2015/02/19 - 2015/02/19
62位(同エリア380件中)
junemayさん
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うんだもこら いけなもんや
あたいどんが 茶碗なんだ
日に日に三度も洗(あ)るもんせば きれいなもんごわんさ
茶碗についた虫(む)じゃろかい
目籠(めご)など蹴あるく 虫(む)じゃろかい
ほんにげんねこっじゃ ワッハッハ
以前勤めていた会社には多くの鹿児島人がいて、これは、今でも付き合いのあるそのうちの一人から習った「茶碗蒸しの歌」の歌詞です。客人が食堂に入り、茶碗蒸しを注文したところ、店の主人が茶碗蒸しを知らず、「茶碗に虫がついていましたか? 茶碗は日に三度も洗っていて綺麗なはずなのに、籠につく虫が入ったのかな。まことに恥ずかしい限りで。」と謝ったという歌詞だったと記憶しています。耳で聞く限りにおいては、全く意味が分からないのですが、単純な節回しなので、あっという間に覚えて、わらべ歌のように始終口ずさんでいました。変われば変わるね日本語! というのが正直な気持ちでした。
今回旅の目的地を鹿児島にしたのは、日本の端っこに展開された独自の文化を肌で感じたかったから と言うと大げさですが、単純に、鹿児島にしかないものを沢山見つけたいと考えたからでした。さあ、「茶碗蒸しの歌」をいくつ見つけられたでしょうか??
★2/19鹿児島 桜島
2/20西大山 指宿
2/21鹿児島
2/22鹿児島
2/23鹿児島 知覧
2/24串木野 鹿児島
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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4時半起きして羽田から鹿児島へ。10時15分定刻に快晴の鹿児島空港到着です。早速、霧島連山が出迎えてくれました。少々雲が多いですが、右端の高千穂の峰はくっきりと見えています。天照大神の孫であるニニギノミコトが、降臨した山ですね。標高1574m。連山で一番高い韓国岳(1700m)の頂は雲の中でした。
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着いたどぉ~ かごんま(鹿児島)。左側の黒いビルが鹿児島のメインステーション鹿児島中央駅(旧名 武の停車場)。他に単に鹿児島という駅もあるので紛らわしいです。駅お隣のビルアミュプラザの屋上には直径約60mの大観覧車が回っていました。
駅前では降りずに、これから5連泊する鹿児島一の繁華街天文館に向かいます。結構かかったなあ、空港から市内まで約1時間の道のりです。 -
天文館のアーケードを通って宿に向かう途中、白熊発見! そうそう、鹿児島に来たからにはここは体験せずには帰れない場所 鹿児島名物のかき氷のお店です。普段かき氷にはあまり縁のない2月ではありますが、帰京する前に一度は試さなくっちゃ。
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全国宅送しているんだぁ。かき氷のあのふわっと口の中で瞬時に溶ける感触が冷凍品で味わえるとは思えないけれど・・・氷菓の類であれば、わざわざ宅送までしてもらわなくとも良いような気がしますねえ。
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ぶつぶつ言いながらも、目は釘付け。どうもB級グルメが好きで困るなあ・・・メニューの中の「白熊の冬ごもり」、可愛過ぎ!
