で特急を待つか、通過待ちで追い抜かされる羽目になります。
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2015年のラグビーワールドカップでの活躍が目覚ましかった五郎丸選手と関係あるのかないのか・・・久留米のそばに「五郎丸」という駅発見!
調べてみたら、西鉄甘木線のこの無人駅は、やはり五郎丸選手絡みで駅詣でをする人達が一時増えたのだそう。出身とかとは全く関係ありませんでした。 -
特急に乗るタイミングが合わなかったため、約50分後にようやく柳川駅に到着しました。駅にある観光案内所で地図と情報を手に入れて、さあ歩き出しますか・・・
何でも駅そばにある船着場から柳川の観光の中心「御花」までどんこ舟で行くのが一般的なようですが、一人旅には敷居が高いかも。団体客歓迎なので、おひとり様はこういう時には不便ですね。 -
佐賀出身の友達が、東京のかば焼きよりずっと美味しいといつも言っていたうなぎの「せいろ蒸し」のお店を早くも駅前で見つけちゃいましたが、まだ朝早いからね。お昼の楽しみに取っておきましょう。
なんでも、蒸さずに地焼きにしたうなぎを、せいろに盛ったご飯の上に乗せて蒸すのだそうですよ。早くも涎が・・・ -
柳川市のマンホール。一番最初に遭遇したものは年代物で、図案がはっきりしなかったので、後刻出会ったマンホールにも登場してもらいましょう。
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上のものとは市章の有無の他、少しデザインが異なるようですが、こちらの方がはっきりくっきりとわかります。柳川どんこ舟に柳、そしてなまこ壁の建物。
バッチリじゃあございませんか。現在の柳川市は2005年(平成17年)に 柳川市、三橋町、大和町が対等合併して誕生したものです。 -
こちらは2005年の市町村合併以前のバージョンで、中央には旧柳川市のシンボルマーク。周りの房は隣接する旧三橋町の町花であったフジを表わしているそうです。二つの市と町が共同で制作した図案なんですね。
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古いバージョンにはカラー版もありましたよ。4枚連続マンホールって、もしかしてやり過ぎ?
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マンホールに見とれているうちに船着場に到着したのですが、やはりお客さんの姿なし。寒い季節だから舟にはこたつ完備。ぬくぬくと気持ちよさそうですが、一人じゃあ出してくれませんよねえ。待っていればどなたかいらっしゃるかしら? と思いながらも声をかけられませんでした。
こういう時にだけチキンハートな私。 -
題目通り「情緒漂う」・・・かどうかは分かりませぬが、船乗場は何か所かありました。でもこの鉛色の空に加えて平日だということもあり、客足もまばらです。
大した距離じゃなし、歩いて行こうかなあと、チキンハートは中をちらっと横目で眺めて通り過ぎます。 -
駅から北西の方角の、掘割沿いに船乗場が点在していました。城門観光川下りのりば傍にあったのが、こちらの三柱神社。運河に架った参道橋の前に、「三柱神社復興事業」の看板が立っていました。
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百戦錬磨の武将 初代柳川藩主 立花宗茂とその岳父 戸次道雪、道雪の娘で宗茂の妻となった誾千代(ぎんちよ)の三神を祀ったことから、三柱神社という名前になったとのことで、立派な回廊付きの拝殿、楼門などがかつては存在したのですが、2005年(平成17年)に、「大火を消したい」願望の柳川市消防団員によって放火され、全焼してしまったのだそうです。よりにもよって消防団員!!!
