2017/08/01 - 2017/08/01
680位(同エリア3203件中)
Akrさん
ご覧下さいましてありがとうございます。
今回はとんでもないものを投下致します(笑)
古い電車の写真しか出てきません(笑)
国鉄車両が好きだ、昭和の電車がいちばん。と思われている方は、どうぞ遊んで行って下さいませ。
そうでない方は、かなり偏った内容ですので、「戻るボタン」奨励(笑)です。
皆さんは、自分の趣味のルーツを探りになった事がございますでしょうか?
いつごろからのめり込んだんだっけとか、あれがきっかけだったなとか色々あるかと思います。
私は、幼少の頃、親に連れて行ってもらった東京で見た電車に衝撃を受け、以来、「この道」にどっぷりと浸かってしまっています。途中のブランクこそあるものの、アラフィフのおっさんになった今も現役で鉄道趣味を
楽しんでおります。
そんな私の「鉄旅のルーツ」といえば、小学6年生にはじめてひとりで「撮り鉄」に出かけたミニトリップ?です。
初めて手にした自分専用のカメラを携え、親にはなにかあったら見せなさいと「旅行証明書」なる一筆添えた書簡(笑)を持たされ、向かった行き先は「仙台駅」
超近所。
でも、生まれて初めて自分できっぷを買ってひとりで電車に乗る。そんな体験に胸をときめかせながら出かけたことを覚えています。本でしか見たことがない憧れの電車たちを目前に見て感動し、鉄の道へと手を染めて行くことになった(犯罪者みたいな言い方だな)自分のルーツがこの旅行記?です。
当時小学生が撮ったしょーもない写真の羅列ですがいまは無き、国鉄の名車がどんどん登場しますのでお好きな方はどうぞ遊んで行ってください。
ちなみに旅行期間が今年になっていますが実際には1979年のお話となっています。
※本文コメント内の列車名、行き先、発車時刻は当時のメモや時刻表を参考に記載しておりますが、なにぶん記憶違いもあるかと思いますので、誤った情報があればご指摘下さい。
※表紙写真は、仙台~長町間を走る上野ゆき特急ひばり号。後ろには工事中の東北新幹線の高架橋が見えます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JR特急 JRローカル
-
「鉄道ジャーナル」
1978年12月号。
私が生まれて初めて、自分の小遣いで買った鉄道雑誌です。
ちなみにいまも現役で所蔵しております(保存状態は最悪ですが…)
歴史的ダイヤ改正であった、昭和53年10月のいわゆる「ゴー・サン・トオ」それの記念号でした。 -
特集は、紀勢本線の和歌山~新宮間の電化の話題です。
くろしおがキハ81で運転されてたのが、「最新型電車」の381系振り子式電車に置き換えられるようです。 -
「ゴー・サン・トオ」ダイヤ改正の特集記事や
-
お馴染み「ドキュメント列車追跡」では、夜行鈍行の「南紀」と新設特急の「南紀」をダイヤ改正前夜から乗り継ぐ旅。
文は種村直樹先生、写真は沖勝則カメラマンのコンビ。
いまはお二人とも故人となってしまいました。
当時、おバカな小学生であった私は、専門用語などちんぷんかんぷんでしたが、「ああ、いろんな電車に乗って日本全国を旅してみたい」と鉄旅に強い憧れを抱きながら本を何度も眺めていました。 -
そして、親と出かけた時に父親のカメラを拝借して、生涯初の撮り鉄を試みます。
仙石線の73系?
