2017/08/06 - 2017/08/06
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てくてくさん
杉並区にある日蓮宗の小さな寺院の蓮光寺を参拝しました。ここにチャンドラ・ボースの遺骨が納められています。
インドの独立といえば日本ではマハトマ・ガンディーの名前が知られていますが、インド国内ではマハトマ・ガンディーと同格、出身地のベンガル地方では一番に名前があげられるのが表紙の彼「チャンドラ・ボース」です。実際にニューデリーのある国会議事堂の中央大ホールには、ガンディー、インド初代首相のネルーとともにボースの肖像画も掲げらています。
そのような英雄がなぜ日本に眠っているのか?この旅行記ではすべてを書ききれませんが、非暴力主義での独立を目指したのがガンディーに対し、武力解放を唱えた急進派がボース。第二次世界大戦勃発前に何度もインドを支配する英国政府に逮捕されましたが、ナチス・ドイツのポーランド侵攻及びイギリスとの宣戦布告とともに、ヒットラーの協力を求めてドイツを目指しました。
しかし、ヒットラーの協力を得られず行き詰っている時に、東南アジアで捕虜となったイギリス軍のインド兵を集めて結成した「インド国民軍」の指揮者を求めていた日本軍に声をかけられました。インド解放のきっかけを欲していたボースのニーズが一致し、ドイツ・日本の潜水艦を乗り継ぎ日本占領下の東南アジアにやって来ました。紆余曲折あってインパール作戦を含む対英戦を指揮・指導をしました。
1945年8月15日に日本の敗戦が決まると、ソ連に亡命して引き続きインド独立の可能性を探ろうとしますが、その途中の台湾で彼が乗った日本陸軍機が離陸に失敗してその傷が元で現地で死去。その遺骨が日本に持ち込まれここに葬られているのです。
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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最寄り駅は丸ノ内線東高円寺駅。
東高円寺駅 駅
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目の前は蚕糸の森公園。
蚕糸の森公園 公園・植物園
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公園は帰りに寄るとして青梅街道を進みます。
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公園の角を左に折れる。
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結局公園内に道に沿った木陰の小道があり、そこを歩くことに。
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しばらく歩くと
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到着しました目的地。
今日は誰もいませんが、台湾で亡くなった8月18日には法要がここで営まれます。蓮光寺 (杉並区) 寺・神社・教会
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ここは日蓮宗のお寺。
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本堂。
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このお寺の敷地は全体で100坪ないのではないかと感じられるくらい狭いです。裏側に墓地が広がっているようですけど。
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鬼瓦。
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ここに遺骨が眠るのがインド独立の父であるスバス・チャンドラ・ボース。
自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官。 -
手水舎は水が流れていません。小雨にともなう節水の影響??
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手水舎の左側には
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おおきくない石仏。
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本堂の左側にチャンドラ・ボースの銅像。
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この銅像もそんなに大きくはないです。
遺骨の一部はインドの遺族の元に戻っているらしいが、インドの英雄ということで政争に巻き込まれ、生死の事実やここの遺骨が本物かなどいろいろ問題があるようです。海部首相の頃に遺骨返還をインド政府に打診したが、うやむやになってしまったという。
ニューデリー方面を指さしながら演説しているような躍動感のある銅像が欲しいです。 -
その裏側にはネルー首相らの碑文。
チャンドラボース自らは参加しなかったものの、インド国民軍がインド東部のインパールに向け進軍(インパール作戦)し、町を占領してインドから中国への物資運搬ルートである援蒋ルートの遮断を目指しましたが、英印軍に圧倒されて惨敗。インド国民軍6,000人の内、ミャンマーに戻れたのは2,500人、その後の戦闘でほぼ壊滅に至りました。補給を完全に無視したインパール作戦は無謀な軍事作戦の代名詞となっています。しかし、日印を何十年も強く結びつけるもののしては、1兆円の経済援助を勝るものであたのではないでしょうか。
