2017/07/30 - 2017/08/01
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軽井沢での2日目は好天に恵まれ、レンタサイクルを借りてサイクリングで軽井沢の街を楽しみました。
これまで何回か訪れたことがある軽井沢は、旧軽銀座やハルニレテラスでのショッピングや食事が中心で、軽井沢をよく知っているとは言えなかったのですが、昨日の散策と今日のサイクリングで、すっかり軽井沢通(?)になり、一層、軽井沢が好きな街になりました。
写真は、森の中に佇む「旧三笠ホテル」の風格ある建物。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2日目の朝・・・昨日と違って、快晴です!
そして515号室からは、目の前に雄大な浅間山が見えました。 -
昔から噴火・爆発を繰り返してきた日本百名山の浅間山(2,568m)は、現在でも火山性地震が続き、噴煙を上げています。
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朝食は、2階にある日本料理「やまぼうし」でのバイキング。
ここは、110席ある ” ゆったり ” としたレストランです。 -
しっかり食べて、今日も一日頑張りましょう。
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9時にホテルを出発し、中軽井沢に向かう途中の星野エリアにある「軽井沢高原教会」へ。
このエリアは、今や全国に高級リゾートホテルを展開する「星野リゾート」の発祥の地で、1914年(大正3年)に星野温泉の旅館を開業した所です。 -
軽井沢高原教会は、大正10年に内村鑑三や北原白秋、島崎藤村らの文化人が集い、「真に豊かな心」を求めて開かれた「芸術自由教育講習会」を原点に誕生。
何事においても慎みが求められた時代にあって、芸術自由教育講習会は、「遊ぶことも善なり、遊びもまた学びなり」と感じたことを感じたままに表現できる空間で、その空間をこよなく愛した内村鑑三は、この建物を「星野遊学堂」と名づけました。 -
第二次世界大戦後、「星野遊学堂」から「軽井沢高原教会」に改名しましたが、原点である「星野遊学堂」の木の看板は、今も変わらず建物の正面に掲げられています。
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星野リゾートは昭和40年に軽井沢高原教会を改築してブライダル事業に進出し、平成2年には(株)星野温泉から(株)星野リゾートに社名変更。
この教会で親子2代に亘って挙式した方も多く、沢山の幸せを見守り続けてきた軽井沢高原教会。
今日も結婚式があるようです。 -
教会の隣にある「牧師館」へ入ってみました。
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この牧師館は、もともと牧師の書斎として建てられたもの。
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教会で挙式したカップルが、挙式当日の写真を飾りに来たり、子供が生まれた時の写真を加えたり、牧師館内には自然と “ 幸せのギャラリー ” が出来ました。
これらの写真を見ながら、孫も ” 私もここで結婚式を挙げたい~ ” -
軽井沢高原教会の近くには「石の教会・内村鑑三記念堂」があります。
ヨーロッパの古城を思わせる石の壁を進むと・・・ -
何とも不思議な形をした石の建造物があります。
正面から見ると、大きさの異なる沢山の石版がドミノのように、後ろの石版にもたれかかっているようにも見えますが、これが「石の教会・内村鑑三記念堂」。 -
この建物は、アメリカ人建築家ケンドリック・ケロッグによって、建築が自然の一部となることを提唱する「オーガニック建築」として、1988年(昭和63年)に建築された教会および記念堂です。
この写真は、孫が教会の方から「小学生ね」と声をかけられ、特別(?)に頂いた石の教会の絵葉書・・・とても幻想的で素敵です。 -
内村鑑三の墓は東京都府中市の多磨霊園にありますが、その墓に書かれた墓碑銘と同じ文章が建物の前にあります。
“ I for Japan:Japan for the World;The World for Christ;And All for God. ” -
墓銘碑を見ながら下っていくと、教会の入り口があります。