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広い参道が続きます。藩政時代にはここは馬場として使われていたのだそうですよ。奥にちらっと見えるのは水天宮です。
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松林のある広い心字池もありました。建物が少ない分、余計敷地面積が広大に感じられた神社でした。
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幸いにして本殿だけは火事の被害を免れたとのことです。今見えているのは放火から3年後に新しく建てられた拝殿です。
それからすでに10年近くたっていますが、今のところ改築工事が進んでいる気配はありません。1日も早い復興をお祈りしたいですね。 -
今度こそ舟に乗ろうとやってきたのですが、「城門観光川下りのりば」はご覧の有様。平日なのでお休みかしら? それとも・・・
この先には船着場もないので、仕方ない、歩きましょうか・・・柳川市は扇の形をしていて、殆どが有明海の古い干拓地。海に向かって緩やかに傾斜しています。市の西には筑後川、東には矢部川という2本の一級河川があり、市内にはその矢部川の支流である沖端川、二ツ川、塩塚川が流れていて、それから分流した掘割が縦横に張り巡らされています。
川は蛇行していますが、掘割はまっすぐなので、すぐに見分けがつきます。地図で見ると水路の数が半端でない。まさに水の都です。 -
三柱神社からまだいくらも歩かない、沖端川沿いにまた神社発見! 宮地嶽(みやぢだけ)神社です。宮地嶽神社。光の道のパワースポットで脚光を浴びた、福岡県船津市にある同名の神社の第一分霊社です。柳川地方の信者一同が相計って宮地嶽本社に御分霊を懇願。その熱意が実り、1866年(慶応2年)社殿が柳川の地に造営されたのだそうです。要は神社の支店のようなものですかね。商売繁盛の神様なんですって。
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太い注連縄はインパクトありますね。この神社も参道の途中に掘割を越える橋がありました。柳川らしい風情を感じます。
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神橋を間近で。いつ頃の物なのか、どこにも書いてありませんでした。石ではなくコンクリート製なのかもしれませんが、掘割との相性は抜群!
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神橋の上からもう一つ橋発見! あれは石橋のように見えますね。いつか、九州全体の石橋を全部制覇したいと思うほど石橋好きの私です。
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遠方の高層アパートが無粋ですが、柳川の掘割と柳、そして掘割沿いの住居です。
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こちらの方が断然風情ありますね。通常、上の写真は削除かしら?
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途中にあったのは明治時代に建てられた、料亭を兼ねた若力旅館です。
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掘割は湿地帯であったこの辺りの土地の水はけを良くし、掘り上げられた土は建物を建てるためや土居を作るための土盛りに利用されてきました。更に、真水を得にくい環境の中、ため池機能も果たしたとのことです。
柳川中心部の2km四方には、総延長60kmの水路があると聞いて(@_@)、びっくりしました。 -
柳川古文書館。国重要文化財「立花家文書」他、筑後地方に残された沢山の古文書を集めた施設です。当方にとっては古文書=外国語なので、訪問を遠慮させていただきました。
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柳川は北原白秋のふるさと。早速ありましたよ。
色にして老木の柳うちしだる わが柳河の水の豊けさ
川じゃあなくて河ですねえ。元々は河の字を使っていたのでしょうか? -
堀を掘って作った代表的な土居のひとつ鋤崎土居。柳並木が残る旧藩時代の土塁跡です。
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この土居から先は、水路は極端に狭くなっています。幅10間ほどの大きな堀から突然1間あるかないかの狭い堀。そしてその先はまた広い堀に繋がっています。
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これは、大切な川の水を長く滞留させておくための装置「もたせ」というのだそうです。海抜0メートル地帯の柳川では井戸を掘っても真水は得難く、これだけ水に囲まれながら真水は貴重な財産です。その水を少しでも活用するために、堀の幅を狭め、その手前で水を停留させることにより、水を長く使えるようにしたのだそう。また、洪水になっても、張り巡らされた掘割が貯水池の役割を果たし、氾濫を防ぐという効果もあるのだそうです。
旧人の知恵が見事に生かされていました。 -
掘割伝いに歩けるのかと思ったら残念。でも情緒ある風景が広がっていました。
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間もなく、駅の方から1艘の舟が10名ほどのお客さんを乗せて近づいて来ました。もうちょっと待っていたら、あれに乗れたのかしら?
