2017/02/28 - 2017/03/05
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Yukio Misumiさん
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ナポリ発、ターラントを起点にしてイタリア半島の踵、レッチェ、ブリンディジ、マテーラ、バーリ、アルベロベロ、ロコロトンダ、マルティーナ・フランカ、を巡った後、つま先を通ってレッジョ・ディ・カラブリアまで行きます。
南部イタリアでは、カソリックの影響で日曜日=安息日の考えが強く、日曜日には交通機関も休みます。例えば、この地域の私鉄、FSE及びFAL(Ferrovie=鉄道)は日曜日には運休し、本数の少ない代替バスしか走りません。FS(国鉄)も、支線は運休し、幹線も本数が大きく減ります。そのため、この地域の町々を巡るときは曜日の検討が必要で、2月28日=火曜日から始めることは、重要な意味があります。
1日目は、ナポリからターラントへ行きます。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ナポリ中央駅前
駅正面のガリバルディ広場へ出る信号です。次々と歩行者が横断するこの信号は押し釦式です。ここが押し釦式であることが如何かと思います、ナポリ人たちも同意見で、誰も釦を押しません。ナポリについた旅行者は、いきなり、赤信号を無視して、歩行者の数と同じように多い車にひかれないように横断歩道を渡る試練が課せられます、ナポリです。勇気を出して押し釦釦を押すと、しばらくして信号が青になり、ナポリでも車は信号を守るので、安全に渡ることも可能ですが(分かりにくいですが、地下道もあります)。 -
08:32 ナポリ中央駅:ターラント行きIC(Intercity)が入線します。ナポリ始発で、予定通り発車しました。
直通は日に3本しかなく、次は18時前です。 -
10:26 ポテンザの手前で、アペニン山脈を横切ります。
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Grassano:
多くある山頂都市の一つ。列車はバジリカータ州を下っていきます。 -
12:58 ターラント駅:
定刻に到着しました。列車は、直前に、南イタリアらしくない、高炉がある鉄鋼工場やクレーンが林立する大規模港湾がある工業地帯を横切ります。 -
フォンタナ広場
駅正面からDuca D'Aosta通りを南東に進み、橋を渡ると、旧市街の入口フォンタナ広場に出ます。使われていない廃墟のような建物が目立ちますが、よく見るとリニューアルされたホテルやレストランが混じっています。正面時計塔の左隣が、旧市街再生の1つ、Hotel Larcangeloです。
少なくとも、「旧市街は今ではすっかり荒廃が進み、旅人を寄せ付けぬ威圧感さえある。」(地球の歩き方、2015年9月発行)と書かれた状態は改善されているように思います。
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Hotel Larcangelo
フォンタナ広場の周りで、最もこぎれいなのがHotel Larcangeloです。但し、広場側は、窓が開いている手前端だけがホテルで、鎧戸が締まっている窓から向こうは、使用されず、廃墟になっているようです。
旧市街の再生に燃える、女性支配人が運営しています。従業員も熟練は低いですが、熱意を持って対応します。 -
ヴォールド
ホテルの館内はリニューアルされ、エレベータや空調も設置されています。ポインテッド・アーチを組み合わせたヴォールドが特徴的です。 -
ドゥオーモ通り
建材の石の種類が違う以外はレッチェに負けない(?)と宣伝する、ホテルの支配人の推薦に沿って旧市街を巡りました。ナポリのような生活臭・人間臭がなく、街灯が整備され、清掃もされているので、散歩するに特段の問題は無いように思えます。 -
ドゥオーモ:
側面はロマネスクで、クーポラはビザンティンです。 -
ドゥオーモ
正面はバロックです。ギリシャ人が植民都市を築いて以来、破壊と建設を繰り返し、人が住み続けている、歴史重層化都市ターラントらしく、ドゥオーモも、複数の時代の痕跡を残しています。 -
ドゥオーモ内部
柱や一部の床は11世紀のままですが、祭壇は新しくなっています(中は、帰り、17:00過ぎに入りました。) -
サンタ・キアラ修道院中庭:
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ドォーモ通り
車が入ってこれないくらい道が細いことが、街の近代化の障害となったのでしょうが、安心して散歩するにはプラスに働いています。
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ポセイドン神殿
重層化したターラントで、唯一地上に残っているギリシャの遺跡です。貯蔵庫や教会として使われた後、発掘されて後代の建造物は取り除かれています。 -
運河
マーレ・ピッコロ内の海軍基地・停泊地の艦艇の出入り口として開削されました。結果として、運河の西岸の旧市街は、島になり孤立化し、狭い道と石造りの古い小さな建物のまま残されました。運河対岸は、広い道と18世紀以後の規模の大きいビルが並ぶ、新市街になっています。 -
ジレヴォレ橋:
運河に架けられた、旧市街と新市街を結ぶ橋です。大型艦船の通過に備えて可動式になっています。 -
アラゴン城:
運河の旧市街側の海岸に、敵(=オスマントルコ)の艦船がマーレ・ピッコロに侵入するのを防ぐために、15世紀末に築城されました。主にオスマントルコに備えて、アラゴン(後スペイン)王=ナポリ王が南イタリアに築いた城塞の一つで、船からの火砲による攻撃に備えた要塞です。 -
国立考古学博物館正面
新市街の西端近く、ガリバルディ広場に面していますが、この側には入り口はありません。 -
14:42 国立考学博物館入口
建物の東側、カブール通りを進むと、大きく分厚い石の壁に小さく"Museo Nazionale Archologico Taranto"と刻まれた手前に狭い通路があります。見学者が入りやすいとは思えません。 -
国立考学博物館
ターラント周辺のギリシャ遺跡からの発掘品、主に南東側に広がっていたネクロポリス(墓地)に埋葬されていた埋葬品の陶器やアクセサリー等、が展示されています。彫刻類は殆どありませんが、マーニャグレーチャ(イタリア南部のギリシャ植民地群)の中心都市として、長く栄えていた事が伺える幅広いコレクションになっています。 -
国立考学博物館
ローマ時代以降のコレクションは、モザイク等一部だけです。 -
16:25 海岸通りのロタンダ
南東方向の新市街 -
海岸沿いの遊歩道
北西方向、正面はアラゴン城です。 -
アラゴン城入口
歴史的経緯から、海軍の管理下あります。管理している海軍の軍人が、無料のガイドツアーを行っています。時間が合わなかったので、城の上から町を見下ろしたいと頼んだら、連れて行ってくれました。 -
アラゴン城の上から旧市街
正面は市役所でこの島では新しい建物です。島の海側は、堅牢な石壁が続いています、さらに沖には船の接近を防ぐ人工の岩礁が築かれています。 -
イチオシ
旧市街海岸の砲台からアラゴン城と新市街:
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19:30 カーニバル?
今年は、2月28日が謝肉祭(カーニバル)の最終日でした。楽団付きの賑やかな行列が、通り過ぎました。 -
ホテルの窓から
行列が去った後は、人の気配のない建物に囲まれた街路が残りました。道路奥の灯りは、銀行のATMとレストランです。
ホテル周辺の、旧市街の北西側には、傍の波止場に揚がった新鮮な魚を使った料理を売りにするレストランが10軒程度あります。人気のない建物が並んでいますが、レストランに市内の他の地区から食事に来る人々の、車や人影が絶えることはありません。 -
La Paranza
マーレ・ピッコロ側の廃墟のような建物が並ぶカリアーティ通り、唯一灯りが点いているのがこのレストランです。街灯が整備されている上に、この地域に食事に来る人や乗っている車が通るので、危険はないと思います。店内はほぼ満席です。観光客が殆どいない地元向きの店ですので、20時にならないと開きません。 -
海の幸の温かい前菜
5品出てきます、人数分頼むとそれだけで殆ど一食分になります。 -
パスタ
前菜の後、メインに、釣りたて鮮魚を一匹選んで調理、パスタ・野菜とオーブン焼き、してもうのが普通です。見せてくれたホウボウが立派で、とても美味しそうでしたが、量が多すぎるのであきらめて、パスタで食事を終えました。前菜の量を調整する必要がありました。
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