2017/05/27 - 2017/05/27
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ベームさん
5月27日(土)、3日目。
オランジュリー美術館からサン・ドニ大聖堂へ、またパリ市内に戻り、ギュスターヴ・モロー美術館、サン・ジェルマン界隈を歩きました。
ギュスターヴ・モロー美術館はルーヴル、オランジュリーに続き今回3つ目の美術館です。ギュスターヴ・モローはその題材を主にギリシャ神話から採っているので写真のコメントを作るのに神話の本をひっくり返すなど私にとって勉強になりました。
写真はサン・ドニ大聖堂、アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの墓。半裸で横たわる二人の像です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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オランジュリー美術館からサン・ドニ大聖堂へ行くのでコンコルド広場を横切り、地下鉄シャンゼリゼ・クレマンソー駅まで歩きました。
この辺りシャンゼリゼ大通りの左右は緑地帯が広がっています。 -
シャンゼリゼ・クレマンソー駅付近。
グラン・パレが見えます。
ここで地下鉄13号線に乗ります。 -
シャンゼリゼ大通り。ズームですが凱旋門。
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パリの北およそ4キロ、バジリク・ド・サンドニ駅前です。
近くにサッカー場スタッド・ド・フランスがあります。 -
あまり雰囲気宜しくない。
この先少し歩くと、 -
サン・ドニ大聖堂が左手に現われました。
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大聖堂前広場。
右の建物は市庁舎。 -
サン・ドニ大聖堂です。
250年頃パリ初の司教ドニ(サン・ドニ)がモンマルトルの丘で斬首され、落ちた自分の首を持ってこの地まで歩いてきた。ついに倒れた所に墓が作られたのが始まりです。5世紀に聖堂、7世紀に修道院が建てられたました。
1122年大修道院長シュジュールが大改築を行い最初のゴシック建築と云われる今の建物を建立。 -
側面。
7世紀、フランク王国メロヴィング朝のダゴベルト王以来ルイ18世まで歴代フランスの殆どの王、王妃がここに葬られました。42人の王、32人の妃、63人の王太子、王女といわれます。歴代の国王は王位に就くとここに詣で、死してのちここに葬られたのです。
しかしフランス大革命時墓はすべて暴かれて骨はいっしょくたに穴に投げ込まれてしまい、その後発掘されてもどれが誰のものか判別できなかったそうです。 -
側面。
1966年には司教座がおかれ大聖堂に昇格しました。 -
正面入り口。
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正面入り口の重々しい扉。
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身廊。
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翼廊のバラ窓。
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バラ窓。
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美しいステンドグラス。
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ゴシック建築らしい、ステンドグラスからの光で堂内は明るいです。
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身廊。
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パイプオルガン。
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聖歌隊席。
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側廊。
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王たちの石棺がならべられている場所とは柵で仕切られており、近づくには側廊から一度外に出てチケット売り場から入りなおさないといけません。
パリ・ミュージアム・パスが使えます。
では間近に石棺を見て回ります。 -
石棺が並んでいます。
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フランス大革命の時墓はすべて暴かれてしまい、今は中は空っぽだそうです。
