2016/02/15 - 2016/02/15
36位(同エリア168件中)
あおしさん
ロードス島2日目。
今日はお目当てのロードス旧市街へ。
ここは聖ヨハネ騎士団、別名ロードス島騎士団が作り上げた町。
聖ヨハネ騎士団はヴェネチア、ジェノバ、ピサと並ぶイタリアの海運国家であったアマルフィの商人がエルサレムに巡礼者のために作った病院から始まりました。
その後十字軍時代になり、騎士団は軍事集団となり、エルサレム王国など十字軍国家のイスラム勢力からの防衛のため闘い続けます。
十字軍国家がイスラム勢力により滅ぼされると、このロードス島にとどまり、オスマン・トルコなどと闘い続けます。
ロードス騎士団の戦いを描いた、塩野七生さんの「ロードス島攻防記」を片手にスタート。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
ロードス島、2日目。
今日は天気がよさそうだ。
朝焼けが美しい。Mediterranean Hotel ホテル
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ホテルの前から見るエーゲ海は「これこそ、エーゲ海」と勝手なイメージのエメラルド・グリーン。
ついでに「エーゲ海に捧ぐ」を歌ってしまったりして。 -
ホテルの前のビーチをぶらぶらと。
夏はさそかしにぎわうことでしょう。 -
さて、お目当てのロードス旧市街へ。
聖ヨハネ騎士団が200年かけて作り上げた城塞都市です。
ロードス港から見るロードスの城砦。
当時船でこの島に到着した人、そして今ならクルーズ船で到着した観光客はまずこの城砦に圧倒されるに違いない。ロードス騎士団の本拠地 by あおしさんロードス島の中世都市 史跡・遺跡
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城門をくぐり、まずは聖ヨハネ騎士団病院。今は博物館になっています。
もともと聖ヨハネ騎士団はヴェネチア、ジェノバ、ピサと並ぶイタリアの海運国家であったアマルフィの商人がエルサレムに巡礼者のために作った病院から始まりました。
その後十字軍時代になり、騎士団は軍事集団になりましたが、医療事業も続けていて、当時のヨーロッパにおける最高の医療技術と設備を持った病院でもありました。
現在では聖ヨハネ騎士団は軍事色は無くなり、バチカンと同じローマに本拠を置く宗教国家&医療団体として存続しています。
つまり原点に戻ったわけです。
残念ながら今日はお休み。
展示物はどうでもいいが、当時の最高水準を有した病院を見たかったのですが・・・ -
この病院からの坂道は「騎士団の道」 と呼ばれています。
騎士団は各国ごとに8つの軍団を作り、それぞれ騎士館を作っていました。
その騎士館がこの道の両側に現在も残っています。
今では企業のオフィスに使われているようです。
こういうところで勤務する気分ってどんなものだろう。 -
路面は騎士団がいた500年前と同じ、小石を敷き詰めた舗装道路です。
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フランス国旗がはためくこの館はフランス騎士団館。
騎士団に入団すると1年間はここで「合宿」し、その後は街中に住んだそうです。
なんだかプロ野球の新人のようですね。 -
騎士団館の中にちょっと入ってみました。
中に庭のあるがっしりとしたいかにも騎士団の「家」です。 -
坂道を登りきると、騎士団長の館。
いわば聖ヨハネ騎士団の「ホワイト・ハウス」
武人の館らしく、宮廷貴族の作った城とは違い、質実剛健という感じです。
私は性格的に「おじゃる」貴族より武人に近いので、こういう城の方が好み。 -
騎士団長の館のそばには、スレイマン・モスク。
スレイマンはオスマン帝国最盛期のスルタン(皇帝)で、今までのスルタンと異なり、ヨーロッパからも「騎士道精神を持ったスルタン」として スレイマン大帝と呼ばれました。
1522年、20万人の軍勢でこの島に攻め寄せ、激しい戦いのあと、聖ヨハネ騎士団をマルタ島に退去させ、この島を占領しました(これ以降、聖ヨハネ騎士団はマルタ騎士団とも呼ばれます)。
ただ、それまでのスルタンと異なり、「騎士道精神」を持った彼は、騎士や住民を虐殺したり奴隷にすることもなく、町も破壊することが無かったので、こうして私もこの町の風情を楽しむことができるわけです。 -
スレイマン・モスクからの下った通りがメイン通りのソクラテス通り。
夏のシーズンならお土産店などでにぎやかなようですが、今はほとんどのお店がお休み。
「ギリシア人、もっと働きなさい!」お土産モノ屋さんが並びます by あおしさんスレイマン モスク 寺院・教会
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このロードスの見所はなんといっても聖ヨハネ騎士団の作り上げた城砦。
スレイマンの前に降伏するまでに、何度もイスラム勢力から攻められても、撃退してきた難攻不落の城砦です。
というわけで5キロにわたる城砦を外から一回り。
まずは騎士団長の館の付近。
高い城壁に囲まれ、圧倒的な存在感です。 -
町への入り口のあったアンボアーズ門。
戦争中はここを閉じてしまえば敵の侵入をシャット・アウトできるわけです。 -
スレイマンが20万の大群を率いて攻めてきたとき、最大の激戦場所だったスペイン砦。
このあたりはスペイン人の騎士団が守ったことから、スペイン砦と呼ばれました。
騎士団長リラダンはこの砦の上で甲冑姿で立ち、味方の戦意を高揚させたそうです。 -
スレイマンの率いるトルコの20万の軍勢に対して、騎士団は騎士600人、従者2000人、住民も協力して、5ヶ月にわたってオスマンと戦いました。
オスマン・トルコも約半数の10万の戦死者を出すほど苦戦しましたが、騎士団も400人が戦死したところで、スレイマンの降伏勧告を受け入れマルタ島に退去しました。
5ヶ月間騎士団を支えたこの城砦はその規模、保存状態、形、美しさともすばらしく、個人的にはローマのコロッセオ、エジプトのピラミッド並みの遺跡と思います。 -
ギリシアの代表的な史跡はアテネのアクロポリスだろうけど、はるかにこちらのほうが見ごたえがあります。
自らを散々苦しめたこの城砦を壊さなかったスレイマンに感謝! -
円形の砦もありました。
ロードス島の戦いを描いた塩野七生さんの小説「ロードス島攻防記」を片手に読みながら、ここでこういう戦闘があったんだなあ、と想像しながら2時間かけて歩きました。
多くの騎士たちの血が流れたこの場所も今は穏やかな散歩コースです。 -
この町は中世の町並や家々がそのまま現在も住民により使われています。
これだけ見事に町並や家々が残っているのは他には無いのでは。
少なくとも私が見た限りではスペインのトレドよりも保存状態がよく、家々も騎士団のいた500年前そのままのよです。 -
住んでいる人は大変かもしれませんが、いつまでも残してほしい町並みです。
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今回は準備不足で、ホテルも旅行会社に丸投げしてしまったけど、もっと早く準備して、海沿いのリゾートホテルではなくて、この街中のペンション(民宿)にとまりたかったな。
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預けていた荷物を取りにホテルに戻り、バスでロードス空港へ。
ロードス19時35分のフライトでアテネにとび、そこからクレタ島へ乗り継いで到着は夜11時。
なかなかハードなスケジュールだ。
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