2017/05/30 - 2017/05/31
5位(同エリア18件中)
naoさん
旅の行程
5月30日 根雨、富吉
5月31日 所子、御来屋、鹿野
鳥取県鳥取市鹿野町(しかのちょう)は、古くから伯耆街道(山陰道)の交通の要衝に位置し、因幡国や伯耆国を支配するうえで重要な戦略拠点として、毛利氏や尼子氏などの軍勢により、度々争奪戦が繰り広げられてきました。
永らく続いた戦乱の世が豊臣秀吉により収束されると、尼子氏の家臣である亀井茲矩が天正8年(1580)に一万三千五百石を拝領して鹿野城に入封し、本丸、二の丸、三の丸、西の丸の構築をはじめ、外濠を巡らす大改修が行われるのと同時に、城を中心に武家屋敷を置き、その周囲に町人町を配置した、今も見られる町割りが整備され、近世城下町へと大きく成長しました。
切妻屋根厨子2階建に、虫籠窓、ナマコ壁、千本格子などをしつらえた町家が軒を連ね、清らかな水が流れる石積みの水路が巡らされた町並みは、城下町として栄えていた頃の面影を残しており、往時にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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鹿野城の城下町、鹿野にやって来ました。
では、鳥取市鹿野町総合支所の駐車場に車を停めさせてもらって町歩きを始めます。
あいにく、先ほどから雨が降り出したんで、雨の中の町歩きになってしまいました。 -
旧鹿野町の汚水枡の蓋。
旧鹿野町の木「椿」の花がモチーフになっています。 -
相撲取り塚に立つ石碑です。
「二ツ龍庄八」は鹿野町出身の力士で、明治時代初期には大関を務めていたそうです。
かつて、相撲で名を挙げた力士の出身地では、力士の力にあやかって災いなどから守ってもらおうと、このような相撲取り塚を集落の入口付近に立てる習慣があったようです。 -
鹿野町の町並みです。
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降りだした雨がモミジの葉を濡らしています。
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軒の出の深い下屋がある土蔵です。
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土蔵の軒下に飾られた生花。
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いろいろな格子が楽しめる町家の角に立つ石行燈は、町並みの景観づくりの一環として設置されているそうです。
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町並みに連なる家々に屋号を書いた瓦が置かれていたり・・・
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風車と俳句を詠んだ短冊を飾るのも、景観づくりの一環のようです。
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町並みを彩る花籠。
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こちらの町家は、景観に配慮してクーラーの室外機に格子の覆いを設けておられます。
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この石標にその事が書かれています。
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鹿野町の町並みです。
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改修された2階には、モダンな格子の手すりが付けられています。
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いろんな格子のバリエーションを見せる町家です。
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ここまでの町並みを振り返った光景です。
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こちらは大工町の公民館。
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4枚引きの木製ハンガー戸の中はガレージなんでしょうね・・・。
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こちらの町家は、珍しい鬼瓦が使われています。
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巨大な下見板の外壁は圧巻です。
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こちらの町家の鬼瓦も、珍しいものが使われています。
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厨子2階部分の外壁に、化粧格子が付けられています。
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町並みを流れる水路がありました。
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水路際に建つ町家は・・・
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荒壁のままの、風情豊かな外観を見せています。
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玄関の屋根にはムクリが付けられています。
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枝ぶりも見事な門冠りの松。
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町並みは三叉路に突き当たりました。
この三叉路は、桝形と同じ意味の、城下町特有の防衛上の工夫なんでしょうね。 -
ここからは、右に曲がって進みます。
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曲がった先に続く町並みです。
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こちらのカフェはこの日はお休みしていました。
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厨子2階建の町家の玄関先には・・・
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菅笠のオブジェが飾られています。
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またまた三叉路に突き当たりました。
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ここでは左に曲がります。
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曲がった先に延びる町並みです。
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三叉路の方を振り返った光景です。
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こちらの町家の背の低い千本格子は手すりのようです。
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こちらの町家の千本格子は、背の低いものと高いものを使い分けておられます。
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幾重にも屋根が重なる妻入りの町家。
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妻面にも出格子窓を開けた町家。
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この建物は、産業振興のため昭和8年(1933年)に稚蚕飼育所として建てられたもので、その後、学校、保育所、公民館、縫製工場などの変遷を経て現在に至っています。
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現在はまちづくり活動の拠点として、多目的ホール、カフェ、レンタルオフィスとして運営されています。
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鹿野城跡公園にやって来ました。
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お堀の鯉と戯れながら、のんびりと羽づくろいする白鳥。
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現在の鹿野城跡には天守閣はなく、石垣などの遺構が残されているだけです。
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鹿野城に入封した亀井茲矩は、天竺の仏跡にちなんで城下を鹿野苑(ろくやおん)と呼ばせていたそうです。
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須佐之男命(スサノオノミコト)を祭神とする城山神社の一の鳥居です。
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天正8年(1580)に亀井茲矩が鹿野城に入封した頃は、妙見祭と呼ばれていた例祭が秋と春の2回盛大に行われたようですが、現在は毎年4月の第1日曜日から3日間開催されています。
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では、鹿野城跡公園を後に、町歩きに戻ります。
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町並みへ戻って来ました。
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風情のある荒壁の町家です。
この先に交差点があるので、右に曲がります。 -
右に曲がってすぐのところにある散髪屋さん。
もし私が名付けるとしたら、「荒壁の散髪屋さん!」といったところでしょうか・・・。 -
鹿野町の町並みです。
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ガラス戸の桟の組み方に味があって良いですね。
