2017/05/28 - 2017/06/15
3位(同エリア331件中)
ねんきん老人さん
- ねんきん老人さんTOP
- 旅行記103冊
- クチコミ14件
- Q&A回答2件
- 451,517アクセス
- フォロワー251人
四国八十八霊場を参拝して帰宅する予定でしたが、高野山へのお礼参りを思い立って、紀伊半島に。
高野山から家に帰るつもりでしたが、以前妻と行った伊良湖岬に行きたくなって、渥美半島に。
伊良湖岬で終わりにする筈が、妻と行った豊川稲荷にもう一度。
「お母さん、ここにも来たよねえ」
そう言いたいだけで、次から次へと寄り道を重ねてしまいました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
【 伊良湖港 】
6月13日の朝です。
前夜は鳥羽発の最終フェリーでここ伊良湖に渡りました。 日没間際で、それから寝る場所を探すのは難儀なので、そのまま港の駐車場で寝ることに。
朝になって、そこが「伊良湖クリスタルポルト」という道の駅になっていることを知りました。
家族旅行でここから鳥羽まで船に乗ったのはもう四半世紀も前のことで、そのころはもちろん道の駅などという概念すらなく、港の売店という風情でしたが。伊良湖岬 自然・景勝地
-
【 伊良湖岬遊歩道 】
駐車場から山越えで伊良湖岬灯台まで行く遊歩道があります。
この道を通るのは初めてで、木々の間から海を見ながらの、気持ち良い散歩でした。 -
【 伊良湖岬灯台 】
灯台に着きました。
でも、記憶にある景色とはだいぶ違います。
家族で来たときにはこんな立派な道はなくて、岩から岩へと飛び移るようにして灯台まで行ったのですが。 -
【 太平洋 】
伊良湖岬に逗留した柳田國男が「椰子の実が流れてきた」と島崎藤村に話したことがもとでできた「椰子の実」という歌。
ところが「南太平洋から椰子が日本まで流れてくる筈がない」とイチャモンをつけた人がいたらしく、柳田國男を支持する人たちが昭和54年にロタ島から1000個の実を流したそうです。
その1個がここ伊良湖岬に流れ着いたそうで、まあ、ロマンあふれる話ですね。
その太平洋が眼前に広がるここに来れば、なにも「恋人の聖地」なんて人寄せの愚策を弄しなくたって、若者は誰もが歯の浮くようなセリフを吐きたくなると思うのですが。 -
【 豊川稲荷の駐車場は? 】
次のお目当ては豊川稲荷です。
前回来たときも駐車場が分からず、かなり遠くに停めたのですが、今回も「大駐車場」の看板に従って路地を入ったら、狭い空き地に出ました。
ネットで見ると、本当に大きな駐車場の写真が出ているのですが。豊川稲荷 寺・神社・教会
-
【 広いトイレ 】
これはまた! 高速道路のSAかと錯覚するほどのトイレです。
ということは、何かの行事がある日には参拝客が大勢押し寄せるのだと思います。
そういえば前回来たときは春季大祭でしたが、初詣のように人波が続き、本堂の階段全体が板張りのスロープになっていました。
今回、境内はほとんど無人でした。 -
【 総門 】
参拝をトイレから始めるというのもどうかと思いますので、いったん外に出て、総門から入り直します。
この総門、扉は欅の一枚板で、高さ4.5m、幅1.8m、厚さ15cmとのこと。ということは、直径が少なくとも1.8mある大木から切り出したということで、そういう木を門扉に使えた時代があったということですね。 -
【 境内には沢山の灯篭が 】
総門の前に立派な菱灯篭がありましたが、境内のあちこちにも同じような灯篭が立っています。
それぞれ信者が奉納したもののようですが、信仰心と財力を併せ持つ御仁が多いということで、私のようにどちらも持ち合わせていない者は、地震で倒れないだろうかなどとつまらぬことを考えるのみです。 -
【 山門 】
総門を入ると正面に山門が見えます。
今川義元が寄進したものだそうで、二層の楼門です。 下層には仁王像が配されています。 -
【 鐘楼 】
比較的新しい鐘楼です。といっても80年ほど経っていますが。
梵鐘は戦争中、砲弾、銃弾の材料として軍に徴用されてしまい、現在のものは戦後鋳造されたものだそうです。
お寺の鐘まで使わなければ弾が作れなかったというのですから、その時点でこれ以上戦争を続けるのは無理だと気付かなかったのでしょうか?
ところでいつだったか、鐘楼の数え方は?と訊かれて、私は分かりませんでした。 1棟、2棟・・?