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しかし丁度お昼時間だったので、宿に荷物を預けてまずは腹ごしらえ。向かった先は、ホテルのお勧め鹿児島ラーメンのお店です。豚トロラーメン天文館本店。超満員でした。
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博多とは異なるこってり系ですが、スープ旨し、チャーシュー最高! 麺も歯ごたえ良し。5時に朝食だったので、あっという間に完食してしまいました。流石にこの後かき氷ではお腹に悪そうなので、白熊はまたの機会に取っておきましょう。
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天文館前を走るカラフルな手形一杯の市電には「手形ペインティング電車」と「100」の文字が。これは1912年(大正元年)12月1日に誕生した鹿児島市電運行100周年(2012年)を記念した催しで、市民の方々が手形をペインティングしたものなんですって。もうそれから2年以上も経っているのに、まだ元気よく走っていました。
都電は1970年代に荒川線を除いて廃止されてしまいましたが、早すぎた引退でしたね。チンチン電車のある風景は、それだけで絵になります。
ちなみに、市内の谷山電停は、日本最南端の電停だそうですよ。 -
鹿児島の町で目についたのは、とても立派なアーケードが町のあちこちで見られること。なんでも桜島の降灰(灰=へ と呼ぶんですって)対策から生まれたものだそうです。
今は冬なので風は桜島の東側の大隅半島方面に向かって吹きますが、春から夏にかけては鹿児島市(薩摩半島)を直撃。降灰が多い日には窓も開けられないことがあるとのことですから、市民の方にとって大事なのは天気予報よりもむしろ風向き。これも鹿児島県独特のものなのでしょうね。
正面の壁面緑化されたビル マルヤガーデンズは、1892年(明治25年)創業の呉服屋でかつては「丸屋デパート」だった商業施設。その後三越となりましたが、売り上げ減により2009年に閉店。呉服屋さんの運命はどこでも厳しいものがあります。 -
壁面のパネルに描かれた桜島と桜島大根は分かるんですが、真ん中の白い煙を吐いているのはなあに??? 桜島フェリーかしら???
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天気が良いうちに桜島に向かいましょう。天文館からいづろ通りを左折して尚も進むと、現役の百貨店山形屋の美しい建物が姿を現しました。
手前のドームのある塔屋を持つ建物が1916年(大正5年)創建の本館。もっともこのドーム、増築の際に撤去され、1998年(平成10年)になってようやくオリジナルに近いデザインで復旧されたもの。奥が新館で1932年(昭和7年)の建造。共にルネサンス様式を取り入れています。日本橋三越に負けないような風格を備えています。威風堂々! -
初めて耳にする南日本銀行は鹿児島市に本店を置く第二地方銀行です。この建物もなかなか美しい。銀行の前身「鹿児島無尽」時代の1937年(昭和12年)に竣工された建物です。ルネサンスとゼツェッシオン様式の折衷だそうで、登録有形文化財の指定を受けています。4階部分にゼツェッシオン様式の特徴出ていますね。
元々は4階建て。5階以上の部分を含め、1967年(昭和42年)に増築されています。弘前でも見たけれど、ゼツェッシオン様式意外と日本で人気なんですね。 -
もう一つ粋な建物見っけ! 豊産業と書かれたこちらの建物は1916年創建と言いますから大正5年に建てられたもの。石造りで重厚感がありますね。レンガも良いアクセントになっています。
玄関横の入口から階段を上っていくと、B.B.13 BARというお店になっています。お酒だけでなく、食事も楽しめるこじゃれたバーだそうですよ。 -
おお~ 通りの向こうにごつごつした山肌が見えてきましたよ。
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2000年、屋久島からの帰り以来、15年ぶりに桜島に再会! こんなに大きかったっけ? 山肌は無数に刻まれた谷でごつごつして中腹以上には草木が1本も見当たりませんねえ。
向かって左側が北岳、右側が4500年前より火山活動が行われている南岳です。今日はおとなしめの水蒸気が上がっていました。 -
写真を撮った場所から歩くこと5分。桜島フェリー乗り場にやって参りました。なんと24時間昼夜運航とありますよ。
以前は始発便が午前5時半、最終便が午後10時でしたが、桜島住民の足として急病の際にも対処できるよう、1984年4月から24時間運航となっています。午後10時以降は1時間に1本の割だそうですが、いつでも移動可能ということは島民にとって非常にありがたいものという声を聞きました。 -
昼間の時間帯、フェリーは15分間隔で出発。バス、市電並みのダイヤで運行されています。さあ、第十六櫻島丸に乗り込みました。右手の埠頭は北埠頭。連なる緑の三角屋根はかごしま水族館「いおワールド」です。「いお」とは、種子島の方言で、うぃお=魚のことですって。
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手前の北埠頭には、奄美大島、喜界島方面のフェリー乗り場、その先に見える南埠頭には種子島、屋久島、隼人三島、トカラ列島十島方面のフェリー乗り場があり、その更に先に、屋久島、種子島、指宿方面に向かう高速船トッピーの乗り場があります。
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防波堤の先に見える小島は無人島の沖小島(おこがしま)。1863年(文久3年)の薩英戦争の際には臨時の台場として使われたことがあるそうですが、今は釣りのメッカとして訪れるのは釣り人だけのよう。
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天気が良いので、デッキに出て桜島を独占中! 海岸に行くにつれ、緑のグラデーションが濃くなっていますね。自然のなせる業は凄い!