モノクロでブレブレ。記念すべき1枚。
撮影場所は、仙石線榴ケ岡駅の踏切。
昭和53年頃。榴ケ岡駅 駅
-
こちらは、旧型国電の足回りに103系電車の車体を乗っけた風変わりな79系電車。こんな顔ですが吊り掛けモーターでした。
※のちに「本物の103系」に改造されて川越線で余生を送りました。 -
こちらは、親戚の家に遊びに行った帰りに、生涯初の「駅撮り」に挑戦した1枚です。
被写体は、485系の特急やまびこです。(たぶん)
ダイヤ改正前でまだ、絵入りヘッドマークではなく、文字だけです。
撮影場所は、東北本線南仙台駅。旧駅舎が懐かしい。
昭和53年夏頃か…
この後、自分専用のカメラを手に入れ、どうしてもひとりで電車の写真を撮りに行きたくて行きたくて親に交渉。「制限時間付きの近場なら」の条件で許しをもらいました。
そして決行の日を迎えます。
とにかくどきどきして仙台駅へ向かったことをいまでも覚えています。
ちなみに自宅最寄駅は、榴ケ岡駅。仙台まで仙石線でたったのひと駅です。南仙台駅 駅
-
仙台運転所。
ここも自宅から近くでした。ED75を試し撮り。 -
こちらはED71。
よく仙台~福島間で普通列車を牽いていました。
後ろの築堤は、仙山線です。東北本線をオーバークロスして西へ向かいます。このあたりは今も対して変わりませんね。
だいたい電車の撮り方のコツがわかってきた?ので、いよいよ仙台駅へ出向きます。 -
仙台駅へ着きました。
当時の仙台駅の各ホームにはこのような列車案内板がぶら下がっていました。特急、急行とバラエティに富んでいましたね。仙台駅 (JR) 駅
-
まずは手始めに、仙台6時33分発の常磐線まわり上野ゆき、特急ひたち6号。
当時は、仙台まで足を延ばすひたち号が1日1往復だけ存在しました。
先頭は、ボンネットのクハ481。
おいおい、アタマ切れてるよ。
小学生のヘタレ写真ですのでお許しを。 -
なぜかひたち号の方向幕は、上野⇔仙台と始発、終着が同じスペースで表示されていました。他の列車だとだいたい
特急
ひばり 上野
こんな表示がデフォでした。 -
お次は、7時ちょうど発の青森ゆき急行くりこま1号。
特急の補完列車のような役割もあって、仙台~青森間を4時間58分で結びました。当時の急行列車の表定速度で最速だったハズ…
どうして正面を撮さない。
せっかくの急行型交直流電車455系なのに。
38年後のお前が、使える写真が無くて苦労しとるぞ(笑) -
そして、東北名物の多層建て急行が発車します。
多層建て列車とはそれぞれ行き先が異なる列車を一定区間だけ繋いで走る合理的な運行方法をとる列車で国鉄時代は全国で見られました。
7時25分発
たざわ1号田沢湖線まわり秋田ゆき
陸中1号釜石線まわり釜石ゆき
むろね1号大船渡線まわり盛ゆき
キハ58系気動車でした。
ホームに鏡があったのね。 -
続いては、北上線まわり秋田ゆきの急行きたかみ1号です。
7時50分発。
これは2番線ですね。
お隣り1番線に停車中の列車は、ED75が先頭に立つ、8時6分発、常磐線原ノ町発青森ゆきの長距離鈍行233レですね。原ノ町を6時に出て青森には16時59分に到着。実に11時間をかけて走る、いまでは考えられない長距離鈍行でした。 -
サボ。懐かしい。
写真が汚いのですが、この時はキハの油煙がひどくて煙っていたのを覚えています。現代の気動車では考えられません。 -
左のタラコ色は、キハ45でしょうか?裾が絞られていない特徴的なデザインでした。たまに送り込み運用で本線筋の架線下DCや丸森線への直通運用が見られました。この列車は何処行きか定かではありません。
隣りは、急行型交直流電車455系ですね。仙山線の山形ゆき急行仙山かと思います。 -
東北本線の花形特急、ひばり号です。
上野~仙台を4時間15分かけて毎時1本の割合で運転されていました。
後ろに広大な側線が見えます。いまは駅ビルになっています。留置された貨車も懐かしい…
8時58分発のひばり8号。 -
地味な列車が到着しました。
急行あぶくま号です。 -
白河発の盛岡ゆき。
白河~郡山は普通列車という表示が見えます。
当時は特急といえばすべて上野発でしたので、仙台から北へ向かう特急が11時前くらいまでありませんでした。そのため特急補完の意味もあってこのような急行列車が設定されていたのでしょうか。 -
いよいよ、私がいちばん楽しみにしていた時間帯に入ります。
ほぼ上り特急専用だった4番線。
まずは、9時22分発。
青森からの常磐線まわり上野ゆき、特急みちのく。583系です。
この頃の583といえば、敷居が高くて乗れない車両に思えました。
重厚な走行音とともに入線してくる姿はカッコよかった。 -
583といえば、この正方形の方向幕。
-
そして、みちのくが出てすぐに同じ4番線に入線して来たのは、
9時29分発、青森からの東北線まわり上野ゆき、特急はつかり2号。
485系電車。
はつかりといえば、東北の看板列車。北海道連絡の使命も持っていました。
ホームに置かれた灰皿の形がユニーク。 -
これは、はつかり2号の停車中の一コマ。
ホーム上の移動売店や幕式の発車案内がとても懐かしいです。
となりの5番線からは常磐線の普通列車、平(現いわき)ゆきが出るようです。 -
10時3分発、仙山線の山形ゆき急行仙山1号です。
当時は、仙台から100kmにも満たない山形までの優等列車があったのです。いまでは信じられない事ですが… -
まあ、運用の関係ですが、なんとグリーン車も繋いでいます。
指定ではなく自由席のグリーン車でした。
赤い椅子に真っ白いカバー。いかにもグリーン車という雰囲気でした。
利用者はあったのでしょうか?