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舟はここで方向を90度変えて、こちらに近づいて来ました。
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おお、この狭い水路を通っていくのですね。
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横幅ぎりぎりなのがおわかりいただけますでしょうか?
舟に乗ったらこの写真撮れませんでしたよねって負け惜しみに聞こえます? -
掘割沿いを歩けないので、仕方がない道路沿いを進みます。この道路新しくできたばかりのようで、神社までもが新しい。写真は風浪(ふうろう)神社。神社が大変多い町ですねえ。
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時々横道に入って掘割沿いに道がないか確かめるのですが、「残念!」が続きます。
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良いよねえ。こういう風景。ヴェネチアのゴンドラとはまた別のロマンあり。
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今度は天満神社発見! この辺りお寺、神社がうんとこさありました。道路から少し中に入ると、古い時代からの町並みに変わります。
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隣家との境界線は掘割。
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プライベートな船着場?を備えたお宅もありました。古くからある家にはそれぞれの敷地から水路に向かって「くんば」とよばれる水汲み場がつくられていて、今でもその水は庭木への散水等に使われることがあるそうですよ。
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掘割沿いには歩けないけれど、こうやって道を行きつ戻りつしながら堀との一期一会を楽しみました。
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柳に若葉が芽吹いていれば最高でしたね。こちらは、柳川図書館前の整備された掘割です。
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その柳川市図書館にふらっと寄ったら、展示室があったので「掘割の出来るまで」の勉強をしちゃいました。
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古代国家の時代より大規模な区画割「条里制」が実施され、後に柳川藩はこの条理堀を元に掘割を広げていったそうです。
この他、矢部川が境となっている柳川藩と久留米藩の間の180年間に及ぶ水争いの歴史、掘割が育んだ人物(北原白秋、檀一雄等)の紹介等中々濃い内容でした。 -
「鳰鳥(けえつぐり)の頭に火ん點(ち)いた。潜(す)んだと思うたらけえ消えた」(『日本伝承童謡集成第二巻』北原白秋)というタイトルが掲げられていた絵。ほのぼのした絵でしょう?!
鳰(かいつぐり)という鳥は柳川の方言でけえつぐりと呼ぶそうですが、この絵はたらい舟で海藻、海苔を取っているご婦人たちが主人公に見えますね。タイトルとはどういう関連なのかな。ややこしいことに、貝や海藻をとるなどの目的で水中に潜ることも「けえつぐり」と呼ぶのだそうですよ。 -
最後はこちらの船舞台。柳川の沖端水天宮には、祭事の時に6艘の小舟を改造して作る船舞台がお目見えするそうですよ。こちらはその模型。お祭りに合わせ、宮大工や青年など30人以上が3日がかりで舞台を作り上げるのだそうです。1本の釘も使わないというから、古より引き継がれている伝統的な仕口工法で作られているんですね。
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さて、図書館を出て、前の道を真っ直ぐに進むと、畑の向こうに観光ガイド本にも載っていた並倉赤レンガ倉庫が顔を覗かせました。
舟に乗らないことには近くに寄れないのがつらいですね。この赤レンガ倉庫は大正時代に建てられたもので現在は鶴味噌醸造(株)が所有しています。 国の登録有形文化財の指定を受けています。 -
同じような写真が続きますが、赤レンガ倉庫の隣にはなまこ壁の倉庫が続いているのを見てもう1枚撮っちゃいました。
舟に乗らなければ見られない景色が出て来てしまって辛いわ。 -
ようやく掘割沿いに歩く道が出現しました。この辺りから柳川藩の内堀となるようです。
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木々が水面に写しだされる風景はいつ見ても素晴らしい。
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この遊歩道、「水辺の道」として、日本の道100選に選ばれているそうです。
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船頭さんは立っては潜れません。
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こちらのお宅の表玄関はどう見ても川に向いていますね。裏側には道があるのかしら?
