名古屋文化の道から須成祭と知多半島の旅(三日目・完)~貧しさをばねにしてさらし技術の導入とその後の技術革新で栄えた知多木綿の産地、岡田地区。老舗料理旅館「枡磯」では、かつての隆盛の名残りを感じさせる洒落たもてなしを楽しみます~
2017/08/07 - 2017/08/07
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たびたびさん
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最終日の今日は知多市岡田地区へ。全国的には、あまりメジャーな観光地とは言えないと思いますが、江戸時代から知多木綿の特産地として栄えた地区。そして、レトロな街並が今でも残る地域と聞けば、今回のテーマである知多半島の理解を深めるためには外せないかなと気になった次第。
それにしても。昨日の緒川、刈谷は戦国時代から江戸時代に思いをはせましたが、こちらはむしろ明治以降から戦前の世界。知多半島という限られた範囲ですが、なかなか楽しませてくれますね。
これまでの体験の常滑から緒川、亀崎、半田に加えての岡田地区。少しづつ知多半島のピースが埋まっていく感じですが、つまり、知多半島全体ではっきりとした共通性があるということではなくて、それは多種多様な歴史と文化がそれぞれあって混在しているイメージ。
さらに言えば、知多半島だけでさえそうですから、これが愛知県全体になるともうとんでもないことになる。三重を回っている時から、漠然と感じていた愛知の得体の知れなさ。そこもだんだんその正体が分かってきたような気がしました。
例えば、岡田地区の人からあったのは、生活がしやすいのであんまり外に出ようとしない。外の人に語ろうとしないという言葉。たぶん、その生活のしやすさは経済的なものだけではなくて、その多種多様性も背景にあるのではないか。同じところで代わり映えのない生活を送るということではなく、手近な範囲で違う空気が吸えるというちょっと豊かな感覚が愛知にはあるんですね。だから、遠くに行かなくても、地域の中でそれなりに楽しめるという意味での暮らしやすさ。それは、知らない人に語って分からせるのは難しいし、愛知県人はそれを早々と放棄しているようなところもある。それが私の得体のしれないという感じにもつながっているのかなと思います。
オチがきれいにまとまりませんでしたが、まあ、ボチボチお伝えしたいと思います。
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知多市の岡田地区は、名古屋駅から朝倉駅まで行って、そこからバスになります。最後のバスがあるのでちょっと不便な感じもしますが、古い街並みが残る地域として訪ねるわけで、それは想定内です。
バス停を降りて、さっそく散策の開始。
このなまこ壁の蔵は、知多木綿で岡田地区が隆盛を極めた時代の名残りの一つで、大正9年に建てられた道具蔵。 -
ポツンと建っているようでも、実は岡崎地区には今でも90近くの蔵が残っているよう。
そして、この蔵の特徴は、手の込んだなまこ壁。何だか全体に黒ずんでいるのが不自然な感じですよね。というのも、これは戦時中、空襲を避けるために黒塗りされたことがあって、その跡なのだそうです。 -
市街に続くくねくねとした通り沿いには、
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石垣と黒塗りの
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イチオシ
家屋が続いて。
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なるほど、特徴のある街並みです。
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ここは、もう岡田地区の中心部辺りだと思いますが、慈雲寺は、岡田地区を見下ろす高台。まるで岡田地区がこの寺の門前町であるかのような一等地に構えています。
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始まりは、観応元年(1350年)。あの夢窓国師を開山として創建された臨済宗妙心寺派の名刹。
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例によって、知多四国72番札所ともなっています。
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今日は台風が近づいていることもあるんですが、人の気配はなし。凛とした雰囲気です。
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天然記念物「凌雲松跡」というのもありましたが、いずれにしても、跡というもの。夢窓国師と聞けば、名庭が思い浮かぶのですが、そうしたものはありません。
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雨が激しくなってくるし、喫茶店を見つけたので、ちょっとゆっくりします。
これは慈雲寺の門前にあるフジ喫茶店。 -
地元の人しか利用しないような感じですが、その分、アットホームな落ち着いた雰囲気。
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常連さんに、岡田地区の見どころなんかも聞いたりして、いい下準備も出来ました。
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ここから、再び、散策の開始。
中島七右衛門は、慈雲寺の門前すぐ。長屋門があって、それが見どころ。奥には普通の家が建っているだけです。
門前の駒札の説明によれば。。
こちらは、江戸中期には木綿買継問屋の鑑札を受けた家。一度、廃業しますが、明治になって復活。中七木綿合資会社を設立して、岡田では動力織機を初めて導入。岡田で3カ所の工場を経営していたのだそうです。 -
