2017/04/05 - 2017/04/05
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LP1989さん
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高知城の後編、主に本丸(天守・懐徳館)の様子。
城内随所に数々の遺構が揃う高知城。国指定の重要文化財は15に及ぶ。
①天守 ②本丸御殿(懐徳館) ③納戸蔵 ④黒鉄門 ⑤西多聞 ⑥東多聞
⑦詰門 ⑧廊下門 ⑨追手門 ⑩天守東南矢狭間塀 ⑪天守西北矢狭間塀
⑫黒鉄門西北矢狭間塀 ⑬黒鉄門東南矢狭間塀
⑭追手門西南矢狭間塀 ⑮追手門東北屋狭間塀
いちいち、重要文化財の肩書を意識して、城内を回ったわけではないが、
思えば、高知城内で目にした建造物の総てが遺構だった気がする。
三の丸の水路遺構の一部復元箇所以外、再建された物が見当たらなかった。
今まで訪れた城では例がない。
今回、実際に訪れてみての満足度は、訪れる前の期待値を遥かに超えた。
全国の名城の中で 高知城は過小評価されている気がする。
もっと注目・好評価されていいのにね。
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【重要文化財:詰門(外観)】
一見、普通の門だが、1階と2階の通路が垂直になっている珍しい構造。
前後に通じる1階は、外部と内部を仕切る城門
左右に通じる2階は、本丸(左側)と二の丸(右側)を結ぶ通路。 -
【重要文化財:詰門(1階部分)】
1階の門は、手前の入口と向こう側の出口を
筋違いにしていることが売り。
勿論、攻め寄せた敵を容易に通過させないための仕掛けだ。
でも、扉が閉まっているから、
筋違いになっている様子を 己の眼で捉えられない。 -
詰門の前から見る天守。ここから天守目掛けて、突進するとすれば・・・
-
城内(天守)から、こんな具合で見下ろされることになる。
-
天守の真下から見上げると 石落とし&忍返しが待ち構える。
これらは、後年 再生されたものではなく、
天守の一部として現存している。
ここから天守の足元を回りこんでも、本丸に行けるのだが、
今回は、他の城とは違う高知城独特の
本丸へのアプローチを味わうことにする。 -
・・・ということで、本丸を目指して、二の丸に回り込む。
詰問の手前を右に上がっていく。 -
二の丸に上がる。橋廊下の出入口が こちらを向いている。
詰門2階の北端部だ。
本丸に行くには、ここから橋廊下に入って、通り抜ける。
3年前に訪れた熊本城の地下道(=闇通路)の
本丸アプローチが斬新だったが、
今回の高知城の橋廊下を通り抜けるスタイルも 初めて味わう展開。 -
【重要文化財:詰門(二階の通路部分)】
橋廊下を通って、本丸に向かう。
通路の右側に並ぶ襖の奥が家老たちの控室(溜間)
前に進むほど 天守に近づくので、
先に進むほど 右手の溜間の主の身分が高くなる。
現地表記に即せば、平侍溜間 → 中老溜間 → 家老溜間 (→ 本丸) -
平侍溜間の脇に居た鯱。
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【重要文化財:天守&懐徳館(本丸御殿)】
橋廊下を通り抜けた先の本丸で 天守&本丸御殿が待ち受ける。
天守の南と西にL字型で近接する本丸御殿も
江戸時代から生き延びる遺構。
そして、現存12天守の中で本丸御殿が残るのは、ここ高知城だけ。 -
【重要文化財:西多聞】
本丸に抜け出た右に姿を現す西多聞。
規模・外観からして、武具庫、備蓄庫のように見えるが、
この西多聞は 専ら 本丸西側の防備を固める櫓。 -
【重要文化財:詰門 & 廊下門 & 西多聞 & 黒鉄門西北矢狭間塀】
本丸(西多聞付近)を下から見上げる。
左から、詰門、廊下門(西端)、西多聞、黒鉄門矢狭間塀(西端)。 -
【重要文化財:黒鉄門】
南側からの本丸進入路の防御を固めるため、1730年から生き残る門。
重要な防御ポイントなので、
二階に 武者が潜むスペースや石落としを備える。
黒鉄門を外に抜けた先は・・・
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【重要文化財:黒鉄門東南矢狭間塀】
天守の真下を時計回りに進むと ここに辿り着く。
黒鉄門への登城路を敵に易々と通過させないように 矢狭間塀が整う。
この矢狭間塀もまた 長年 生き抜いた遺構。
後々で観光用に作ったものではない。 -
【重要文化財:黒鉄門 & 黒鉄門西北矢狭間塀】