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5月になったら美しい菖蒲が咲き乱れるだろう椛島菖蒲園を横目で眺めながら通り過ぎます。
そうそう、菖蒲は柳川市の市花になっています。 -
舟から直接お店に入れる甘酒屋さん「水上売店 一期一会」もありました。
舟から注文できちゃうお店ですって。 -
ウナギの供養碑とやらもここにありましたよ。美味しくいただいているのに供養するという神経は若い時分には分からなかったけれど、最近は理解できるような気になっています。食物は感謝しながらいただきましょう。毎年7月中旬にうなぎ供養祭が行われているのだとか。ウナギたちにとっては一番ひどい目に会う季節だからですかね。
碑には作家劉寒吉の「筑後路の旅を思へば水の里や、柳川うなぎのことに恋しき」の自筆の短歌が刻まれていました。 -
またまた現れたこちらは、柳川総鎮守の日吉神社です。お多福は日吉神社の名物なんですって。沢山の福が訪れますように!
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「見ざる聞かざる言わざる」を皇太子殿下御成婚に際して奉納するって、どういう意味があるのでしょう??? わっからないなあ・・・
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まだお正月ムードが漂っていますね。旅の無事を祈願するために参拝していこうっと。
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あらら、拝殿にもお多福さんが座っていらっしゃいました。
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中で善男善女がお祓いの真っ最中でした。なかなか商売上手の神社で、今はブームに乗って御朱印が人気なんだそうですよ。
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神社前の掘割です。ここからも舟に乗れるのかしら?
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再び水辺の道に戻ります。静かでだあれも歩いていない。独占しちゃっていいの? と思ってしまう位素敵な散歩道です。
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舟に乗ったらこの道歩けないし、柳川駅から往復するのであれば、行き帰りで舟と歩き両方のルート通ることをお勧めいたします。どちらも大正解になるはず。
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大きな堀割の先には・・・
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イチオシ
またまた風情あるこの狭い「もたせ」に遭遇。断面が上の方が広い台形をしていて、水が増えた時により多くの水を貯えることが出来るのだそうですよ。幅は1間しかありません。柳川の舟はこの幅に合わせて作っているそうです。
いやあ、風情あるなあ・・・うっとり! -
そうそう、1601年~1609年(慶長6年~14年)に筑後国主を務めたこのお方、田中吉政が近世柳川の基礎を築いたと言われています。彼は大名として転封した近江八幡、岡崎、柳川で、それぞれ現在につながるような都市設計を行っています。柳川では掘割を整備し、水運の発展、稲作の用水確保に貢献したことで高く評価されています。しかしながら吉政の子に跡継ぎができず改易となったため、その後は関ケ原の戦いで西軍について一旦柳川を明け渡した立花家が返り咲きすることになった次第です。
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水のべは柳しだるる橋いくつ 船くぐらせて涼しもよ子ら
傍にあった歌碑にある白秋の歌も素敵。 -
3枚上にある写真の橋を渡ります。ここから柳川藩三の丸です。戌亥門 弥兵衛門跡と書いてありました。戌亥(北西)に位置していた門という意味ですね。段々城の中心へと導かれていきます。このアプローチ気にいりました。
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橋の反対側から見た風景です。橋を抜けると掘割はまた幅5間位に広がります。
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三の丸から今は中学校が建っている柳川城址をそうとは知らずに通り過ぎ、掘割伝いに歩いて、柳川の中心地へと足を進めました。
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ぐるっと内堀を大回り。結構な距離を歩いた気がします。
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市の花菖蒲が沢山描かれた橋の所で道を曲がったような記憶・・・
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城址を通り越してからかなり歩いて、ようやく御花の前にたどり着きましたよ。
御花とは柳川藩主立花邸のことで、1738年(元文3年)に時の柳川藩五代藩主立花貞俶が柳川城の南西隅にあたるこの地に別邸を築いたことに始まります。ここは当時「御花畠」と呼ばれていた土地だそうで、それが引き継がれて御花となったのだそうです。
ここでは藩主の側室(正室は城に住んでいたのかしら?)と子供達が暮らしたとされています。 -