いまは仙台~山形は高速バスで1時間で結ばれていますが、当時は高速道路なんかもちろん無くて、貧弱な国道48号で大きく迂回して車だと2時間コースでしたからまだ鉄道の需要はあったかと思われます。 -
また、山寺ゆきなどという臨時列車?もあったようです。
まったく記憶がありません。グリーンはおそらくシートカバーが外されていますので開放かな? -
常磐線経由で上野~盛岡を結ぶ急行もりおか。
ああ、こんな列車もあったなあ。
それにしても急行全盛期ですね。 -
無事に仙台駅での駅撮りも終えて、ついでに東北本線で1時間、小牛田駅まで遠征しました。
気動車撮影です。
これはキハ20?キハ52?
小牛田に配置あったかな?どなたかお分かりの方いらっしゃいますか?
このころは既にタラコが増殖し始めていたんですね。
どうでもいいですが、道中の画像が1枚もありません。
本当に純粋に電車しか写していない。
いまなら、「フォートラ映え」する、きっぷ写真、車内写真、飯写真などを交える所でしょう(笑)小牛田駅 駅
-
こちらは当時の「最新鋭気動車」キハ40です。
いまもなお、現役の仲間がいますね。 -
帰り際に、12系客車に遭遇。
すげえテンション上がりました。
団臨かなんかでしょうね。
このあと、仙台へ戻り、無事に自宅へ帰還。
(小牛田遠征は内緒でした…) -
これは、別な日の寝台急行新星。
上野~仙台の短距離を20系寝台客車で結んでいました。
どうしても20系が撮りたくて仙台駅南側の踏切に出かけましたが見事にブレてしまいがっかりした思い出が…
デジタル時代の現代では考えられませんが、当時は写真屋さんに現像を頼んで数日後に引き取りに行って初めて作品とご対面でしたから、それまではどんな写真が撮れたかわかりませんでした。
こんな失敗もありました。 -
さらに別な日、車庫へ入庫する新星を狙いに仙台運転所へ遠征。
牽引は入換用のDD13でしょうか? -
こんな変態編成も見つけてしまい、悶絶した小6の私が居ました(笑)。
485系(左)と417系(右)でしょうか? -
これで昭和の撮り鉄行のお話はおしまいです。
このあと、中学~高校と乗り鉄に目覚め、あちこち行きましたが、社会人になるとさすがに趣味が車や別なものに移り、しばらく鉄道とは疎遠になっていました。
いろいろあって、50を前にようやく自分の時間を作れるようになり、ふと昔の鉄道趣味が蘇り、またコツコツと乗り鉄をするようになりました。
いまは、仕事のオフとオンの狭間に出かけて、ただ電車に乗って、お酒を飲んで、車窓を眺める。人生最高に面白い旅を実践中です。
そんな時にフォートラに出会い、トラベラーの諸先輩方と交流する楽しみがひとつ増えました。
今回は、日ごろ鉄ネタばかり投下する私、Akrの鉄旅のルーツをご紹介させていただきました。
汚いスキャン画像と拙い文章に最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございました。インチキ旅行記で大変失礼致しました。
これからも鉄分過剰な旅行記を公開して参ります。
また、お立ち寄りいただければありがたいです。
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この旅行記へのコメント (19)
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- 山元剛さん 2025/01/12 17:19:43
- 懐かしい南仙台駅
- はじめまして。
485系が南仙台駅を通過する光景、懐かしい風景を堪能させていただきました。
昭和53年ですと私はまだ6歳で物心ついた時から既にトミカのプラレールで遊んでいました。(笑)
私も子供の頃から鉄道好きで、この当時は九州・鹿児島に住んでおりました。この頃は九州でも交直流電車485系、583(581)系、475系が活躍していました。
私は現在、趣味の鉄道と相まって色鉛筆で鉄道風景を描いております。
お願いがございまして、投稿されています昔懐かしい南仙台駅と485系やまびこ?のお写真ですが、色鉛筆で作品化してよろしいか、また完成した作品をFBに投稿してよろしいか、この二つのご許諾をいただきたくお願いに上がりました。
また完成した作品はご投稿様にもお見せいただきたいです。
もしお許しいただけるのでしたら、何卒よろしくお願いいたします。
- Akrさん からの返信 2025/01/14 11:27:31
- RE: 懐かしい南仙台駅
- 山元剛さま
この度は、私の拙い旅行記をご覧いただき、ありがとうございます。
ご覧いただいた旅行記は子供の頃に撮り溜めた写真をスキャンしたもので備忘録代わりに作りました。
山元さまは昭和53年当時は鹿児島に住んでいらしたのですか。
