2017/07/07 - 2017/07/09
13位(同エリア203件中)
Kちゃんさん
東北大震災の後、1年に1回ほぼ同じ場所を訪れて復興具合を感じる旅。 7回目となる今年は直接の津波被災地だけでなく平泉の散策と帰路の仙台で楽天イーグルス応援を加えた計画を立てました。 また南三陸で1泊することにより志津川地区にはいつもより滞在が増え復興具合を感じられます。 これまで定点観測的に写真を撮ってきた志津川、気仙沼、陸前高田、とそれぞれに1年前より一層の復興が感じられますが、やはりそれぞれ毎に進捗の違いや復興方針の違いが少しずつ感じられるものです。 過去の定点観測旅行記も併せて御覧いただければと思います。
なお、東北大震災発生後も九州熊本など甚大な被害の発生する地震や集中豪雨による災害が発生しています。 旅行記は東北ですがそれらの地域の方たちにも併せてお見舞い申し上げます。
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11163652/
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11030411/
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10892156/
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10887121/
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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金曜日午後の東北新幹線。 最速の「はやぶさ」でなく「やまびこ」ですが結構な乗車率でビックリです。 今回もJR東日本の早割切符で多少お安くなっています。
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仙台駅に到着。
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夕食は国分町辺りへ出掛けますが、まだ時間が早いのでそれほどごった返していません。
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牛タンか寿司かで悩みましたが、寿司屋へ。 カウンターと小さな小上がり席というこじんまりしたお店。 カウンターを所望しましたが既に予約でいっぱいということ小上がり席へ。 観光客とよりも地元の常連さん相手のお店のようです。
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流石地元、楽天イーグルスのポスター、選手のサイン、等飾られています。 常連さんとともに大将もお好きなんでしょうね。
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お任せで、刺身と握りをお願いしました。 新鮮で大満足。
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翌朝。 仙台駅前でレンタカーを借り平泉へ向かいます。 広瀬通りを西に向かい仙台宮城ICより東北道へ。 ここは丁度国分町の横あたりですが流石に夜の喧噪も早朝5時ころならばともかくもこの時間にはひっそりと静まりかえり朝の風景になっています。
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平泉ICまで小1時間。ここで東北道をおります。
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平泉ICから中尊寺前駐車場までは5分位。 まだ夏休み前であることや朝の時間帯だからか月見坂真横の第一駐車場へスムーズに入れられました。 前の車もレンタカー。 岩手ナンバーですから一ノ関辺りで借りたのでしょうか?
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月見坂の入り口です。 ここからだらだらと登りが続きます。
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月見坂は両側に太い檜がならぶ間をだらだらと登っていきます。 その両側も緑が深くプチ森林浴といったところでしょうか。
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月見坂の横に最初に現れるのが「弁慶堂」。 ほとんど事前知識なしに訪れましたが金色堂に至る間にこのような御堂が幾つもあります。
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峯薬師堂
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こちらは中尊寺の「本堂」「寺務所」です。
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中尊寺と言えば「金色堂」ですね。 絵はがき的風景ですが堂内は撮影禁止ですのでこれぐらいしか残せません。 皆さん御承知のとおり、写っている建物は覆堂で「金色堂」はこのなかにすっぽりと納められており風雪や拝観者からまもられています。 この覆堂は1960年頃の昭和大修理の際に金色堂解体修理とともに新設された鉄筋コンクリート製のもの。
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こちらが昭和の大修理まで金色堂を覆っていた「旧覆堂」です。 金色堂の横に移設されています。
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松尾芭蕉の像。 みちのくの旅すがら金色堂の美しさを句に詠んでいるそうです。 (このあたりは横にいたツアーガイドさんがお客さんに説明しているのが聞こえてきました)
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睡蓮の花が咲いています。 「中尊寺ハス」というのが有名だそうですがこれは少し離れた池にあるそうで。
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境内は火災報知器もこのように木製のカバーで覆い景観維持に配慮しています。 安全規定と景観との間でギリギリの処置なんでしょう
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飲料の自動販売機も木製のカバーがつけられています。
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中尊寺を離れ毛越寺へ向かいます。 中尊寺駐車場から毛越寺駐車場まで5分位。 駐車場はどちらも町営で中尊寺に駐車したときに割り引き券を貰えましたので¥100引きでした。
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境内の案内です。 観光案内やJR東日本のコマーシャルなど平泉というと中尊寺金色堂とならび、この毛越寺の浄土庭園がイメージされ、浄土庭園の池も中尊寺境内に有るように錯覚しますが実際は2km~3km離れており全く別のものです。 ただ藤原氏栄華の象徴としては双璧をなす文化財なのでしょうね。