明治時代に立花家は伯爵となり、1910年(明治43年)に新たに建てられたのが今見えている洋館と奥に続く日本家屋です。
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洋館は客を迎えるための迎賓館で、伯爵の家族は日本家屋の方で暮らしていたようです。幸いなことに第二次大戦中では爆撃の被害もなく、終戦後立花家は御花を料亭旅館に改造し、経営者として新たなスタートを切ることになるのです。
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実は私が子供の頃、我が家は立花家の血を引く一家と家族ぐるみでお付き合いをしていました。その頃から、「立花さんちのお城があるんだよ」と親から聞いていた柳川を、ようやく訪れることが出来ました。感慨ひとしおです。
早速御花に突入です。まずは立花家資料館。そしてレストラン対月館から西洋館、御役間、大広間を経て、最後に名園と謳われる松濤園を見学します。 -
立花家の家系図を穴のあくほど眺めちゃいました。
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三柱神社の三神の一人、戸次道雪の娘で初代柳川藩主 立花宗茂の正室であった誾千代姫をイメージした鎧が飾られていました。華奢な女性でも動きやすそうな鎧です。ウエストが細い! おんな城主は直虎以外にもいたんですね。
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展示物が数多いので全部はとても紹介できませんが、中でも目を惹いたのは桃の節句の御道具類。雛祭り版ミニチュアドールハウスと言った雰囲気。あまりのち密さに思わずため息がもれました。ハァ~!
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ご覧ください。御道具類の見事な装飾!
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手前にあるミニチュアのカルタと貝合わせには脱帽です。こんなの初めて見たわ!
江戸の七澤屋製の「牡丹唐草蒔絵雛調度」と書かれていました。19世紀製。 -
他にも小さなお人形さんが一杯。
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見て見て!
米粒大からそれなりに大きいものまで、眺めているだけで楽しい。起き上がりこぼしかしら? -
裸ん坊の賀茂人形。京都上賀茂神社の高橋忠重という人物が余材や廃材を利用して作ったのが始まりとされています。これも19世紀製。
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こちらは、同じく京都で享保年間の頃に作り始められた御所人形です。涎掛けが可愛いわ~
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ミニチュアコレクションといって良いほどの品揃えでした。大事に使われたのでしょうね。大名のおこちゃま達の遊び道具にしては凝り過ぎ。どなたかおとなのコレクターがいたに違いありません。
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資料館はこの位にして、次は洋館へと進みます。現在の洋館と和館は1910年(明治43年)第14代目当主の立花寛治(ともはる)公の時代に建てられたもので、両家屋の間の庭園にはたくさんの棕櫚が植わっていて、南国ムードが漂っていました。
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洋館は外観がフレンチ・ルネッサンス様式。愛知県出身の西原吉次郎という建築家の設計です。しっかりした造りだけれど、国の史跡にはなっていません。
暖炉には本物の火がくべられていました。角の旧式のエアコンが無粋ですなあ・・・ -
洋館から棕櫚越しに大広間を眺めます。今日は着物の展示会のため、大広間には入れないんですって。
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2階に上がる階段の欄干彫刻が綺麗でした。
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踊り場部分。ひょっとして彫られた花は菖蒲かしら?
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2階の広間「謁見室」です。この丸く仕切られたカーペットが見事でした。この部屋は結婚式場としても使われるようです。
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日本的な花々が咲き乱れています。これが「御花」たる所以でしょうか・・・
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シャンデリア上のシーリングも手が込んでいます。大変美しい漆喰細工は切り紙細工のよう。
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日本にある洋館にはこういう調度品が多いですね。典型的な応接間っという感じ。
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洋館の窓の向こうは典型的な日本家屋の屋根。所々盛り上がった棟がシュールです。
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洋館には似合わない?