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フランソワ1世(1494~1547)と妃クロード・ド・フランス(1499~1524)。
イタリア文化をフランスに移入し、レオナルド・ダ・ヴィンチを招聘した。
クロード・ド・フランスはルイ12世とアンヌ・ド・ブルターニュの娘。 -
同。
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手前イザベル・ダラゴン(フィリップ3世ル・アルディの妃。1247~1271)。
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左イザベル・ダラゴン。
右手前ル・アルディことフィリップ3世(1245~1285.在位1270~1285)。 -
手前クローヴィス2世(635~657)。
奥カール・マルテル(685~741)。
カール・マルテル:メロヴィング朝フランク王国の宮宰。732年のトゥール・ポワティエの戦いでイスラムのウマイヤ朝を破りイスラムの侵略を防いだ。マルテルの子がカロリング朝を開いたピピン3世。 -
手前ルイ3世(863~882)。
奥カルロマン(866~884)。 -
奥シャルル5世(1338-1380.在位136~1380)。
手前妃ジャンヌ・ド・ブールボン(1338~1377)。
シャルル5世:イングランドとの100年戦争時の王。パリにシャルル5世の城壁を造った。 -
ルイ16世(1754~1793.在位1774~1792)と妃マリー・アントワネット(1755~1793)の祈りの像。1830年頃。
これは棺ではありません。棺は地下に置かれています。 -
奥クローヴィス1世(465~511。在位481~511)。
手前キルデベルト1世(496~558.パリ王511~558)。
クローヴィス1世:ゲルマンの諸族を統一しメロヴィング朝フランク王国初代国王。ゲルマン族の中で最初にキリスト教に改宗した。 -
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アンリ2世(1519~1559.在位1547~1559)。
妃カトリーヌ・ド・メディシス(1519~1589)。
アンリ2世:フランソワ1世の子。フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世の父。愛妾がシュノンソーの城主ディアーヌ・ド・ポワティエ。 -
裸に近い生々しい姿態です。
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ルイ12世(1462~1515.在位1498~1515)。
妃アンヌ・ド・ブルターニュ(ブルターニュ公女。1477~1514)。 -
同。
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シャルル・ダンジュー(ナポリ王、シチリア王。1226~1285.在位1266~1285.ルイ8世とブランシュ・ド・カスティーユの息子)。
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ダゴベルト1世。
メロヴィング朝フランク王国の王。 -
王や王妃の亡霊が彷徨っているような雰囲気です。
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地下のクリプタ。
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ブルボン家の地下納骨所。
左上ルイーズ・ド・ロレーヌ。
左中マリー・アントワネット。
左下シャルル10世。
右上ルイ7世。
右中ルイ16世。
右下ルイ18世。
ルイ16世、18世、シャルル10世は兄弟。 -
ルイーズ・ド・ロレーヌ(アンリ3世の妃。1553~1601)。
夫の死後シュノンソー城で余生を過ごす。 -
マリー・アントワネット(ルイ16世妃、1755~1793)。
マリー・アントワネットとルイ16世は当初マドレーヌ寺院の墓地(今の贖罪聖堂)に葬られましたが、ルイ18世によりサン・ドニ大聖堂に改葬されました。 -
ルイ16世(1754~1793.在位1774~1793)。
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ルイ7世(1120~1180.在位1137~1180)。
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ルイ18世(1755~1824。在位1815~1824)。
ルイ16世の弟。亡命していたがナポレオン失脚後フランスに戻り王政復古を成し遂げる。
サン・ドニ大聖堂に埋葬された最後の王。 -
メロヴィング朝時代の石棺。
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ルイ17世、1785~1795年。
