絵金祭り&アドベンチャラスな高知山間部の旅(四日目・完)~吉村虎太郎の津野町から、龍馬脱藩の道で知られる檮原はやっぱり維新の聖地。司馬遼太郎が絶賛した棚田も確認して、その後は土佐久礼大正市場と周辺を楽しみます~
2017/07/18 - 2017/07/18
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今日は最終日。ハイライトは、津野・檮原と土佐久礼です。特に、龍馬脱藩の道で知られる檮原は、今回の高知山間部の旅の趣旨としても最後にはふさわしい場所。維新の香りがどこまで残っているか。とっても楽しみにしての訪問です。
さて、まず、松葉川温泉から雨が降る中を出発して、津野町経由、檮原に向かいます。津野では吉村虎太郎。元々はあまりいい印象ではなかったのですが、そうでもないような。身分制度にとらわれない平等な社会を作るという思想は、松陰先生の草莽崛起論にも影響を受けたような気もしますが、尊皇をそう解釈していたなら確かに命を懸ける価値はあったかも。イメージが少し変わったのは思いがけない収穫です。
そして、檮原。六志士の墓とか掛橋和泉邸に、あの維新の群像。期待した通り、維新の香りはそれなりに健在。ここが維新好きな人にとっては聖地のひとつであることが、よく分かりました。
その後は、土佐久礼の大正市場。ここは私にとっては少し懐かしい場所。足摺や中村方面に行く際は、ここに寄るのは楽しみでしたからね。かつお丼とか。高知市内ではちょっと食べない食べ方もこれはこれで鰹のおいしい食べ方を熟知している土佐久礼ならでは。高知にあっても土佐久礼はまたひと味違うんだぞと老舗の実力を垣間見たような感じです。
以上で、四日間の旅は無事終了。お疲れ様でした。
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イチオシ
今日は、四日間の旅の最終日。松葉川温泉を出発して、津野町経由で檮原に向かいます。
津野町の市街に入って。吉村虎太郎の像は、街を見下ろすような小高い山の上。そこにまたこれも高い台座の上に建っていました。 -
長い髪を後ろで縛った奔放な面構え。幕末の混乱期、天誅組の実質的なリーダーとして、長州藩の動きと連携して尊王攘夷のさきがけとなる。高知から羽ばたいた快男児の気概がはっきりと伝わってくるように思います。
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像から吉村虎太郎邸までは少し離れます。邸の近くの山に向かって、
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虎太郎脱藩の道。脱藩は文久2年3月。龍馬もこの頃に脱藩していて、自由な立場で世の中を変えたいと思う気持ちは同じです。
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これが吉村虎太郎邸。津野町の市街から標識が出ていて、比較的分かりやすいと思います。赤い塀で囲まれた藁ぶき屋根のお屋敷。
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当時からそうだったのかどうかは分かりませんが、これは復元された建物です。
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係の人がいて冷たいお茶を出してくれて、虎太郎の人となりを紹介するビデオなども拝見しました。
五條の代官所を襲った天誅組の行動は、中山忠光の横柄さとか。どちらかというと私にとっては不快感があるものだったのですが、必ずしもそうでもない。身分のとらわれない平等な社会を目指そうとする思想などは、それなりに筋が通っていると言えなくもない。少し評価の見直しが出来たかなと思いました。 -
新しく復元はされていますが、間取りとかは当時のまま。
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そこに虎太郎を偲ぶ展示が少し。
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イチオシ
やっぱりなかなかの人物だったんでしょう。いい面構えです。
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先ほど触れた天誅組がいただいた中山忠光。明治天皇の従弟にあたる人物ですが、尊王を掲げる周囲からちやほやされてその気になっていただけというのが私の評価です。
虎太郎は天誅組の変で倒れますが、忠光は脱出して長州に逃れます。そして、最後は幕府の圧力もあり、長府藩で暗殺されました。 -
津野町は、これでおしまい。ほとんど檮原に近づいたところで、これは高野の舞台。標識が出ていまして、国道を少し左に入った高野三嶋神社という神社の境内。
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イチオシ
神社は土佐七雄の一つ、津野氏の祖、藤原経高が創建したもの。広場のような境内の奥に藁ぶき屋根の建物があって、それが高野の舞台です。戸は閉められひっそりとしていましたが、今でも、4年一度ここで農村歌舞伎が行われているということです。
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さらに檮原に近づいて。
これは、太郎川公園。檮原に向かう途中の最後の峠と言った場所です。 -
国道沿いに道の駅のような駐車場の広い場所があって、その周辺に、ちょっとした日本庭園とかが整備されていました。ただ、ここはもう雲の上ホテルとかと同じ敷地内といった感じ。この公園自体の注目度はイマイチかもしれません。
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公園の一角にある梼原町雲の上の市場。
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道の駅のような施設なんですが、大きな施設とはいかなくて、産直で地元産の野菜やちょっとしたお弁というなども扱う小さな販売所といった感じ。
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ただ、大きな箱モノを作らなくても、これで十分に用は足りていると思います。
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そして、これが雲の上ホテル。私はこれが出来た直後くらいに高知にいて、よく評判を聞いていましたが、見たのは今回が初めてです。