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背後には、海岸のすぐそばまで小高い丘が迫った鹿児島市内が広がります。一番左側に見えているのが西南戦争最後の激戦地となった城山に建つ城山観光ホテルです。
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おっ トッピーがやってきましたよ。それも一度に2隻! 鹿児島と屋久島、種子島、指宿等を結ぶ定期水中翼船です。屋久島-鹿児島間は2時間から2時間45分位。鹿児島空港や島の空港へのアクセスには結構な時間がかかるので、早くて快適なトッピーがお勧めです。
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2000年に屋久島を訪れた際には台風の洗礼を受け、縄文杉には会えずじまいでしたが、2日間休航となっていたトッピーが再開された最初の便のチケットを持っていたので、運が良いのか悪いのかわかりませんが、スケジュール通りに島を離れることが出来ました。
カーブを描いた航跡が美しいですねえ・・・ -
その間にも桜島はぐんぐんと迫って来て、今度は灰色の煙がモクモクと出始めていました。
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爆音が響いてあっという間にこんな状態に! これがいわゆる「爆発的噴火」でしょうか? 目の前で地球のドラマが進行中。
蚤の心臓の持ち主であるこの鹿児島初心者は、果たして島に上陸して大丈夫なのかしらと心配になり始めました。 -
でも勇気を出して上陸です。夏の風物詩「火の島祭り」で披露される、火の島太鼓のタイル画が迎えてくれました。火山に負けない音で鳴り響く太鼓だそうですよ。
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桜島では島内の見どころを網羅した鹿児島市営の定期観光バスが運行されています。午後便は14時30分発だったので、待ち時間を利用して桜島港桟橋に近い月読神社を訪れました。
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御祭神は月読命(ツキヨムまたはツクヨミ)。月を神格化した神だそうですが、性別は不明とのこと。姉に当たる天照大神が女性なので、こちらは男性かしら? 割と存在感の乏しい神様のようです。
神社は和同年間(1280余年前)の創建と、説明板に書かれていました。1914年(大正3年)の桜島大噴火で社殿は溶岩の下に埋没。1940年(昭和15年)に現在の地に遷座され、新しい社殿が建てられのだそうです。 -
櫻島のパワースポットとして脚光を浴びているようですが、朱塗りの社殿だし、周りの木々も背が低く、明るい南国的なイメージばかりが目につき、自然が持つ「気」や「パワー」の存在は凡人には感じられませんでした。
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神社の「展望台」と書かれた場所からの桜島です。う~ん、微妙。フェリーからの絶景には負けています。
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錦江湾を見渡すことが出来て、こちらの方が眺め良しでした。
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桜島港に戻り、無事に乗り込むことが出来た定期観光バスで最初にやってきたのは、湯之平展望所 です。あらあら、先ほど見た北岳とは全く異なる雰囲気ですねえ。山の真ん中が大きくえぐれています。
ここは、北岳の4合目に当たり、展望所のある場所も噴火によって生まれた溶岩ドームの一つだそうです。北岳の穏やかそうに見える頂上とその下のえぐり取られた荒々しい谷のコントラストが素晴らしい。鉄分を含んだ赤茶色の岩肌には、わずかですが生命の息吹が感じられました。 -
南岳の方は不気味な濃い灰色をしていて、全くの無機質な世界。中腹の尾根からも白煙が上っているように見えますね。
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火山活動が激しいため、標高373mの湯之平展望所より上には立ち入ることが出来ないとの説明を受けました。北岳には明治期に作られた沢山の登山道があって、1955年(昭和30年)の噴火で死傷者が出るまでは、気軽な登山が楽しめたようです。小学校の遠足コースにもなっていたのだそう。
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くるりと方向を変えると、鏡のような錦江湾の絶景が広がっていました。元々はこの錦江湾自体が姶良カルデラという巨大な火口だったそうで、およそ26000年前に桜島を誕生させています。カルデラは淡水湖だったのが、海面上昇と縁面崩落で海水が入り込んだとのこと。