いやいや1宇、2宇と数えるのだそうですね。 まあ、知らないことが多くて恥ずかしい限りです。 -
【 金網のかかった水盤 】
手水舎の水盤に金網がかかっています。
落ち葉が入ったりしないようにということでしょうが、柄杓で水を汲むには金網と水盤の間から柄杓を差し入れ、水の入った状態で引き出さねばならず、ちょっとコツがいります。 -
【 大鳥居 】
豊川稲荷というとこの大きな鳥居を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
一対の狐を配して、いかにも「稲荷神社」という感じですね。 日本三大稲荷の一つというような宣伝もしているようですし、ますます「神社」として頭に刷りこまれてしまいます。 -
【 狛狐 】
どうです、この面構え。
結界を守る役目をもっているのでしょうが、こうして睨まれたのでは、邪心をもった者は鳥居をくぐれないのではないでしょうか。
それとも目が合わないように通り抜けるのでしょうか。 私が赤い羽根の街頭募金をすり抜けるときと同じですね。 -
【 ム? 】
鳥居から先は神域の筈ですが、正面に見える建物はどう見ても仏教寺院。
そうですね、よく話題になるのが「豊川稲荷って、神社じゃないの?」ということです。
私も初めて来たときまでは神社だと思っていました。
実際には圓福山豊川閣妙厳寺という、れっきとした曹洞宗のお寺です。
お寺なのになぜ鳥居が? という話はまたあとで書きます。 -
【 御札受處 】
鳥居をくぐって左を見ると、御札受處があります。
おっと! 「ご寄付受付所」とも書いてあります。 くわばら、くわばら!
なにせ、私の嫌いな言葉ビッグスリーは、「税金・寄付・有料」ですので。 -
【 瑞祥殿 】
今度は右を見ます。 真新しい建物で「瑞祥殿」というそうです。
罰当たりにも宴会場だと思いましたが、そうではなく、信者の接待用の建物だそうです。
1階には御朱印の窓口があります。 私は四国八十八ケ所と高野山では御朱印をいただきましたが、御朱印コレクターというわけではないので、ここではいただきませんでした。 -
【 神輿殿 】
二の鳥居をくぐって左側に校倉造りの神輿殿があります。
えっ、神輿? だってここ、お寺でしょ?
なにはともあれ、覗いてみます。
埃をかぶった2基の神輿があり、説明板が立っていますが、なんとも分かりにくい文章で、現在は小さい方だけが担がれているというようなことが書かれています。「舁輿奉送迎」とか「奉舁輿」とかいう言葉は、前後の文から推察するに、どうやら「担ぐ」ということらしいのですが、家に帰って大辞林や漢和辞典で調べても出ていません。
お寺なのになぜ神輿があるのかという説明はありませんでしたが、叱枳尼眞天(ダキニシンテン)の大祭云々と書かれているところをみると、妙厳寺の本尊とは関係ないようです。
-
【 本堂前の広い参道 】
前に来たのは春季大祭のときだったと書きましたが、そのときはこの広い参道が人で埋め尽くされていました。
今回はかくの如し。 これはこれで趣きがあります。
-
【 本堂 】
壮大な本堂にやってきました。
おっと! これはいけない。 この稿の表紙に使った境内の案内図を見ると、本堂ではなく「本殿」と書いてあります。
えーっ? またーっ? だってここ、お寺でしょ? どうして本殿って言うの? そもそも入口に総門、その先に山門があるっていうのも典型的なお寺の配置でしょう? それなのに鳥居、神輿殿、本殿・・・やっぱりここ、神社じゃないの?