ルイ16世とマリー・アントワネットの息子。 -
ルイ17世の心臓。
タンプル塔に幽閉中に病死した。 -
ルイ14世(1638~1715.在位1643~1715)。
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アンリ4世(1553~1610.在位1589~1610)。
屋内の墓所ってあまり気持ちの良いものではありません。
大聖堂の側のカフェで茸入りオムレツ(オムレット・オ・シャンピニオン)を食べてパリに引き返しました。 -
サン・ラザールに戻り地下鉄12号線でトリニテ・デスティエンヌ・ドルヴへ。
ギュスターヴ・モロー美術館に行きます。途中のサン・トリニテ教会。 -
ギュスターヴ・モロー美術館。
モロー(1826~1898年)が1852年よりその死まで住んだ家。遺言により作品、建物すべてが国に寄贈され、1903年美術館として開館されました。
坂の途中に同じような建物と並んでおり、うっかりすると通り過ぎてしまいます。
2010年に来て職員の突然のストライキで閉館中、涙を呑んで引き返したことが思いだされました。
パリ・ミュージアム・パスで入れます。 -
フランス象徴主義の画家の先駆者と云われます。聖書や神話に題材をとった神秘的、幻想的な作風です。
特異な画風を持ちながら国立美術学校(ボーザール)の教授を務め、ルオー、マティスなどの画家を育てました。 -
狭いフロアにびっしり絵が掛けられています。シャンティイのコンデ美術館を思わせます。
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芸術的な螺旋階段。
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階段を登って上の階から見ていきました。
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階上から見下ろす。
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訪れる人は少なく係員も閑そうでした。
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では館内を見て回ります。
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自画像。
絵の説明書きが無く、額に付けられているプレートを読むしかありません。 -
ガラテア。
ギリシャ神話。海神ネーレウスの娘。一つ目の巨人ポリュフェモスに横恋慕され恋人を殺される。
絵のガラテアの左上に一つ目の巨人が見えます。
ピグマリオンの恋したガラテアとは違います。 -
一つ目の巨人。
大きな目の下に普通の目があり三つ目が正確かもしれません。 -
遊蕩。
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秋。
半獣半人のサテュロスが若い女性を攫っているように見えますが、なにが秋なのか分かりません。プレートを直訳しています。 -
サロメ。
ユダヤのヘロデ王の前で踊るサロメ。
サロメはヘロデの後妻ヘロデアの連れ子です。 -
ヘロデの前で踊るサロメ。
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ヘロデの前で踊るサロメ、別名刺青のサロメ。。
前の絵と似ていますが別の絵です。絵葉書。 -
出現。
宴席でヘロデの前で踊ったサロメは、ヘロデから褒美に何でも好きなものを与えると約束され、洗礼者ヨハネの首を求める。
やがてサロメの前にヨハネの首が宙に浮かんで現れる。
これは幻影で、実際はヨハネの首は銀の盆に載せてサロメのもとに運ばれます。
モローの作品の中でおそらく最も有名でしょう。 -
拡大。
サロメの物語はその妖美性、怪奇性から多くの画家の好む題材となり、オペラにもなっています。 -
ユピテルとセメレ。
テーバイ王の娘セメレは人間に化けたユピテル(ゼウス、ジュピター)の子を孕む。嫉妬したユピテルの妻ヘラは、男は本当の姿ではない、とセメレに告げ口する。
セメレは男に本当の姿を見せてくれ、と頼む。セメレのいう事は何でも聞くと約束していたユピテルはしかたなく本来の稲妻を纏った姿で現れる。稲妻はたちまちにしてセメレを焼き尽くしてしまう。セメレの胎内で死なずに生まれたのがディオニューソス。 -
ユピテルとセメレ。
前と同じ題材です。 -
拡大。
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パシファエ/パシパエ。
クレタ島ミノスの妃。ミノスがポセイドーンに牡牛を捧げるとの約束を守らなかったので、怒ったポセイドーンは妃パシファエが牡牛に恋をするよう仕向けた。
牡牛の胎内に入り交わったパシファエは怪物ミノタウロスを生む。
パシファエが牡牛に抱きついています。 -
パシファエ。
同じ題材です。 -