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毛越寺入り口。
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緑が綺麗です。
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丁度「あやめ祭り」開催中でした。
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浄土庭園の池
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池対岸の常行堂あたり
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遺水。 ここで「曲水の宴」という歌を詠む儀式の行われるせせらぎです。
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浄土庭園。 池の周りを右廻りに3/4程歩いたあたり。
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毛越寺を出てJR平泉駅方向へ向かいます。 道は新しく整備されたばかりのようで両側には食事処などが並びます。
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平泉駅です。 駅舎以外何もありません。
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午前中に平泉散策をし昼食は猊鼻渓辺りでと思っていましたが、意外とじっくりと中尊寺と毛越寺を巡ってしまったため平泉で昼食とします。 駅前ロータリ-角にある蕎麦屋さん。
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芸能人さんの来店も多いのでしょうか?
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普通のお蕎麦も有りますが、こちらの名物は「平泉わんこそば」。 試してみることにします。
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盛岡のわんこそばは若干汁がかった蕎麦を次から次とお椀に入れてくれるスタイルですが、ここのわんこそばはお椀に入った蕎麦を蕎麦つゆに浸けて食べるスタイル。 1人前のわんこそばセットでは24のお椀に蕎麦が入って出されます。 全部食べ終えた図。
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平泉から猊鼻渓を通り陸前高田へ向かいます。 時間が遅くなったのと、立ち止まって見た限りたいしたことなさそうでしたので結局猊鼻渓はパス。 このあたりは地方の国道や県道が多数有り、206号線→19号線→343号線とたどりますが交差点毎に道路標識を見ながら進みます。 (ナビ案内は好きではありません)
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山中のループ橋。
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ダンプが増えるということは陸前高田に近づいていることでしょう。
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大船渡線の踏切跡。 もう何年も列車が来ていませんが踏切はそのままです。
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判りづらいかもしれませんが、道路案内には「高田松原→6km」とあります。 震災前からそのままなのでしょう。
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陸前高田へ入る手前に三陸道のICが出来ていました。 ここから大船渡方面へは新たに開通したようです。
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陸前高田へ入っていきます。 道路そのものの経路が若干変わっているのか周囲の様子が変わっているのか? 様子に戸惑っているうちに海岸付近の45号線交差点に。
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以前に紹介した「一本松茶屋」に車を止めます。 ここから見る嵩上げ盛り土は去年と変わらない風景。
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今回はここから「奇跡の一本松」まで歩いてみることに。
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気仙川河口あたりには新たな水門の工事が進んでいますが、津波で被害のあったままの旧河口水門と対照的です。
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一昨年まで恐竜のような姿を見せていた嵩上げ土砂を運ぶベルトコンベアーは撤去されていますが、川を渡るための土台はそのまま残されています。
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壊れたままのユースホステル
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奇跡の一本松。 始めて間近に見ました。
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一本松前の献花台。
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故やなせたかしさんが書いた画を元にタイルでモザイク画が再現されています。
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5年前(震災後1年ほど)、まだほとんど復興は始まらずガレキの撤去が終わった程度の頃。
2012年6月 -
高さ12.5mという真っ新な防潮堤が完成していますが、その内側には流された高田松林の根、1本1本が残っています。
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ユースホステル辺りへの橋は震災5年前に架けられたようです。
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「三陸ジオパーク」と名付けられた震災の教訓を残す試み。
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【資料写真】
震災翌朝の陸前高田航空写真。 一本松、ユースホステル、そこへ至る橋、など当時の状況が判る。 -
防潮堤の内側は「震災祈念公園」として整備されるようです。