隈研吾の設計で、確かにそれらしい雰囲気がありますが、残念なことに、けっこう傷んでいる様子。メンテナンスはなかなか行き届いていないように思います。 -
ホテルの一階入口の小さなロビーが休憩所のようになっていて、私はそこでちょっと休ませてもらいました
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さて、そこから少しバックして、棚田の方に上がって行きます。なるほど、これが檮原の棚田ですかあ。
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イチオシ
檮原と言えば千枚田というくらい有名な千枚田ですが、司馬遼太郎がすごいと紹介したのが始まりだと思います。国道から入っていくのですが、その入り口がけっこう分かりにくい。何度も行き来して、やっと見つけました。
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高知山間部の急峻な山の斜面に張り付くように開かれた千枚田。ごつごつした石を積み上げた畔や霧に包まれた森の緑をしばし眺めましたが、
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確かに雰囲気はある。
朝もやのような霧が山々から立ち昇って、鮮やかな緑をいっそう引き立てているように思いました。 -
たまに、軽トラックが行き来したりするのも、生活の匂い。長い年月の積み重ねでうまれた景観ですし、これが壊れるともう元に戻ることはないでしょう。かといって外からの保存活動なんか意味はない。地元の人がどこまで頑張れるか。それにかかっている棚田です。
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檮原の市街に入って、ここからは檮原市街の散策です。
役場の駐車場に駐車して。
まずは、同じ敷地に建つゆすはら観光交流案内所まろうど館と梼原千百年物語り資料館を訪ねます。 -
資料館の奥が
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まろうど館。
規模は比較的小さなものですが、初代梼原庁舎であり、白い外壁に玄関上にはバルコニーも備えるなど、いわゆる擬洋風建築。 -
中に入ると案内所の事務所とはなっていますが、スタッフは梼原千百年物語り資料館の受付の方にいるので無人です。町内散策のパンフレットはそちらでどうぞ。
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梼原千百年物語り資料館は、通路でつながっていまして。
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展示は、檮原の歴史を913年に藤原経高が京都から伊予経由で檮原に下ったことから説き起こします。藤原経高は伊予に流罪となったようですが、そこからさらにこちらに移ったよう。
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名を津野経高と改め、後には土佐の七雄にまで成長しますが、
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津野山神楽等の文化的な素地もこの頃できたようです。
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もう一つのポイントは、幕末の志士たち。龍馬の脱藩を援けた掛橋和泉などの六志士の紹介は、まさに司馬遼太郎の世界そのものです。
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そして、これは棚田。
派手な展示ではありませんが、コンパクトに檮原の歴史を紹介していると思います。 -
イチオシ
ここから、街歩きのパンフレットに従って、歩き始めます。
これは、ゆすはら座。昭和23年に梼原町の町組によって建てられた大正時代の和洋折衷様式の木造芝居小屋。 -
中は自由に見学できます。
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しかし、芝居小屋は、なにか地域の繁栄がバックにないとこうした施設はできないはず。この地域は津野氏を考えれば、歴史的な中心は檮原町ではなくて津野町だったはず。檮原は龍馬脱藩の地、つまりは土佐の辺境といったイメージでしたが、やはりそれだけではないものを持っていたようですね。
そう言う意味だと文化とお菓子は関係があるので、どこか老舗があるのではないかとも思ったのですが、それは一軒もなし。こちらはちょっと寂しい感じです。 -
先に進んで、六志士の墓は檮原町の市街地から少し歩いた小高い山の上。
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龍馬の脱藩を援けた掛橋和泉に那須信吾、天誅組で活躍した吉村虎太郎ら六人の志士の墓が並びます。全国的にはあまり知られていない志士も含みますが、こうした草の根の広がりがあったことこそ明治維新がなぜ成功したのかを理解する大きなポイントなんですよね。
司馬遼太郎はそのつもりはなかったと思うんですが、なにか偉人が歴史を動かしたんだというような司馬史観が世の中にははびこりすぎていて、私は事実をゆがめているような気がしてなりません。 -
イチオシ
茶堂は一つだけではありませんが、これは檮原市街の六志士の墓近くにある茶堂。茶堂というのは、この地の領主、津野氏の滅亡後、その追善供養のため建立されたもの。開けっぴろげの堂内には津野孝山を祭っています。堂内は広いので、地域の社交の場としても使われたようで、それが長く残った理由かもしれません。
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続いては、掛橋和泉邸です。
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吉村虎太郎も住んでいた庄屋跡地に、掛橋和泉邸を移築したもの。ちょっと紛らわしいですね。
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掛橋和泉は、龍馬の脱藩を援けた人物ですが、やはり何らかの思想の持ち主だったことでしょう。虎太郎は身分にとらわれない平等な社会というのがキーですが、なんだったのか。
