2017/07/28 - 2017/07/30
162位(同エリア1747件中)
nichiさん
- nichiさんTOP
- 旅行記1104冊
- クチコミ2092件
- Q&A回答6件
- 1,285,827アクセス
- フォロワー182人
金曜の夜、私は会社が終わってから速攻帰宅して車で両親を迎えに行き、そのまま家内の六本木の会社の前で家内を待ちます。
19時30分ごろ家内も仕事を終えて出てきました。
家内はハイヒールのままですが、そのまま車で長野へ。
深夜、長野東急REIホテルにチェックイン。
翌朝、ホテルでのビュッフェ形式の朝食を終え、八幡平史跡公園に行き川中島古戦場を感じました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
金曜の深夜、長野東急REIホテルに到着!
-
チェックイン!
-
ビジネスホテルですが、洗練されたロビーです。
-
部屋に向かいます。
私は母の車椅子を押しております。 -
ツインルームです。
両親お部屋は隣。 -
枕元で様々な操作ができます。
-
部屋は広くはありませんが、快適です。
-
スリッパはこちら。
-
バストイレは一緒。
ユニットです。 -
コンパクトで機能的。
-
タオルの隣の袋の中はドライヤー。
-
翌朝!
部屋の窓からの景色。 -
ビュッフェ形式のレストランで朝食。
地元の食材も豊富でうれしいです。 -
朝食後、車で八幡平に行きました。
武田信玄と上杉謙信の合戦があった川中島の合戦の中の4度目の戦いが八幡平の合戦。
八幡平史跡公園にやってきました。
入口には果樹園のお店。 -
桃、トウモロコシ、ネギ、自然薯、胡桃。
色々買って、車のトランクに収納。 -
さあ八幡平史跡公園の中へ。
-
第4次川中島の戦いの際に武田信玄が本陣を置いたとされる場所が公園なっています。
-
八幡社の説明。
-
やってまいりました。
八幡社。 -
1561年(永禄4年)9月10日 武田、上杉、両軍の布陣です。
子供のころ、海園寺潮五郎の「天と地と」を読んで歴史好きになった私としてはもうドキドキです。
NHKの大河ドラマ「天と地と」も大好きでした。 -
神社内を進みます。
-
この辺りの地図を見ると、海津城や妻女山が意外に近いことに驚きます。
-
ウキウキして進みます。
-
八幡原の説明を改めて熟読。
「只一騎愛刀小豆長光を振りかざし武田の本陣に切り込み不意を突かれた信玄は軍配で謙信の太刀を受けたという有名な三太刀七太刀も此の処である。」
ウキウキするくだりがあります!!!! -
お社に向かいます。
-
八幡社御由緒
平安中期、源顕清が信濃の国に流されたとき、広大な景勝の原野に武運長久を祈り、八幡大神をご神木の大欅に包まれる鞘堂内のご神殿に祀られたことからこの高原一帯を八幡平と名付けました。
川中島の合戦で破壊された神殿を信玄は高坂弾正に命じ社殿を再建させました。
その後は明治維新まで松代藩真田家が代々祭祀や管理運営を行ってきました。 -
車椅子の母も小雨の中、興味津々で色々見学中。
-
逆槐(さかさえんじゅ)
信玄の本陣があったことを示す低い土塁の跡がわかります。 -
これです!
高さは数十センチの高さの土塁の跡です。 -
小雨がずっと降ってます。
-
謙信・信玄一騎討ちの場所です。
キツツキ戦法の失敗により、劣勢となった武田信玄。
上杉謙信は一騎で信玄に向かって馬上から切り付けます。
謙信は馬上から信玄を三度斬りつけ、信玄の軍配には七つの傷が残っていたことから、三太刀七太刀(みたち・ななたち)と言われています。 -
この像は有名ですよね。
-
一騎打ちを撮影する父。。
-
これが有名な執念の石!
上杉謙信と武田信玄が一騎打ちがあった際、信玄の家来が槍で謙信を突こうとしますが、かするのみで失敗。
その際その家来は悔しがり、そこにあったこの石を突き通したとのことです。 -
執念の石の説明。
-
家内が何かを読んでいます。
-
武田の軍旗である風林火山の旗です。
孫子の兵法の中の一節です。
「疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」
武田節の中にも出てきます。 -
風林火山の説明。
-
武田信玄に向かい馬上から太刀を振り落とす上杉謙信。
-
上杉謙信の太刀を軍配でうける武田信玄。
-
上杉謙信の軍旗である「毘」と「龍」の旗。
「毘」は上杉謙信が信仰した毘沙門天の「毘」。
謙信の軍勢は、戦場でこの旗があると「毘沙門天と共にあり」と勇気を持って
その加護のもと戦えた。
「龍」は乱れ龍を意味します。
突撃用の軍旗で、謙信の軍勢の勇猛果敢さの象徴でした。 -
上杉謙信の軍旗の説明。
-
首塚です。
屍塚とも言います。 -
この辺りは激戦地であり、6千もの死体が散乱してました。
武田信玄の家来である海津城主高坂弾正は敵味方の屍を手厚く葬たつかの一つです。
この事実を知った上杉謙信は感動し、信玄が困ったときに塩を送る「敵に塩を送る」と言う有名な逸話のきっかけになりました。 -
首塚の説明。
-
家内と母が何か見ています。
-
田中月亀翁父子の歌碑です。
田中月亀は武田軍勢の一つである真田の家来です。
跡しのぶ 川中島の朝あらし いぶきのさ霧 おもかげに見ゆ 月廼亀麿
川中島の大激戦の様子をしのんだ、父が詠んだ和歌です。 -
歌碑の説明。
-
裏側は、田中月亀翁の子供である亀作の和歌。
月影の入りにし後も ほととぎす ひとこえ残す 小島田の里 月廼亀守
大合戦の終わった後のここ八幡原一帯の情景を歌ったものです。 -
ゆっくりと拝見していたら小雨も止みました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
nichiさんの関連旅行記
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
長野市(長野) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
50