2017/08/20 - 2017/08/20
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lagunaさん
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今年の8月は例年に比べ雨が多く、丁度「百日紅」の花の時期なので「鎌倉散策」に出掛けました。
8月の鎌倉は古寺と百日紅が良く似合います。
<散策行程>
JR鎌倉駅→本覚寺→本興寺→辻の薬師→元八幡(由比若宮)→来迎寺→補陀落寺→光明寺→JR鎌倉駅
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JR鎌倉駅から鶴岡八幡宮二の鳥居前の交差点を渡り本覚寺へ向かいます。
日曜日の曇天模様にもかかわらず、今日も鎌倉は観光客でいっぱいです。
本覚寺に到着すると、山門を通過して左の社務所前に「百日紅」が花をつけていました。 -
今年はやはり雨が多かったせいか、花の咲き方に勢いがありません。
それでも、一生懸命咲いている姿には感動します。 -
「百日紅」の木のちょっと横に、まだ蓮の花が咲いていました。
多くは咲き終わっているのですが、一輪だけなんだかいじらしく見えます。 -
本覚寺は正式には日蓮宗の寺で「妙厳山本覚寺」という。鎌倉江の島七福神の一つで縁結びや商売繁盛の神様「夷神」を祀っている。
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この寺には日蓮の遺骨を分骨して祀ってあり「東身延」と呼ばれている。
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二代目「日朝」は目の病気を治してくれる「日朝さま」の愛称で親しまれている。
私もこの寺に来たときは、高齢に伴う「白内障」や「緑内障」にならないようにお参りしている。
今回は特に気になったので、お賽銭をはずんだので多分これからも大丈夫のはずなのですが・・・・・ -
線香の上部にある宝寿?だと思うのですが、どなたか教えてください。
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再度、本覚寺の「百日紅」を別の角度から撮りました。
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本覚寺の「百日紅」にお別れを告げて次の寺に行きます。
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本覚寺を出て夷堂橋を渡って、本興寺に着きました。
この石碑の手前には、「日蓮辻説法の碑」があります。
日蓮は小町大路のいたるところで辻説法を行っていたようです。
鎌倉時代の新興宗教として、まだ鎌倉幕府に受け入れられなかったようです。 -
本興寺の「百日紅」も今年は天気のせいで花の勢いがありませんが、それでも季節を忘れず咲いていました。
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本興寺から「辻の薬師」に着きました。
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「辻の薬師」は鎌倉幕府創設以前からあった真言宗長善寺の薬師と言われています。
お堂の小さい穴に無理にカメラを入れて堂内を撮影しました。
「薬師さまお賽銭をはずむのでお許しください」と手を合わせました。 -
「辻の薬師」からほど近い「元八幡」(由比若宮)に着きました。
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「元八幡」にある石清水の井です。
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「元八幡」(由比若宮)のいわれについて説明します。
源頼朝の先祖である源頼義が1062年の前九年の役で勝利し、鎌倉の由比郷に
「元八幡」(由比若宮)を創建する。これは勝利祈願した源氏の氏神様である
山城(京都府)の石清水八幡宮を勧請したものである。
この後、源頼朝が「元八幡」(由比若宮)を現在の地に遷座して「鶴岡八幡宮」
となる。
つまり鶴岡八幡宮の元であったため、「元八幡」(由比若宮)といわれる。 -
ルーツが分かると、なんとなく荘厳に見えてきませんか?
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珍しい木がありました。土地の人に聞いたら「ブラシの木」というそうです。
よく見るとコップを洗う時に使うブラシに似ているからその名がついたようです。 -
「元八幡」(由比若宮)を出て来迎寺に向かいます。
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来迎寺に着きました。
この寺は、もともと源頼朝が平家討伐に立ち上がったとき、一番に協力・貢献して戦死した三浦氏の当主「三浦大介義明」の菩提を弔うため建立した能蔵寺があった。
その後、改宗して来迎寺となった。 -
境内には「三浦大介義明」の五輪塔があり、境内裏手には、百余基の三浦一族の墓がある。
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来迎寺の「百日紅」も花が咲いていました。
やはり昨年に比べ、花が少なく勢いがありません。 -
鎌倉幕府・頼朝の家来で曽我兄弟の仇討ちで死んだ「工藤祐経」ゆかりの寺である
實相寺の前を通ります。 -
補陀落寺に着きました。この寺はもともと頼朝と親交のあった文覚上人が開山と伝えられます。
この寺の特筆すべきことは、平家滅亡のおり平宗盛が最後まで持っていたといわれる「平家の赤旗」が保管されてあることで有名です。 -
どういう訳か今まで歩いた「百日紅」のなかでは、補陀洛寺の「百日紅」が一番見ごたえがありました。
補陀洛寺をあとにして、光明寺へ向かいましょう。 -
光明寺に着きました。光明寺も見どころはたくさんありますが、今回は延岡藩内藤家の宝篋印塔を中心とした墓所を紹介します。
この延岡藩内藤家の墓所は光明寺の裏手にあり、普段の鎌倉散策では気が付かないで帰ってしまう観光客が多いのではないでしょうか? -
この大きな宝篋印塔は、今現在作ると1基7~8千万円はするといわれています。
それがいくつあると思いますか?
計算すると、気が遠くなってきます。 -
内藤家のいわれについて説明します。
内藤家は関ケ原の前哨戦である伏見城の戦いで、徳川方 大将鳥居元忠と共に討ち死にした内藤家長の子内藤政長によって興された家である。
そもそも内藤家の墓所は江戸 霊厳寺にあったがそこから鎌倉 光明寺に移され現在に至っている。 -
当時、江戸 霊厳寺で勧進相撲が行われた際、内藤家の墓石に板を掛けて観覧席にしてしまった。
偶然、墓参に訪れた二代目 内藤忠興の側室 香具姫がそのことを目撃してしまい、内藤忠興に告げ口する。
内藤忠興は激昂して石屋太右衛門に命じ、霊厳寺にあった墓所すべてを鎌倉 光明寺へ移してしまった。 -
また、当時内藤家が所有していた現在、国宝となっている「当麻曼荼羅縁起絵巻二巻」も光明寺に寄贈している。
これら墓石や石灯籠など江戸から船で運搬したとあるが、かなり大掛かりな作業と費用がかかったことと想像する。
お読みいただいた皆様も光明寺へ行かれる機会がありましたら、是非お立ち寄りください。その壮観さに驚かれることでしょう。
光明寺からバスでJR鎌倉駅へ向かいます。
全行程徒歩で1万3千歩ぐらいでした。
最後までお読みいただき有難うございました。
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