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こちらが、姶良カルデラの全景です。桜島が姶良カルデラの子供のような存在だというのが、良く分かります。
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南側には先ほど、フェリーからも見えた沖小島、そして遙か先に円錐形が美しい開聞岳の姿がうっすらと見えています。
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西側は鹿児島市内が一望できます。
「左側に見える赤水展望広場では、2004年8月に長渕剛さんが75000人の観客を集めた真夏のコンサートが開かれたんですよ!」と、ガイドさんは昨日のことのように、その時の市民の興奮ぶりを伝えていました。「オールナイトで行われて、市内からでもよーく音が聞こえました。」
今では伝説と化している長渕剛コンサートの事を話し出すと、彼女話が止まらないようです。 -
鹿児島市の北東側は、桜島があるために、海が一番狭くなっている部分。対岸には、いかにもカルデラの縁のように見えるギザギザの垂直の崖が続いていました。平地が全くありません。
風力発電機が立ち並んでいる標高 552.3mの丘陵は牟礼ヶ岡。ウインドファームは2005年から稼働中です。 -
展望所の2階から再度桜島にフォーカスすると、崩れた岩肌の前に赤っぽいドラム缶のようなものが並んでいるのに気が付きました。北岳から流れ出す土石流の防護壁でしょうか? 少々心もとない感あり・・・
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さあ、再度この青いバスに乗り込んで、次のスポットに移動しましょう。湯之平展望所からは時計回りに進んでいきます。
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車窓から眺めた桜島名物、世界一小さいと言われる桜島小ミカンの木です。
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こちらも車窓からの1枚 天然記念物に指定されている藤野町にあるアコウ群です。アコウは別名「絞め殺しの木」と呼ばれているそうで、クワ科の常緑高木。
ご覧のように家の石垣にがっつり食い込んで、まるで、カンボジア、シェムリアップのタ・プローム寺院の木を連想させます。ガジュマルとアコウの違いは良く分からないけれど、このお宅大丈夫なのかしらと他人事ながら心配。 -
こちらが、「薩摩白波」の看板がアコウに飲み込まれた現場。バスがわざわざ止まる観光名所です。
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島の東側にやってきました。お次は噴火により埋没した「黒神埋没鳥居」です。俗に「大正大噴火」と呼ばれている1914年(大正3年)の噴火の際に流れ込んだ溶岩で、黒神地区にあった腹五社神社(黒神神社)の高さ3mの鳥居は、笠木の部分のみを残した状態で埋もれてしまっていました。地上部分に出ているのは1mたらずでしょうか?
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黒神地区では、集落の全戸687戸が火山灰や軽石に飲み込まれましたが、神社の鳥居のみがかろうじて残っていました。
「山は必ずまた噴火する! 噴火の恐ろしさを後世に語り継ぐためには、鳥居そのものを残すのが最もインパクトがある!」 そう考えた当時の東桜島村長は、鳥居の発掘作業を中止し、噴火当時の姿のまま保存する策をとったのです。火山と共に生きて来た人ならではの賢明な措置でしたね。 -
車中から撮ったので不鮮明ですが、島の東側から見た桜島です。古い写真を見ると、前述の大正大噴火の際には、煙が上がっている南岳からではなく、手前に写っている低い山(鍋山、権現山)辺りから猛烈な噴煙が立ち上っています。
黒神地区は火山灰に埋没しましたが、そのすぐ南側にある脇、有村、瀬戸の三地区は噴火後に発生したゆっくりとした溶岩流に飲み込まれ焼失。溶岩流はその後半月以上かけて流れ続け、400mあった瀬戸海峡を埋め、大隅半島と地続きになりました。
今では森が再生していますが、依然荒涼とした景色が続きます。 -
黒神地区から5分ほどで、旅の宿火山展望台に到着。ここでは色っぽい桜島大根が出迎えてくれました。1月から2月は桜島大根の収穫シーズン。大きなものは30kgを超すそうです。軽石を含んだ土壌に巨大化する秘密があるのだそう。
旅の宿は外観は至ってごく普通のお土産物屋さんでした。 -
店内は雑多なものが好き勝手に置かれています。世界一小さなミカンと日本一大きなボンタン(文旦)が両方採れるって不思議ですねえ。写真右下に置かれたぐい飲みと大きさを比較してみてください。
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地の底から噴いた火山弾 と書かれていました。噴火で溶融した岩片の大きさが4mmから32mmのものを火山礫、32mm以上を火山弾というのだそうですよ。こんなものが空から降ってきたら、ひとたまりもありません。