寝台特急富士やはやぶさが西鹿児島まで乗り入れていた時期ですね。昼行列車も特急有明や急行かいもんなど、遠く離れた東北人として当時は九州の列車に想いを馳せていましたね。
ご質問の件ですが、私のあのようなお粗末な写真でよろしければぜひ、お使いください。
色鉛筆で鉄道風景を描いていらっしゃるんですか。素敵な趣味ですね。
ぜひ、作品化していただければ嬉しく思います。もちろん投稿も構いません。
楽しみにしております。
私も山元さまをフォローさせていただきましたので今後ともよろしくお願い致します。
Akr
- 山元剛さん からの返信 2025/02/06 15:36:23
- Re: 懐かしい南仙台駅
- Akr様
こんにちは。
お返事が大変遅くなりまして、本当に申し訳ございませんでした。
先日はお写真お貸し出しとFBご投稿の件でご許諾をくださいまして、誠にありがとうございました。
Akr様にとってこのお写真にはきっと沢山の思入れがあるものと察しておりますので、当時のイメージを大切にして描かせていただきます。
また制作状況や完成した作品をご投稿させていただきます。
これからも何卒よろしくお願いいたします。
この度はありがとうございました。
山元 剛
-
- somtamさん 2017/10/03 23:54:24
- 少年時代の鉄
- Akr様、こんばんは。
懐かしい写真、楽しむことが出来ました!!
東西問わず、少年鉄の頃は、皆さま、同じように
駅撮りでナイスショットをしていますね☆
私は、「西」ですので、少年鉄時代、
東北地方の列車は、距離的に遠い存在で、
鉄道ファンや鉄道ジャーナル、あるいは
時刻表で接するだけ。
だから、大変、憧れていました♪
逆に、特急「しおじ」「みどり」「かもめ」「なは・日向」
急行「日南」「屋久島」「鷲羽」・・・
これらは、当時、「西」で接していた列車たちです。
東や東北の少年鉄には、遠い存在だったかもです・・・
若干、私の方が年上で、
私のバイブルは「SLダイヤ情報」です。
今も本棚にきちんと飾っていますよ☆
それにしても、20系客車は、夢がありましたね。
20系と言わず、いろいろと華やかさがありました。
失礼しました。
somtam
- Akrさん からの返信 2017/10/04 19:17:53
- 今となってはどれも貴重な車両たちですね
- somtamさま
こんばんは。
ダメダメな写真の羅列の旅行記をご覧下さいましてありがとうございます。
構図もめちゃくちゃな写真ばかりですが、今となってはすべて貴重な車両たちの記録です。
当時、まさか将来公開するとは夢にも思わなかったでしょうね。
当時は便利なネットなどもちろん無くて、遠く離れた西日本の列車なんてそれこそ雑誌で見るしかできませんでしたから、somtamさまが挙げられた、特急「しおじ」「みどり」「かもめ」「なは・日向」 急行「日南」「屋久島」「鷲羽」・・・
なんて、本当に遠い存在でした。
20系客車は、写真にもある通り、私の世代ではぎりぎり、急行新星で見られたもので、実際に乗車する事は叶いませんでした。当時の仙台には来ていませんでしたが、10系寝台車なんてのも動いているのを見たかったですね。
鉄道がいちばん輝いていた時代であったと思います。
また古い写真でひとつ旅行記作ろうかと思っていましたのでその際には是非また、お立ち寄り下さいませ。
それでは。
-Akr-
-
- オーヤシクタンさん 2017/09/04 22:11:05
- 懐かしいです。
- Akr様、こんばんは。
オーヤシクタンでございます。
いやぁ〜、懐かしい画像がたくさん出てきましたね。
私も同じように写真を撮りにいっていましたが、失敗作ばかりでした。
デジカメなどない時代、高価なフィルムを買って、1枚1枚が貴重でしたね。
急行もりおかが、いわき経由でなく、平経由と言うのが時代を感じます。
私の母の実家が会津若松だったので、仙台までは行かなかったので、郡山辺りで見るのは、急行ばんだい+ざおう、あがの+いなわしろの併結運転。
455系の急行列車は、1.2.5.6又は7.8.11.12号車が普通車自由席、3又は9号車が普通車指定席、4又は10号車がグリーン車の6両編成が基本で、東北地方を走る455系急行は大半がこの編成で運用されており、3.9号車はクハなので、3両編成での運用も可能でした。
特急あいづがとれずに、L特急ひばりに乗った事があります。
仙台駅に仙台発着の特急列車の経歴が掲示されており、ひばりは483系が出ていました。
昔は食堂車も連結されていたんですよね。
そして、駅構内のワゴン売り‥
お土産や弁当などを満載したワゴンがホームにいたものですが、知らぬ間に姿を消してしまいました。
お宝映像を堪能させて頂きました。