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入り口を入ったところにある資料室には、直筆の書など内村鑑三ゆかりのものが展示されています。
内村 鑑三(1861~1930)は、日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者で、教会の制度によらず、聖書のみを信仰の拠り所とする無教会主義を唱えた人物。
明治24年に天皇の神化に抵抗した「不敬事件」や、日露戦争の時に非戦論を唱えたのは有名な話です。 -
これは、内村鑑三がお孫さんに出した暑中見舞いの絵葉書・・・古き良き日本人の思いやりが伝わる1枚です。
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教会内部も「石の教会」の名が示すとおり、そのほとんどが石作り。
石と緑とガラスだけで作られており、教会の奥にある大きな窓が内部を明るくしています。
ブライダルスポットとしても人気があるようです。
内部は撮影禁止ですが、これは教会の方から貰ったパンフレットの写真。 -
フィンランド・ヘルシンキにある「テンペリアウキオ教会」を思い出させる石の教会でした。
こんな画像を見ると、夜も来たくなりますね。(写真はHPより)
この星野エリアが星野リゾートの発祥の地だと、改めて認識しました。 -
星野エリアから軽井沢駅に行き、近くの駐車場に車を止めてレンタサイクルの店へ。
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サイクリングを楽しみながら、軽井沢の街を探訪します。
じーじと孫はタンデム車。
「しっかり後ろのペダルを踏んでるか?」「踏んでマ~ス!」
私は電動自転車で坂道もスイスイ。 -
緑の木立に囲まれた別荘。
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ジョン・レノンが1976年から1979年に亡くなるまでの4年間、避暑で訪れたかの有名な「万平ホテル」に立ち寄りました。
1764年に開業した旅籠「亀屋」が始まりの老舗ホテルです。
明治期には東郷平八郎、大正期には室生犀星や堀辰雄、昭和期には三島由紀夫など、多くの著名人が宿泊しました。
皇族も利用する「万平ホテル」ですが、秋篠宮家が滞在されたおり、眞子さまが大きなワンちゃんに飛びつかれて驚いた時のニュース映像は、今でもよく覚えています。 -
緩やかな坂道を進むと、左手に「熊魚庵(ゆうぎょあん) たん熊北店」があります。
「たん熊」は、昭和の初めに京都・高瀬川のほとりに誕生し、谷崎潤一郎や吉井勇など文人墨客に愛された京料理の老舗で、その後、東京・大阪・横浜にも出店しています。
明治時代に万平ホテルの敷地内に移築された三井財閥の「桧館」が、2001年から「熊魚庵」に生まれ変わりました。
「桧館」は戦後、GHQが接収し将校用のホテルに使用されたこともあります。
中央の像は、2代目・佐藤万平の胸像。 -
明治27年に亀屋ホテルとして旧軽銀座通りで創業し、2年後に「萬平ホテル」に改称、明治35年にこの地に新築移転した「万平ホテル」。
開業当時は外国人の宿泊客ばかりだったようで、昭和20年から27年まではGHQが接収。 -
ロビーを中心に、軽井沢の歴史に因む6枚のステンドグラスが飾られています。
これと次の写真は、ロビーとレストランを仕切る形で壁面に取り付けられ大型の作品で、原画は宇野澤秀夫が描き、大改築が行われた昭和11年から飾られています。
このステンドグラスは、参勤交代の様子を描いたもので、駕籠に乗っている殿様は加賀百万石の前田公でしょうか。 -
明治期に建築され現在も営業しているクラシックホテルは、明治6年開業の日光市・日光金谷ホテル、11年の箱根町・富士屋ホテル、27年の万平ホテル、42年の奈良市・奈良ホテルの4軒。
大正期になってから西武グループが別荘地や周辺の観光開発にも力を投入したことから、軽井沢は避暑地に加えリゾート地としても整備されていきます。
このステンドグラスは、軽井沢高原で乗馬やゴルフに興じる人など、富裕層の夏の一日を描いています。 -
ホテルのカフェテラス入り口に、噴煙を上げる浅間山と、江戸から20番目の宿場町・追分宿を写し取ったようなステンドグラスが飾られています。
追分宿は、元禄時代には旅籠屋71、茶屋18、商店28を数え、飯盛女も250人前後いたというほど栄えた宿場で、旅人、駕籠や飛脚、馬が行き交う様子が描かれています。
カフェテラスで「天然氷のかき氷(1,200円)」を食べたいと思いましたが、かなりの順番待ちなので諦めました。 -