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一本松茶屋へ戻り散策。 ラーメン屋の屋号は「がんばろう」
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土産物は一本松をモチーフとしたものだらけ。 復興支援と商魂との境目が解り難くなります。
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「道の駅、高田の松原」跡。 震災遺構的に整備されているようです。
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その上部に記された津波到達高さの表示。 これより高い最上部によじ登った数名の方が助かったそうです。
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5年前(震災1年後ほど)の同じ場所です。 2012年6月
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道の駅から遠くに、以前にも紹介した「残されたビル」が見えました。 嵩上げ盛り土に囲まれながらも残っています。
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大船渡寄りにあるこのアパートも残されたままです。
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以前の市街地辺りを一周してみますが、途中でナビが「間もなく踏切です」と発したのにはビックリ。 盛り土の行われる前は大船渡線の踏切跡などありましたが、今となってはどこがどこだか判らないようになってしまいました。 新たな発見はこの施設。 駅前にあった「MAIYA」が嵩上げ完成した地区に商業施設として戻ってきています。
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【画像は資料から】
「あばっせたかた」と名付けられたこの商業施設はMAYIYAの他につるはドラッグ、しまむら、などチェーン店が入り、市営図書館も併設されるようです。 やっと仮設店舗から戻ってきて住民の新しい営みが始まっているようです。 -
5年前(震災1年後頃)、まだ取り壊される前の旧MAIYA。 その先の建物はNTT陸前高田、道路を挟んで高田農協。 このあたりが陸前高田の中心街だったのでしょう。
2012年6月 -
陸前高田を後にして気仙沼方向へ向かいます。 気仙川対岸の気仙中学跡はそのまま。
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気仙沼、唐桑地区へ入ります。 震災直後にカツオ漁船が打ち上げられていたあたりですが、この辺りはすっかり道路整備も済み道端にはラーメン屋さんなど開店していますが、陸前高田などと異なり嵩上げ工事がされた様子もありません。
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5年前(震災後1年頃)の同じ場所です。 上の写真とは反対から写しています。
2012年6月 -
市街地へ入っていきますが、両側は津波の被害に遭った家の土台がそのまま残っているところが多く再整備の進んでいるところとの差が目立ちます。
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大島行きフェリー岸壁近くですがこの辺りの整備もまだまだ、男山と並ぶ気仙沼地酒である「両国」酒店も古めかしい佇まいを残しつつ新築されていました
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最盛期は過ぎましたが港には多くのカツオ漁船が停泊しています。
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港近くの市街地風景。 この様子だけからは震災前とほとんど変わっていないのかもしれません。
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6年前、震災後3ヶ月ほどの2011年6月に訪れたときの同じ場所です。
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漁港魚市場横の商業施設へ寄ってみます。
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ここは震災当時は青く塗られていました。 津波で打ち上げられた漁船も放置されたままです。 2011年6月
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中にそれほど客は多くなく、水産加工品の土産物店、
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ほたて
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「ぶり」と呼ぶには少し小さいようですがこのお値段です。
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気仙沼から今日の宿泊地である南三陸へ急ぎます。 ここは気仙沼線の陸前小泉駅あたり、津波に流された線路の傍らに三陸自動車道の橋が架けられています。
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三陸道は登米からこの「南三陸海岸」の区間も開通していました。
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志津川地区へ入る直前の高台にはウジエスーパーやホームセンターの入る商業施設「アップルタウン」が開店間近です。
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宿に到着。 観光バスで来る団体も多いようです。
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玄関ロビー、海一望です。
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お部屋です。 真新しい感じではないですが充分に清潔。 窓からは志津川湾を一望。
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ベランダには海ネコが遊びにきます。
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湾には養殖イカダがびっしり。 この数年でよくぞ復活したものだと思います。
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大浴場入り口です。
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海に面した室内浴場。 お湯は全く癖のない普通な感じでした。
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露天風呂。 楽しんでいるお客さんが居ましたが失礼して撮影。 でも皆さん並んで背中をこちらへ向け海を眺めての入浴は画になります。