常磐線が一日も早く全線復旧して、1本でいいから上野〜仙台の特急ひたちを復活させてほしいです。
ありがとうございました。
オーヤシクタン。
- Akrさん からの返信 2017/09/07 08:11:32
- 昭和の国鉄の話題でご飯3杯イケますね(笑)
- オーヤシクタンさま
いつもご覧下さいましてありがとうございます。
お母様の実家が会津若松なんですね。同じ鉄系トラベラーでいらっしゃるTagucyanさまもお父様が秋田のご出身とかでフォートラのみなさんが東北で繋がっているので何かの縁かと嬉しく思います。
撮影した画像がすぐに確認できる今とは違い、昔は、現像してみないとわからない賭けのようなものでしたね。なので綺麗に撮れてたりすると妙に嬉しかったものです。
昭和の東北筋の急行といえば、やはり455系電車でしたね。たしか、ばんだいはまつしまとの併結も見られましたね。クハ+モハ+クモハ+サロ+モハ+クモハの6連でしたか?これを2つ繋いで12連だった気がします。そして急行いなわしろ。これまたレアな列車が出てきましたね(笑)たしか末端区間の会津線、只見線では単行でしたね。
昭和の国鉄の話題でご飯3杯はイケますね(笑)
そして常磐線といえば、震災前に特急をいわきで分断して新しい愛称の特急がいわき〜仙台間で走るという情報が出まして、列車愛称を公募していた矢先にあの震災。全線復旧の折には是非とも走らせてもらいたいものです。
またなにか古いネタがあれば投下したいと思っておりますので、その時は是非お立ち寄り下さいませ。
長々と失礼致しました。
-Akr-
-
- とのっちさん 2017/09/03 17:26:30
- 何度見ても悶絶してしまいます(笑)
- Akrさま
こんにちは。昭和50年代の仙台、言葉でどう表現したらいいやら…
私が生まれる8年も前、これが日常的な鉄道風景だったのですね…1本の線路の上を特急から貨物までダイヤを工夫してうまくやりくりしていた時代、うらやましい限りです。急行「くりこま」って瀬峰かどっかで定期急行抜いてませんでしたっけ?時刻表上でも「レ」が続いて目立っていました。実家に帰れば最寄駅の駅員さんからいただいた昭和54年の時刻表が1冊だけあるのですが…小学生の頃は、駅員さんから昔の話を聞くのがとても好きでした。田舎の駅なのでよく話して下さいました。
485・583は特急の風格が感じられます。私は駅前に住んでたので、気づいたら鉄道好きでしたが、個人活動は時刻表と乗りつぶしからです。デジカメの普及があと10年早かったらなと思ってしまうので、フォートラに載せている2005年の写真が古い方に入ります。
沖カメラマンご存命だと思っておりましたが10年以上も前に亡くなられていたのですね。古本屋で100円だったら、内容次第で衝動買いしてしまうRJ誌、私も「列車追跡」大好きです。自分が乗った列車の記録を書いて、という部分が“フォートラ”に生かされていますね。中学生の頃に市の図書館で借りて、宮脇俊三さん、種村直樹さん、川島令三さん(「中二病」の私には壮絶な計画がおもしろくて、計画路線のスジ引いて都合がいい駅に待避線作って遊んでいましたが、今考えると非現実的なところが多すぎます)…けっこう読んだので、種村直樹さんのように朝から晩まで列車に乗り続ける“ヤングの旅”(とよく表現されていました)が今のベースなのかなと思います。
これからも先輩方のスキャンデータをどんどん載せていただきたいです。私のような若輩者は画面見ながら悶絶するだけなので…
とのっち
- Akrさん からの返信 2017/09/03 22:29:15
- こんなもので喜んでいただいて恐縮です。
- とのっちさま
こんばんは。Akrでございます。
とのっちさまの大陸の鉄道の写真を拝見するうちになんか昭和っぽい雰囲気があるなあなんて思っていたら、無性に昔の鉄道写真を漁っていました(笑)
今じゃ考えられない車種と列車の種類。子供心を掴んで離さない仙台駅でした。
ホームへ上がると天井のスピーカーから音割れしたアナウンスで
「お待たせしました上野ゆき特急はつかり号が参ります。停車駅は、福島、郡山、宇都宮、大宮、終点上野です。停車駅が少なくなっております。お乗り間違えのないようご注意下さい。」
と駅員が特徴のあるイントネーションで案内すれば、583のはつかりが「ドンドンドン」という重いジョイントを響かせながらやってくる。同時に、向かいのホームにガラガラ音立てて油煙撒き散らしながら煤けたキハ58&28が入線。と、思えば今度は後ろのホームからピィーッとナナゴの汽笛が短く鳴いて、静寂のあとガッチャンと音を立てて引き出される旧客。それに小走りで飛び乗るお客。タタン、タタンとジョイント音だけ響かせ、無駄に長い車体をくねらせ本線へ消えて行く。
どうです?
