2017/06/30 - 2017/07/01
177位(同エリア256件中)
ジバゴさん
続いて煎茶の掛け物展を 観覧する 展示品はここ柏崎にちなんだものが多くあり 例えば蠣崎波響が柏崎住人宛に出した手紙が付属した作品、又、土佐光起の菊の会などは 昭和天皇が 柏崎飯塚邸に宿泊した時に 飾られた作品ということです。
煎茶はあまり馴染みがないのですが 掛け物だけは抹茶にも使われるものだと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
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西園雅集の図 蠣崎波響 筆 宝暦13年~文政9年(1763~1826) 63才没
松前候の二男で、 詩を僧六如に習い、画を大原呑響に習いました。 画風は円山派風の絵を残しています。 波響は松前志摩守のもとで蠣崎将監と称し、蝦夷地の管理にも当たりました。 この絵の箱の中に蠣崎将監より越後柏崎松村規右衛門宛の手紙の外封が残されています。 北前船により越後柏崎と蝦夷地との交流があったことを示す資料ともいえます。 絵は中国の風俗を書いた文人画風のものです。
木村茶道美術館解説書より 以下同じ -
驟雨渡船の図 木下逸雲 筆 寛政12年(1800)~慶応2年(1866) 67才没
長崎生まれの漫画家本名木下葬祭事業専用としてみましたが初め石崎洋氏の文に入りついで新人公演に南宋画を学びましたさらに共栄でて市場ハイヤー復古ヤマト上の方もえ得しましたの -
古染付荒磯文仙茶碗
南京染付の一種で中国の天啓年間(1621年~1627年)頃作られたものとされ、民窯ゆえの自由な筆さばき釉のぼかし等に雅趣ありと茶人に好まれました。 -
牡丹の図 釧雲泉 筆 宝暦9年(1759)~文化8年(1811) 53歳没
島原藩士の子として生まれ、旅と酒をこよなく愛し、倉敷、京都、大阪などを転々とし文化3年(1806)4月46才頃大窪詩仏と共に信越を旅し、柏崎にも立ち寄りました。 各地で画の依頼を受けて制作しているようなのでもしかしたらこの幅も、その時描いてもらったのかもしれません。 一度江戸に戻りましたが、妻子を連れて三条に移住しました。 出雲崎など各地で南画の普及に尽力しています。 -
浅絳山水 高野米峰 筆 文政4年(1821)~明治42年(1909) 89歳没
米峰は柏崎の東部平井の文化人で、書が多く残されています。 また絵も数多くはありませんが秀作を残しています。 北大路魯山人は書では良寛、絵では米峰を越後のの秀逸と見ていました。 -
水墨山水 村山哲斎 筆 文政4年(1821)~明治32年(1899) 79歳没
貞観園の9代目。 現在の柏崎市の岡野町生まれ。 画を帆足半雨・村山致道に学びました。 明治15年の国絵画共進会で1等賞を受けています。 妻は高野米峰の妹。 -
菊の絵 土佐光起 筆 元和3年(1617)~元禄4年(1691) 75歳没
土佐光則の子。 土佐派中興の名手。 江戸時代に入り 狩野派に押されていた土佐派を再度隆盛に導きました。 この絵は第二次大戦後、昭和天皇が新道・飯塚亭に宿泊した時に飾られた作品です。 -
達磨香炉 江戸 18~19世紀 朱唐金
達磨の立像形香炉。 鋳銅製で顔は金を張り、 全体は朱漆が塗っております。 -
栽蘭賦 隠元隆琦 書 高泉性潡 跋
隠元は明僧で1592~1673、福州の人。 来日して黄檗山万福寺建立。 長崎・興福寺の逸然の再三の要請により、63才の時来日しました。 煎茶を好み、日本の煎茶の元祖とも言われています。
高泉は崇禎6年(1633)~元禄8年(1695)。 13歳にして仏門に入り、黄檗山の慧門如沛に師事。 寛文2年(1661)隠元に招かれて来日。 元禄5年万福寺5世となりました。 -
墨蹟 隠元隆琦 筆
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墨蹟 木庵性瑫 筆 慶長16年(1611) ~ 貞享元年(1688)歿 72才