終戦後、インド国民軍の幹部がインド国内で裁判にかけられましたが、ゼネストや暴動が相次ぎ、さらにインド水兵が反乱を起こすなどインド国内が大混乱に陥り、インド植民地が大英帝国の最大の生命線であったものの、独立を容認せざるを得なくなりました。
インド国民軍の生き残り将兵は独立したインド政府から表彰され、年金の給付を受けることとなります。インド独立はガンディーの非暴力主義だけでなく、インド国民軍の血で勝ち取ったものなのです。 -
お寺の小さな庭にはサルスベリが咲いていました。
彼の遺骨が無事インドに凱旋帰国するのはいつになるのでしょうか? -
地下鉄の駅に戻ります。
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何の花なんでしょうか、赤と白の花が華やかに咲いていました。
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園内には小さな池があり、
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セメントで固められた小川もどきもありました。
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この公園の名物の滝。
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ここは農林水産省の蚕糸試験場の跡地につくられた公園で、蚕の栽培に不可欠な桑の木も植えられていました。
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蚕糸試験場当時の古めかしい建物と門がありました。
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この旅行記へのコメント (14)
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- 墨水さん 2017/08/12 14:31:36
- 政敵。
- てくてくさん、今日は。
戦後、チャンドラポースは政敵に為ってしまったのが惜しまれますね。
是は、イギリスがそうさせたと見てます。
ガンジーは、非暴力なので、何時でも殺せる相手。
しかし、チャンドラポースは軍事力を持ってる、しかも其の兵は日本軍に教育されてると、認めるわけには行かなかったと思われます。
チャンドラポースは、ヒットラーから「インドの独立は100年懸かる」と言われて、失望します。
そして東京に来て「一緒にやりましょう。」と言われた事が、彼にとって地獄に仏を見た思いでした。
言ってしまった手前、支援しないわけにも行かず・・・。
最初から無理と判っている作戦を、実施する羽目に陥った。
しかし、イギリスにとっても危機でした。
大軍の日本軍がやって来る・・・。
孤立同然のイギリス軍は、軍用物資を航空機から投下する方法で、戦い抜きます。
当時の日本軍には、物資を航空機から投下する考えが無かった事が教訓ですね。
組織が硬直すると、新しい考え方が出てこない、たとえ出てきても認めない事が、多大な犠牲と引き替えと為った。
それでも、当時の日本軍は事実を隠蔽したので、ますます組織の硬直化を招いてしまいました。
其の結果が敗戦で、彼への支援すら出来なくなってしまいました。
チャンドラが政敵と為る事と引き替えに、インド独立を為し得た事は、余りにも厳しい現実ですね。
墨水。
- てくてくさん からの返信 2017/08/12 18:18:34
- RE: 政敵。
- 墨水さま
こんにちは。
いろいろコメントをあるがとうございます。
無理、無謀といわれるインパール作戦ですが、英印軍もアメリカの補給で立ち直ることができた訳で、日本軍はビルマ方面まで軍用機を回す余力がほとんどないため、航空機による物資運搬は不可能だったのでしょうね。
「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と歌われた同じようなニューギニアの状況と比べると、世界史に大きな影響を残しているのがせめてもの救いです。少なからぬインド人は意義を理解しているようですから。
それにしても、インパール作戦での一途の勝利を目指すならチャンドラボースを参戦させ、英印軍の動揺を誘引させるのが不可欠だったのではないでしょうか。参戦させないのなら、兵站軽視の日本軍幹部ですら補給を大いに危惧していたくらいですから辞め、ビルマ戦線で迎え撃つ戦術が必要だったと思っています。
とにかく、彼が再びアジアに戻ってきたおかげでインド独立の時計が10年以上早まったのは間違いないかと。
てくてく
- 墨水さん からの返信 2017/08/12 22:43:45
- RE: RE: 政敵。
- フィリピンやインドネシアでも、日本軍と行動を共にしたいと願う現地組織が有りましたが、勝つ見込みが無くなってから、現地人の参加を拒絶するように為りました。
まぁ「武士の情け」て、やつです。
勝つ見込みが無いから、将来の兵力温存のために情けを掛けた。
無傷のインド自由軍の存在は、当時のイギリスにとっては相当のプレッシャーに為った事は明らかです。
扱いを間違えれば、同情したタイの無傷の日本軍が協力して、インドに襲いかかて来る可能性も十分に有った。
こう成ると「日本軍が通過した場所は、独立の場所。」となり、イギリスは世界の悪者に為る。(笑)
日本だけなのよ、牙剥いたのは。
能ある鷹は爪を隠す。
墨水。
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- 横浜臨海公園さん 2017/08/09 10:59:39
- チャンドラ・ボース
- てくてくさま、こんにちは。
旅行記を拝見させて頂きました。
私事ながら、小生40年前に、大学生のときに一般旅行業主任者資格を取得し、某旅行エージェントでコンダクターのアルバイトをしておりましたが、インドを訪問中に、夜空腹にさいなまれ、ホテル近所のインド料理レストランで1名食事をし会計を頼んだ処、マネージャーが出てきて、
お前は日本人化?