ただ、当時の空気としては新しい時代への渇望が共通の認識としてあった。それは水戸もそうだし、「夜明け前」の木曽路でも同じ。幕藩体制のという地域分権の大勢の中でも全国に共通していたというのは不思議なことなんですが、その辺りの不思議さをどなたかに解明してもらえたら素晴らしいことなんですけどね。 -
そうした背景があって、土佐の辺境の地にあっても、徐々に具体的な行動へと結びついて行ったと理解すべきなのではないか。つまり、掛橋和泉はそれなりの人物であったことは認めますが、それを特殊な人物と見ると時代を見る目を間違えるように思います。
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脱藩のための密議をした屋根裏の隠し部屋もありましたが、まあそれはおまけです。
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そして、これが維新の群像。いまや檮原のシンボルのような存在ですね。市街から見える和田城跡の敷地の中にありました。
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号令している吉村虎太郎の前をかためるのは、
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那須信吾を先頭に、
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イチオシ
前田繁馬、中平龍之助。
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脱藩の道を行く坂本竜馬は、澤村惣之丞、と那須信吾の父那須俊平がこれを援けます。
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一番奥は掛橋和泉。見ているこちらもワクワクしてしまいそう。これだけ活き活きとした像はなかなかないのではないでしょうか。
まさにこうした物語の地であることが檮原の誇りです。 -
以上で檮原は終了。土佐久礼で高知市に戻ります。ちょっと変なコースみたいなんですが、実は意外に無駄がないんですよね。
道の駅 布施ヶ坂は、檮原町から帰る途中。 -
四万十川源流点の駅とありました。
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いろんな珍しい青果物が目について、私がお土産にしたのはまくわうり。「昔のメロンです」とコメントがありましたが、確かに、鮮やかな黄色なのに、固いし甘さは薄い。喉の渇きをいやすくらいのものかなと思いました。
一方で、津野町の英雄は維新の志士、吉村虎太郎。奥のビデオコーナーでは虎太郎の解説ビデオをやっていました。今朝ほど虎太郎の生家跡で拝見したのと同じもの。興味のある方は是非どうぞ。 -
続いての道の駅は、風車の駅。普通の道の駅ですが、外側に大きな風力発電の羽根が置いてあるのが目印。こうして間近で見ると、羽根ってでかいです。
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地元の野菜も少し置いていて、
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私はミニトマトをいただきました。
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再び津野町に入りました。津野町は、かわうその街としてアピールしていて、この自然公園は四万十川のほとりに整備されています。
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形だけの公園かなとそう期待はしていなかったのですが、行ってみると、周囲をちょっとした石垣で囲んで、辺り一面は美しい芝生が広がる。この公園自体がちょっとした芸術作品のように見えなくもないですね。
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ここでバーベキューとかしたら最高だと思います。
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葉山の蔵は、国道沿い。集落の中を通っていると突然カーブの先に現れました。建物で囲まれた敷地内は石畳が敷き詰められていて、そこ自体が気持ちの良い空間。ちょっとしたギャラリースペースもあって、浮世絵で見る幕末という無料の企画展をやっていました。
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さて、ほどなく土佐久礼に到着。
久礼八幡宮は、中土佐町の総鎮守です。この脇に車を止めて、ここから市街の散策です。 -
湾に向かって構えた境内は、殺風景と言えば殺風景ですが、意外に広い。大きなお祭りもあるようですが、これなら少々のことでは大丈夫でしょう。ただ、普段は人けはあまりないような。ちょっと寂しい雰囲気も感じます。
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久礼八幡宮の門前にある高知屋。
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おばあちゃんが一人で切り盛りする小さなお店です。
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評判というところてんをいただきますが、色紙がいっぱい飾ってあって、人気のお店のようですね。
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イチオシ
注文すると、ハイよっという感じで、ところてんを椀に押し出して、ささっと一丁上がり。ところてんの向きがきれいにそろっているので、舌触りがいっそうなめらかです。出汁は、魚の出汁。よくある酸味のある出汁ではないので、これもちょっと新鮮です。
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そのまま、海岸の方に出て。
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双名島は、土佐久礼の市街の沖合いに浮かぶ島。二つ並んだ島なので双名島なのでしょう。湾の入り口のような場所にあるので、防波堤のような役割も少しはしているような。市街からは割と近くに見えますが、近くまで行こうとすると3キロくらいある。歩いてはいけない距離です。
