2017/09/18 - 2017/09/18
2515位(同エリア4364件中)
みなみんさん
今回も御所周辺を歩くことに。
この辺りも何度も来ているのだが、よく見ていないと言うか気づいていない神社やお寺が結構あった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 徒歩
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三条京阪から三条大橋を渡り高瀬川沿いに北上、御池・二条を通り抜け川原町二条の一筋北側(夷川通)を鴨川方面へ。ここに舎蜜局跡の銅駝美術工芸高校が昔ながらの校舎のまま(確かここは昔は小学校だったような。)で建っている。舎蜜局は京都の公立技術研究所であったもので、この川原町二条のあたりは島津の本社があったりして明治の初めは京都のシリコンバレーみたいなところだったのかと。
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丸太町の鴨川西岸には女紅場跡という石碑があり、この女紅場とは女学校の前身みたいなものでしょう。
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鴨川の岸を荒神口まで上り、御所のほうに向かうと、荒神口の地名のもとになった清荒神こと護浄院。竈の神様を祀り、火の用心、厄除けの神様。因みに京都検定のテキストには載っていない。
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北上して梨木神社。御所に隣接した神社ですが、鳥居の後ろに続く参道部分にマンションが建てられていて、何でって思うのだが資金難による背に腹は換えられないということらしい。やはり京都でもメジャー級でないと資金面が厳しいのかも。確かに坊さんが祇園で豪遊するのは有名だが神主さんが豪遊しているのは聞いたことがない。なるのなら坊さんというところか。
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しかしこの梨木神社、京都三名水の染井がある。県井、醒ヶ井とここですが現存しているのはこの染井だけ。汲んでもって帰れます。
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立派な神社ですが、幕末の尊皇の公家三条実美が祀られている。萩の名所でちょうど萩の季節だったので結構人も多かった。この季節以外は空いているのでしょう。
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寺町通をはさんで廬山寺。
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寺になる前は紫式部の邸宅跡。節分の鬼法楽が有名だが、どんな祭りかまだ知らない。桔梗でも有名なお寺。
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そのすぐ北にあるのが清浄華院。浄土宗四カ本山。知恩院・百万遍知恩寺・金戒光明寺という巨大なお寺に伍して本山張ってます。これはこの地が御所のすぐそばということに関係し、勅願の御所内の念仏道場であったためということでしょう。ということは天皇自らがこの寺で念仏をあげていたことなんでしょう。
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御所に入って東北角の猿が辻。御所の鬼門となっており魔除けの猿の木彫りが飾られている。この猿は日吉大社の神猿(まさる)さん。魔除けの象徴(魔去る)なんですが、さすがに猿らしく悪さもするようなので金網で閉じ込められているとのこと。御所にこのようなおまじないがあることの方が不思議。
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御苑内の同志社に近いところにある桂宮跡。御苑内では南西角の閑院宮跡とここだけが公家屋敷が残っている。閑院宮は公開されているが、ここは宮内庁施設(職員宿舎か)になっていて残念ながら参観不可。
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今出川通を越えて同志社今出川キャンパスに闖入。一応見学できる校舎もあり部外者も立入可のよう。ここは昔の薩摩屋敷跡、この地で薩長同盟が結ばれたとか。そんな土地を会津出身の山本覚馬が購入できた、というのはさらに不思議なお話。(どんどん焼けで荒廃しきっていたのかも知れないが。)そしてさらに臨済宗の大本山相国寺のまさに御膝元でミッションスクールとは。
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その相国寺。臨済五山の第三の大本山。これまで同志社に気を取られてあまり気にも留めなかったのだが、さすがに大本山だけあって大きくて気品もある。金閣や銀閣を塔頭に持つのだから畏れ多いことであった。
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足利義満によって自身の禅道場として夢想疎石を開祖として創設、義満により既に確立していた五山に無理やり繰り入れられる(そのため南禅寺が五山の上になる)。臨済宗の僧籍を管理すること(鹿苑院という塔頭が役所のようなものになる)により僧侶の人事権を握ったことから絶大な勢力を誇ったのでしょう。鹿苑院は江戸時代になり徳川幕府と結びついた南禅寺塔頭金地院の崇伝に攫われてしまった。
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法堂は狩野光信の鳴龍。国内の法堂建築では最古。数々の古書や美術品は奥にある承天閣美術館に金閣や銀閣のお宝と共に収納展示されている。大昔には七重大塔という100m超の塔もあったのだが焼失してしまっている、もちろん応仁の乱でも。
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相国寺の北門から出てほどなく御霊神社。丸太町の下御霊神社と区分するため上御霊社とも。平安京遷都時の早良親王(のちに天皇位が贈られ崇道天皇の祟りを鎮めるために神泉苑で行われた御霊会の御霊を祀る。後に道真公も追加された。
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その昔は御霊社の杜として鬱蒼とした森であった、そのわずかに残った痕跡。もちろん現在では地下鉄鞍馬口駅至近の住宅街で高級マンションの建設が進んでいる。
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応仁の乱(最近は応仁文明の乱らしい)勃発の地の石碑もバッチリ。こちらは東陣で細川勝元陣営。この石碑の向かいにある銘菓からいたのお店が最近は閉まっているのだが。
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上御霊神社から鴨川方向に向かうと寺町通。やはりお寺が並ぶがその中でも光を放つ額縁門の天寧寺。比叡山が額縁の中に納まっている。禅(京都では数少ない曹洞宗)の寺だけあって境内もとてもきれいにしてあって魅力的。
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薄の穂が揺れていて、もう秋の気配を感じる。
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寺町通りを下ると織田信長墓所の阿弥陀寺。総見院(信長の法名)とも。
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本能寺の変が起きた時の本能寺は蛸薬師油小路、当時この阿弥陀寺は今出川大宮にあり、信長の帰依を受けた清玉上人が本能寺に駆け付け信長の首級をかっさらい寺に持ち帰り供養したとされる。帰る途中その首級を洗ったとされる井戸が六角新町の京都逓信病院の敷地にある。明智軍によって信長の首級は探し尽くされたはずであるがこれ如何に。
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阿弥陀寺の南側には日蓮宗本山の本満寺。日蓮宗の大本山は概ね西陣の辺りに集められている(by秀吉)ので、このお寺だけがここにあるのはやや不思議。
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こちらには尼子家の遺臣山中鹿之助の墓所があります。最期まで尼子家再興を目指して織田・豊臣に仕えたが中国攻めの途上で落命。遺児となった長男が武士をやめ酒造業を始めたのが鴻池家の始まり、その両替商が三和銀行となり現在の三菱UFJとなる。
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今出川通りの寺町に大原口石碑があったはずなのに、出町柳に鯖街道口の石碑がある。
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鴨川沿いの散歩道を二条へと。
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家族と合流しがんこ二条苑にてお食事というか居酒屋メニューで夜ご飯。
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庭園に面したお部屋でお食事の後、庭園お散歩。ここは角倉了以の別邸であった後第二無隣庵として山県有朋の別邸となって、日本銀行京都支店長の公邸ののちなぜかがんこに買われたはず。がんこはこういうお屋敷系が好きな様子。
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帰りには高瀬川沿いの幾松の前を通りすがるだけ。桂小五郎の逗留地のはず。
何とか三回目も無事完了。
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