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店を突っ切って桜島大根が植えられている畑を通り、昭和火口展望台に向かいます。
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畑の中の鳥居をくぐると、その先に核超神霊聖丘祖神と書かれた石柱が。桜島を神と崇めているプライベート神社なのでしょうか? 意味不明・・・
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左側一番高い峰が南岳山頂で、その下8合目付近にあるのが昭和火口。現在桜島の噴煙はこの2箇所から上がっています。
昭和火口は1946年(昭和21年)の昭和噴火によって誕生しました。この時は爆発的噴火を伴いませんでしたが、溶岩流が発生。山麓で二つに別れた溶岩流が東側黒神海岸と南側有村海岸まで到達しました。この時以来溶岩流の発生はありませんが、二つの火口からは絶えず爆発的な噴火を繰り返しています。 -
訪れた時は静かでしたが、
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もこもこ・・・
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一瞬たりと同じ景色が続きません。やはり核超神霊聖丘祖神の業に違いありません。
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大隅半島と地続きになった瀬戸を経て、最後の見学場所、島の南側に位置する有村溶岩展望所に到着です。昭和噴火で流れ出した溶岩流の内、南海岸に向かったのが有村海岸に達したと聞いたので、昭和の溶岩だと思ったら、ここは大正噴火でできた溶岩原だそうです。
古くから温泉が湧いていた有村町(旧有村と脇村)の半分は、大正溶岩と昭和溶岩で埋まってしまいました。人の丈ほどもある噴石の被害も多く、1980年代に殆どの有村町住人は鹿児島市内に移住し、現在はわずか10世帯ほどしか残っていません。まだ住んでいる人達がいるということの方が驚きですが、大正噴火前には20000人を超えていた桜島全体の人口は現在5000人足らずまで減少しています。爆発的噴火が収まらない現状では、致し方ありませんね。 -
おっ! また違う景色!
有村溶岩展望所からの桜島の姿は富士山のようなコニーデ型。見る角度により、全く異なった姿を見せてくれるのが嬉しい。 -
観光客なら、必ず1枚は撮る写真。「ライオン岩」です。ライオンというより獅子? 麒麟? というイメージですかねえ。
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山の上部からは常に水蒸気が立ち上っているようです。
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溶岩原の彼方には大隅半島垂水市付近の小高い山並みが続きます。
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ここからも開聞岳が良く見えました。死火山かと思っていたら、2000年には臭気が観測されたそう。鹿児島は噴火から逃れられない運命なのかもしれません。
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有村溶岩展望所を訪れた時にも、かなり大きな噴火が発生しました。右稜線にご注目!
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ごぉ~という音と共に あらあら!
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おやまあ!
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ほぅ たまげたなぁ!
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ひぇ~ やめて!
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助けて! といった具合。
土地の人達は全く動じません。日常茶飯事なのでしょうね。もうすぐこちらに噴煙がやってくるから、その前に戻りましょう と半ば強制的にバスに連れ戻されてしまいました。定期観光バスだと、溶岩の間を巡るプロムナードを散策する時間は全く取れずじまいでした。 -
怖いもの見たさに、後ろを振り返りながら退散。火山なら日本全国にありますが、地球内部の活動がこんな近い距離で観察できるとびっきりの「パワースポット」でした。百聞は一見に如かず。二度目なのに大げさではなく、感動の嵐でした。
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わぁ~ 本当にこっちに近づいてくる!