右手に行くと、鷲の木彫りが飾られ・・・
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その先に資料室があります。
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明治35年の創業時に、本館で使われていた菱形のステンドグラス。
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猫足バスタブ・・・現在も使っている部屋があります。
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かつてダイニングルームで演奏されていたヤマハアップライトピアノは、ジョン・レノンがつま弾いたこともあります。
ソファは、大正時代にロビーで使われていたもの。 -
万平ホテルを後にして、サイクリングを続けます。
東京・銀座にある「日動画廊」は、GWと夏季の期間、軽井沢にもギャラリーを開設。 -
天皇・皇后両陛下のロマンスの場所として有名な「軽井沢会テニスコート」。
テニスコート通りに面したクラブハウスは、滋賀県近江八幡に住みながら軽井沢にも多くの建築物を残した建築家・ヴォーリズが増築設計したものです。 -
避暑で訪れた軽井沢のテニストーナメントでお二人が出会ったのは、昭和32年8月。
因みに、1992年にブッシュ大統領が来日した際には、ブッシュ大統領&アマコスト駐日大使と対戦し、お二人は2ゲームとも勝ったそうです。 -
「室生犀星 旧居」。
石川県金沢市生まれの室生犀星(明治22年~昭和37年)は、『愛の詩集』『抒情小曲集』などの抒情詩や、『性に眼覚める頃』『あにいもうと』『杏っ子』などの小説を残しています。
大正9年に初めて軽井沢を訪れた室生犀星は、つるや旅館を常宿にして萩原朔太郎・芥川龍之介らと交友を深め、昭和6年に、この旧居を建てました。 -
亡くなる前年の昭和36年まで、毎夏をここで過ごし、昭和19年から24年までは家族と共に、ここに疎開していました。
この家には、堀辰雄・津村信夫・立原道造らが訪れ、近くに滞在していた志賀直哉・正宗白鳥・川端康成らとも交流がありました。 -
庭一面に生えた苔・・・一歩お庭に入った瞬間、苔の美しさに圧倒されました。
室生犀星、自らが築いたと言われるこの築庭と建物が見事に調和しています。 -
犀星は縁側に座り、この苔むした庭を眺め、こよなく愛したそうです。
「きりふかき しなののくにに こほろぎの あそぶお庭を 我はつくるも」 -
左側の建物が母屋で、書斎があります。
係の方から詳しく説明を聞きました。 -
座敷には、犀星の写真などが展示されています。
「ふるさとは 遠きにありて思ふもの そして悲しく うたふもの」
『抒情小曲集』のこの詩句は有名ですが、この句の通り、文壇に名を轟かすようになった後は、金沢に戻ることが殆どありませんでした。 -
床の間と、外の緑が見える書斎。
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室生犀星の世界に浸り、美しい苔に魅了されたひと時でした。
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室生犀星旧居の前にある「旧軽井沢Cafe 涼の音(すずのね)」・・・大正末期に建てられ、旧松方家別荘だった由緒ある建物です。
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旧軽井沢のメインストリートから一本道を入った「犀星の道」沿いにある隠れ家的カフェ・・・モーニングとランチのみの営業ですが、軽井沢らしい景色を眺めながらゆったりと過ごせます。
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12時を過ぎたので、旧軽ロータリー近くの「腸詰屋 軽井沢MESSE店」でランチ。
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腸詰屋は、群馬県太田市にある「ぐんらく」の直営店・・・ハム・ソーセージの販売がメインなので、レストランはセルフサービス。
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アルプ(アルペン)ホルンの飾り。
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ロースハムサンド(680円)・・・これは安くて美味しかった!
