2017/08/12 - 2017/08/14
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はいさいさん
ハルビン は、中国においてヨーロッパを感じる異国情緒あふれる街である。ロシア帝国統治下の産物である正教会聖堂が、街のシンボルのように残っている。この街の近代は、1898年にロシア帝国が東清鉄道建設に着手してから始まった。サンクトペテルブルクに次ぐ計画都市だという。当時は「東方の小パリ」「東方のモスクワ」ともいわれ、東京・銀座よりもヨーロッパの情報が入ってきたようである。
以下に、ハルピンの近代の略歴をまとめたみた。
■ハルピン略歴
1898年 ロシア帝国、東清鉄道の建設着手
(1909年 初代総理大臣の伊藤博文がハルピン駅前で銃弾に倒れる)
1926年 ロシア帝国統治の終焉、中華民国となる
1931年 満州事変 満洲帝国領となる
1945年 満洲帝国が崩壊
(ハルピンで終戦を迎えた日本人は約5万人)
1946年~ 中国共産党による現在の中国
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 船 徒歩
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1907年創建の聖ソフィア大聖堂(索非亚大教堂)。帝政ロシア兵士の軍用ロシア正教会の聖堂で、ハルビンを象徴するビザンチン建築である。
聖ソフィア大教堂 寺院・教会
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かつては、1500人から2000人規模の礼拝が行われていたが、現在は教会としては使用されず、ハルビン建築芸術館として公開されている。
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内部の様子。ステンドグラスでなく普通のガラスであったのが不思議だった。聞いたところ、文化大革命時に破壊されたのだとか。
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内部の様子2。
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館内には、写真パネルがたくさんありかつてのハルピンを知ることができる。この写真は、「極楽寺」のもの。
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中国人街(ロシア語でキタイスカヤ)の当時の写真。
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写真に写っているのがロシア人であることがわかります。
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小炉匠とは、鍋や釜の製造や修理を手掛ける仕事と聞きました。
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中央大街。東洋のパリといわれた時代の名残がある。ロシア人など各国の商人が集まった街の中心地。
中央大街 旧市街・古い町並み
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道行く人たちがアイスキャンディを手にしているのを見かけました。
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この店のアイスキャンディとわかりました。1日何本売れるのか分からないですが、列が途切れることなく飛ぶように売れていました。私も1本いただきました。
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スターリン(斯大林)広場。遠くに何やら塔が見えるが・・・
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行ってみると、防洪記念塔とある。なんのことだろうかとよく見てみると。
防洪紀念塔 モニュメント・記念碑
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これまでに来た洪水の高さが記されている。
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スンガリーにて松花江を眺める。対岸が太陽島である。川は濁っているが、川遊びをする子供たちがたくさんいた。
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左手には、太陽島とを結ぶロープウェイが見えた。夜になるとキラキラとイルミネーションを発しながら走っていた。
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太陽島へ、渡し舟で行ってみようと思う。
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船内はごく普通の様子。ここから約5分の航行で太陽島へ着く。(渡舟運賃;2元)
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中国らしい!カラフルな渡舟もあった。
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航行途中、対岸から浮き輪をつけて泳いでくる人と多数すれ違った。地元の人からきいたことには、毎年ここでこの水泳で何人か溺れているのだとか・・・
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