2015/12/25 - 2015/12/31
87位(同エリア356件中)
薔薇の咲く庭さん
- 薔薇の咲く庭さんTOP
- 旅行記256冊
- クチコミ1133件
- Q&A回答1件
- 535,560アクセス
- フォロワー57人
キプロスへの旅行に続いてマルタを訪ねる旅行をしました。地中海に浮かぶ軍事上で重要な拠点であったマルタ。中世ではマルタ騎士団がオスマントルコからの侵略を守り切った島です。
ヨーロッパを旅して今まで踏み入れたことのないマルタ島です。旅行記を書くつもりでカメラを持って行かなかったのでとびとびの写真と記録です。今はなくなってしまったアズールウインドウの貴重な写真を記録しました。
第1日目 バレッタ市内観光
第2日目 シチリア島エトナ山
第3日目 ゴソ島
第4日目 バレッタ市内観光 エルモ砦 聖ヨハネ教会 貴族の館
第5日目 ハイジャーイム神殿 ブルーグロップ イムディーナ
第6日目 ヴィトリオーザ
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 徒歩
- 航空会社
- マルタ航空 ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ドイツフランクフルト経由でマルタへ行くことになりました。乗り継ぎの時間ロスが最もなかったからです。
-
フランクフルトで1時間半、マルタへ向かいます。夜間の移動なので、ビジネスクラスを使いました。ルフトハンザドイツのビジネスクラスについての特別な印象はありません。CDの表情が少し硬くて、もっと愛想があると良いと思いました。
-
マルタ航空に乗り換えます。ちなみにマルタ航空はスターアライアンスメンバーではありません。その理由は帰りの便で分かりました。
-
ホテルは日本人がよく使うグランド ホテル エクセルシオールです。5つ星なので設備と景色はなかなか良好。
-
シティ ゲートの下の部分です。この高い城壁で街を守ってきました。
-
シティゲートを入ってメインストリートを歩きます。
-
なかなか高い城壁!
-
クリスマスムードが漂っています。
-
建物と建物とを繋いでリースのイルミネーションが飾られていました。夜はとてもきれいでした。
-
突然ですが、これは国立考古学博物館の中にあるレリーフです。メインストリート沿いにあり、すぐに場所が分かりました。
-
この博物館はマルタの巨石文明跡からの重要な発掘品を所蔵する博物館です。これは何かの像の足?
-
なるほどもともとは像であったようです。それにしてもふくよかです。
-
このドット模様はイムナンドラ神殿の特徴。何でしょうか? 本物はこの博物館に持って来ています。
-
これが有名な所蔵品「マルタのビーナス」「眠れる女神」だそうです。それにしてもふくよか。マルタの女性もふくよかな感じの方が多かったです。ビーナスがふくよかですから。
-
ここでちょっと一息。
-
と言っても、1837年から営業しているマルタで有名な名店「カフェ コルディナ」です。
-
次に訪れたのは騎士団長の宮殿の中にある武器庫。鎧と兜がいっぱい展示してありました。これで戦ったのですね。約6000点が展示されているそうです。
-
広間もありました。
-
廊下は見事なフレスコ画?