下から見上げる黒鉄門と その左に構える矢狭間塀。
ここを本丸から見ると・・・ -
【重要文化財:西北矢狭間塀】
左に丸い狭間と 右に縦長の長方形の狭間。両者の間に石落としがある。
もう一度、下から見上げると・・・ -
【重要文化財:西北矢狭間塀】
狭間に挟まれた石落としが出っ張っている。
石落としの真下には、ここにも高知城仕様の排水設備、石樋。
雨水が本丸に溜まらないように ここから排水。 -
本丸周りは、原則、矢狭間塀で囲われているのだが、
懐徳館(本丸御殿)脇の東南部は、特に防御に重きを置いたと思われる。
狭間程度の狭小視界では不十分とばかり、
横長の長方形の「物見窓」を設けている。 -
そろそろ天守へ入場。
高知城の本丸御殿は天守に接続されているので、両者の入場口が同一。
加えて、東多聞、廊下門にも接続されているので、一緒に見学できる。
利用料は、全てのゾーン ひっくるめて 440円(18歳以上) 安いね~。
(※ 18歳未満 身体障害者、高齢者等は
窓口で証明書等を提示すれば無料。)
私は 前日買い入れた「MY遊バス」一日券を提示して、
団体料金(330円)で入場。 -
(本丸御殿の見学コースの最終地点が 天守に結ばれている。)
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(加えて、天守は、東多聞 及び その先の廊下門に接続されている。)
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中に入る。順路上 本丸御殿から見学。入った所に「懐徳館」の扁額。
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南西に迫り出した所に向かう。
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【重要文化財:納戸蔵(外観)】
本丸御殿(懐徳館)の南西部にくっついているので、
予め、調べないと 本丸御殿の一角だと思ってしまう。
実際に内覧したら、このスペースは、部屋ではなく、
展示物が主役となっており、
本丸御殿の各ゾーンとは趣が違っていた。
元々は 藩の書類を収蔵するスペース。 -
【重要文化財:納戸蔵(内部①)】
左:身分の高い者用の駕篭(かご) 右:山内家の三つ柏の家紋。
岩崎弥太郎が 山内家の三つ柏の家紋と
(大 中 小 三枚の菱形を重ねた)岩崎家の家紋を統合させて、
三菱のロゴにしたと紹介されている。
言われてみれば 確かに似ている。(この機会に気付いた。) -
【重要文化財:納戸蔵(内部②)】
別のゾーンでは、数々の欄間を展示。
本丸御殿は 大小の数々の畳部屋が集積するので、
その分、間仕切りも多い。
その間仕切りは 単に部屋同士を物理的に区分するだけではなく、
部屋の主の身分差も表すから、上部を飾る欄間の存在は貴重なのだろう。
欄間にバリエーションを設けるのも頷ける。 -
例えば、「うちわけ波の欄間(波の透彫欄間)」は、
三ノ間(手前)と二ノ間(奥)の間で黒潮の波をシンプルに表している。
二ノ間を左に入った所が一段高いので、その先が藩主座所と判る。 -
絨毯敷きの通路を挟んだ反対側の襖の奥には、
茶を立てるための「御茶所」がある。 -
欄間も一役買う部屋の区分けについては、
書院造の解説が簡潔で解りやすい。
右側の配置図が円滑な理解を後押しする。 -
奥で一段高くなっている「上段の間」を正面から見据える。
ここが藩主の座所であり、本丸御殿の目玉的存在。
一段上がった左面(藩主から見た右)の襖の奥が、有名な「武者隠し」。
そして、正面奥の右側(藩主から見た背面)には、意味あり気な掛け軸。 -
武者隠しは、厳密には「帳台構え」と呼ぶそうだ。
本来、「帳台 = 貴族などの屋敷の寝間・居室」 であり、
帳台を壮麗に装飾する様子から、「帳台構え」とされたのだが、
江戸時代からは、内部に藩主護衛に当たる武士が潜んでいたため、
「武者隠し」とも呼ばれるようになった。 こちらの方が しっくり来る。
高知城・懐徳館を象徴する単語といっても過言ではないのでね。 -
武者隠の内部は 4帖大の納戸。
もっと窮屈なスペースを想像していたが、
有事に備えて 控えるには十分のサイズかな。 -
奥の掛け軸は、「ああ、掛け軸ね。ハイハイ」 と
軽く流しそうになったが・・・ -
掛け軸に記された文言(但し、複製)は、
15代藩主の山内豊信(容堂)による「夕暮曲」という名の詩だった。
酒と詩を愛したという容堂は、山内神社の像では、酒を愛する姿が表れ、