と聞かれたので
イエス
と答えた処、
インドで一番の人物は誰かと尋ねられたので、
チャンドラ・ボース
だと答えた処、
日本人から代金は取れない。貴国のお陰で我々は独立を勝ち得た!
と云われ、8月15日は日本にとっては敗北かもしれないが、我々インド人は対英戦争記念日なんだといわれ、店内のインド人たちから拍手を受けた記憶が残っております。
横浜臨海公園
- てくてくさん からの返信 2017/08/09 16:20:51
- RE: チャンドラ・ボース
- 横浜臨海公園さま
こんにちは。
小生がインドに行ったのが25年前。
いまだに強烈なトラウマが残っています。
停電が頻繁にあり暗い街並み。
嘘つきだらけに感じる人々。
その15年前ですからさぞ恐ろしや。
でもこんないい話があったのですね。
場所はベンガル地方なのでしょうか。
日本の歴史教科書に無謀なインパール作戦が出てきても、
チャン・ドラボースはあまり触れられていません。
妻も誰これ?またこんなのに連れてきて・・・とかなり不満げ。
歴史を知らないとは、知らされていないとは、
ある意味恐ろしいです。
てくてく
- 横浜臨海公園さん からの返信 2017/08/10 14:15:22
- 続チャンドラ・ボース
- てくてくさま、こんにちは。
40年前のインドでは、窃盗事件に巻き込まれ財布が盗まれても、持ち主が日本人分かると、中身もそのまま戻って来た時代でした。
兎に角、インド人の人々は、若し、チャンドラ・ボースさへ生きていれば、対英国戦争後に東西パキスタン分離も無く、大インドが成立していただろうと残念がっておられたのが印象的でした。
それにしても、日本の小中高に於ける歴史教育は情けない状態です。
横浜臨海公園
- てくてくさん からの返信 2017/08/11 08:52:20
- RE: 続チャンドラ・ボース
- 横浜臨海公園さま
おはようございます。
旅行する環境は今よりも熾烈な状況だったかと思いますが、高等教育を受けたインド人が日本をどのように位置づけていたか、そして現在のインド政府要人が日本にどのように思っているのか、分かるエピソードをご教授していただきありがとうございます。
25年前に旅行した際にはそんなこと何も感じられませんでしたが、同じころに死んだ親父が西ドイツに行って仲良く語り合ったと言っていたことをふと思い出しました。
インパール作戦は多くの方が語るように、補給を軽んじる日本軍でも無謀、無理な作戦と判断されるものでしたが、一縷の望みで彼を参加させることはできなかったのでしょうか。
彼がインパール作戦に参加し、インドの大地に足を踏み入れることで、英印軍が1946年のように大きく動揺して反乱が起きる可能性がどのくらいの可能性はどれくらいあったのでしょうか?平時は英印軍のイギリス人の比率は30%くらいとの資料を見ましたが、兵員を増強した中、本国はナチスドイツとの戦いでインドへの派兵は難しいと思われるため、イギリス人の比率は20%以下に落ち込んでいたかと思われます。絶対に反乱を起こさないと推測されるグルカ兵を除くと反乱を起こさないまでもサボタージュを起こす可能性もあったのでは・・・など妄想が広がります。
もしそれが実現してインドでイギリス軍を自力で駆逐出来たら、大インドが成立したのでしょうね。
てくてく
- 横浜臨海公園さん からの返信 2017/08/13 03:09:31
- 続々チャンドラ・ボース
- てくてくさま、こんばんは。
重ね重ねメッセージを賜りまして、深謝しております。
インパール作戦に関しては、我々軍事に関して素人が見ても、愚劣陋劣な内容であり、当時の陸軍の一端を知るものです。