-
ここに騎士団長が座ったのでしょう。紋章はマルタも紋章でした。
-
騎士団の歴史を今に伝える豪華な部屋です。少し暗いのですが。
-
外へ出ると広場が広がっていました。噴水が地面から出てくることがあります。
-
騎士団長の宮殿の外側。バルコニーに騎士団長が出て手を振ったとか・・・
-
さらにリパブリック通りを進むと聖エルモ砦に出ました。
-
砦の上から地中海を見ると、穏やかな海が見渡せます。
-
しかし、1565年にオスマントルコの大軍が押し寄せ、4か月間に渡り猛攻を受けますが撃退します。時のマルタ騎士団の団長の名前が首都バレッタとして残っています。(撃退したことにはなっていますが、オスマントルコは国内事情で撤退せざるを得なかった事情があります。)
-
しかし、1798年にはナポレオンがマルタを占領。エルモ砦の中にはこの方の肖像画があるのですね。ナポレオンの没後はイギリス海軍の拠点になります。
今でも、街の中にはイギリス統治時代の施設の赤い格子の公衆電話ボックスがありました。 -
次に訪ねたのは、エルモ砦の近くにあるマルタの貴族の館(カーサロッカピッコラ)。この方はその末裔だそうで、ガイドとして中を案内してくれました。
-
貴族ということでなかなかの豪邸でした。
-
書庫もありました。
-
ダイニングは夏のダイニングルームと冬のダイニングルームの2つがあります。食器が並べられていました。
-
現在使われているものではなさそうです。このほかに庭の防空壕に案内してくれました。マルタがイギリス領であったためにドイツ空軍からかなりの爆撃を受けています。しかし、陥落しなかったのです。第二次世界大戦の勝敗を分けました。
-
外へ出ると暗くなっていました。夜のリパブリック通りです。イルミネーションがステキです。
-
バレッタの街はクリスマスがまだ続いているようです。
-
次の日の早朝です。船に乗ってシチリア島に向かいました。日本語では「シチリア」なのですが、現地で「シチリア」と言っても通じませんでした。「シシリア」と言うと通じます。
-
現地ツアーに参加しているので、なんという港か分かりません。とにかくシチリア島に着いた時の港です。
-
大きな船でほとんど揺れませんでした。港にはバスが待っていて、そのバスに乗りました。英語のガイドをするバスです。このほかにドイツ語のバスがありました。エトナ山へ向かいます。
-
途中で寄った教会です。
-
壁画です。
-
外から見た教会。
-
ツアーだと名前は分からない町でも目的地へ行くことが出来るので安心です。
-
街を抜けてエトナ山へ近づいてきました。
-
火山の景色です。
-
噴火した時に、火山灰で埋まってしまった家が途中にありました。
-
痛々しい感じです。この家の人は無事だったのでしょうか?
-
山頂は?
-
バスの終点からロープウェイに乗ります。
-
雪が残っています。イタリアとはいえ寒い!3000mを越えています。ヨーロッパ最大の活火山です。
-
山頂はすごい雪。ここまで来ることが出来るバスです。結局曇りで何も見えず、下山。
-
頂上のお店で食べたおやつ。エトナ山の形をしたパンでした。
-
降りてきて寄った町はモデカ
-
街の中心らしいロータリーです。
-
階段の街で教会も階段を上がった所にありました。中には入ることが出来ませんでした。
-
すごい!山の上まで家が建てられています。上に住む人は行き来が大変です。
-
この町はチョコレートで有名な町でした。通りにあるのはチョコレート屋さんばかり。よくこんなにもチョコレート屋さんがあるものだと思いました。
お土産のチョコレートを買って、船に乗ってバレッタに帰りました。 -
次の日はチェルケルアまで行き、船に乗ってゴソ島へ向かいました。ゴソ島に渡る船の中で、周遊バスのチケットを買いました。ゴソ島に着いてから買うより割引があってお得感があります。
-
途中のワインバー。 なぜこの写真を撮ったかと言うと、
-
クラッシックな建物のガラス窓に貼ってあったのは「WiFi」のマークでした。かなりびっくりしました。マルタも世界の情報網から外れてはいません。
-
途中の景色です。島っぽい感じがします。だんだん畑です。
-
ん?
-
これは昔の水道かも?
-
出ました。きました。アズールウインドウ。今はもう見ることが出来ない景色です。
-
まさか崩壊してしまうなんて・・・。確かに「危険なので上には行かないでください」と言う標識は出ていました。それでも上を歩く人がいましたが。
-
ウインドウの足元の海です。ウインドウの前のブルーホールというダイビングスポットがあるそうですが。
-
窓がぽっかり開いているいるような景色です。自然は素晴らしい偶然を作ります。数千年の浸食によって作られました。いつかは崩れると言われてはいましたが、まさか・・・
-
2017年3月8日に嵐によって、影も形もなくなってしまいました。もともと石灰石でできていたので、強固なものではなかったのです。
-
確かにアズールウィンドウへ行った証拠写真です。この写真はもう撮ることはできません。行っておいてよかったです。良い記念になりました。
-
アズールウインドウを後にして、チタデルに向かいました。
-
途中にあった有名?な教会です。
つづく・・・
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ゴゾ島(マルタ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
69