さらに進んで。
開戸東組 防空壕は、岡田地区の山側。通りの脇にひょっこり入口が残っていました。これは、昭和18年、隣組の人達で本土空襲に備えて掘った防空壕。当時はあちこちにこうした防空壕があったのでしょう。最初の黒塗りしていた蔵の跡とかとも戦時中の様子がダブります。
なお、今は中に子供が入ったりしないように埋めてあります。 -
雅休邸は、昭和4年に岡田医院として建てられたレトロ建物。洋館と和風建築を並べる様式は当時の流行でしょうか。
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これが玄関。たぶん、内部の見学も可能だと思いましたが、玄関は開いていても、声をかけても誰も応答しない。黙って入るのも気が引けるので、外観だけの確認で終わらせました。
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岡田地区の一角にあるさほど大きくはないお堂は、多聞天の毘沙門堂 。
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よくある感じかなとは思ったのですが、近づいてじっくり見てみると、屋根に乗った獅子の鬼瓦や
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拝殿の柱に彫られた細密な龍の彫り物などは、けっこうお金がかかっているような。知多木綿で栄えた岡田地区の財力が偲ばれます。
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松田邸 福瓦は、通りに面したお屋敷の塀の上。高いところにあるので、ちょっと見えにくいこともなくはないのですが、
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イチオシ
副瓦は、大黒さんに恵比寿さんやおかめなど。
松田家は医者の家のようですが、家に福を呼ぶ願いを込めたものでしょう。大正初期に塀と一緒にこの鬼瓦も作られたそうです。これも岡田地区繁栄の名残りとみるべきでしょう。 -
種徳寺は、ここまで来るともう岡田地区の市街の端。山門もはっきりしなくて、そのまま境内に参道がつながります。
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本堂と脇に一回り小さなお堂が建つ構え。ちょっと地味な感じで、かつては慈雲寺の末寺だったよう。薬師祭というのがあるようですが、それがなければ観光スポットとしては微妙です。
さて、ここから、中心部に引き返します。 -
イチオシ
初めのなまこ壁の蔵辺りまで戻って。
この知多岡田簡易郵便局は、明治35年に建てられた寄棟造、桟瓦葺、木造2階建ての洋風建築。ライトブルーが印象的な日本最古の現役郵便局です。
岡田地区が知多木綿で繁栄していた頃、女工さんたちが稼ぎを仕送りするために開設されたという経緯です。 -
中に入るとATMはなし。傍らにタイガースの関係の展示があって、何だろうと思ったら、局員の方が高知出身なのだそう。それって私的な趣味を仕事に持ち込んだ感じもしなくはないんですが、まあ、そこは広い心で新しい文化を入れるのは悪いことではないと理解すべきかなと思います。
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知多岡田簡易郵便局の隣りが木綿蔵 ちた。やっとオープンの時間が来たので、寄ってみます。
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こちらは、知多木綿のあれこれを展示する施設。織物の体験等もできるようでしたが、
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イチオシ
興味深かったのは、係の人から聞いた知多木綿の歴史。
知多半島は耕地も少なく、貧しかったので、収入を得るために、男は外に出かけて漫才をする。女は内職で木綿を織り、織物が出来ない女は嫁に行けないとまで言われた土地柄。江戸時代の課税も基準も田んぼの広さではなく、稼ぐ人間が何人いるかの人頭税方式だったのだそうです。半田の散策では、知多半島は戦乱に直接巻き込まれることがなく、平和な地域だったので、人間がおっとりしていて、豊かにもなったとかと理解していましたが、ここでそのイメージはまったく崩れることになりました。 -
一方、その転機が訪れたのは、さらしの技術を取り入れたこと。さらしは色ずんだ布を真っ白にする技術なんですが、その技術の導入によって、木綿の原料も外から入れて、織り上がった品は松阪とかに納めるという形から、ここで最終製品を作って、江戸とかに販売することができるようになり、一気に儲けが増えたのです。
さらした無地の白い布はデザインとかはないですが、それはそれで大きな需要があって、販売先には困らない。大きな産業に発展します。
また、知多半島の中心部にあった岡田では生産技術の革新もあって、工場が集中し、多くの働き手が集まってきて繁栄したということ。岡田地区は海から離れていて、輸送の点で不利なようにも思いますが、知多半島の中央部にあって、働き手を集めやすいというメリットがそれを上回ったのではないかとか。なるほど、なるほど。
もう一つ私が疑問に思ったことは、街並みが意外に廃れていなくて、きれいに残されていること。地域のコミュニティが保たれているからだと思いますが、郵便局の女性が高知からやってきているのも何かつながるような。それについて、係りの人とのやり取りの中で、見えてきたのは、ここは名古屋への通勤圏だということ。私はバスを不便に感じたのですが、地元の人はマイカーなので朝倉駅なら何でもない距離。学生なら自転車でも通うのだそう。つまり、生活がきちんとできる最低限の条件は揃っているんですね。
