2017/09/10 - 2017/09/10
10位(同エリア60件中)
かっちんさん
美唄市周辺は石狩炭田と呼ばれる石炭の宝庫でした。
東美唄に三菱美唄炭鉱、南美唄に三井美唄炭鉱(三井美唄鉱業所)が進出し炭鉱を開坑しました。
南美唄の炭鉱の始まりは早く、大正4年(1915)に田中汽船鉱業が開坑し、その後昭和3年(1928)三井美唄炭鉱が引き継ぎました。
昭和8年(1933)頃から南部丘陵地に広大な炭鉱住宅街が形成され、石炭輸送のため美唄との間に鉄道が敷設され、施設が充実していきました。
太平洋戦争中と戦後は出炭量がピークを迎え、その後石油へのエネルギー革命がおき、昭和38年(1963)閉山となりました。
戦後間もない昭和25年(1950)頃には、三井美唄炭鉱地区住宅数は3千戸、人口は2万人以上が暮らしていました。
炭鉱生産施設は早期に解体されましたが、土地は炭鉱住宅(炭住)つきで民間企業や個人に安価に貸与され、現在も比較的多く炭住が残っています。
旧桜井家住宅は美唄町長、美唄市長と親子2代に渡り首長を務めた桜井氏の自宅で、大正7年(1918)の建築です。
日曜日に開館しているので見学します。
旅行記は、空知総合振興局の「そらち『炭鉱(やま)の記憶』ガイドマニュアル(美唄市版)」、美唄ファンポータルPiPa「桜井邸」などを参考にしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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美唄周辺の地図(地図の左側が北)
南美唄町には炭鉱住宅が多く残っており、美唄駅の南東方向にあります。
旧桜井家住宅は美唄駅の近くです。 -
郷土資料館バス停
「郷土資料館」は美唄駅前の次のバス停で、南美唄線が通っています。
「美自校観光バス」の「美自校」とは美唄自動車学校のことで、自動車教習所だけでなく、路線バス・貸切バス事業も手がけています。
「郷土資料館」表示は、「郷土史料館」が正しいです。 -
南美唄線の小さなバス
このバスに乗り、終点の南美唄6丁目へ向かいます。
1時間に1本の頻度で運行している便利なバスです。 -
中央通り(三井通り)の商店街
バスは美唄駅近くと三井美唄炭鉱を結んでいた中央通りを走ります。
中央通りを境にして西側に南美唄下エリア、東側に南美唄町仲町エリアがあります。
炭鉱鉱員住宅群は南美唄下エリアに、炭鉱職員住宅が仲町エリアに棲み分けしていました。 -
終点の南美唄6丁目
中央通りから南美唄下エリアの大通りに入り終点に到着。
駅から約20分、バス料金は200円。
かつての炭鉱住宅街は中央の大通りを挟んで条丁目方式で整然と区画整理されています。
大通りに面しているバス停は、南美唄町大通6丁目です。 -
炭鉱住宅(大通り6丁目)
6丁目付近は炭鉱住宅が少なく、大通りを中央通り方向へ戻ります。 -
道端に咲くノギク
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大通り沿いの市営住宅(大通り4丁目)
昭和38年(1963)炭鉱閉山後、昭和40年代に建てられた市営住宅(南美唄団地)が並んでいます。 -
板張りの炭鉱住宅(2条3丁目)
大通りから西側の1条~16条に向かって、炭鉱住宅が見られます。
炭鉱生産施設は早期に解体されましたが、土地は炭鉱住宅つきで民間企業や個人に安価に貸与され、現在も比較的多く炭住が残っています。 -
梯子のある炭鉱住宅(2条3丁目)
屋根の雪下ろしに使う梯子ですね。 -
イチオシ
赤い屋根の炭鉱住宅(4条3丁目)
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炭鉱住宅街の道(6条3丁目)
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赤いトタンの小屋
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イチオシ
青空の美しい炭鉱住宅
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下13条2丁目バス停
平日に2~3本、炭鉱住宅街の奥にもバスがやって来ます。 -
イチオシ
秋空の炭鉱住宅(13条2丁目)
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下13条1丁目
ここから大通りに戻ます。 -
イチオシ
朝顔に囲まれる炭鉱住宅(6条1丁目)
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炭鉱住宅街の道
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三井美唄互楽館(大通り1丁目)
昭和30年(1955)、当時道内最大・最新設備を誇る映画館として、2代目の「三井美唄互楽館」が誕生しました。
炭鉱閉山に伴い閉館するまでの8年間、「ヤマの娯楽の殿堂」として人々に愛されてきました。
現存している建物は、ワイドスクリーン、最新暖房設備も備え付けられ、当時道内随一の映画館でした。
現在は、市内の福祉団体が所有しています。 -
コンクリート造りの建物(互楽館)
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祭神祠(大通り1丁目)
祭神大山祇神(おおやまつみのかみ)山をつかさどる神の祠です。 -
狛犬(大通り1丁目) -
狛犬(大通り1丁目)
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山神宮の碑(大通り1丁目)
三井美唄炭鉱の守護神です。
三井美唄炭鉱の前身である「錦旗(きんき)炭鉱」のヤマの神を祭ったものです。 -
三美炭鉱
石炭の露天掘採掘が今でも行われているようです。 -
道端に咲くキツリフネ
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旧三井美唄炭鉱事務所(南美唄町南町)
昭和6年(1931)炭鉱事務所が建設されました。
建物は一部解体や改造が加えられていますが、玄関にせり出した三角屋根、えんじ色のトタン屋根、大きな窓など、当時の面影を残しています。
現在は民間企業が使用しています。 -
事務所から続く倉庫のような建物(旧炭鉱事務所)
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事務所から坑道に続いていたのかも・・・(旧炭鉱事務所)
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大きな窓のある建物(旧炭鉱事務所)
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事務所近くのコスモス
奥の金網の先は陸上自衛隊「美唄駐屯地」です。 -
三井美唄鉱業所の碑
炭鉱閉山後間もなく美唄市により建てられました。
南北を走る中央通りを少し奥に入ったこの場所は、小商店街区域と炭鉱区域との境になっていたところです。
当時は、出入りする人を監視するための門番がいたところです。 -
南美唄中央通バス停
ここからバスで美唄駅に戻ります。 -
旧桜井家住宅(美唄駅近く)
美唄町長、美唄市長と親子2代に渡り首長を務めた旧桜井家住宅。
昭和58年(1983)、桜井家のご遺族から寄贈を受け、公民館分館として開館しています。
住宅は大正7年(1918)に建築された離れ座敷、四間取り、昭和8年に増築された母屋のおおむね3つの部分からなっています。 -
台所と家財道具(母屋)
日曜日は開館しているので室内を見学します。 -
手づくり紡毛機(母屋)
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農機具(母屋)
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四間取りの中央書斎
大正7年建築の四間取りは、東側の離れへの通路を兼ねた縁側、西側にも縁側があり、襖で仕切られた四つの部屋にはやわらかい光が差し込みます。 -
木の模様を生かした床柱(四間取り)
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絵が描かれている床柱(四間取り)
床柱の内側です。 -
離れ座敷
大正7年の建築で、3部屋あります。 -
本格的和風建築(離れ座敷)
小屋根は洋風建築のトラス構造が用いられています。 -
雲が美しい美唄駅
平成14年(2002)にオープンした新駅舎です。 -
秋の北海道風景(深川付近の車窓)
炭鉱で栄えた美唄を後にし、特急カムイで旭川へ向かっています。
翌日は紅葉の旭岳を歩きます。(旭岳の旅行記はすでに紹介)
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