2017/07/28 - 2017/07/30
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nichiさん
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今回、松代に来た一番の目的は松代象山地下壕を尋ねること。
ここは父が第二次世界大戦末期に疎開先の学徒動員で肉体労働で苦しんだ場所。父はまだ子供でしたが、かなり苦労した思い出がある場所のようです。
本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営をこの地に移す為、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、突貫工事が行われました。
全工程の約8割が完成しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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お腹が空いてきたので「日暮し庵」へ。
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建物は文化庁の登録有形文化財です。
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この辺りの武家屋敷の代表的な建築です。
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さあ入りましょう。
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こんな雰囲気のお店です。
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メニュー
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とろろ蕎麦をオーダー
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地図を見てこれから行くところを検討します。
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駐車場発見!
ここに車を停めます。 -
松代の街には見所がたくさんあります。
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雲行きが怪しいです。
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松代を流れる神田川沿いを上流に進みます。
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松代象山地下壕に着きました。
第二次世界大戦末期、本土決戦を覚悟した大日本帝国は、ここに地下壕を掘り、大本営を作り始めました。
父は学徒動員でここに連れてこられ、作業していました。
多くの朝鮮半島の方々が旧日本軍の指示を受けて作業していたことを目撃した記憶があるようです。
父たちの日本人の学徒動員組は、壕に入ることはなく、朝鮮半島の方々によって壕からトロッコで運ばれてくる岩石をトラックまで運ぶ作業をしていたそうです。 -
まずは壕に入ってみます。
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父の記憶が甦ります。
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壕に入るのは無料ですが、ヘルメットをかぶらなければいけません。
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ここが壕への入口。
父曰く。昔の記憶が甦ると。。 -
車椅子では入れないので、母は杖をついて入ります。
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壕は総延長10kmに及ぶようです。
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さあ入りましょう。
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どんどん下ります。
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両親ともゆっくり進みます。
当時父は壕に入ることは無かったそうです。
よって壕に入るのは初めて。 -
横穴もたくさんあります。
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奥までずーっと続いています。
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こちらにも横穴。
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壕の中には、作業していた方々によって刻まれた文字が残っています。
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こちらにも横穴。
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当時の杭が残っています。
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こちらで当時の壕を掘った作業の様子を知ることができました。
中は撮影禁止。
父はこれだけ多くの朝鮮半島の方々がかかわっていたことを初めて知ったそうです
。
この資料館を見て、父は様々な記憶を蘇らせました。
トンネルの長さは全部で10kmにもなります。
地下坑道は象山、舞鶴山、皆神山の3つの山の3箇所で掘られました。
象山地下壕には日本政府、NHK、電話局。
そして地下壕の近くには、天皇御座所、皇后御座所、宮内省が造られ現在も残っていることがわかりました。
ほとんど遷都です。 -
松代の神田川沿いを戻ります。
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城下町ならではのこの風情。
素敵です。 -
車椅子の母も大満足です。
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錦鯉が、、、、
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絵になる風景です。
素敵な長屋門。 -
ここに寄ってみます。
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山寺常山邸です。
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立派な表門は江戸時代の物。
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入場は無料。
入口には屏風。 -
山寺家は松代藩の武士です。
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よって、武士の家です。
山寺常山、鎌原桐山、佐久間象山
の3人で、松代の三山と称えられました。 -
表門と渡り廊下でつながる書院です。
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「萬竹庵」と言われています。
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特別な空間です。
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庭園を見渡せる素敵な書院です。
お茶室としても機能しているのでしょう。
畳に炉が切ってあります。 -
この襖!
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外の景色。
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庭園に出てみます。
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落ち着く庭園です。
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庭園の特徴。
大名庭園の庭とは異なり、武士の日常生活と密着した庭です。
鑑賞専用の庭ではありません。鯉も観賞用の鯉だけでなく、食用の鯉も飼われていました。
植木も観賞用の物だけでなく、柿、梅、杏 など食用の木も植えられていました。
周辺の山並みも借景として取り込んだ庭です。 -
父も撮影中。
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母も撮影に夢中です。
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松の形に趣があります。
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山寺常山邸の裏側には水路。
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水路の近くから庭園を振り返ります。
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だーれもいません。
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外に出ました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- picotabiさん 2017/11/11 13:26:32
- すごいですね…
- 1年もしない間にこんな地下壕を…泰緬鉄道もすごいスピードで作ってましたが
全体図をみると驚きます。
お父様は当時は子供だったとのことですが、このときはドラマでよく見ますがほんと女性や子供も国民すべてが一丸となってたのがよくわかります。
小さい頃の苦しい記憶は年齢をどれだけ重ねても忘れられないでしょうね。
- nichiさん からの返信 2017/11/12 11:05:34
- RE: すごいですね…
- picotabiさん
こんにちは。
父は当時15歳。
もう1歳年上であれば戦争に行っていた世代。
松代象山地下壕では大人たちの手伝いをしていました。
壕に入ることは無く、今回初めて壕の中に入ったとのこと。
辛い日々であったようですが、終戦から72年、一度は訪れておきたい場所として父の心に引っかかっていたようです。
写真には撮りませんでしたが、父は壕の入口で長い間頭を下げていました。
> 小さい頃の苦しい記憶は年齢をどれだけ重ねても忘れられないでしょうね。
→そのようです。戦争は絶対ダメですね。
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