町興しとか特別なことを意識しなくても、今でもちゃんと人が集まってくる。そして、過去の歴史も住みやすさとしてそれに一役買っていたとしたら、これ以上のことはないでしょう。 -
ここで、岡田地区をより理解するためになんとなく気になって予約していたのが岡田の老舗料理旅館、枡磯さん。
果たして、歴史と暮らしやすさを感じることができるでしょうか。 -
知多木綿の旦那衆や知多の四国霊場巡礼の客などが利用した歴史ある佇まいは
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今も健在。
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完全予約制で、この日は私一人のようですね。
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それでも、
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ちゃんと庭に面した気持ちの良い個室に通されて、
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これは期待が高まります。
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正面の窓外の景色を眺めながら、待つことしばし。
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前菜は、野菜たっぷりの煮物。
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餡かけのようなどろんとした汁もいい感じ。愛知だし、ちょっと味噌も入っているんでしょうが、とっても繊細ですよ~
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イチオシ
続いては焼き物。大きなハマグリはこの辺りのものだし、魚はたら。付け合せのとうもろこしやレンコンがさわやかですが、ここでガツンと豊かな海の幸を味わいます。
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海の幸の後は、川の幸。から揚げしたアユに川エビは、これもうまみがギュッと詰まって。こっちも海の幸には負けないぞといったアピールをしています。
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そして、カツオのたたき。静岡辺りまで行くとカツオはたたきよりも刺身のほうが多いようにも思いますが、いずれにしても、味わいの濃いものが続いた後でも、またこれで改めて体がしゃんとするような。
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ポン酢の酸味とこのピカピカ光ったカツオの新鮮さは、ここが改めて海に近い場所であったことを思い出させてくれますね。
それって、最初の焼き物とは意味が違います。 -
海を意識させたと思ったら、今度は山里を思わせる蕎麦。あれー、これも予想外にキレがある蕎麦。これだけでも、なかなか印象に残るようなひと品です。
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そして、デザート。さくらんぼもパイナップルもさすがにこれは知多半島とは関係ありませんが、ずっと知多半島のことを考えて来ていたので、これはこれで私にとっては最後のどんでん返し。
結局、最後まで私を翻弄してくれたなとニンマリしてしまいました。 -
郷土色豊かな料理に満足しているところにご主人がやってきて。岡田の歴史を少し説明してくれたり、最後の心遣いも嬉しいです。
ご主人も少し興が乗ってきて、 -
ついでに建物の内部をあちこち案内してくれました。
かつての旦那衆もここで大いに楽しんだ。この広間にもそんな雰囲気がしっかり残っていると感じました。
期待どおり、ここは岡田地区の歴史と文化が詰まった場所であり、旅の醍醐味はまさにこういう巡りあい。ありがとうございました。 -
これで、岡田地区はおしまい。
ただ、バスの待ち合わせ時間があったので、おかき屋 辰心へ。建物も大きいので、ちょっと地域のランドマークのような存在です。 -
店内はお得なおかきの大袋が置かれたりしていて、なるほどという感じですが、一方で、軽食のコーナーもあって、だから建物が大きかったんですね。
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私は、ざらめ小判というのをお土産にしました。
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バスで、再び、朝倉駅に戻ります。
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朝倉駅に到着後、せっかくなので、寺本駅の方に向かいながら、ここでも周辺の散策をしてみます。
まずは、栖光院。こちらも、知多四国八十八ヶ所。第八十番札所のお寺です。 -
圧巻は、樹齢700年といわれる楠と仁王門の景観。
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イチオシ
本家の四国八十八ヶ所でも、遠くからやってきた巡礼者の疲れをいやし、楽しませるインパクトある景観が用意されていることが多いのですが、これもそんな感じ。
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本堂に上がる石段の両側の曲線を描いた塀もその要素があると思います。
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なるほど。ここにもいいものがありました。