兎に角、海軍と異なり当時の陸軍は独善的且つ排他的組織であり、特に、幼年学校から陸軍士官学校を経た者に該傾向が強かったと小生考えております。
逆に、当時の陸軍高級士官で、旧制中学校から士官学校を経た者は視野が広いと感じます。
インドネシアの司令官になった今村中将など、当時の陸軍の主流にはなり得ず、知英派であった方ですが、逆に現地住民を取り込み占領政策を大成功に導きます。
若し、インパール作戦司令官に牟田口の如き視野偏狭な異常者などを充てず、知英派の将軍を任命させ、チャンドラ・ボース率いる自由インド軍と共に作戦遂行を行っていたら、インド国内に於いて次々と武装蜂起が起きた可能性があったのではと思います。
横浜臨海公園
-
- ラムロールちゃんさん 2017/08/08 20:27:07
- チャンドラボース!
- てくてくさん、こんばんは☆
このお寺のことは、以前テレビで見て、えっ!こんなところに!?と驚いたものでした。
インド好きとしては、気になる存在だったので、
詳しく見せていただけて良かったです。
日本での知名度はガンジーに及びませんが、日本との結びつきを考えると、むしろ、
チャンドラボースの方が知られているべきなように思います。
享年48歳。
若かったんですねぇ…。
ラムロール
- arfaさん からの返信 2017/08/08 21:52:55
- コルカタ国際空港
- こんばんは、arfaです。
ベンガル出身の英雄チャンドラボースはコルカタ国際空港に名付けられ、永久に讃えられます。私のイメージでは山中鹿介です。
- てくてくさん からの返信 2017/08/09 16:22:14
- RE: チャンドラボース!
- ラムロールさま
こんにちは。
インド亜大陸に何度も行かれているだけあって、
さすがにチャンドラ・ボースを熟知されているようですね。
安倍政権誕生以降は日印友好ムードが強いですけど、
もっと彼の存在を知っていただきたいですよね。
チェ・ゲバラと同じように、いやそれ以上の存在かと。
インドでTシャツとかあれば買いたいな。
えっ!享年48歳ですか、そんなに若いとは気付きませんでした。
てくてく
- てくてくさん からの返信 2017/08/09 16:22:52
- RE: コルカタ国際空港
- arfaさま
こんにちは。
そうそう空港名にもなっていますよね。
25年前はダムダム空港という名称でしたけどね。
例えるなら山中鹿介ですか。
名前を知ってはいますが詳細な経歴を知りません。
ググって勉強してみます。
てくてく
- ラムロールちゃんさん からの返信 2017/08/09 21:24:00
- RE: RE: チャンドラボース!
- てくてくさん、こんばんは♪
いえいえ、熟知はできていません(^_^;)
ふわっと知っているだけです。
Tシャツ、見ないですねぇ。
ガンジーはよく見ますけど。
今度、ちょっと気を付けて見てみようかな〜。
ラムロール
- ラムロールちゃんさん からの返信 2017/08/09 21:42:42
- RE: コルカタ国際空港
- arfa様、はじめまして…ですよね?
何度もお見かけはしていましたが…。
ラムロールと申します、よろしくお願いいたします。
…そして、いきなりの、山中鹿介…!
あの、関係ないことなんですが、私はご当地キャラのふなっしーが大好きでして、
そのふなっしーが、尊敬する人物を訊かれて、山中鹿介の名をあげていました。
それだけなんですが、思い出して、言いたくなってしまいました。
ラムロール
*てくてくさん、すみません、場所をお借りしてしまいました。
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