-
【 本殿前の狛狐 】
ここにも狛狐が。
鳥居前の2匹より顔つきが穏やかですが、こちらの方はムキムキの筋肉で、やはり威圧感があります。 -
【 本殿の掲札 】
本殿の柱には「南無豊川叱枳尼眞天」と書かれた掲札がかかっています。
豊川叱枳尼眞天に帰依しますというような意味でしょうが、叱枳尼眞天とは何なのか、私には分かりません。 携帯電話(スマホという言葉は嫌いなのでこう書きます)で調べてみましたが、やっぱりなんだか難しいことがいろいろ書いてあります。
いい加減な解釈で大雑把にいうならば、古代インドに死が近づいた人の心臓を食ってしまう悪女の集団があって、その中でもうそんなことは嫌だと抜け出して神になった者がいた。それが叱枳尼眞天らしいのです。
その叱枳尼眞天がこの妙厳寺の境内を守る鎮守として祀られていて、ご本尊の千手観世音菩薩よりも有名になってしまったようで・・・。 叱枳尼眞天は狐に乗っていたとのことで、境内に狐の像が沢山あるのだとか。
いってみれば、主人よりも用心棒の方が人気が出て、そのインドの神を皆が崇めるものだから、お寺でありながら神社のように思われているということでしょうか。
ちなみに、「叱」は、托・荼とも書き、ここではクチ篇にタクとなっていますが、私のパソコンでは出てきません。 -
【 燭台 】
さすがに燭台も立派です。
「献灯料 一本百円」と。 えっ? お参り用のローソクは通販で1本5円か6円ですが。 それを100円で売るとは。 ホテルの自動販売機よりえげつない気がしますが。
まあ、「ローソク代」ではなく、「献灯料」ですからね。 -
【 日本庭園 】
本殿でのお参りを済ませて戻ろうとしたとき、参道脇に日本庭園があることに気づきました。
小さいながら築山、石、池が巧みに配され、なかなかの庭です。 -
【 池と亀 】
その池には亀がいます。
というより、寺社の池には亀がいるのがお約束のようで、こちらも亀を見ると、ああいた!と喜んでしまうから不思議です。
亀そのものはごくありふれた動物ですから、そんなに騒ぐほどのこともないのですが、いないと裏切られたように感じてしまうのはどうしてでしょうか?
「お母さん、亀だよ、カメ!」
私が捕まえた亀を見て、その動きを真似ていた孫。それを見て笑っていた妻。
どこにでもいる亀ですが、しばらく見つめてしまいました。 -
【 日本庭園 】
その池は建物の向こうにあるもっと大きな庭園に繋がっていて、その一部が建物の下から見えます。
ただし、橋を渡ってさらに行こうとすると、そこに私の嫌いな「有料」という札が立っています。 もちろん、Uターンです。 -
【 千本幟 】
有料の日本庭園は諦めて、奥之院と書かれた方角に進んでいくと、目の前にご覧のような光景が現れました。
お稲荷さんというと朱色の鳥居が連なっている光景を思い浮かべますが、さしもの叱枳尼眞天もお寺のご本尊をさしおいてあまり目立つのは遠慮したのでしょうか、ここでは鳥居ではなく、幟になっているようです。
-
【 幟 】
それぞれの幟はもちろん信者から奉納されたものですが、そこにはまたそれぞれの人の願い事が書いてあります。
「商売繁昌」「家内安全」「身体健全」「事業繁栄」「開運満足」などの文字が見えます。
1本1本読んでいて、ふと、疑問が湧きました。 商売繁昌と書いてありますが、それは繁盛の間違いではないか?
私はこれまでずっと、繁盛と思っていましたが、どの幟にもみな繁昌と書いてあります。これは私が間違っていたのか?
車に戻ってからパソコンで調べてみると、本来は「繁昌」と書くのだそうですね。それが当用漢字という制限ができてから仕方なく「繁盛」と書くようになったのだそうで、私はその「仕方なく」使われている字を、それが正しいと思っていたわけです。
あーあ! また自分の無知に気が付きました。 74歳になったというのに、知らないことばかりです。 -
【 万燈堂 】
参詣人が自分の信仰心を献灯という形で表すためのお堂だそうです。
ローソクを何本あげるかはその人の分に応じて決めればよく、1燈でも万燈でもいいとのこと。
私ですか? ・・・分に応じました。 -
【 大黒殿 】
万燈堂の隣が弘法堂、その隣に土蔵造りの大黒殿があります。
中にはもちろん大黒様が。 でも金網越しで、よく見えません。 -
【 おさすり大黒天 】
その大黒殿の前にも大黒様の石像があります。
ムッ? なんだこりゃ?
これは「おさすり大黒天」というのだそうで、俵を撫でると食に困らなくなり、小槌を撫でると金運が上がり、袋を撫でれば福がくるというご利益があるのだとか。
そういう馬鹿なことを誰が言い出すのか知りませんが、多くの人が撫でるためにそこがすり減って凹んでいるというから驚きです。
でも~っ? いくら大勢の人が撫でたからって、こんなに凹みますかねえ?
実はこの凹みは、削り取ってその粉を財布に入れておくと、より大きなご利益が得られるということで、参拝者が我も我もと削ったものだそうです。
それにしても、腹まで削るとは!