これだけでお腹いっぱいですよ。
それがいまでは、キンコンキンコンとドアチャイムが鳴ってドアが閉まり、すごすごと銀色の電車が出て行く。つまんなくなりました。
今回、びっくりしたのは、1979年のある日、このようなヘタレ写真を目を輝かせながら撮影していた12歳の私ですが、とのっちさまがこの世に生を受けるまでまだ8年の歳月を要した。という事実です(なんとも大げさな)
つくづくおっさんだなあと思いました(笑)
また機会があれば、古いスキャン画像でひとつ旅行記作ろうかと思います。
こんな写真でも観て、感動いただけるなんて感無量です。
たまに未だ現役の車両が混ざってたりするのも面白いですね。
それでは。
長文になり失礼しました。
-Akr-
-
- Tagucyanさん 2017/09/02 19:51:13
- 来ましたねえ、昭和ネタ
- Akrさま
こんばんは。
昭和ネタ、いいですねえ。
私が乗り鉄をはじめたのはもうちょっとあとですが、雰囲気としてはそのころもこんな感じだったかなあという気がしてます。
当時はまだ1人乗り鉄といえば自宅から日帰りがいいところでしたが、父親の田舎が秋田県(花輪線沿線)だった関係で東北新幹線ができる直前の583系はつかり号に乗って仙台も通りましたので、こんな景色を見ていたんだろうなあと思います。
583系の正方形の方向幕、なつかしいなあ。
たしか上りは、仙台駅をはつかり号の3分後にひばり号が出発するダイヤでしたね。
今でも覚えているのですが、583系は昼間は4人掛けボックスシートなので長距離特急としてはちょっと不向きなところがあり、仙台まで来て隣のホームに483系のひばり号が停まっていると、あれに乗り換えたいなあと思ったものです。
東北線の特急は上野発が基準のダイヤだったので、東北地方まで来るとスジが偏っていて、それを補完する急行列車(特急でないところがミソ)がたくさん走っていました。そんなダイヤをが書かれた時刻表を、当時自宅でを指をくわえて眺めていました。
そういう列車の写真がたくさん出てきて、もうタイムマシンにでも乗って出かけたいぐらいの気分でね。
ちなみに、私の愛読書はあくまで「時刻表」でして、そこから始まった正統派(自称)の乗り鉄ですので、鉄道写真にもあんまり興味がなく、カメラも持って行かなかったので、記録としての写真がほとんど残っていません。
ただ、日本の鉄道を制覇した時の平成11年の北海道行きだけはカメラを持って行きました。そのときの写真がたしか実家に残っているはずなので、探してみようかと思います。
---
Tagucyan
- Akrさん からの返信 2017/09/02 22:44:58
- やっぱり昭和。やっぱり国鉄がいちばんです。
- Tagucyanさま
いつも書き込みありがとうございます。
今回は、私と同世代の方々に懐かしんでいただこうという思いもありまして、つい、このような愚作を投稿してしまいました。
我が地元、仙台駅は本当にさまざまな列車が発着しており、いつまで居ても飽きない駅でした。
当時は、同じ特急でも、仙台民が利用するのはひばり号というイメージがありました。
はつかりややまびこは、長距離旅行客が乗るものみたいな先入観が出来上がっていて、なんか敷居が高かった感じがしました。特に583系は、屋根が高く重厚で、ゆったりとした青いボックスシートに真っ白いシートカバー。羨望の眼差しで見送っていましたね。
また、当時の特急列車には必ず、食堂車が繋いであって、仙台駅で食材の積み込みや給水を行っていました。何の音かは分かりませんが、食堂車が奏でるブーンという音がいまだに印象的です。
Tagucyanさまの日本の鉄道走破までは遠く及びませんが、40中盤から初めた乗り鉄でいつのまにかJR東日本線は完乗目前となりました。この年齢からのチャレンジ20000キロ(笑)は無理でしょうが、少しでも多くの路線に乗り歩きできればと思っています。
それではまた!
