2017/08/16 - 2017/08/17
3位(同エリア863件中)
noelさん
今年は義母の初盆でした。
そんなわけで主人の実家に帰省していました。
さてお盆の供養を終えた後、主人が予てから所望していた五島へ行くことに。
ただしお盆期間中でどこもいっぱい。
出かける直前に、なんとかジェットフォイル(船)とホテルを予約して、いざ出陣!
長崎港から九州商船のジェットフォイルで五島の福江港へと向かいました。
1泊2日
主人と義姉と3人で出かけました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 船
-
長崎港です。
前日までの豪雨が嘘のように、なんとかお天気も回復!
この長崎港には大型客船も入港していました。
こちらは帆船です。
4月には国内外の帆船が集結する日本で随一の帆船イベントが開催されているようです。 -
ジェットフォイル
私の記憶に間違いがなければ、今回初めてジェットフォイルという物に乗船したのではないかと思うのですが・・・。
でももしかしたら香港ーマカオ間、乗っていたかもしれません???
普通の船と何が違うのかと言うと、簡単に言うと「海のジェット機」です。
ちなみに米ボーイング社などによって開発されてます。
船に弱い私ですが、海の上を飛んでるような(浮いている)感じですので、今回は船酔いしませんでした。
ジェットエンジンで海水を吹き出し、空気のかわりに 海水から揚力(浮き上がる力)で飛んでいるわけです。
そして重要なのはスピードです。
同じ長崎ー福江間をフェリーで行くと3時間10分かかりますが、
ジェットフォイルの場合、1時間25分と半分以下の時間で行けます。 -
私が乗った「ぺがさす」は・・・
総トン数 : 163トン
旅客定員 : 264名
最大速力 : 45.6ノット
航海速力 : 43.0ノット
このチケットは復路のチケットです。
ネット予約の際には最終便で予約しましたが、窓口で確認したところ、1本前も空席が若干あったので変更しました。
(ちなみに往路は席に余裕がありましたが、復路は満席でした。繁忙期ですので仕方ありません。) -
五島・福江港に到着しました。
-
福江港ターミナル
五島は現在、世界遺産の島を目指しています。
これは五島だけではなく、長崎県と熊本の天草地方の潜伏キリシタン関連の文化遺産として目指しています。
長崎県内では、長崎市・佐世保市・平戸市・南島原市・新上五島・小値賀町などです。 -
港からまっすぐ行った突き当りのお店で、お昼にしました。
五島うどんです。
暑かったので、冷たいざるにしました。 -
さて、無謀にもレンタカーの予約をしないまま五島に到着したのですが、やはり繁忙期ですので、簡単にはレンタルできませんでした。
結果的に7社目でようやく借りることができました。
そして早速訪れたのがこちら、「大宝寺」です。西の高野山 by noelさん大宝寺(長崎県五島市) 寺・神社・教会
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大宝寺の御朱印
こちらは弘法大師(空海)ゆかりのお寺です。
西の高野山とも言われています。 -
子どもを抱いた弘法大師です。
弘法大師が四国を巡錫の途中、旅姿の女人が難産で大変苦しんでました。
この様子を見て、哀憐の涙を留めがたく、秘法を以て加持をすると、今まで命も絶えてしまいそうであった難産は不思議と安らかになり、玉のような子が生まれました。
そして弘法大師は、手に子どもを抱き、健やかに育つようにと祈りました。
子安大師の御霊徳にすがって、子宝・安産・子孫繁栄などのお慈悲を心として、幸福な家庭、人生をとのご誓願です。 -
大宝寺前の浜です。
つまりこちらが空海が漂着した大宝の浜かと思います。
いい眺めです。 -
井持浦教会
教会のある地域(玉之浦一帯)は、五島に迫害の嵐が吹き荒れた明治初期、迫害を逃れた地区でした。
明治32(1899)年、ペルー師はここに、フランスのルルドを模した洞窟を創設することを信徒に呼びかけました。
*ルルド