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孫が選んだのは、厚切りハムのバイシンケンセット(1300円)。
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ランチの後はレンタサイクルを返して、爽やかな並木が続く三笠通りをドライブ。
因みに、現在の軽井沢に広がる美しいカラマツの木立は明治時代以降に植樹されたもので、江戸時代の軽井沢の風景ではなく人工的に作られたものです。
明治初期まで、軽井沢の高原は野草地でしたが、明治16年に甲州財閥の雨宮敬次郎が、官有地500町歩、民有地600町歩を買い入れて、700万本におよぶカラマツを植林したのが始まりで、その後も大正・昭和期を通じて大量に植栽されました。 -
旧三笠ホテルの駐車場に車を止めて歩いて行くと、三笠茶屋があります。
川沿いの緑に囲まれた古民家風のお店は、茶屋というよりカフェの感じ。 -
高い木々に囲まれて、白い窓枠と赤い屋根が目を引く「旧三笠ホテル」・・・カラマツ林の中の静かな佇まいは、華やかなりし古き良き時代を思い起こさせるスポットです。
三笠ホテルの名称は、ホテルの前方にある愛宕山が、奈良の三笠山に似ていることから付けられました。 -
日本郵船や明治製菓の重役を努めた実業家の山本直良によって、明治39年に創業した三笠ホテル・・・すべて日本人によって設計・施工された純西洋式木造のホテルです。
当時としては最新の設備を備え、避暑地に集う多くの名士や作家達の社交の場だったため、 “ 軽井沢の鹿鳴館 ” と称されました。 -
昭和45年、ホテルとしての営業に幕を下ろしましたが、昭和55年には国の重要文化財として指定され、今も軽井沢を代表する観光名所となっています。
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湾曲したブラケット(腕木)が優雅に軒下を支え、建物全体に重厚感を与えています。
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正面は、洋風建築の特徴である三角屋根とアーチ型の窓枠で設計され、右側の屋根上に見える暖炉の煙突が建物全体に調和し、3本の煙突が絶妙にバランスしています。
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建物に入ると、資料室があります。
建物図面の中で、1階の赤の部分が昭和48年に移築した時の解体部分(食堂・調理場・浴室など)で、現在でも竣工当初の約半分の建物が保存されています。 -
竣工当時の模型。
当初はエントランスの上にバルコニーがあったんですね。 -
解体された部分も含めると、こんなに大きな建物でした。
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当時の荷札。
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大正初期の晩餐会の様子。
内閣総理大臣を務めた近衛文麿、尾張徳川家当主・徳川義親、同人白樺の有島武郎、かつて大名だった毛利、黒田といった人々の名が連なります。 -
昔の宿帳をみると、時の大物政財界人・文化人等の名前が記帳されています。
美智子様のお名前もありました。
因みに宿泊料金は、一等が12円、二等が8円、三等が5円で、現在の貨幣価値に直すと、一等が一泊24万円、二等が16万円、三等が10万円という超高級ホテルでした。 -
1階右奥は、かつてのフロントとロビー・・・当時のざわめきが蘇ってくるようです。
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特徴的なカーテンボックスには、小説家・有島武郎の弟・有島生馬がデザインしたオリジナルのエンブレム。
松と鶴に囲まれた円の中に、3つの笠と三笠ホテルのイニシャル「M」と「H」がデザインされています。
因みに、創業者・山本直良の妻は有島武郎の妹、作曲家・山本直純は孫になります。 -
フロントカウンターの左手にあるキーボックスには、洋式ホテルのため13号室はありません。
日本で好まれない4号室・9号室はあります。 -
創業当時のシャンデリア。
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当時は西洋風のテーブルやチェア、ベッド、収納家具などがなかったため、地元の家具職人に依頼して木製の家具を作りました。
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地元の職人が、地元の木を使って、軽井沢の四季を表現するような独特の彫刻を施し、テーブルや椅子などを作って、それが軽井沢の伝統工芸品である『軽井沢彫り』になったのです。
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客室のタンスにも「三笠ホテルマーク」が彫られています。
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サンルーム・・・幾何学模様にデザインされたガラス窓は、建築当初からのガラスがそのまま今も残されています。
明治時代のガラスは、厚みが均一でないため、窓越しの風景が歪んで見えます。
この歪みは、味があって素敵ですね。 -
重厚な家具類。
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板張りの部屋は暖炉があり、用途によってベッドや椅子・テーブルが置かれています。
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1階の部屋を見終わり、中央の階段を2階へ。
手すりや柱のデザイン、照明が何とも素敵ですね。 -
廊下の眺めにも、ノスタルジ-を感じます。
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今日の観光が終わり、帰りに別荘族御用達の「ツルヤ軽井沢店」へ。
TSURUYAは長野県全域に約30店舗を展開する、地域密着型のスーパー。
地元産の商品を数多く扱っているので、軽井沢に来た時は、いつもジュース・ジャム・地ビールなどを買って帰ります。
これで、お土産もOK。 -
ホテルに戻り、プールでひと泳ぎした後、夕食タイム。
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今日もよく動きました。お疲れさまでした・・・カンパ~イ!!
明日は草津白根山に登ります。
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