2017/04/01 - 2017/04/01
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Islanderさん
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JR全線乗り放題の青春18きっぷ。本当の青春時代にやっていた1日中ひたすら乗る旅は、今となってはちょっときついかなぁ。でも、好奇心と喰い気は若いころより旺盛かも。だから乗るより降りる旅。
今回の旅は兵庫県北部、但馬地方を列車を使い1泊2日で巡りました。1日目は播但線生野駅で下車。古くから銀山の街として栄えた生野を歩きました。
【旅程】
○2017年4月1日(土) 前編
岡山駅9:18(山陽本線)10:21相生駅10:24(山陽本線)10:44姫路駅10:52(播但線)11:37寺前駅11:50(播但線)12:11生野駅(徒歩)生野銀山(徒歩)生野駅17:39(播但線)18:09和田山駅 <宿泊>有斐軒
・2017年4月2日(日) 後編
(宿送迎車)立雲峡(徒歩・バス)竹田城跡(徒歩)竹田駅10:27(播但線)10:34和田山駅10:49(山陰本線)11:33城崎温泉駅14:32(山陰本線)16:09鳥取駅16:58(因美線)17:49智頭駅17:53(因美線)19:03津山駅19:03(津山線)20:30岡山駅
【乗車メモ】
○列車乗車距離 403.5km
○青春18きっぷお得額 普通運賃6,990円-2日分4,740円=2,250円
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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普通列車を乗り継ぎ、姫路へ向かいます。
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姫路駅始発の播但線の電車に乗り込みます。国鉄時代に導入された103系電車ですが改造され、今なお現役です。
姫路駅 駅
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姫路駅を出発してしばらくすると姫路城が見えます。
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「電車」は寺前で終点です。この駅でディーゼルカーに乗換えます。
寺前駅 駅
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タラコ色のディーゼルカーに乗り込みます。
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のんびりと渓谷に沿って走ります。
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姫路駅から1時間20分ほどで生野駅に到着しました。
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青色に塗られたレトロな跨線橋。
生野駅 駅
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駅の観光情報センターで地図をもらい、「銀山のまち生野」を歩いてみます。
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生野書院は商家跡で郷土資料館として見学できます。雛人形が飾られていました。
生野書院 美術館・博物館
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古民家カフェの芒種で昼食にします。
芒種 グルメ・レストラン
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店内はレトロな雰囲気です。
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パスタランチを注文。地元の野菜を使ったアンティパスト。メニューにアルコール類がないのが残念。
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春らしく菜の花のパスタ。パンも美味い。
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生野銀山に向かって歩きます。鉱石を運んでいたトロッコ鉄道跡の一部は「トロッコ道」として遊歩道になっています。
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トロッコ道の行き止まりから坂道を登ると「生野クラブ」があります。生野鉱山を経営していた三菱の迎賓館であったもの。内部は公開されていません。
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川沿いの道を進むと三菱マテリアル生野事業所が見えてきました。ここには明治時代に生野鉱山本部が置かれ、大規模な精錬工場がありました。生野鉱山は昭和48年に閉山。閉山後はスクラップなどから取り出した錫の精錬が行われています。
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山の上には索道跡の鉄塔が残されています。
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生野事業所の前には配給所として大正7年に開設された購買会の建物が残されています。現在は営業していません。
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カラミ石塀。カラミ石は精錬で出る廃棄物カラミを固めたもの。
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川の対岸には廃滓堆積場があります。木は生えておらず独特な風景。
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旧道沿いには古い民家があります。
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川を渡ります。正面の山の斜面にはトロッコ鉄道の線路跡が見えます。
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生野銀山の入り口には錫の鉱山があった明延と神子畑を結んでいた「一円電車」が展示されいます。
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明治時代に築造された生野支庁正門門柱。三菱マテリアル生野事業所の正門にあったものが移設されたもの。
生野鉱物館 名所・史跡
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生野駅から約3.5㎞、約1時間歩いて生野銀山に到着です。入場料(大人900円)を払って入場します。
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明治時代に近代化された坑道、金香瀬坑の一部は観光坑道として見学することができます。
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生野銀山の近代化を進めたフランス人技師のジャン・フランソワ・コァニェの胸像があります。
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坑道に入ります。
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昭和48年の閉山までに掘り進んだ坑道の総延長は約350km、深さは880m。スケールの大きさに驚かされました。
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発破から採掘、運搬に至る一連の工程が再現されています。
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鉱脈は細く斜めになっていて、鉱脈に沿って掘られた跡は地下深くまで続いています。
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生野銀山は戦国時代、織田信長や豊臣秀吉は代官を置き、銀の採掘が盛んに行われるようになりました。秀吉がこの地で茶の湯として使ったと伝わる太閤水。
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巨大な巻揚機は昭和4年に東京石川島造船所が製造したもの。
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坑内で移動するための人車。
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江戸時代の採掘作業を紹介するゾーンもあります。
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イチオシ
トロッコの線路跡と坑道。坑道見学コースは約1kmもあり、見ごたえがありました。
生野鉱物館 名所・史跡
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出口は江戸時代の坑口が再現されています。
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露天掘跡も見学してみます。
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江戸時代以前に採掘された跡が所々にあります。
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江戸時代の露頭採掘跡、慶寿の堀切り。
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慶寿の堀切りは川を挟んで一直線に続いています。この鉱脈は品質の高い銀が産出され、室町時代から江戸時代の間、約300年に渡り掘り続けられたとのことです。
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鉱山資料館を見学。江戸時代の銀山は蟻の巣のようです。
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生野銀山を跡にし、徒歩で生野の街へ戻ります。遊歩道として整備されている一部を除いて、トロッコ鉄道跡は所々土砂崩れがあり、歩くことはできません。
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甲住宅。生野鉱山が官営だった明治初期に建てられた官舎が保存されています。うち1棟は俳優志村喬の生家跡として公開されています。
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寺町通り。宗派の異なる8つの寺が連なっています。
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一区公民館。旧生野警察署の建物で明治19年に建築されたもの。
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クロネコがいました。
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旧海崎医院。明治20年頃の建築。
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明治9年に開通した姫路の飾磨港へ続く「銀の馬車道」。馬車道沿いには古民家が所々残っています。
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生野駅に戻ってきました。東側の駅舎は国鉄時代の雰囲気が残っています。
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駅前には木造3階建の旅館跡、レトロなスーパーがあり待合室からの風景はまさに昭和。
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タラコ色のディーゼルカーに乗り込み和田山へ向かいます。(後編につづく)
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