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ここから知多市の箱ものチェック。知多市勤労文化会館、知多市民体育館、知多市歴史民俗博物館、知多運動公園と並びます。
知多市勤労文化会館は、勤労者のための施設ですから、一般市民なら誰でもと言ったところ。講演会とかコンサートなど、いろんなイベントで使われる施設なんだと思います。なので、観光客にとっての意味は薄いでしょう。 -
知多市民体育館も建物がでかい。知多市って、こんなに贅沢な箱モノをもって、財政的に豊かなんでしょうか。この日は、人けがあまりなくて、とにかく施設の大きさだけが印象に残りました。
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知多市歴史民俗博物館も広い敷地と立派な建物を持つ堂々とした施設。
常設展は、「知多の生業と生活」。知多の暮らしである農業、漁業、特に知多木綿などの展示。一方で知多の四国八十八ヵ所がパクリくらいにしか思っていなかったところ、知多の歴史に深く根付いていたことを知り、けっこう心に残りました。 -
そして、知多運動公園。広々としたグラウンドはサッカー場としても十分な広さがあるでしょう。脇にトラックもビュンビュン走る国道が通っていて、車で来るなら便利もいいはず。朝倉駅から歩くとちょっと遠いですが、この施設の大きさと車の便を考えれば、申し分ない施設だと思います。ただ、観光スポットということではありません。
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イチオシ
どういうわけだか、寺本駅の周辺にはお菓子屋さんがけっこうあって。
これは寺本まんじゅう。 -
レトロな店構えなんですが、こんなところまでやってくる観光客はいるんでしょうか。ちょっともったいないですよね。
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寺本まんじゅうは酒まんじゅう。ふっくらした皮に餡子の甘さのバランスもとってもよくて、酒まんじゅうとして申し分なし。なんでこんなのが埋もれているのか。私にはよくわかりません。
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もう一軒は、明治堂。いくつかの和菓子屋さんではこのお店が一番古いよう。
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ただ、お店は建て替えたようで、まだ新しい感じです。
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青梅のウメコというのが鮮やかな色合いだったので、それをいただきました。この鮮やかさはお土産にすると映えると思います。
これで寺本駅から名古屋に帰ります。 -
名古屋駅ではジャンシアーヌ JR名古屋駅店の名物、ぴよりんを買って帰ります。
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ところで、うちに帰って食べると、見た目と違ってこれはプリンの味。まあ、そう書いてはあったんですが、見た目はそうじゃないので。やっぱりかわいさだけではなく、それはサプライズ。楽しいお菓子だと思います。
以上で、三日間の旅は終了。お疲れ様でした。
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この旅行記へのコメント (4)
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- Osamaさん 2018/03/13 10:27:06
- 知多半島の紹介ありがとうございます。
- 前にも、コメントをお送りしたかも???
岡田は、40年前の就職先がこの界隈でした。その当時と街並みに変化がないようですね。高校時代の友人が岡田のことを言っていました(岡田在住でした)「陸の孤島だ」と。知多市のほとんどが名鉄沿線なのに、岡田だけはバス乗車しないと・・・だそうです。
Have a nice trip!
- たびたびさん からの返信 2018/03/14 10:37:22
- RE: 知多半島の紹介ありがとうございます。
- 地元の情報、ありがとうございます。
陸の孤島というイメージは確かに分からないでもないですが、それでもこれだけの遺産が残って、それが守られているというのは素晴らしいことでしょう。
ほか、南知多の海老フライも気になっているんですが、今度は、久しぶりに常滑に行ってみようかなと思っています。知多半島はいろんな顔があるので、観光資源としては能登半島くらいの豊かさがあるような。。その魅力をもう少し発信していくつもりですので、よろしくお願いいたします。
たびたび
- Osamaさん からの返信 2018/03/14 11:18:38
- RE: RE: 知多半島の紹介ありがとうございます。
- お返事ありがとうございました。当方間もなく常滑に帰ります。2年間の単身赴任が終了です。実はわが町も「陸の孤島」です。岡田よりひどいです。セントレアの滑走路の南端から海を隔て2km。その辺りは、常滑駅からのバスで20分、そのバスも一日10往復くらい?車がないと生活できません。そんな所が生家です。知多半島は、確かに能登半島並みの見どころがある?と言えるかも。2月末に来訪されると日本酒の蔵開きがそこかしこで行われます。我が家の近くは「白老」です。常滑市・半田市・南知多町・知多市・大府市・阿久比町・美浜町・東海市・武豊町・東浦町この5市5町を回ってください。まもなく桜の季節です。
Have a nice trip!
- たびたびさん からの返信 2018/03/15 16:31:13
- Re: 知多半島の紹介ありがとうございます。
- 大府市は、ちょっと気になっていたところ。ヒントをいただき、ありがとうございます。また、調べてみます。
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