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サウナも海に面してガラス張り
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震災復興に関わるネットワーク説明。
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津波被害の前と後
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この宿は、震災直後には600人もの地域住民の避難所としても活用されていましたが、その時に避難している子供達向けに寄贈された本はいまも文庫として館内の一角に公開されています。 気仙沼にも系列のホテルがありますが、どちらも高台に位置するために被害は最小限で済み、震災後の対応をする救助や行政の拠点としても重要な役割を果たしました。 なによりも経営者以下従業員の皆さん地元の方達ですので、この一大事を地元と一緒に乗り切って来られたのだと思います。
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夕食。 会場の照明が少し青みがかっていましたので色調が変わってしまっています。
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雲丹もつきます。
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アワビの踊り焼も1個ずつ。 焼いている間は蓋を取ってはいけないのかもしれませんが、踊っている様子を見たくてつい開けてしまいます。
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翌朝、日の出は4時15分過ぎとのことで目覚ましをセットしカメラを構えますが生憎と日の昇る方向に雲が掛かり直接の日の出は拝めません。 周囲の空がだんだんと明るく、赤く染まります。
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部屋の真下では早くも漁師さんが働いています。
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水中めがねで覗き、長い竹竿を操って雲丹を取っています。
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陽が昇り明るくなってきます。
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こちらは夫婦船。 相当御高齢に見えますが奥さんが船を操り旦那さんが水中めがねで海中を覗いてます。
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今朝もベランダの手摺りにはお客さん。
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朝食です。 普段はパンなどですが海産の食材が多かったので和食系を中心に摂りました。
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このホテルは天皇陛下が被災地視察に訪れた際に宿泊されたそうです。
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さて、今朝は志津川地区を巡るところからスタート。 ホテルでは「震災語り部バス」を毎朝無料で運行していますが、早めに仙台へ向かうことにしていたので自身で巡ります。 またまた志津川地区の道路はルートが変わっていて行きたいところへなかなか近づけません。
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いつもの坂の上公園の保育園。 今日は日曜日で園児は居ません。 最初に訪れたときは本当に高台で海を望めましたが、周囲が嵩上げされほぼ同じ高さとなってしまった今は、このアングルくらいしか昔と同じ様子に見えません。
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保育園の脇は直ぐ国道45号線の迂回路です。 この迂回路も建設中の高架部分が出来上がればまた付け替えられるでしょう。
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志津川の護岸も綺麗に整備されています。
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この春にオープンした南三陸商店街。 以前のさんさん商店街は仮設のものでしたが、ここは恒久的な施設とされています。
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商店街と言っても、今回の旅で発見した陸前高田の商業施設や、志津川にオープン間近なウジエスーパーなど地元民向けの商業施設と違い、どちらかというと観光客相手の観光市場的施設と感じました。
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珍味と言われるほやも以外と安いものなんですね。
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海鮮丼。
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震災関連書籍
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商店街の写真屋さんに展示されていた震災直後の上空写真。
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こちらは海側から見た震災前の市街の様子。 こういうのどかな街の営みが一瞬にして崩壊してしまったと考えると涙を覚えます。
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商店街から見た防災庁舎跡と道路高架部分工事。 防災庁舎の鉄骨は茶色いさび止め部分や外階段の白い部分など、今回ペンキが塗り直されているのが判ります。
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商店街の反対には小高い丘を更に築き展望台としています。
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展望台から海方向を見ます。 湾の先は昨晩宿泊したホテル。 このホテルも低い階の浴場などは津波被害に遭っているそうです。
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右へ振り向いて、オーナーの意向で保存が進んでいる吉野会館。
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更に右に振り向いて志津川上流方向。 新設の商店街施設と防災庁舎跡など。 建設中の手前の大きな橋が国道45号線だとすれば、完成後は商店街とこの展望台は道路で分断されることになります。