失礼しました。
-Akr-
-
- 横浜臨海公園さん 2017/09/02 15:52:27
- 仙台を中心として
- Akrさま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
今となっては歴史的列車ばかりですね。
クハ79は寒地対策としてグルーブ型ベンチレーターを急行型等々に取付けられていたタイプに交換されていたもので、全国でも旧型国電では仙石線でのみ見られたものでした。
仰せの通り、急行くりくま1号は、北東北対北海道札幌連絡を主目的に設定されていた列車で、定期急行なのに全席指定で速度も停車駅も特急並み、青森駅で見られた急行型電車は此れのみでした。
1度乗車した事がございましたが、千葉辺りで走っている鈍足特急なんかより本当に早く、格式も感じられた列車でした。
横浜臨海公園
- Akrさん からの返信 2017/09/02 22:31:42
- 昭和の鉄道は良かったですね。
- 横浜臨海公園さま
ご覧下さいまして、ありがとうございます。
昭和の鉄道は、単なる移動手段に留まらず、航空機や高速バスが未発達な時代、都市間輸送の重責を担っていた感じがします。現代のビジネスライクな鉄道とはまったく違っていたと思います。いちばん鉄道が輝いていた時代だったのではないでしょうか。
いまは味気ないですね。当時、あんなにバラエティに富んでいた列車、車両が発着していた仙台駅もいまでは普通電車だけ。それにいくら待っても同じ電車しか来ませんし。
急行くりこまは、急行らしからぬ雰囲気がありました。
青森からは青函航路も接続していましたし。東北新幹線開業後もしばらくは、仙台〜盛岡間の快速として数往復残りました。ロザも繋いでおり、1回だけ利用したことがあります。
また機会があればなにかアップしたいと考えておりますので、その際はまたお越し下さいませ。
それでは。
失礼致しました。
-Akr-
-
- BTSさん 2017/09/02 11:37:13
- 全てが懐かしいです!
Akrさまへ
こんにちは〜
Akrさまの旅行記を拝見し第一声が「あっ、懐かしい!」でした。
Akrさまと私の歳は一つ違うだけでしょうか〜ちなみに私は1967年(昭和42)生まれです。
東北新幹線が開業する前の東北本線や奥羽本線をはじめ東北各線では特急列車や急行列車
がたくさん走っていましたよね〜私は上野駅でよく見ました。
私も鉄道ジャーナルは読んでいました。「ドキュメント列車追跡」は何度も読み返しました。
今から思えば、あのコーナーが自分の旅行記の基礎なっているかもしれません。(笑)
鉄道マニアの辿る道は、ほぼ同じようですね。
私は生まれた時から鉄道に興味があったようです。(母親談)
自分が鉄道好きを意識したのは、小学生になってからです。
オヤジのカメラを借りて撮影しました。中学生の時は鉄道模型にハマりました。
高校の時はバイトや遊びで鉄道から離れ、本格的に鉄道マニアを復活したのは、つい4年前
です。それからは一人で全国を周るようになりました。
他の方もAkkrさまの旅行記を見ながら自分の鉄度マニア歴を振り返っていると思います。
素晴らしい旅行記でした。
BTS
- Akrさん からの返信 2017/09/02 14:32:43
- たまにはこんな旅行記もいいかなと思いました
- BTSさま
いつもありがとうございます。
私もBTSさまと同じ昭和42年生まれですよ。まもなく50になります。(今月誕生月です)
東北新幹線開業前の仙台駅。
特急がはつかり、やまびこ、ひばり、みちのく、ひたち。
急行がまつしま、いわて、ときわ、もりおか、あぶくま、仙山、くりこま、きたかみ、陸中、千秋、むろね…
きりがない(笑)
私も乗り鉄のルーツが鉄道ジャーナルの列車追跡でした。これだけを読むためにジャーナル誌を買っていたといっても過言ではありません。そして乗った列車を文章に起す。セルフでノートに写真を貼って、文章を書き込み、なんちゃって列車追跡なんかを創作したもんです。いまのフォートラのルーツでもあるような気もします。
そして、BTSさまと同様にブランクを経て、いい年齢になった今、あらためて「汽車旅」の良さに触れ、余生を楽しんでいる(これは大げさかな)次第です。
あの頃に比べ、列車のバリーションも少なくなり、いまひとつ面白みに欠けますが、「鉄旅」の楽しさは子供の頃となんら変わらない気がします。
長文失礼しました。
お互い、楽しい鉄旅をしましょう。
-Akr-
- BTSさん からの返信 2017/09/02 16:41:15
- RE: たまにはこんな旅行記もいいかなと思いました
Akrさまへ
誕生月おめでとうございます。(JR四国の駅員さんを真似てみました)
Akrさまと私は同じ歳なんですね〜
Akrさまの仰る通り、全国に新幹線が走るようになってからは優等列車のバリーションが
少なったのは残念です。(もっと早くに乗り鉄をしてればと悔やみます)
今、密かに楽しんでいるのは1975年(昭和50)の時刻表を眺めることでしょうか〜(笑)
今後ともよろしくお願いいたします。
BTS
- Akrさん からの返信 2017/09/02 22:52:20
- RE: RE: たまにはこんな旅行記もいいかなと思いました
- BTSさま
誕生月のお祝いメッセージまでいただき、恐縮です!