「お母さん、呆れるねえ」 -
【 次の犠牲者 】
で、あまり凹んだ像は引退し、次の像に取り換えられるのだそうです。
こちらはまだ削られていないのですが、次の犠牲者として既に運命が決まっています。
なんだかなあ? -
【 奥之院への参道 】
さらに進んでゆくと、ここはもう妙厳寺から独立した神域ではないかと思われる趣きです。
本来は妙厳寺を守る役目の叱枳尼眞天、そのまた家来(?)の狐が主役になっているような一角です。 -
【 霊狐塚 】
神聖な狐を祀った塚ということでしょうか。
私の住む町には「狸塚」というのがありますが、それは腹鼓を打ち過ぎて腹の皮が破れて死んでしまった狸を弔うためのものです。
ここの「狐塚」が何のために建てられたのか、説明がないので分かりません。 -
【 親子狐 】
その霊狐塚あたりから、狐の石像が沢山置かれています。
これは親子の狐。子を守ろうと辺りを警戒しているような親狐、親にしがみつきながら不安そうな表情を浮かべる子狐。 よくできています。 -
【 これも霊狐塚 】
その先には無数の狐像が並んでいますが、写真をよく見てください。 右に岩山のようなものが見えますか?
どうも参拝客が「霊狐塚、霊狐塚」と群がるのはこの岩のようです。
溶岩でできているため、隙間だらけの岩山なのですが、その隙間に1円玉だの5円玉だのが沢山詰め込まれているらしいのです。
それを持ち帰ると金持ちになれるということで、老いも若きも岩にへばりついて、指の入らない隙間には細い棒などを差し込んで、なんとかお金を取ろうと必死になっている写真を見たことがあります。
この日は境内にほとんど人がいませんでしたので、岩に群がる人は見ませんでした。
私は前にそういう写真を見て「あさましい」という印象を持ったので、近づきませんでしたが、こういうときはあまり構えないで無邪気に岩と格闘する方が旅の通なのかも知れません。 -
【 これが霊狐塚? 】
その岩を右に見て突き当りに鳥居を構えた廟のような石造りの塔があります。
何の表示もありませんので、私は勝手にこれが叱枳尼眞天なのかなと思いましたが、帰ってからあれこれ調べてみると、これと同じ写真が何枚か見つかり、そこには「霊狐塚」と書かれていました。
これは「塚」という感じではありませんが、どうもいろいろ見てみると、この一角を霊狐塚と呼んでいるようでもあります。 -
【 群れなす狐 】
さてその「霊狐塚」一帯には夥しい数の狐の像が並んでいます。
あるものは牙をむき、あるものは巻物を咥え、またあるものは穏やかな顔つきで、石という無機質なものとは思えない表情を見せています。 -
【 どこを向いているのか 】
後ろに回ってみて気が付きましたが、ほとんどの狐たちは一様に同じ方角を向いています。
そちらに何かあるのか、ひょっとしたらその方向が叱枳尼眞天のふるさとインドなのか、これまたどこにも説明がなく、分かりません。 -
【 奥之院拝殿 】
もとは本殿(本堂?)の拝殿だったのですが、昭和の初めに本殿を改築するにあたって拝殿だけ移築して奥之院の拝殿にしたのだそうです。
ムッ? 拝殿? 拝殿って、神社にあるものでしょう?
やっぱりここ、神社? -
【 奥之院拝殿 】
近寄ってみます。
掲札に「掌萬民之福澤普霑吉慶」と書かれています。 ナンノコッチャ?と思ったら、私のように無知な者がほかにもいるとみえて、下に意味を書いた張り紙がありました。
「皆さんが幸福を願って手を合わせれば全ての人を慶びで霑してくださいます」
言葉づかいは易しくなっていますが、意味はやっぱりよく分かりません。 -
【 景雲門 】
本殿の拝殿が昭和のはじめに奥之院の拝殿として移築されたと書きましたが、それでは元々あった奥之院の拝殿はどうなったのでしょうか?