柳川城の模型が飾られていました。とてもスリムに見えるけれど、縮尺1/60と書いてあるので、残された図面を元に作製されたものらしいですよ。 -
柳川城は1872年(明治4年)に焼失し、この写真が現存する唯一の城の写真だそうです。まっ平な土地に建っていたのかと思いましたが、この写真を見ると天守閣は大分盛土をしていたようですね。
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洋館から和館の「御役間」(昔立花家の役所があったそうです)に進むと、そこは「さげもん」の世界でした。柳川では女の子の節句には色とりどりの布で作った「さげもん」を吊るして祝うのが習慣になっているそうです。
伊豆稲取の「吊るし雛」は以前から知っていたけれど、同じ発想ですね。伊豆からは遠く離れた九州でも同様の文化があったことに興味津々。 -
高価なお雛様は用意できないけれど、せめて代わりにと、一針一針縫った親心の表れと聞いています。陰鬱な季節を吹き飛ばしてくれるような赤色が目立ちます。
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これはまた赤ちゃんには地味な色合いですねえ。飛騨高山ではさるぼぼ。こちらは人間かな?
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これは初めて見たな。タツノオトシゴ。ユニークですねえ。
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伝統的な「柳川鞠」もありましたよ。
さげもん、沢山あり過ぎて、どれを写そうか迷ってしまいます。 -
イチオシ
何せ、こんな状態! うわぉぅ!!! 御役間に入っていらした方は皆歓声を上げていましたよ。まだ雛祭りには早いけれど、一足早く春の節句を味わいましょう。
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さげもんが気になるけれど、奥の豪華な雛人形飾りもじっくりと拝見いたしました。。柳川鞠綺麗だなあ~!
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奥の雛飾りを写したつもりでしたが、肝心のお雛様お内裏様の顔が写っていない・・・
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桃の節句を存分に楽しんでから、今度は大広間のある棟に移動します。
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庭にあるのは稲荷神社かな?
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窓越しにクロマツの名園と名高い松濤園がちらっと見えました。
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そうそう。大広間は、本日着物展示会につき、公開していないんでした。18畳、18畳、12畳の3室(合計48畳!)の3室から成り、部屋の南北に1間の幅の畳廊下が設けられています。立花家の大広間として1908年(明治41年)に完成しました。
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鴨居にずらっと並んでいる兜は形が桃の実に似ていることから名づけられた金箔押桃形兜(きんぱくおしももなりかぶと)で、桃山時代から江戸時代にかけて実戦で使われた兜だそうです。立花家には239個以上残っていると書かれていました。
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御花をぐるっと一周して、後はこの松濤園を見るだけ。
レストラン対月楼に戻ってきたところで、時計を見るともう12時半過ぎていました。お腹がぐうぐう。外に出てからウナギ屋さんを探そうと思っていたのですが、ここで良い香りにつかまってしまいましたよ。 -
ランチにしては少々お値段張るのですが、せいろ蒸しと有明海の珍味という組み合わせの「御花」セットを頼んでしまいました。
まずやってきたのは、本物の柳川。ドジョウの柳川ってここが発祥だったんだ。手前の3点は、 -
左から赤クラゲの酢の物、
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ムツゴロウの甘露煮、そしてイソギンチャクの味噌煮ですって! ひぇ~!!!
う~ん 結構いけましたよ。 -
柳川はこんな風になりましたが、この位で食べごろでしょうかねえ・・・
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そして、いよいよメイン登場。甘いタレがたっぷりとかかった、ウナギのせいろ蒸しです。
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ウナギの茶碗蒸し
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お澄ましと香の物、そしてデザートでした。大変おいしく頂きましたよ。しかしながら、私は関東人。どちらかと言えば、やはりウナギは関東風かば焼きの方が好み。ウナギせいろだけにしないで正解だと思いました。
長くなりましたので、この辺で一息つきましょう。柳川(後半)へと続きます。
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