私もBTSさまのご意見に同感です。
もっと早く乗り鉄をしていれば!
本当にこれに尽きます。
私ももう少し早く目覚めてれば、絶対に、富士・はやぶさや日本海などちょっと前まで活躍していた寝台特急にも乗れたのにといつも思います。一度は東京から西鹿児島まで寝台列車で行ってみたかった。
私も昭和の時刻表(復刻版じゃないもの)を大切に所蔵しており、時折、開いては楽しんでいます。
最古の時刻表は、山陽新幹線博多開業のものでしたが、先の震災でダメにしてしまいました。もったいない…
-Akr-
-
- アルカロイド ダリルさん 2017/09/01 23:55:47
- こんばんわ〜ダリルです!
- Akrさんへ
訪問ありがとうございます!
お写真を見て、なつかしさで号泣です!
ダリルは夏、冬、春休みには常磐線を下り、仙台駅で乗り換えて、石巻の祖母の家に家に行く子ども時代でした! わが家は、7才になったら亘理の叔母の家までひとり旅、10才になったら石巻までひとり旅が義務なので、仙台駅の乗り換えは、ワクワクの時間! 常磐線だけしか見れない日常と違い、カッコいい特急がたくさん見れて、大好きでした! リカちゃん人形が話題の小学生の中で(ひばりとはつかり)でテンション上げている変態な? 女の子でした! 駅前の生まれなので、弟と毎日汽車を見るしか時間がツブせず、いつか旅行に行くことを夢みていた幼稚園児!
カメラなど親が買ってくれるわけもなく、色鉛筆を持って(はつかり)を写生していましたもんね〜! 夏休みの絵日記に毎年、乗ってもいない(はつかり)を描いて提出していました! 常磐線に(ゆうづる)は走っているものの、子どもが出歩ける時間ではないので幻でした! 準急の(ときわ)がいっぱいあった時代! なつかしい〜
現像、焼き付けはお小遣いで払ったのですか? お年玉がスッカラカンになったのでは? イイな〜〜仙台駅が近くて〜〜! うらやましい限りです!
貴重なお宝写真をありがとうございました!
ダリル
- Akrさん からの返信 2017/09/02 08:41:38
- あの頃は良い時代でしたね
- ダリルさま
おはようございます。
さっそくコメントまでいただいて恐縮です。
いまの仙台駅と違って当時の仙台駅はまさに鉄道の聖地でしたね。いろんな型式、いろんな行先の列車。電車、客車、気動車と、今なら弁当持参で1日過ごせますね(笑)
写真の保存も兼ねてアップしてみましたが、懐かしくご覧いただけたと知って嬉しく思います。
カメラは、父親のお下がりを貰いました。自分専用機が出来て子供ながらに嬉しかったのを覚えています。さすがに当時は小遣い収入も低所得(笑)でしたので、現像代なんかは親に援助してもらってたと思います。フィルムは小遣い貯めて買ってました。24枚撮りを買うとお金が無くなってしまいましたね。
ダリルさま、わずか10歳で福島県から石巻へひとり旅ですか〜?
凄いですね。仙台駅での乗り換えはさぞ楽しかったでしょうね。
あの頃はデジカメもパソコンもインターネットありませんでしたが、その分、遊びに行く楽しみと感動が溢れていた良い時代でした。
それではまた!
-Akr-
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