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で、手前は中土佐ふるさと海岸。防波堤に守られた海岸で、湾の奥にあたります。見た目ではあまりきれいな海岸とは思いませんでしたが、海水浴をしている人もいたりして、近くにあるという手軽さもあって、それなりに役に立っている感じです。
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鰹供養の石碑もありました。命に感謝です。
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中土佐町立美術館は、土佐久礼の市街の端っこ。久礼市場からだと少し歩きます。どうせ田舎の美術館だろうとくらいしか思っていませんでしたが、建物はなまこ壁の蔵のような感じ。
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所蔵品も、もともと地元の会社社長のコレクションだったというもので、小磯良平などを含めた軽やかなもの。悪くないと思います。
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さて、土佐久礼といえば、大正町市場。そっちの方に戻って来まして。
西村甘泉堂は、大正町市場の入口向かい。 -
基本はお菓子屋さんなんですが、
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ここでもところてんをやっていて、それを注文。
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すると、出てきたのはお椀に溢れんばかりのところてん。出汁は魚の出汁なので、その出汁もがぶがぶ飲むようにいただく。こちらはけっこう豪快です。
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高知市にはひろめ市場がありますが、この久礼大正町市場はそれよりずっと前からあって、高知では有名な市場。
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浜で上がった魚をそのまま販売します。
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規模は通りがちょろっとあるだけで知れていますが、
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食堂もいくつかあって、これで十分。期待通り、やっぱり老舗の楽しさです。
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大正町市場の中でも一番メジャーな魚屋さんは、田中鮮魚店でしょう。店頭にカツオを何本も並べて、さすが土佐の一本釣りの本場と言った雰囲気。注文すると、その場で手早く捌いてもくれるし、とにかくすべてお任せ。安心して買い物ができるお店です。
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そして、昼飯は市場のめし屋 浜ちゃんです。名物食堂のようで、平日のお昼でもけっこう混み合っていました。
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イチオシ
いただいたのは、カツオ丼定食。カツオの切り身にとろろと紅ショウガが乗っただけのシンプルな丼なんですが、これはうまい。活きのいいかつおだとたたきにしなくても、切り身で十分うまい。うまい食べ方を知り尽くしている、これが浜の料理なんだなあという感じです。
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市場を離れて、これは岡村かまぼこ店。
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昭和13年創業という老舗の天ぷら屋さんです。
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基本のくれ天をいただきましたが、白身の魚をベースにした、ちょっと甘みもある天ぷら。これは、すんごくうまいです。四国だと宇和島のじゃこ天とかが有名ですが、そんなのまったく比較になりません。
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大正町市場に来たついでに、笹場の大イチョウにも足を延ばしてみました。中土佐の市街から湾沿いに進むとトンネルのすぐ先に見えてきます。
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イチョウの下にさびた案内板があって、これは「お梅さんの木」とも。お梅は平家の落人の娘。源氏の目を逃れた小さな恋の物語の伝説にまつわる銀杏です。
詳しい物語が書いてあるにはあるのですが、さび付いていて読めません。内容を正確にお伝えできないのが残念です。 -
土佐久礼から高知市に戻る途中。もうひと頑張りして、清瀧寺へも立ち寄りましょう。寺に向かう山道が難所という情報があってこれまで避けていましたが、今回は思い切って行ってみます。細い道の部分の距離はさほどではないのですが、確かに、これは厳しい道。一度交差をしましたが、本当にひやひやもの。あまり安易に考えない方がいいと思います。
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迫力ある本堂を
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確認して。
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高知平野を見下ろす眺めもまあまあなんですが、
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境内にすっくと立った厄除け薬師如来像の姿がやっぱり見どころでしょう。
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イチオシ
後姿もいい感じじゃないでしょうか。
さて、これで四日間の旅も終了。レンタカーを返して、空港から東京に帰ります。
長々とお疲れ様でした。
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