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車窓からの写真です。山の形はどんどん変わっていきます。
噴煙が絶えず襲うこんな急斜面の場所にも、人々の営みがありました。ここが有村の集落です。7合目辺りまで広がるクロマツの森は、とても豊かで、とても元溶岩原とは思えません。7という数字の描かれたコンクリート製の建物はもしかして一時避難所かしら? -
有村を出ると、桜島の姿は消え、古里温泉街や東桜島町の市街地を通ります。山から離れたのかと思ったら、近づき過ぎていたのだということが地図を見て分かりました。再び見えた時には、左右の二つの山の境界がはっきりとわかる双子山になっていました。ここは野尻町付近。
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突然バス前方に現れた西郷岩。西郷ドンの横顔に似ているのだそう。これも微妙~
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そして、叫びの肖像。
これは天然ではありませんよ。前述の2004年8月に行われた長渕剛オールナイトコンサートを記念して制作された立派なモニュメントであります。
モニュメントは50トンの桜島産出の溶岩で制作されていて、長渕ファンや一般の人々からの寄付で賄われたそうです。鹿児島市を臨む赤水展望広場にありましたが、一瞬だったので、中央にある「雄たけびを上げる男性の顔」がよく確認できませんでした。 -
こちら何に見えますか? 私には爬虫類にしか見えなかったのですが、なんと「たぬき岩」だそうですよ。
最後まで飽きさせない桜島一周の旅もこれでお終い。引き続き鹿児島市内まで乗っていく人もいましたが、私は桜島港で降りて、もう少し島をぶらぶらします。 -
港から少し戻って袴腰烏島溶岩探勝路を歩きます。
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まずは桜島ビジターセンターで桜島のお勉強。噴火と成長の歴史をおさらい。噴火体験コーナーもありました。もう十分! 体験したくないわ!
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海岸に出てみると、丁度桜島フェリーがすれ違うところでした。黒っぽい溶岩が海の中まで流れ出た跡を辿ります。
桜島は過去に少なくとも5度溶岩を流しているそうです。大正と昭和については触れましたが、その前には764年、1471年、1779年の3度大きな溶岩流が発生しています。
溶岩分布図を見ると、南岳に近い東海岸から南海岸にかけてが多いのですが、袴腰地区の溶岩は大正大噴火時のものでした。島を地続きにした瀬戸に向かった流れとは正反対のこちら西側にも押し寄せたんですね。 -
桜島溶岩なぎさ公園内には午前9時から日没まで営業しているという足湯がありました。これが物凄く長い。なんと! 長さ100mもある足湯なのです。ベンチに腰掛けて、桜島を眺めながらポッカポカになれます。
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正面に山を眺められる場所を確保して、早速足湯を体験します。暖かいとはいえ2月ですから、朝から良く歩いた(でもない?)足には嬉しいご褒美になりました。
いやぁ 極楽極楽。ここは1000m地下の温泉を組み上げた天然温泉だそうですよ。 -
溶岩がここで海に流れ出たというのが良く分かる場所ですね。
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足湯の後は溶岩なぎさ遊歩道をてくてく歩きます。大正大噴火から100年以上経ちました。最初はコケ類、地衣類から始まった植生も、20年を過ぎると次第にススキ、イタドリなどの草が生えるようになります。そして、島を覆うクロマツがここでも元気に育ち始めていました。
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こんな固い岩に食い込んで根を張る逞しいクロマツたち!
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溶岩なぎさ遊歩道の溶岩は日本全国どこでも見られる安山岩ですが、水に濡れると真っ黒に見えます。
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海岸沿いの溶岩は波に洗われて細かく、丸みを帯びて見えました。どろどろの溶岩が海に到達した時からの変遷が容易に観察出来て、実に面白かったです。
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影がだいぶ伸びて来たから、そろそろ帰りましょうか・・・
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上の写真の右側に写っているAコープの店内。鹿児島、宮崎特産の柑橘類が沢山並べられていました。屋久島のタンカンや小ぶりの宮崎の日向夏が美味しそう・・・
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さて、港に戻ってフェリーに乗り込みます。帰りは第十三櫻島丸。
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乗船して程なく、待ってましたとばかり、壮大な夕陽ショーが始まりました。
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デッキに出て写せば良かったのですが、後の祭り・・・
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夕映えの桜島は5合目より上が紫色に染まっていました。なんて不思議な色でしょう!!