ここ懐徳館の上段ノ間では、詩を愛する姿が表れている。 -
本丸御殿の最終見学ゾーンは 雪隠の間。
(戸の中は公開されていない。)
簡単に言えば 藩主専用トイレ。
藩主以外は、本丸御殿内で用を足すことが出来なかった。
(この先、天守へ) -
高知城天守の独特・自慢の姿。 千鳥破風の上に唐破風が重なる。
この東面(及び西面)で見られる様子。 -
その千鳥破風の内部、破風の間。二つの長方形の開口部がその証し。
この破風の間、物見や鉄砲狭間の用に供され、
攻撃のための小陣地として、東 西 南の各面に設けられた。
北面の破風の間だけは、隠し部屋だったそうだ。 -
上部の屋根は、千鳥破風の外観の通りの三角形。
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天守に隆盛時の姿を再現した模型がある。
二の丸、三の丸を埋め尽くす御殿、
三の丸周囲に張り巡らされた狭間塀、
二の丸の北西方向を固める三階建ての乾ノ櫓・・・が目に付く。 -
太い柱や味のある床板は、現存天守ならではの姿。
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これも現存天守の宿命。急角度の階段を上り下りする。
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何箇所あったか、いちいち数えなかったけど 急階段の連続。
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ついでに 最上部の急階段を 下り目線で捉える。
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急角度の階段を幾つも上って、到達した最上階スペース。
廻縁の出入口脇の禁止事項に関する注意書きなんだけど
落書き、喫煙、飲酒に加えて、「昼寝」って・・・
それはさておき・・・高知城の売りは、回廊部の黒漆塗りの高欄。 -
天守の廻縁の黒漆塗りの高欄は、観光用に後付けされたものではない。
山内一豊が創建した当時から、きちんと家康の許可を得て、設けられた。
天守自体が、1727年の享保大火で焼失してしまったが、
再建後も、創建時同様の高欄が取り付けられた。
見た目の美しい黒漆の高欄は、権威を象徴する効果もある。
但し、紫外線に弱いため、美観を維持するためには
こまめなメンテナンスが必要。 -
天守から各方向を見下ろす。 先ずは、南東方向。
近場には ちょうど24時間前に居た高知城歴史博物館。
向こうには、昨日の午後 訪れた五台山と そこに立つNHKの鉄塔。 -
東方向 真下に板垣退助像、追手門。
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北東側 三の丸を見下ろす。
往年は、御殿が並んでいたが、現在は広場、この時期なら花見スポット。
何を隠そう・・・高知県の桜の標準木は、ここ三の丸の染井吉野。
今年の開花日は、3月29日(前年比:3日遅れ)
高知城公式サイトによれば、この日(4月5日)は、四分咲きとのこと。 -
天守からの北側
真下(左側)の二の丸は、つい先程見た再現模型では、
藩主の二の丸御殿や櫓群で埋まっていたが、今は更地。 -
【重要文化財:西多聞、廊下門、東多聞】
西方向(・・・とはいっても、ほとんど本丸を見下ろしている。)
左から、西多聞、廊下門(右に詰門)、東多聞。
東多聞&廊下門は、この後、訪れることになる。 -
【重要文化財:東多聞】
1階に下りた後、天守から ここ東多聞に移ったのだが、
かつて武器庫だった東多聞には、特段の印象を持つことなく・・・ -
【重要文化財:廊下門】
あっという間に東多聞を通り過ぎてしまい、廊下門へ。 -
【重要文化財:廊下門】
廊下門の小屋組み。 -
【重要文化財:廊下門】
廊下門では 土佐の生活、伝統産業の捕鯨の様子等を紹介していた。 -
天守・本丸御殿堪能直後の二の丸でアイスクリン(バニラ)を舐る。
達成感、充実感に浸る中、汗ばんできたので、迷わず 手が伸びた。
食感は、アイスやソフトのような粘度はなく、シャーベット調。
確かに これは懐かしい。昭和40年代の味がする。
至ってローカルに例えれば、
(名古屋市西区) 円頓寺商店街のソフトを思い出す。
(この後、もう一度見たいゾーンを復習して、高知城を後にした。)
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