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統一されたデザインの千本格子のある町家。
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厨子2階建部分の格子がいいアクセントになっています。
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格子の無いガラス戸だけの町家。
格子があるのが鬱陶しいんですかね・・・。 -
この程度の間隔のある格子ならそんなでも無いと思うんですが・・・。
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鹿野町の町並みです。
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こちらの町家は、道路に面して靴脱ぎ石を設けておられます。
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たくさんのガラス戸を仕舞い込むので、分厚い戸袋が設けられています。
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こちらの町家も、道路に面して靴脱ぎ石が設けてられています。
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下見板張りのひと際大きな妻壁の町家は糀屋さんです。
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年期の入った糀屋さんの看板。
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看板に書かれている「枡屋」の文字が、屋号を書いた瓦にも見られます。
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こちらの町家の角にクラシックな消火栓があります。
今も使われているんでしょうね・・・。 -
その町家の軒先に吊られた風鈴。
用いられている花は、旧鹿野町の木「椿」でしょうか・・・。 -
糀屋さん越しに鹿野町の町並みを振り返った様子です。
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こちらの町家は、デザインが統一された千本格子がはめられています。
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すっきりした佇まいのこちらの町家は、白漆喰塗籠めの袖壁が設けられています。
袖壁の先にある持ち送りも同じように塗籠められています。
さて、鹿野町の風情ある町並みもこの辺りまでなので、ここで引き返します。 -
水路の際に、安全のための欄干が設けられています。
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鹿野町の町並みです。
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ここからは、先に通った「荒壁の散髪屋さん」の先の角を右に曲がった脇道を歩きます。
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こちらの町家の角に行燈が置かれています。
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竹筒に「しかの」の文字を彫り込んであります。
竹筒の中に照明が組み込まれているようなので、夜間は文字がくっきりと浮かび上がるんでしょうね。 -
緩やかに下りながら続く町並み。
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厨子2階建の、小窓のデザインが良いですね。
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玄関部分に庇を付けた町家。
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こちらの町家は、全ての開口部に庇を付けています。
では、ここで引き返します。 -
町並みの先で、こんもり茂って見える小山は鹿野城址公園の城山神社の森ですね。
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こちらは鹿野往来交流館で、観光案内所などが入っています。
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こちらの見事な町家は、白漆喰を塗籠めた持ち送りで屋根を支えています。
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持ち送りの白漆喰に施された鏝絵も見事な出来栄えです。
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こちらの町家の裏にあるお庭は・・・
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背の低い土塀で囲まれています。
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苔の生した石橋の架かった町家。
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こちらの町家は、厨子2階部分の格子窓がアクセントになっています。
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鹿野町の町並みです。
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本格的な虫籠窓とナマコ壁をしつらえた町家がありました。
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出格子窓の枠には、空飛ぶツバメと・・・
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月に叢雲が彫られています。
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脇道に面しているおかげで、妻面にもこれだけの窓が取れるんですね。
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クラシックな消火栓に屋根を架けて、傷まないように守っています。
公共物を大切にする気持ちの表れですね。
私も見習わなければいけません。 -
本格的な虫籠窓とナマコ壁をしつらえた町家を、反対側から見た姿です。
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煙出しの越屋根とともに、出格子を受けている彫刻された持ち送りが見応えありますね~。
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この写真では判りにくいかも知れませんが、下屋の下に付けられた庇の瓦が、中央の玄関部分だけ1枚分長く延びています。
ちょっとした事なんですが、こんなところにお客さんを迎えるきめ細かい気配りが感じられます。 -
ここでまたまた三叉路に突き当たりました。
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三叉路の角にある町家は・・・
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とても間口の広い建物です。
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三叉路から今まで歩いて来た町並みを振り返った光景です。
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こちらの町家は、厨子2階の腰部分に背の低い下見板を張っています。
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三叉路にあるお店。
ガラス戸に書かれたドイツ語らしき店名の意味は判りませんが、何やら楽しそうな気配がします。 -
こちらの町家の角に立つ石行燈は、今までの物と若干デザインが異なっています。
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鹿野町の町並みです。
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路地から見た町並みの様子です。
藍染の暖簾が、この町家にピタッとはまっています。 -
藍染の暖簾が架けられていた町家です。
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石垣に河童のカップルが腰掛けています。
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この町の水路にはきれいな水が流れているので、さぞ住みやすいことでしょうね。
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こちらの町家は、鹿野町の5人の女性グループの手で運営されている、築90年の町家を改装したお食事処です。
地元の食材を中心に、無添加にこだわった料理を提供されているそうです。 -
こちらの町家は、観光案内所になっている「ゆめ本陣」です。
町家を改装した館内は、1階が休憩所や特産品売り場などで、2階はギャラリーになっています。 -
赤い郵便ポストが町並みに溶け込んでいます。
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先ほどから気になっていた石灯籠を良く見ると、「カ」と「鍛冶町」と彫り込まれています。
地図によると、このあたりは鍛冶町と言うようで、鍛冶町の石行燈だけがデザインが違うようです。 -
さて、鹿野町の町並みも一通り歩いたようです。
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伯耆街道の交通の要衝に位置し、因幡国や伯耆国を支配するうえで重要な戦略拠点として、度々争奪戦が繰り広げられてきた鹿野町。
豊臣秀吉により戦乱の世が収束されると、鹿野城に入封した亀井茲矩の手で城下町の整備が成されました。
今も清らかな水が流れる水路が巡らされた、当時と変わらぬ町割りが残る町並みには、切妻屋根厨子2階建に、虫籠窓、ナマコ壁、千本格子などをしつらえた町家が軒を連ね、城下町として栄えていた頃にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えさせてくれる素晴らしい町を歩くことが出来ました。
再訪したい町が、また一つ増えました。
では、この旅を終えて帰路に着きます。
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