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かごんまでしか見られない克灰袋を初めて目撃しました。鹿児島市民にとっては必需品の「灰」を入れるビニール袋は耐久性に優れていて、丈夫で破けにくいそうです。通常のスーパーの袋なら、二重にすれば代用できるとか。
こちらは克灰袋専用の回収ステーション。水に溶けない火山灰はこうやって集めるしかないのですが、この灰、回収後は処分場に運ばれ、そのまま放置されるのだそう。元々自然の産物ですから処理は不要。丈夫な袋も分解され、時とともに自然に帰るのだそうです。 -
夕闇迫る鹿児島市内。ホテルに戻る途中で見かけた鹿児島市役所庁舎。こちらもなかなかの年代物とお見受けしましたよ。1937年(昭和12年)の建造です。面白みは全くありませんが、当時の典型的な府県庁舎スタイルなので、一目でお役所とばれてしまいます。登録有形文化財に指定されています。
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市役所前から海岸へと延びる、みなと大通り公園のオブジェです。恥ずかしそうにうつむきながら向かい合うカップルの姿に思わず笑みがこぼれます。
12月、1月の2か月間は左右のケヤキ並木がイルミネーションで飾られていて、もっとロマンティックな雰囲気だったそうです。 -
お終いは、山形屋百貨店のライトアップです。内部も素晴らしいと聞いたので、デパ地下で買い物がてら見学していきましょう。
買い物後は山形屋の脇にある道からアーケードのはしごをして、宿のある天文館に戻ります。初日も目いっぱい歩くことが出来ました。さて、明日はどこに行こうかな?
この続きは「よかとこかごんま その2 西大山~長崎鼻・指宿」で!
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この旅行記へのコメント (4)
-
- マリアンヌさん 2017/05/15 08:31:46
- 桜島2
- 失礼しました。通勤電車で誤送信しちゃいました。
熊本から大分に抜けられなくなり、急遽鹿児島に行きました。駆け足で桜島を回った記憶がいります。
あらためてjunemayさんの丁寧な解説でそうだったんだと思いました。
ところでそろそろ旅行ですね。
もしかしてもう出発されましたか?
スベイン編も楽しみにしています。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2017/05/16 02:17:22
- RE: 桜島2
- マリアンヌさん ご無沙汰しております。
実は、4月の初めに病気が見つかり、ドクターストップがかかってイタリアに行けなくなってしまいました。本当にがっかりしています。今頃はウルビーノあたりをうろついていたはずなのに、まことに残念!
復活したら来年ヴェネツイアから始まる旅を再度計画する予定です。そんなわけで旅行記も大長編を新たに始める気力なく、古いものを整理しているような状況です。幸いとても元気なので、先週もヴェネツィアの代わりに京都、兵庫の北部を回って参りました。少しおとなしくしようと思ったのですが、やはり最後は2万歩くらい歩いてしまって、いつもと変わらない旅のペースになりました。マリアンヌさんの趣味には合わない旅行記が続くかと思いますが、そのうちまたスペイン編始めますので、もう暫くお待ちください。
junemay
> 失礼しました。通勤電車で誤送信しちゃいました。
> 熊本から大分に抜けられなくなり、急遽鹿児島に行きました。駆け足で桜島を回った記憶がいります。
> あらためてjunemayさんの丁寧な解説でそうだったんだと思いました。
>
> ところでそろそろ旅行ですね。
> もしかしてもう出発されましたか?
>
> スベイン編も楽しみにしています。
>
> マリアンヌ
- マリアンヌさん からの返信 2017/05/17 00:51:46
- RE: RE: 桜島2
- junemayさん こんばんわ。
え〜お体、大丈夫ですか!すっかり旅立たれていると思ってたのにドクターストップとは‥‥
とにかく治癒に専念してお大事になさって下さいね。
どうぞゆっくりヴェネツイアから始まる旅を計画なさって下さい。
大長編の執筆は体力いりますよね、なにしろjunemayさんの旅行記解説は完璧だから!
でもちょこちょこ旅にいらしてるのですね♪歩き過ぎないで下さいね。
スペイン編は気長にお待ちしてます。
ともかくお大事に!
マリアンヌ
-
- マリアンヌさん 2017/05/15 08:21:32
- 桜島
- Junemayさん、おはようございます。
国内旅行も東北に鹿児島など充実してますね。鹿児島、若いときチラッと寄りました。
というのも集中豪雨で熊本から
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