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5年前(震災後1年ほど)私が始めて訪れた時の志津川です。 上の写真とほぼ同じように当時の防波堤上から市内方向を撮影しています。 2012年6月
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志津川地区の未来予想図。 余り具体的に書かれたものではありませんし、設置してある場所はどう見ても普通には裏側だけしか見えない位置と向きですので、どういうつもりなのでしょう。 陸前高田、気仙沼、志津川、の3カ所では、嵩上げ/道路などインフラの進捗具合は地域が狭い分だけ志津川がもっとも進んでいるように見えましたし、観光向けでなく一般住民の復興という見方では陸前高田にオープンした商業施設など、一歩進んだ感じがみてとれました。 三陸自動車道の開通部分も大きく復興に役立っています。 これまでの計画や準備という段階から、これからは実現が進んでいくと思われますので、この先一年間の変化は目に見えて大きいかもしれません。
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これまでは、仙台から三陸道を桃生津山まで走り、45号線に入って陸前戸倉で海岸線に出るルートで往復をしていましたが、今年になり登米~南三陸海岸間の三陸自動車道が開通しました。 定点観測という観点からは戸倉地区もどんなになっているか見てみたかったのですが、新しく開通した三陸自動車道の部分を通ってみるのも復興を感じる一つの方法ですので、今回は商店街を後にして三陸道「志津川IC」へ向かいます。
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三陸道の開通部分を走ります。 片側1車線ですが山を切り開いた快適な道が続いています。
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道の駅「三滝堂」はICの外にありますが、どのみちこの区間は通行無料ですので出入り自由です。
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1時間ほどで仙台東ICに到着し市街へ入ります。
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ここで今回使用している車の紹介です。 借りたレンタカーはトヨタの「AQUA」一昨年借りて「ハイブリッド対決」の肴にしたのと同車種ですが、今回は巡るルートが異なることと、常に2人または3人乗車+荷物ととても同じ条件とは言えませんので燃費は参考程度に記します。
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この車には最新の衝突安全機能と車線維持機能が付いており、特に車線維持機能はちょっと車線からずれるとピーピーとブザーが鳴って五月蠅いものです。 高速や国道のストレート部分はまだしも、山道の狭い車線でも忠実に見張っておりコーナーでほんのちょっと線を跨ごうものなら、これもピーピーで大変でした。 車も賢くなったものです。
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東北道の仙台から一ノ関の区間は登りが多い割に流れが速く、御覧の通りの燃費計が赤印になることも度々。 先が思いやられます。 この時点でのアベレージ燃費は20km/lちょっと。
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これは南三陸のホテルの出発時のものですが、245.8km走って平均燃費は24.7km/lまで伸びています。
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そして返却前のガソリン給油時には341.4km走って同じく24.7km/lでした。
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そしてガソリンは、14.6リットルの補給。 車載距離計を信じれば23.38km/lということになります。 やはりこの車は良く空いた一般国道をせいぜい60km/h~70km/h位で走っているのが一番燃費が伸びるようです。 苦手な高速道路、苦手な登り、余計な乗員、余計な荷物、と悪条件いっぱいの今回でした。
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仙台駅でレンタカーを返却
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車を返却したあとは荷物をコインロッカーに預け、今回旅行の最後のイベントとなるkoboスタでの楽天イーグルスの試合へ向かいます。 しかしシャトルバス乗り場は大変な行列で2階コンコースまで並んでいる状態。
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それでは、と仙石線で向かいます。 ちょっと余計に歩きますがバスを待つより良いでしょう。
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koboスタ入り口。 人が多く集まっています。 しかし暑い。
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koboスタは御覧のような超満員、暑いなかでの熱い一戦
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楽天イーグルスは球場の外でもお客を楽しませます。
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しかし、いかんせん施設が古く狭い。 観客席裏側の構造を把握していないとお目当てのお店にもたどり着けません。
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聖選手プロデュースのお弁当
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松井裕樹選手プロデュースのチョコレートパフェ
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7回裏にはお決まりの風船飛ばしです。
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最後は仙台駅前の牛タン店。 こちらは国分町にあるお店の支店ですが、日曜日は本店が休み、仙台駅近くの支店のみ営業です。 ここにも楽天ファンが続々と押しかけます。
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気が付いたら写真を撮る前に牛タンを半分以上食べてしまっていましたのでメニューの写真で代用。
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シメはずんだ茶寮のシェーク。 新幹線待合室にて。
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