1858年フランスのピレネー麓の町で、聖母マリアのお告げがあり、言われた場所を掘ると泉が湧き出ました。
そして、この泉の水を飲んだり、浸したりした病人が奇跡的に次々に治りました。
そんな訳で今では、有名な巡礼の地として毎年500万人もの人々が訪れるようになりました。 -
教会の祭壇
フランス人宣教師ペルー師の指導のもと、東シナ海の嵯峨島の岩石をはじめ、五島の各地から形の良い石や珍しい岩石が集められ、教会脇のまかない部屋を取り壊した場所にルルドが築かれました。
完成後ペルー師が母国のフランスから取り寄せた本場ルルドの泉水を注ぎ入れ、また同じくフランスから取り寄せた聖母像が洞窟に収められ、この日から日本初のルルドの歴史がここ井持浦で始まりました。 -
水の聖母堂に展示されていた絵です。
この建物には売店もあります。
2017年5月13日は井持浦ルルド祭
ファティマの聖母出現100周年記念行事が行われたようです。
こちらでは5月14日に行われたそうです。
各地から集まった信徒約350名。
30kmの道のりを、船やバスを乗り継いだり、また司祭やシスター、そして一部の信徒は徒歩にて。
世界平和を願ってロザリオ行列をルルドのマリア像が迎えました。 -
続いて向かったのは大瀬崎灯台です。
こちらは日本の灯台50選。
日本の夕景100選にもなっています。
また、映画「悪人」の舞台にもなりました。西の果ての灯台・・・行った甲斐がありました。 by noelさん大瀬崎灯台 名所・史跡
-
駐車場から灯台まで1.2kmです。
この日はご覧のようにいい天気。
しかもとても暑い日でした。
よって1.2kmの道のりは結構大変でした。
中には途中まで行って戻る人も・・・・。 -
イチオシ
こちらは五島の福江島の西の果てにあります。
夕焼けがとても綺麗とのこと。
ただし、夕焼けを見たいものの、ホテルでの夕食の時間です。
そして、駐車場から灯台までの道のりに電灯はありません。
日がとっぷり暮れてしまうと、おそらく周囲がよく見えなくなってしまうのではないでしょうか・・・。
夕陽を見るのであれば、展望台からの方が良いかと思います。 -
東シナ海です。
お魚もたくさん釣れそうです。 -
灯台の下まで来ました。
あと少しです。 -
この灯台は、明治12年12月15日に初点灯されました。
(現在のものは、昭和46年に改築されています。)
設計は英国のR・プラトンとのこと。
光力は3,700カンデラ
光達距離は約22kmだそうです。 -
このように木々に囲まれているので、日差しを遮ることができますが、でも夏は結構きついです。
ただ、坂道と階段が交互になっているので、比較的歩きやすいように考慮されているように思いました。
二人はこの夜ホテルでマッサージを受けることに・・・・。 -
玉の浦教会
ちょうど目の前は浜辺になっています。 -
こんな感じに素朴な造りでした。
でも、それがかえって落ち着いた祈りの場であるように見えました。 -
夏野菜の和え物
地魚の三種盛り
地魚の煮付
さらし鯨
茶碗蒸し
地魚のホイル焼き
五島牛陶板焼き
五島うどん
西瓜 -
お風呂から撮りました。(誰も入っていなかったので)
福江城(石田城)跡です。 -
そして福江港の方を見ると、朝日が昇ってきました。
人がいなかったので、これもお風呂から撮りました。 -
朝食です。
-
福江城(別名石田城)のお濠です。
幕末の1863年に、藩主五島盛徳(福江藩の最後の藩主)が完成させた五島氏の居城です。
昔は海に面した場所に位置していました。 -
あら、なんだか不思議な光景です。
高校生がお城に入って行くではありませんか・・・。
実はこちらは現在は、長崎県立五島高等学校(本丸跡)なのです。
また、五島観光歴史資料館、五島市立図書館、五島市福江文化会館も。
なお城壁には三角の矢狭間があります。 -
こちらは五島氏の庭園です。
国指定名勝「福江城五島氏庭園」と心字が池
入場料は800円です。
扇子を貸してくださいます。
暑いからというのもあるのでしょうが、それよりも蚊避けのためでした。
池には蓮が一面に・・・。
そして「心」の文字をかたどった池は、心字が池と呼ばれているのです。 -