死神に打ち勝つアモール。
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一角獣。
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レダ。
ゼウス/ユピテルは白鳥に変身してスパルタ王テュンダレオースの妻レダを誘惑する。そして生まれたのがヘレネー(トロイのヘレン)。
ルネサンス期に好まれたモティーフで、ダ・ヴィンチやミケランジェロも描いています。 -
レダ。
同じ題材です。 -
同絵葉書。
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レダ。
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拡大。
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レダ。
絵葉書。 -
賛美されるヘレネ。
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グリフィン/グリフォンに乗る妖精。
グリフィン:上半身が鷲、下半身が獅子の怪獣。知識、王家の象徴とされ、紋章にもよく使われている。 -
グリフィンの紋章。
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人間の生涯。
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ユピテルとエウロペ/エウロペの略奪。
浜辺で戯れるフェニキア王の娘エウロペを見初めたユピテルは優美な雄牛に変身しエウロペに近づく。エウロペが油断して雄牛の背に乗ったとたん雄牛/ユピテルは海を渡り、エウロペをクレタ島に連れ去りものにしてしまう。
ユピテル(ジュピター、ゼウス)は全くの好色で、美女を見ると人間であろうと女神であろうと牡牛、白鳥、雲、雨、人間(女の夫にも化ける)などに変身して誘惑する。嫉妬深いユピテルの妻ヘラ(ユーノー、ユピテルの姉妹)は大抵それを嗅ぎ付け、ユピテルの浮気相手をいじめる。 -
拡大。
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バテシバ。
夫ウリヤが戦に出て居る時、その妻バテシバの水浴の姿を盗み見て劣情を催したダビデ王はバテシバを王宮に呼び出し妊娠させる。発覚を恐れたダビデはウリヤを戦死させる。
バテシバはダビデ王の妃となりソロモンを生む。
絵の右の塔の柱の間にポツンと小さく覗き見するダビデの顔があります。
バテシバの水浴、は多くの画家が好むモティーフです。。 -
プロメテウス。
巨人族の神。ユピテルは人間に火を与えることを禁じていた。火は人間の役に立つと考えたプロメテウスは命に背き火を人間に与えてしまう。人間は火で武器を造り相争うようになった。
怒ったユピテルはプロメテウスを山上に鎖でつなぎ、毎日鷲にその肝臓をついばませた。プロメテウスの肝臓は一晩で元に戻り、その責め苦はヘラクレスが大鷲を退治するまで長く続いた。 -
デリラ。
イスラエルの民を苦しめるペリシテ人を怪力無双のサムソンが懲らしめた。ペリシテ人はサムソンの愛人デリラを金で買収し、デリラはサムソンとの睦言の合間にサムソンの力の源は髪の毛にあることを聞き出す。デリラは眠っているサムソンの髪の毛を切り、力を失ったサムソンをペリシテ人に引き渡す。
サムソンは目をえぐられ見世物にされる。神に祈ったサムソンに力が戻り、サムソンは神殿を打ちこわし多くのペリシテ人を道連れにして死ぬ。
有名な旧約聖書のサムソンとデリラの物語です。 -
展示の様子。
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神秘の花。
玉座に座る聖母マリア、その玉座はマリアの象徴白百合です。聖母マリアの頭上には父なる神を表す白ハト(聖霊)が飛び、足元には殉教した多くの聖人たちが横たわっています。 -
拡大。
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ヴィーナスの誕生。
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約束の土地を目の前にしてサンダルを脱ぐモーゼ。
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アルゴナウテス/アルゴー船の一行の帰還。
トロイ戦争より前の時代、テッサリアのイオルコスの王子イアソンは簒奪された王位を取り返すべく、ヘラクレス、テセウス、オルフェウスなど英雄豪傑50人と共に大船アルゴー号に乗り、コルキス(今の黒海沿岸)にある黄金の羊の毛皮/金羊皮を奪いに出かける。シュムプレーガディスの大岩、セイレーンの誘惑など幾多の艱難を乗り越え一行は金羊皮と共にコルキスの王女メディアを連れて帰還した。 -
中央がイアソンとメディア?