隠元と共に中国から渡来の禅僧で、黄檗山萬福寺の2世を継ぎました。 書に優れ隠元木庵即非の書を隠木即と称して黄檗三筆と云い、その書風が珍重されています。 -
書幅 木庵性瑫 筆
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蓮鷺図 狩野尚信 筆 慶長12年(1607)~慶安三年(1650) 43歳歿
江戸初期の画家。 京都生まれ。 淡幽の弟。 子は狩野常信。 通称は主馬。 剃髪して自適斎と号す。 江戸に出て幕府御用絵師となりました。 -
金襴手煎茶碗 12代 永楽和全 作 文政6年(1823)~明治29年(1896)
永楽家12代。 11代保全の長男。 慶応2年(1866)加賀前田候に招かれ、九谷焼の改良に尽力。 明治になり西村姓から永楽姓に改めました。 青磁・金襴手・赤絵等を得意としました。 -
筥崎八幡宮 自画賛 仙厓義梵 寛延3年(1750)~天保8年(1837) 88才歿
幕末の人。 聖福寺123世住職として赴任。 よく寺を出て筥崎八幡宮の丘に登って海を眺めたようです。
本幅は嘗て京都の名家、内貴清兵衛氏の旧蔵品です。 -
燕に合歓木 巌如上人 筆 文化14年~明治27年(1817~1894) 78歳没
本名は大谷光勝といい、大谷派本願寺21世管長を務めた人で、同派20世達如上人の第三子。 安政5年、明治元年の両渡に渡り本願寺が炎上したので、これの復興に努力しました。 維新に際しては、しばしば朝廷に献金を行い、それら勤王活動により明治5年伯爵位を授与されました。 -
観音画賛 彰如上人 筆 明治8年(1875)~昭和18年(1943) 68才没
俳句で知られる東本願寺23世法主・大谷句仏師の大谷派管長時代の称で、俳句や絵画を多く残しました。
観音菩薩は33身に変化し、衆生を救済すると云われています。 -
三狗図 円山応瑞 筆 明和3年~文政12年(1766~1830) 64才歿
円山応挙の長男で、 父応挙に画を学びました。 この絵は可愛い子犬が3匹、墨の濃淡により書かれたものです。 -
東下りの図 田中訥言 筆 明和5年~文政6年(1768~1824) 56才歿
尾張の人で待中、痴翁と号す。 古土佐風の名手で華麗な作品を残しています。 この絵は公家が東下りの途中で俄雨に降られて道を急ぐ場景を画いたものであり、右下には路傍の観音様に傘を捧げる女性が、心やさしく画かれています。 -
花扇献上の湯牛乳震災 生没年不詳
江戸後期文化の頃 活躍した医師別に龍華園ともコース 葛飾北斎の門下生である風景画を匠に書きましたこの愛は花も木を運ぶ長老に奴が傘をさしかけ近い使いする様子を華やかに書いています -
南京染付龍文煎茶碗
広い意味では中国製の染付磁器を示しますが、茶道では明末から清初1620年~1660年景徳鎮民窯で、日本からの特注物品を示します。 日常使う小物が主体で懐石道具が多く輸入されました。 -
双鶏図 鈴木牧之 筆 明和7年(1770)~天保13年(1842) 73才歿
越後・塩沢の生まれ。 幼名は弥太郎。 牧之は俳号。 子供の頃から書画に親しみ、才能を発揮しました。 19歳の時江戸に出て縮商を行う一方で、山東京伝や滝沢馬琴・十返舎一九などとも交流を行い、後、塩沢に帰り、「北越雪譜」や「秋山紀行」など著しました。 -
群蝶 渡辺崋山 筆 寛政5年~天保12年 (1793~1841) 49才歿
三河田原藩士。 画家でもあるが洋学者としても有名な人物。 絵を金子金陵や谷文晁に師事し画技を磨き、南画のほか沈南蘋風に西洋画の技法も加えた折衷画風を形成しました。 西洋事情に通じ、その開化思想が幕府にとがめられて入牢の後、田原に蟄居を命ぜられましたが、禍が藩主や老母、養子に及ぶことを恐れて「不忠不幸渡辺登」と大書して自刃しました。 この群蝶図も西洋の図鑑絵のような細密な絵であり、紙も洋紙を使用しています。
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