野面積み
石垣の石は藩中、藩外の力自慢の若者が、浜辺から土つかずで運んだものだそうです。 -
反対側には大きな楠。
なんと樹齢840年だそうです。 -
抜け穴です。
石組暗梁は、ここから水を引き入れていたと同時に、人の抜け穴であったとも伝えられています。
結構狭いので、通るのに苦労しそうですが。 -
亀の釘隠
五島家第30代盛成(もりあきら)は、風月を愛しました。
特に亀がお好きだったようです。
庭園の池の護岸、中島などに亀に似た石を据えてます。
また亀の間にも随所に亀があります。
(建築当初からの亀はこれだけです。)
こちらは床、床脇、書院を備えた座敷です。
主に公式な接客の部屋として使用されました。 -
梅の間
主に主人の居間として使用されました。 -
壁紙は雁皮紙を藍染めし、金泥で「捩り梅影日向」の模様を塗ってあります。
-
次に、堂崎天主堂へと向かいます。
天主堂の脇の樫ノ浦
海岸に石があり、珍しい光景です。 -
堂崎天主堂(キリシタン資料館)
教禁教令廃止以降、五島列島で最初に建てられた聖堂です。
1974年に長崎県指定有形文化財に指定されました。
現在は堂崎天主堂キリシタン資料館として活用されています。
煉瓦造りのゴシック様式の教会です。
撮影は禁止で、拝観料は300円です。 -
聖ヨハネ五島殉教像「受難のとき」
本当に痛々しい磔刑像です。
ヨハネ五島は、1579年に五島に生まれました。
1596年の豊臣秀吉のキリシタン捕縛令が出た時に、大阪で捕らえられ、長崎までの800キロの道のりを33日間耐え忍びました。
そして他の信者や神父25名とともに十字架の上で殉教しました。
19歳でした。
聖骨は長崎の西坂の丘からマニラに運ばれ、その後マカオに分骨されていました。
明治初期プチジャン神父によって大浦天主堂にもたらされた聖骨は、堂崎天主堂開設時に、ここ五島に里帰りをすることができました。
日本26聖人(聖ヨハネ五島を含む)は、1862年に教皇ピオ9世によって列聖されました。 -
聖母マリア像
キリシタンの弾圧時代、公に信仰をあらわすことができずに、表向きには仏教徒を装って、内密にはキリスト教の信仰を守ってきた潜伏時代、潜伏キリシタンといいます。
ただし1873年(明治6年)に、信仰の自由が認められるようになりました。
信徒たちは再び宣教師の下に入ったのですが、一方では潜伏時代から抜け出ることができず今日に至っている信徒たちがいます。
この人たちを「かくれキリシタン」「はなれ」などと呼んでいますが、当人たちは
こう呼ばれることを好みません。
「元帳」「古キリシタン」などと称しています。 -
水の浦教会
被昇天の聖母に捧げられた優美な白亜の教会です。
江戸末期に大村藩領から移住した潜伏キリシタンのうち、5名の男性とその妻子らの移住に、その歴史ははじまります。
風光明媚な海辺の小高い丘にあります。 -
聖母マリア
この教会は1880年(明治13年)に宣教師の指導の下、建設されましたが、長年潮風にさらされて老朽化したため解体されました。
当時諸般の事情で建設が中止となった雲仙の教会の材料を譲り受けて1938年(昭和13年)建設されました。 -
教会建築家の鉄川与助氏によって新築されました。
ロマネスク、ゴシック、和風建築と混合の木造尾建築です。
教会内部はリブ・ヴォールト天井になっています。
優しい曲線を描き出しています。
そして窓からやわらかい光が差し込んでいます。
とても居心地の良い教会でした。 -
イチオシ
三井楽から海を眺めて。
エメラルドグリーンの海です。 -
沖縄の海か、もしくは海外と言っても通じるかもしれません。
人も全然いませんでした。
こんな海を独占できるとは・・。 -
三井楽教会
ステンドグラスとモザイクが印象的な教会です。
外壁のモザイクは諸聖人をテーマとしています。
もともとはサッシの窓ガラスでした。 -
ステンドグラスは三井楽出身の篤志家が費用を出し、地元のボランティアグループによって製作されました。
そんなわけで、庶民的な感じがしました。 -
空海の記念碑
804年、空海は私費留学生として遣唐使船で中国へ渡ります。