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求婚者たち。
イタケの王妃ペネロペは夫オデュッセウスがトロイ戦争に出征している間貞淑に家を守っていた。長年音沙汰がないのでイタケの人々はオデュッセウスはもう亡くなったと考えるようになり、美しいペネロペを妻に迎えようと多くの求婚者が現れた。ペネロペは夫の生を信じていたが追いつめられ、今織っている織物が仕上がったらあなたたちの一人と結婚します、と約束する。その実ペネロペは毎晩その日に織った織物をほどいて時を稼いでいた。
それが露見していよいよとなった時オデュッセウスが乞食の姿で帰還した。家では求婚者たちがペネロペは俺の物と酒盛りの最中。オデュッセウスは自分しか弾けない強弓で求婚者たちを皆殺しにした。 -
最後にギュスターヴ・モローの居室を見ました。
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生存時のままだそうです。
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所狭しと絵が掛かっています。
ギュスターヴ・モローの神秘的な世界を堪能し一旦ホテルに帰りました。 -
元気回復、再び地下鉄12号線に乗りリュ・デュ・バックまで。
ブールヴァ―ル サンージェルマン。 -
サン・ジェルマン大通りを少し歩きました。
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高級ブティックが並んでいます。
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サン・ジェルマン大通り。
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サン・ジェルマン・デ・プレ教会まで来ました。
ここら辺りはサン・ジェルマンデ・プレ地区の中心で、昔も今も文化人が多く集まる処です。もう少し歩くとオデオンからカルチェ・ラタン地区になります。 -
人気のレ・デュ・マゴ。
一休みしようと思いましたが一杯。 -
サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
起源は6世紀の修道院付属教会に遡るパリ最古の教会の一つ。ヴァイキングの侵略、火災などで度々破壊されたが11世紀頃再建。鐘楼は1014年のもの。
パリで数少ないロマネスク様式。 -
メロヴィング朝フランク王国のキルデベルト1世以下メロヴィング朝の霊廟となりました。
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美しいリブ・ヴォールトの天井。
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彩色された柱も綺麗です。
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歴史の重みを感じさせる教会でした。
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サン・ジェルマン・デ・プレ教会から歩いて10分ほど、サン・シュルピス教会にやって来ました。
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1646年から建築が始まり、完成したのは1745年と云われる。
ノートルダム大聖堂についでパリ2番目の大きな教会です。
ファサードの前にはルイ・ヴィスコンティ作「四人の枢機卿の噴水」が建っています。 -
新古典様式のファサード。
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前の広場では古物市などいつもなにかの催しが開かれています。
今回は子供向けのなにか。 -
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入り口横の聖パウロ像。
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身廊。
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入ったすぐ右手、聖天使礼拝堂にドラクロワの描いた絵が3点あります。
「ヤコブと天使の戦い」。
1850~1861年の間に描かれました。 -
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「神殿を追われるヘリオドロス」。
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天井画「悪魔を打つ大天使ミカエル」。
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内陣祭壇。
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後陣の聖母マリア礼拝堂。
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1781年製のパイプオルガン。
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回廊。
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日時計(グノモン)と子午線。
子午線は1743年に引かれました。何年か前ダン・ブラウンの推理小説「ダ・ヴィンチ・コード」にローズ・ラインとして登場し有名になりましたが全くのフィクションだそうです。 -
説教壇。
1788年。 -
洗礼者ヨハネの礼拝堂。
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ピエタ。
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ここにもジャンヌ・ダルク像がありました。
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ジャンヌ・ダルク像。
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復活したキリストの昇天のステンドグラス。
1672年製。
これで今日は終わり、暑い一日でした。テレビはイタリアで開かれているG7のニュースばかり。
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この旅行記へのコメント (2)
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- duc teruさん 2017/08/19 15:44:19
- お邪魔しています。
- ベームさん
先日来、美術館、教会を中心の貴記、拝見させていただいております。
立派な写真と、精緻なコメント勉強にになりました。
最後などとおっしゃらずに、どんどん旅をお続けください。
この度不束ながら、フォローさせていただきます、お許しください。
これからもお邪魔いたします。
duc teru
- ベームさん からの返信 2017/08/20 19:26:54
- RE: お邪魔しています。
- duc teru さん、
今晩は。メッセージ頂き有難うございます。留守していたのでお返事遅れました。
また沢山ご訪問いただきフォローまでも、お礼申し上げます。
寄せ集めの知識で、勉強になるなんて言われると恥ずかしい限りです。お励まし頂きましたがどうも気力が戻りませんのでどうなりますやら。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
ベーム
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