それがこの写真にある景雲門です。 いやしくも拝殿だったものがお払い箱になり、こうして門として建っているのを見ると、なんだか企業の人事を見ているようで、せつない気分になってきます。
神仏の世界でも老兵には冷たいのでしょうか? -
【 渡り廊下 】
瑞祥殿から本殿までは渡り廊下が続いています。
渡り廊下というのは、神社にせよ寺院にせよ俗界から聖域への通路のようで、歩いていると自分でも不思議なくらい気持ちが引き締まってくるものですが、これを渡るには立願所で、祈祷をお願いしなければなりません。
もちろん「有料」です。 -
【 渡り廊下の下 】
子供のころ、神社の縁の下に秘密基地を作って、そこで焼き芋やコロッケを食べたものですが、この渡り廊下は高床式になっていて、基地を作るにはいささか開放的すぎます。
それでも、ちょっと周囲の目から自分を隠しているようなワクワク感があります。 -
【 鎮守堂 】
「祭神は白山妙理大権現で云々」と書かれた立札が立っています。
祭神? だったらやっぱりここは神社? と思ってしまいますが、白山妙理大権現は神仏習合の女神であり、十一面観音を本地とするそうですから、やっぱりまあ、お寺ですかね。
それに曹洞宗の宗祖である道元禅師のきもいりで全国の曹洞宗のお寺に祀られているそうですから、お寺にあっても不思議ではないのですね。
あ~あ! また知らないことが出てきた・・・。 -
【 参拝を終えて 】
参拝を終えて再び総門に帰ってきました。
妻と来たときは大変な人出だったということもあってか、今回のように境内をくまなく見て歩くということはなかったので、新しい発見がいくつもありました。
今度こそまっすぐ家に帰ろう・・・と思って豊川ICから東名高速に乗ったのですが、途中の焼津で下りれば妻の好きな「焼津さかなセンター」がありますし、その先には2年前に妻と行った久能山東照宮があります。
「お母さん、行ってみっか?」
それなら今日はその手前で寝よう、というわけで、浜名湖SAで車中泊。
それにしても、やっぱり生きている妻と一緒に来たかったという思いは募るばかりでした。
※ 妻を慰めたいという気持ちだけで続けた18泊19日の車旅でした。それを淡路島・徳島・高知・愛媛・香川・奈良・愛知と7編に亘ってくどくどと書き綴ったのは、あまりにも自己中心的なことであったと反省しております。
にも拘わらず、ここまで読み通してくださり、ありがとうございました。
これからも妻との「同行二人旅」を続けていこうと思っておりますので、またつまらぬ旅日記を投稿することもあろうかと思います。もしお目に止まりましたら、またお付き合いいただければそれ以上嬉しいことはありません。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- 琉球熱さん 2018/01/13 00:57:18
- やはり知らないことばかり
- ねんきん老人さん、こんにちは
大変ご無沙汰しております。
今回もまた勉強させていただきました。
またまた知らないことばかりです。
漫然と眺めるのではなく観察すること
「?」と思ったことは調べること
簡単なようですが、常に実行するのはそうたやすいことではありませんね。
まして、ただでさえちょっと浮かれている旅先ではなおさら。
旅先でも常に観察し、疑問に感じたことは調べるねんきん老人さんには、いつも感心しきりです。
それにつけても、「繁盛」「繁昌」ですか・・・
当用漢字とか常用漢字とか、わけのわからない呼び名をつけて区分するのは馬鹿馬鹿しいですね。漢字で表記した方が意味が分かりやすい単語もあるのに、熟語の一文字だけをわざわざ平仮名にするなんてもってのほかです。
支離滅裂ですが、今回も楽しませていただきました。
-------琉球熱----------
- ねんきん老人さん からの返信 2018/01/14 14:14:18
- 漢字の制限へのご意見、同志を得た思いです。
- 琉球熱さん、わざわざの書き込み、ありがとうございました。
ご自分の知識と勘と足とで自在に旅をアレンジされている琉球熱さんの自在さにかねがね羨望を抱いているところですが、その琉球熱さんから過分なお褒めをいただき、却ってうろたえております。
若いころは自分の無知を指弾されて落ち込んだことが数知れずありましたが、最近は無知を嘆くより「へー、そうだったのか!」と喜ぶことが多くなり、我ながら甘くなったなと実感しているところです。
当用・常用とかいって漢字にあれこれ制限を設けている昨今、自分の思いとは違う字を書かなければならないことが多く、不満を募らせておりました。
たとえば「岩の上に座った」と書くときに、私としては「坐った」と書きたいのですが、当用漢字にないということで仕方なく「座った」と書いています。
当用漢字だけで育ってきた若い人が読んだときに誤字だと思うだろうという心配があるからです。
坐るという動詞を表すのに、どうして場所を意味する「座」を使わなければならないのか、その制限の意味が分かりません。
また私は眼科で「飛ぶん症」と書かれ、何のことですかと訊いたことがあります。「飛蚊症」と書かれれば、自分の自覚症状にぴったりですのですぐに理解できたと思うのです。 琉球熱さんのおっしゃる「熟語の一文字だけをわざわざひらがなにする」愚かさを痛感している所以です。
琉球熱さんのご指摘を拝読して、我が意を得たりという思いをし、味方ができた気分です。
以前、アメフラシをウミウシと書いたところ琉球熱さんから「それはアメフラシだ」とご指摘を受け、その後は同じ恥をかかなくて済んでいます。なにかと心強い存在である琉球熱さんを「同志」と呼んでは甚だ失礼ですが、どうかこれからもよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
ねんきん老人
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ねんきん老人さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
45