その時、日本で最後の寄港地となったのがここです。
実は空海が渡る前年の803年に、第16次遣唐使団の船は、大阪を出航してしまいました。
次に遣唐使の船が唐に向かうのは、数年後・・・それまで空海は待たなければなりませんでした。
ただ、その船は暴風雨のために、一旦引き返すことになりました。
そして翌年(804年)再び、出航する際に空海は乗船できました。
当時、遣唐使の船は4艘の船で渡っていました。
一行は途中嵐のために第3,4の船が沈没してしまいました。
多くの命が失われてしまいましたが、この時第1船に乗っていた空海は、無事に唐に辿り着くことができたのです。
*ワンポイントアドバイス
この付近の道はとても狭く、結果的に軽自動車で向かって正解でした。
本当に車が通る道とは思えないような道でした。 -
「辞本涯」
記念碑に刻まれた「辞本涯(じほんがい)」は空海が残した言葉です。
「日本の最果ての地を去る」という意味だそうです。
この文字は高野山清涼院住職の書によるものです。 -
ちょっと小ぶりですが、灯台もありました。
遣唐使として旅立つ我が子の無事を祈る母の歌(万葉集巻9-1791番)
天平5年(733年)第9次遣唐使船の出港の時、旅立つ我が子の無事をひたすら願って詠んだ歌として万葉集上巻の1790番に、次の長歌があり、その反歌として詠まれている代表的な遣唐使を送る歌です。
「秋萩を 妻問う鹿こそ ひとり子に 子持てりといへ 鹿児じもの わがひとり子の 草まくら 旅にし行けば 竹玉を 糸に貫き垂れ いはひべに ゆふ取り垂でて いはいつつ わが思ふ吾子 真幸くありこそ」
・・・と同じ我が子の無事を願う母の歌に返して
「空高く旅する鶴達よ 霜降る野に眠る我が子を見たら、どうぞその羽で包んで暖めておくれ」
と願う母の子を思う心が、ここに立つと更に感慨深いです。 -
墓地
海に面しています。こんな場所で眠れるなんて羨ましいです。 -
高浜ビーチ
夏なので結構賑わっていました。 -
イチオシ
こちらも高浜ビーチです。
-
それでは五島とお別れです。
一つだけ難点があるのですが、島の中心部福江地域は良いのですが、それ以外の地域で食事をしようと思ってもお店がありませんでした。
「遣唐使ふるさと館」にはあったようですが、時間が早くて営業していませんでした。
唯一見つけたのは、高浜ビーチの海の家・・・。
それから福江港ターミナル内にも2階にレストラン?らしきものはあるのですが、時間によって営業していませんでした。
結局は1階の席数3席と立席(3名分位)のお店しかありませんでした。
・・・ただしこの不便さが、この島の一番の魅力なのかもしれません。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- おにもこにもさん 2017/09/05 02:42:57
- ペガサス
- 伊豆七島行く高速船と同じ感じでしょうかね^ ^
あれも沖で見てると本当早いです。
ペガサス同様時速にすると80キロ位は出てますね♪
綺麗な海が見たくなってきました。゚(゚´Д`゚)゚。
- noelさん からの返信 2017/09/05 20:59:47
- RE: ペガサス
- おにもこにもさん
こんにちは
メッセージをいただき、ありがとうございます。
また旅行記にご投票いただき、ありがとうございます。
> 伊豆七島行く高速船と同じ感じでしょうかね^ ^
そのようですね。
今からだいぶ前に、伊豆七島に行きましたが、その頃は違ったかと思うのですが・・・。
> あれも沖で見てると本当早いです。
> ペガサス同様時速にすると80キロ位は出てますね♪
確かに速かったです。
おにもこにもさんは、今年の夏にバリに行かれたんですね!
私も何度か行きましたが、バリは好きです。
旅行記拝見したら、また行きたくなりました。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。
noel
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